- Amazon.co.jp ・本 (610ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087610079
作品紹介・あらすじ
ブルームは、馭者溜り(喫茶店)へスティーヴンを連れて行き、モリーの写真を見せて紹介する。午前二時、二人は音楽談義に興じながら、ブルームの家に向かい、ココアを飲んで、別れる。ブルームが眠りについた後、モリーは考える。Yesで始まる長い回想と独白は、やがてこれまでの人生、自分が知る限りのブルームの人生におよんで行き、ブルームを許しつつも多義的で混沌としたYesで閉じられる。(第16挿話〜第18挿話)。
感想・レビュー・書評
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ふう、最後まで行きました。17のイタケの問答調の文体は面白かったです。18ペネロペイアは最後までいくしかない、的でビートルズのアビーロードを想起させました。読んだ後、自分がまだまだこの小説を咀嚼できていないことをまず実感する、というすごい小説です。
それにしてもジョイスって女性の下着大好きですね。ユリシーズで彼は人間の欲望や猥雑さを肯定しました。フロイトとかぶるところがあります(フロイトが散々同時代のヨーロッパ人から非難され、ジョイスがアメリカで発禁になったのも理解できます)。談志は落語で人間の業を肯定しました。ぼくも医療の世界で人間の欲望や猥雑さや業を肯定するような形で医療をやっていたい。さて、どうやって形にできるか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
共通の古典と文化を持ち、原文で読まないと本当の面白さは分からないのだろうなと思った。
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James Joyce(1882-) ダブリンで生まれる
<ダブリン期:1882-1902>
父親は酒好きで陽気な機知に富む人で、母は10歳年下で音楽好きの美人だった。父は財産を持っており、ジョイスは6歳にしてイエズス会の名門に入学。ジョイスはスポーツも万能だった。父の失業により学校を辞めなければならない時期もあったが、とりわけ作文の成績が良かった。16歳までに夥しい数の読書に耽り、イプセンに傾倒し始める。この頃というとアイルランド文芸復興運動が盛んだったが、ジョイスはそれらを無視して作品を作ることに専念していた
<ダブリン脱出期:1902-04>
ダブリンを出たいという思いからか、パリの医大を目指すようになる。また、6月10日にのちの妻となるノーラ・バークナルと出会いを果たし、16日に初めての逢引きをする。これは『ユリシーズ』において重要な日付となる。
そして1904年10月にノーラを伴ってダブリンを脱出する。もちろん心がダブリンから離れることは決してない。
<『ダブリンの市民』『若い芸術家の肖像』の時代:1904-14>
2人はチューリッヒに到着。この間ジョイスの心にはアイルランドへの郷愁があった。そして『ダブリンの市民』執筆の動機となった。
<『ユリシーズ』の時代:1914-22>
ダブリンを出て10年経ってようやく世間が彼の腕を評価し始める。ジョイス一家の暮らしは楽ではなかった。いろいろな人からの資金援助があったが、特にハリエット・ショー・ウィーバーの援助が一家を助けてくれていた。ジョイスの本当の恩人である。『ユリシーズ』の執筆はこの時期にしており、『ユリシーズ』は賛否両論だった。T.S.エリオットは褒め称えたし、V.ウルフは敵対した。
<晩年:1939-41>
戦争が始まると一家はチューリッヒに逃げた。到着して間もなく、胃痙攣で彼は倒れて亡くなった
<ジョイスの作風>
どんな不潔な題でも平然と書き上げた。人間の排泄行為、セックスなど当時の人が「汚い」と思うものも多く、多くの国で発禁処分を受けたりした。『ユリシーズ』は「神話の下敷きがある神話的手法によって描かれている」とエリオットは指摘して褒めている。
代表作:『ユリシーズ』『ダブリンの市民たち』『フィネガンの通夜』 -
最後のペネロペイアの章でのモリーの独白がすごい。何が凄いかって、男の幻想を打ち砕き、私の体は私のものというフェミニズムが勝ち取った主張が先取りされているから。ここに来て俗悪の意味が単なる露悪でなく、露人間であることに気づく。
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訳:丸谷才一・永川玲二・高松雄一、解説:結城英雄、エッセイ:池澤夏樹、原書名:Ulysses(Joyce,James)
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半分、頭に入って来なかったので読み流してました。でもとりあえず通読しました。
なんかもうすごい、すごいのは訳者さんや寄せられた解説の熱意で理解したくらいですが、原文でもやはり読み難いものなのに世界中で読まれている、という奇形の一作。
どうということのない凡庸な主人公達の1日をここまで幅広い文体で自由に描写した。
面白いけど面白いとかそうじゃない、すごい(語彙)
とにかく訳者さんの熱意もすごい。よく出してくださいました。これを日本語で読めるありがたさだなあ。 -
やはりこの小説の良さは分からない。
モリーの心境は妻に繋がるものがあるかも。 -
やっと読み終わった~!!それだけ。アイルランド慕情。
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なんとか読了。ふう。
面白いかと言われると面白くない。
深いかと言われると深くない。
凄いかと言われると凄い。
ストーリーは「出かけて飲んで夜中に帰った」くらい。
主人公の考えも「おっ、いい女」とか。
そんなしょーもない内容を、考えられる限りの構成と表現方法で書き尽くした感じ(ジョイスがドヤ顔してそうな気がする)。
ブルームの白昼夢?とかモリーの回想とか駄洒落とか文体模写のパロディとか勿体ぶった言い回しとかしつこいくらいの名詞の羅列とか「お前は中学生か」と突っ込みたくなるけど、ここまで徹底的に書いたところがジョイスの天才なんだろうか。
丸谷才一の「こう見えて実はエンターテイメント」とか
池澤夏樹のトルストイ、ドスエフスキーと比較した評価とか、解説は面白かった。
人生リタイアして暇になったら、各国語の辞書と片手に原文で読むのが正しいアプローチのような気がする。その前に聖書とシェイクスピアとイェイツを読破して。 -
世紀の言語遊戯物語、遂に完結。小説が語りうるもの全てを詰め込もうとした本作を読みながら、自分は語り得るものについて考え抜き、晩年は言語ゲームに取り組んだウィトゲンシュタインの事を何度も思いだしていた。そういえばナポコフやボルヘスだって、語感や響きを楽しんだ言葉遊びの達人だ。そう、私達の言葉は時に、意味の重さに押しつぶされ、疲れきってしまっている。翻訳の向こう側に存在する言語感覚の快楽、それはブルームさんの残念な性癖以上にユーモアで満ちていた。難解さの彼岸で見えた楽しむことの喜び、それを何より大事にしたい。