蜘蛛女のキス (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087606232

作品紹介・あらすじ

ブエノスアイレスの刑務所の監房で同室になった二人、同性愛者のモリーナと革命家バレンティンは映画のストーリーについて語りあうことで夜を過ごしていた。主義主張あらゆる面で正反対の二人だったが、やがてお互いを理解しあい、それぞれが内に秘めていた孤独を分かちあうようになる。両者の心は急速に近づくが-。モリーナの言葉が読む者を濃密な空気に満ちた世界へ誘う。

感想・レビュー・書評

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  • モリーナとヴァレンティン、2人の人物による全編ほぼ対話形式でストーリーは進みます。
    冒頭、映画のあらすじを語り合う場面で始まりますが意見はさっぱり噛み合いません。せっかく順を追ってモリーナが話しているにも関わらず、何かとヴァレンティンが話に水を差します(当方女のためついモリーナ寄りの視点に)。物語を読み進めていくと、テンポの良い会話の端々から両人が「特殊」で「閉鎖的」な状況下にいることが浮かび上がってきます。

    モリーナは自分に課せられた任務を背負いながらも一人に寄り添い、信頼を寄せて力になろうとします。不貞腐れたり、心配したり、怯えたり、喜んだり、幸せに満ちたり…純粋で感情豊かなモリーナは無性に愛くるしく魅力的で、終始感情移入しました。革命に殉じ使命に燃えていたヴァレンティンは次第にモリーナへ心を開いていきます。時に恋人、時に母のような深い愛情をみせるモリーナに聖母マリアを重ねてしまったのは私だけでしょうか。

    手放しのハッピーエンドが訪れないことは覚悟していましたが苦しいほどの切なさを感じます。刹那的な安らぎは暗闇にいた彼らを彩りました。時代に人生を左右された2人。しかし、時代に人生を左右されなければ交じることのなかった2人でもあります。
    儚く短い夢を見た彼らが、最期に幸せな画を思い浮かべたと信じたい。

  • 「人生において、あらゆることは一時的であって、永久に続くことなんて何もないんだ。」
    「起きたことはそのまま受け入れる、それができなくちゃいけない、そして自分に起きたいいことは大事にする、たとえ長続きしなくてもだ。」P401

    モリーナ、そんじょそこらの女の人より余程情が深い。

  • 極上の読書体験だったわ、モリーナあんた最高の女よ。オネエ言葉で訳してくれた訳者さんに感謝。
    言葉だけで語られる映画、監獄でも、家の中でも電車の中でも言葉だけで彼女の話す映画を観ることができること。でもそれは2人の会話の中できっと微妙に、或いは大きく変化して、2人にしかない映画になっていったんだろう、モリーナが絶世の美女の蜘蛛女となったように。
    お互いの姿すら見えているのか疑問な環境で、閉鎖的な劣悪な空間で、語られる世界、バレンティンと一緒にモリーナの世界を感じ取ろうと思わせる構図がすごい。舞台設定の光明さ、会話のみの文構成、それだけ抜き出して読みたい興味深い長い原注、見事の他に言葉がない。余韻が最高。
    文字が読めることに感謝したい読んで良かった一冊。愛ってなんだろうか。

  • 読んでいる間ずっと、モリーナの愛情深さと「映画の話」に幼い子供の気持ちではまりこんでいた。ハッピーエンドではないと覚悟していたのにあまりに無心でいたので、この結末には突然一人ぼっちでほうり出されたような心細い気持ちに。モリーナは馬鹿じゃないのに、無軌道な愛に殉じてしまった。

    ヴァレンティンが会えない女を想って「変だな、人は何かに愛情を感じなきゃやってけないなんて」と呟くシーンがあるけれど、モリーナこそそういう人だった。計算しない愛情が、二人を近づけていく過程に心が温まる。あんな風に人と向き合えることなんて、本当にどこかに閉じ込められでもしないとないんじゃないか。プイグがフィクションで真理または奇跡を見せてくれたように思った。

    映画の話。松岡正剛の「千夜千冊」によると、登場したのは「『黒豹女』『甦るゾンビ女』『愛の奇跡』『大いなる愛』、そして、おそらくは複数の映画をまぜあわせてプイグがつくりあげたナチスの物語の映画など。」だそう。映画にさほど関心がないのにとても惹き付けられたのは、どうしてだったんだろう? ふだん関心を引かれないキラキラした綺麗なものが、とても魅力的だった。

