失われた時を求めて 1 第一篇 スワン家の方へ 1 (集英社文庫)

  • 集英社
3.81
  • (36)
  • (20)
  • (45)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 481
感想 : 27
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087610208

作品紹介・あらすじ

語り手が眠りに引き込まれてゆく描写から、小説は始まる。夢現の状態、目ざめ、そのときに思い起こすコンブレーでの幼年時代、母が与えてくれた「おやすみ」のキス…。しかしこれらの記憶は断片的で、本当に生きた過去を返してはくれない。ところが後になって、ある冬の日に、何気なく紅茶に浸したプチット・マドレーヌを口に入れたとたん、幼年時代に味わった同じマドレーヌが思い出され、それと同時に全コンブレーの生きた姿が蘇る(第一篇第一部)。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • その冗長ともいえるような描写に慣れないはじめのうちは、ちょっと読んでは寝て内容忘れてまた戻って読んで・・・の繰り返しだったが、だんだんとそのまったりした流れに慣れてからは頭の中で風景が広がっていくのを覚えた。

  • 3.2

  •  まだ語り手は少年で母親に甘えたいさかりである。

  • 2009年くらいに流して、「失われた時を求めて」を読んだ、気になっていた。1ヶ月か2ヶ月かかった。さて、今回はどこまで読むことができるのか。ほとんどマドレーヌしか憶えておらず、作家になりたいで終わるこの作品を堪能したい。
    じっくり、ゆったりとした気持ちで読み進められれば、読書の快楽を感じる。

  • 他の出版社のものもあるけど、集英社にしたのは、ネットで翻訳比較しているサイトを見た中では1番スムーズで流れが頭に入りそうだったこと。

    それと、注釈の量がすごい。
    登場人物とメインの家系図、各編のあらすじ、要所要所の場面の要約まである。

    文字はびっしりで、ほぼ隙間がない。
    これが13巻まで続くのだけど、全て読み終える時が楽しみだ。

    文章は一つが長いのが特徴。
    所々集中力が途切れると文字を追いかけるだけになってしまう笑

    しかし、面白い場面もたくさんあるし、一つのことからするすると記憶が繋がっていく不思議な経験はある。
    今まで思い出さなかったことが突然するすると。

  • 何というか凄まじい本だった。いい意味で期待を裏切られてしまった。というのも、私はこの本をかなりお行儀のよさそうな連中が読むようなお上品な本だと勝手に思い描いていたのだったが、ふとしたきっかけで気まぐれに最初の数ページを読んだところ、こいつは最後まで読むしかないな、と驚愕と讃嘆が入り混じった心持になってしまった。
    冒頭でこの小説の語り手が眠りから目覚めた瞬間、夢幻や諸々の過去の記憶といったものが意識の中を飛び回り、ついに現在に立ち返ってゆくその刹那の描写はただただ驚かされた。さらにあの有名なマドレーヌのくだり。所謂プルースト効果という現象の描写だけでもいいから忙しい方でもこの書を味わってみるといい(この本は本当に暇な時にしか読めぬような代物であることを留意していただきたい)。

  • 新聞のコラムで引用されていた文章に惹かれて購入。読み始めたばかりですが、文体の美しさに引き込まれます。
    文庫で13冊とかなりの長編。
    頑張って読破したいものです...

    (1)を読み終えて、、、
    読みづらいと聞いていたので、心して読み始めましたがそれほど読みづらさは感じず。
    明解さには欠けるので読むのに時間はかかりましたが。
    優雅で美しい文体が長々と続く感じが、私は意外と好きなのかもしれないと思いました。

  • 非常に格調高く美しい文体だが、ストーリーが頭になかなか入って来ず、読み進めにくい。
    まるで、ヴィスコンティの映画のように優雅。

  • どうも内容が頭に入ってこない。長編の出だしはつまらないものと思っているし、これからの物語の登場人物紹介の意味もあるという解説?あらすじを読んでそういう物語の始まりとしての文章なのだと思うのだが、どうも‥‥。
    あらゆる箇所で引用したくなる、共感を感じる文があるのだが、頭に筋が入らないので忘れてもどかしい。これは筋が分かり易い二巻以降にも言えるが。世界の名著と言われる所以だろう。
    ママンからの寝る前のキスを求める長ーい話がどうも気持ち悪い。これが何歳くらいの時の話か分からなくてもどかしかった。私が親との挨拶としてのキスという文化を持たぬ日本人だから仕方ないのだが。

    エッセイは、吉田健一の「時間」と比較して、この「失われた時を求めて」は規定された時間を無視し自由にあらゆる思い出を想起している(意訳)物語で、プルースト自身物覚えの悪い人物であったことが紹介されている。つまり、すべての人物、場所、事象が書き手のフィルターを通した、極度内省的な物語であることが強調されている。これはこの時代のフランス文学では当然と思われるかもしれないが、一人称のない文でここまで書き手の思考を滲ませている文は、私は目にしたことがない。それ程極端に自分の視点で描かれている鮮やかさは他の作品と一線を画している。
    吉田健一はプルーストの時間概念を批判している。彼にとって時間とは絶対的なものだったからだ。このエッセイを読んで私は吉田の時間における近代批判は少し的外れに感じた。日本人は四季を自然を通して感じる。対してフランス人、欧州文化では祭日はカレンダー上の決められた日であり、それが何より神聖視・絶対視されていた。また、日々1日の決まり事、何時に食事しミサに行くか、この本でも大変重要なもののように描かれている。もちろん日本にも暦上の決まりによりその日の暮らしを決定する大切な日が幾日もあるが、毎週日曜を安息日と決めたキリスト教文化とは比にならないだろう。
    思い出の中で時間を自由に行き来するっていうのは、日本で四季の移ろいを絶対的な時間として感じるのと同じくらい、素敵だと思う。

全27件中 1 - 10件を表示

マルセル・プルーストの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×