- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087606287
作品紹介・あらすじ
高名な初老の作家アシェンバハは、ある日旅の誘惑に駆られ、ヴェネツィアへと旅立つ。そこで彼が出会ったのは、神のごとき美少年タジオだった。その完璧な美しさに魅了された作家は、疫病が広がり始めた水の都の中、夜となく昼となく少年のあとをつけるようになる…。官能の焔に灼かれて朽ちていく作家の悲劇を、美しい筆致で描いた文豪マンの代表的傑作。巨匠ヴィスコンティの名作映画原作。
感想・レビュー・書評
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美少年に捧げる人生……素敵じゃない?
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主人公アシェンバハは、若い頃の奔放な作風や言行を抑制し、次第に保守的模範的となり、
お堅い官定教科書にもその文章が採用され、貴族の称号まで授けられた高名な作家。
仕事に倦んた彼はある日ミュンヒェンで奇妙な外国人風の男を見掛けたことから旅にいざなわれる。
彼はベニスのホテルで美しい少年を目撃する、以来憑かれたように、ホテルでも砂浜でも、
少年タジオを執拗に視線で追い、さらにはベニスの街を散策する少年とその家族を尾行したり、
彼らが乗ったゴンドラを別のゴンドラで気付かれないように追跡させたりする。
少年をギリシャ神話のヒュアキントスに譬えたり、また自分とタジオがソクラテスとパイドロス
であるかのような会話を夢想するが、実際には視線を交わすのが精一杯で、声をかけることさえ出来ない。
ベニスに疫病が蔓延するのと歩調を合わせるように、彼の思いも狂おしいものとなり、
心身ともに病んで行く。
タジオ一家にベニスを離れること勧める意思は一瞬で潰える、そんなことをすればもう少年に会えなくなるから。
情熱(タジオへの愛)にとって必要なのは秩序や安寧ではなく、現在のベニスのような混乱や災厄であると考え、
噂が広まり閑散とし始めると、タジオと二人でこのリド島に居るような気分にさえ浸る…
アシェンバハの痛々しい内面や行動、その淵源がテンポよく綴られている。
彼が見る悪夢も象徴的、山から人や動物や神憑りした群集が転がり落ちて来て狂態を演ずる、
まるでディオニソスに生贄をささげる祭典のように…そしてその群集はすべて彼自身なのだ。
アシェンバハに物問いたげな視線を返したり、微笑を投げかけたりするタジオも小悪魔だ。
映画とは作曲家と作家の違いはあるけど、小説を読んでより物語全体の奥行きが深くなった。
そして原作を損なわず巧みに映像化されたのもよく分かった。
小説と映画(DVD)のセットでぜひどうぞ。
星五つのうちのひとつはビョルン・アンドレセンの表紙に対してです。 -
おっさんの美少年観察記
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映画を観た友人「何であの人、この可愛い子ちゃんに声かけないの? 」
私「ただ見てたいから」
圧倒的な美の前で、老芸術家は言葉を失い、ひれ伏す(作家だから饒舌とも限らないのだ)。最盛期であれば、美しい者の血を吸い尽くし、作品の贄にして棄てただろう。実年齢の問題よりもむしろ生きることに疲れて老いた彼は、力学関係の逆転により、残り少ない生気を吸われる側に転ずる。
声をかけると幻滅するから。知り合えばやがて別れが来るから。自分が老いて醜いのに対し、あの少年は若い神のように眩しいから。それはそうだが、それだけでもないのである。ただ見つめ、幻惑されていたい。最後の夢を見ながら深い眠りにつきたい。
峻厳な北の都市から退廃に満ちた南の国の海にやってきた知識人の心のありようは想像するしかないが、手の届かない熱・耀きへの憧れそのものを語る作品のように感じられる。 -
アシェンバハはタジオを「ギリシャ彫刻のよう」とたとえていたが、アシェンバハのタジオに対する眼差しにはプラトンのいうエロースを感じた。そう考えると、タジオを愛でながらの死はアンシェンバハの魂がイデアの世界へと帰っていったとも考えられるのかななんて思った。
トマス・マンは初めて読んだが、耽美と理論が同居しているような文章だなという印象。日本でいうと、三島由紀夫、平野啓一郎を彷彿とさせられた。 -
ベニスで出会った天使の様な美少年におぼれていく作家の話です。
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タイトルだけは知っていましたが
映画も見ていないし
正直、どんな系統の話かも知らずに
この美しい表紙と
「トーマス・マンだったの?原作!(いや、トーマス・マンだって名前しか知らんけど!!)」
という驚きとで
思わず手にしてしまいました。
「推しが尊い」
の一言を小説家が書くとこんなに格調高い感じになってしまうのネ…。
この小説の「美や芸術に対する盲目的な情熱」とかなんとかいうようなテーマ(おそらく)を全部台無しにするようで申し訳ないけど
「推しが尊い」
この一言に尽きます…私の中では…。
色んなジャンルに推しがいる私には
かなり…わかりみ…
私…アシェンバハになれる…。