  • 「人生において、あらゆることは一時的であって、永久に続くことなんて何もないんだ」(p401)
    ならば、モリーナがバレンティンを愛した(愛した、というべきなんだと思う)のも一時的なものだ。モリーナは釈放されて塀の中のことは全て忘れて自由に生きていくことができた。ひとに対して心を持つこと、心を開いてそのうちがわを見せたりなでたりすること、ふたりぼっちの牢獄の中でつちかっていったもの。
    構成は何回でも脚注も含めてまだ全然読み込めていない。ただ、初読で得たこのさみしさは、記録しておきたい。

  • 冒頭いきなり始まるお話は、シェヘラザードが夜話をしてくれているようで本好きならすぐ引き込まれるだろう。だがお話は土着の民話やお伽話ではなく映画のあらすじ話であった。モリーナが自らを語るには新しいメディアを借りるのがぴったりだったのだろう。バレンティンには話さなかった美しい若者の夫婦の話がモリーナの純粋さを語っているようでとても好きだった。いくつもの寓話が語られ次第に愛が錯綜する。誰がモレーナを?そして愛とは何かと考える。本当に勝ったのは読者の心に深く残った者だろう。

  • 芝居(戯曲)のイメージが強い作品ですが、なるほど、すべてが会話だけで成立しているというかなり実験的な構成。刑務所の囚人房の中で、政治犯のバレンティンと、オカマのモリーナの二人の会話だけで物語が進行して行く基本ワンシチュエーションもの。それだけで二人の心の変化がちゃんと読み取れるからすごい。印象的なのはやはりモリーナが語って聞かせる映画のあらすじ。普通に続きが気になってどんどん読みすすめてしまいます。ラストは、個人的にはハッピーエンドだと思いたいなあ。少なくとも二人の間に生まれた心の交流は嘘ではなかったと信じたい。

  • 残念ながら性に合わず、途中で断念。映画を見てみよう。

  • この本で描かれている映画が見たくなったが、言葉で説明されてしまい、かえって満足したので、見る気は無いような気もする。
     モリーナとバレンティンは、映画の語りや謎の病気?を通じて、心を通わせたと私は思ったが、そうではないとする見方もあるらしい。確かに怪しい場面はあったが、最後の方では、2人は互いに信頼していたと思うなあ、私は。その方が好きだ。
     また、「人生は長いのか短いのか分からないから、自分に起きたいい事は、長続きしなくても、大事にすべき」というバレンティンの言葉は良いなと思った。外から見た自分の人生と、自分自身が感じる自分の人生は、必ずしもイコールではないからだ。

  • ラテンアメリカ文学の名作。マルケスは何作品か読んだことがあるが南米文学にはまたこういう側面もあるのだなと懐の深さを感じさせる。中盤までは幻想的で散発的な物語が繰り返される不思議な雰囲気。乾湿と熱情が交じり合う空気。中盤以降は情緒と寂しさを纏った展開となる。唯一無二の世界観を提示しぐっと引き込まれる作品。

  • 津村の読み直し世界文学の1冊。タイトルがあまりにも有名なので、蜘蛛女と呼ばれている女が男を絶えず代えているとばかり思っていたらまったく違っていた。監獄に入っている反体制の男性とスパイの男性のやりとりである。スパイの男性が毎日見た映画の話を反体制で逮捕されている男性にすこしずつ話していく、その映画のストーリーがメインである。

  •  ブエノスアイレスの刑務所で同房となった同性愛者のモリーナと革命家のバレンティン、本作は主にこの2人の対話--夜にモリーナがバレンティンに映画のストーリーを語って聞かせる--から成り、いわゆる地の文は無い。
     微に入り細を穿つモリーナの話はなかなかおもしろかったが、対話そのものや時々あらわれる註釈の役割や意味は全然解らなかった。元ネタを知らなくてはパロディーを楽しむどころか、パロディーに気付くこともできない。

  • 有名な小説でタイトルはずいぶん前から知ってたのだが読んだことはなかったので読んでみようと手に取った。
    読みにくい…表現もそうだし、途中かぎかっこに入ってるのにセリフじゃないみたいな文章があったり、原注とかいって専門的な文章がはさまったりしてこっちは何言ってるのかさっぱりわからなかった。
    刑務所内の恋愛の話、と聞いていたけど恋愛の話にさかれてる文字量より圧倒的に登場人物が語る映画の話が多くて何の本を読んでいるのかと言う気になった。映画の話が始まるたびにうんざりした。
    ただ登場人物のいう
    私の人生いつ始まるのかしら、というようなセリフは私もまったく同じこと考えたことがあったので、いつの時代も人の考えることって大差ないのかなと思ったりした。
    あんまりいい小説ではなかった。気分が明るくなる終わり方ではないし、表現はわかりにくいし、内容も面白くないし、どうしてこの作品がすごく評価されてるのかわからない。ホモが出てくる小説だからか?
    だったらおとなしくBLでも読んでた方がずっと心に優しい気がする。

  • ずいぶん昔に読んだのだが、もう一度読みたくなり購入。
    一度目は、雑に読んで、それでもモリーナの心の揺れ動きや二人の信頼感が深まっていくところに面白さを感じた。

    筋だけならシンプルなこの小説の、どこが引っかかって再読したのかというと、時々挟まれる読みにくい文体、会話のかけ合いだけで進められる部分、モリーナの語る映画のストーリー、それらが重層的に作り出す広がりや展開が特別なのかなと思う。うまく言えないけれど、作者に弄ばれる喜びというか、仕掛けの楽しみというか。

    すんなり先に進まないので、途中で止まってしまったりするけれど、気がつくとまた手に取って読んでいる。そんな小説。

    原注部分がまた長くて、読めていないので、次回の再読の楽しみもまだあったりする。

    野谷さんの翻訳ももちろんとても良い。モリーナをオネエ言葉でしゃべらせたらイキイキし始めたと後書きに書いてあったが、日本語ならではの効果で、翻訳で読めることの嬉しさもある。

  • 話としては面白いけど読み終わったあとに特に感想が浮かばなかった。途中で2度ほど挟まる長い注釈もよくわからず読まなかった。

  • 映画がよかった。原作は独特の文体と聞いて、買ってみたが、濃密さが自分には合わず、断念した。太字、注釈など仕掛けの意図がわからなかった。モリーナが延々語る映画の話、映画ではナチスのプロパガンダだけにしていたのは正解だと思った。

  • テロリストの若者とホモの中年が牢屋で同じ房になり、寝る前にホモが映画の話をしていく。
    作者(アルゼンチン人)はもともと映画監督を志していたとの由で、良い感じに投影されていると思う。

  • 昔ハードカバーで読んだものを文庫版で久々に再読。小説は同性愛者のモリーナと政治犯の青年バレンティン、二人の対話が地の文なしで延々と続き、半分くらい読んでようやく二人が刑務所の同じ監房にいることがわかるという凝った仕掛け。
    1970年代のアルゼンチンでは独裁政権により数万人が殺害されたという。同性愛やトランスジェンダーへの理解もない時代。だがそんな状況をふと忘れるほど、二人の会話は互いへのいたわりに満ち、哀しいほどに優しい。それは多分、愛に限りなく近い何か…だったのかもしれない。

  • ・テーマは同性愛?夢と錯倒?
    ・面白い設定

  • 鼓直の翻訳で読んだが見つからないのでこちらに書きます。「人生というものは短いかもしれないし長いかもしれない。それはともかく人生においてあらゆることは一時的で永久に続くことなんて何もないんだ」ブエノスアイレスの刑務所でテロリストに語りかけるホモセクシュアルの男。これまでに観た映画の話をしながら2人の会話を通して現実のストーリーは進む。その言葉が2人に特別な絆を育み、美しい愛情を紡いでいく。

  • 南米の小説、もっと重くて複雑な印象だったけど、これはドラマティック。映画のエピソードと本編が絡み合って、「この先どうなる?」が2本線で楽しめる。2人の主人公に見えるけど、魅力的なのは間違いなくモリーナ。

  • ブエノスアイレスの官房で同室となったゲイのモリーナが、政治犯のバレンティンに様々な映画のストーリーを語る。ナレーターはおらず、2人の会話でストーリーが構成される。
    モリーナが語る映画のストーリーと、それに相槌を打つバレンティン。誰かと会話をすること、誰かに見た映画の内容を話し、ここが好きだった、この雰囲気は好きじゃない等と他愛もない話をすることの心地よさを思い出させてくれる。
    軽快な語り口の中で、バレンティンが政治犯であるこや、今も改革を企んでいることの重さが埋もれる。ロマンチックなモリーナとロジカルで厳格なバレンティンという、違う境遇で出会ったらきっと相入れなかっただろう2人が不思議な絆を築いていく。
    南米文学のとっかかりとして軽い一冊。

  • 全てが大好きなお話。

  • ほぼ会話だけでストーリーが展開していく構成がとても好み。独房の中、確かに心が通い合う様は恋愛のようであり、慈悲のようであり、慰め合いのようであり。

  • 久しぶりの再読。普段戯曲を読まないので、ほぼ会話だけで進行する話がとても新鮮。政治テロリストとゲイの囚人がそれぞれ自分の役から脱け出さないのがもどかしいが、閉じ込められた悲惨な状況の中で互いに相手の存在を自らの拠り所にし始める過程が興味深い。そして何と言っても、モリーナが語る映画のストーリーの魅力が断トツに素晴らしい。話が後戻りしたり、モリーナやバレンティンの感想が入って脱線したり、これぞ会話の妙味って感じ。ずっと心に残る作品。

  • 人生に無駄な時間はどのくらいあるだろう? たとえばお気に入りの映画を見る時間は、生きることに関係ないから無駄なんだろうか?

    物語の冒頭の、純粋な革命闘士であるバレンティンは「無駄だ」と一蹴するかもしれない。でもやっぱりこの物語で最高なのはロマンス映画を語る間のモリーナだし、理想主義者のバレンティンは、彼女の影響をうけて、ラストはそれはもう感傷的でロマンティックな幻に救済される。そもそも、革命闘士なんかやってる時点で別方向にロマンチストだったんだろうね。

    でも、どうしてこんなにモリーナは魅力的なんだろう。
    彼女だけじゃなくて、映画好きの人はなんでか魅力的だ。知識量や表現力に加えて、映画を語るその人自身がひとつのエンターテイメントになってしまっているのかな。まさにモリーナみたいな、明るくて表現豊かな映画好きを知っていたから。

    後半でモリーナとバレンティンがそういう関係になってしまったのが残念だった。ゲイとノーマル男性だから面白かったのになぁ… 最後まで友人として付き合って欲しかった。

  • なんで人が話す映画の話をえんえん聞かされなきやならないんだ?と思いながら読んでた。主観的でたまに戻って話す、途中で映画の部分を飛ばしたくなった。獄中だけち食べ物の描写が思い入れある。肉や砂糖漬けフルーツ、紅茶がこんなに美味しそうで幸せを表現するものとして書かれるなんて。そしてランプの作る影がこんなに大切に映るなんて。二人の性的描写はわかる人にしかわからないように書いていたのかな。何が起こってるのかいまいちわからなかった。

  • 10/4 読了。
    政治犯の青年バレンティンと同性愛者で未成年淫行犯のモリーナは、同じ牢に収容されていた。映画好きのモリーナは、毎晩消灯のあと、お気に入りの映画のストーリーを微に入り細に入り語って聞かせる。シニカルなバレンティンは話に茶々を入れてモリーナをうんざりさせたが、ある日の夕食後に食あたりを起こし、モリーナに手厚く看病されてからしおらしくなってくる。2人のあいだには次第に友情以上の感情が芽生え始めるが、実はモリーナはバレンティンから政治グループの情報を引き出す代わりに、仮釈放を早めてもらう約束を所長と結んでいたのだった。
    モリーナーーーーーーー!!!!!!!刑務所の暗闇がふたりの心を解き放つアジールでもあったという皮肉な設定、モリーナが語る映画のヒロインはみな二面性があり自分のもうひとつの顔を恐れているという技巧の面も素晴らしかったけど、やっぱりこれはモリーナのキャラクターあっての小説でしょう!日本語で端的に言っちゃえばオカマなんだけど、キャラ造形の圧倒的なリアリティ、素晴らしい。最後にバレンティンが頭の中で呼ぶのはかつて付き合っていたヨーロッパ女の名前だけど、脳内での彼女との会話がだんだんとモリーナとのそれにすり替わっていくところで号泣。モリーナは命と引き換えに、どんな形であれバレンティンの心に"残る"ことを選んだのだろう。

  • 読みづらいと聞いていた通り難しかった。
    でもおもしろい。
    作中で語られる映画の知識があればもっと楽しめたんだな。
    勉強してから再読したいし映画版も観たい。

  • こんなにも美しい言葉を尽くすことができるモリーナを羨ましく感じ、それゆえに最後の描写に涙しました。

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著者プロフィール

1932-1990年。アルゼンチンの作家。ブエノスアイレスの大学を卒業後、イタリアへ留学し、映画監督・脚本家を目指すが挫折。ニューヨークで書きあげた長篇『リタ・ヘイワースの背信』を1968年に出版、帰国後発表した『赤い唇』(69)はベストセラーとなるが、『ブエノスアイレス事件』(73)は発禁処分、極右勢力の脅迫もあってメキシコへ亡命。世界各地を転々としながら、『蜘蛛女のキス』(76)、『天使の恥部』(79)などの話題作を発表。巧妙なプロットと流麗な語り、現代的な主題で幅広い人気を博した。

「2017年 『天使の恥部』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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