- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087710175
作品紹介・あらすじ
東京生まれのお嬢様・華子と、地方生まれのOL・美紀。出会うはずのなかった女二人が同じ男をきっかけに巡り合って──。東京の「上流階級」を舞台に、結婚の葛藤と解放を描く、渾身の長編小説。
感想・レビュー・書評
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確か映画化されたよなと思い、読んでみたけど面白かった。
東京生まれ東京育ちのお金持ち華子と地方出身東京暮らしの美紀、どちらにも自分なりの普通の生活や普通の暮らし、考えがあって対比がとても良かった。どちらか一方を悪く書くでもなく、かといって階級を飛び越えた友情が芽生えるでもなく、ちょうど良いところにおさまった感じのある物語だと思った。
華子は最後の方で、どうして幸一郎にそうしてあげられなかったのだろうって回想してるけど、まぁ幸一郎が華子を完全に必要としてないからでしょうよ…と。感謝も給料もないんじゃ何もできないよね。
お金持ちたちの仲間には入れてくれないけどひとりひとりは優しくて親切っていうのすごいわかる。
幸一郎もクソみたいな奴だけど、悪人ではないから始末に悪いよね。
私は美紀の実家タイプの人間なので、都会でサバイブする美紀やその道を歩み始めた華子という結末がただただ眩しいわ。 -
そうはいってもほとんどの人は自分の
「階級」を大きく越えずに一生を終えるし、それが幸せ?楽?なのではないかと思うのだけど
華子が自分なりの精一杯で婚活、結婚、離婚を経てようやく「自分」を実感できたのは
階級を越えた出会いのおかげだった。
ちょっと背伸びした友人関係、
少しの疲労や緊張もあるけれど
代償にきらきら感を得られるものねえ
と、超庶民の私にも落とし込んで共感できる部分もあって面白かった
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話の続きが気になりすぎて次から次へとページをめくりたくなる一冊でした。
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よく面白かったと目にするので気になって読んでみました。
横溝正史のあとだったからかとっても読みやすい〜。サクサク読めました。
もしかして作者、東京カレンダーのあの謎小説みたいなの書いてた?って感じの、東カレ文的な、ちょっと前に流行ったタワマン文学みたいなのを感じました。
東京生まれの何も苦労せずエスカレーター式に生きてきたお嬢様お坊ちゃまと、田舎から出てきて揉まれて生きてきた女の子との対比と苦悩が、具体的な東京の地名や固有名詞とともに描かれてリアル感がありました。
私個人は東京下町出身の庶民なので、上記の人物とはどちらも共感はなかったのですが、後者側の人は結構刺さるものがあるんじゃないかなーと -
東京の人
狭い世界
アフタヌーンティー
男だ女だと
括る世の中ではなくなってきてるけど、
うん、
やはり女性ってしなやかだ
超箱入り娘の華子さんが
覚醒したのちの世界を
もう少し読みたかった
読んで元気が出る1冊です
図書館本 -
地方と東京の女の子のやりとり……みたいな感じとしか、聞いてなくて具体的にどんな話だろうと思っていた。
読んでみて、これは『女の子』だから『お互いに大変だよね』みたいな話なのかなと思った。
男性の話になると、ただの対立になって結局『どちらも東京で競い合う』みたいな話になりそう。
ただ、『お互いに大変だよね』で終わってるのが、怖い。表面上、物語の決着をつけるためにそうなってるけど、掘ると結構エグイ物語だと思う。
いくつかの層のお話しなのかなと思った。
簡単に読みたい人は『東京のお嬢様と東京の御曹司と地方女子の三角関係』で、終わりそうだなと。
私が中学生くらいならそう読むし、そう読むのが一番わかりやすい。
そこに『東京(の中心のとある階層の女子)』と『地方(と女子)』の差が、こんなにあるんだという事が分かる物語。
『女子の差』として読む。
東京のとある階層の箱入り娘は、
『東京の狭い世界で大切に大切に育てられる』
『結婚を夢見て、結婚をすれば人生は安泰だと信じている』
『自分が狭い世界にいる事を知らない』
地方の女子は
『学力があっても周囲の理解はないので、進学に反対される』
『自力で這い上がる。結婚に夢は見ていない』
『上の階層には、届かないものだと知っている』
地方の女子の気持ちがよく分かるが、逆に東京側は全く分からない。
おとぎ話の世界にしか見えなかったが、おそらく逆の立場ならばこちらがおとぎ話に見えるというのは分かる。
人間は自分の知っている環境でしか価値判断が出来ない。
井の中の蛙大海を知らず……というけど、まさにそれ。
されど空の青さを知ると続くけど。それもまた、『井の中から覗いた空の青さ』でしかない。
深海の暗さを知る事はないし、火山灰で埋まる空を見ることもない。
世界は立場や役目が違う人たちが重なり合って出来ている。
追記:作者さんがこれは『女性同士の友情を描いたもの』と書いていた記事を見つけた。『なのに、地方女子が話題になっていて驚いている』と続いていた。
私は逆に作者さんが、これを『友情モノ』として書いていたことに驚いた。確かに女性同士の間に憎しみや怒りや羨望と言ったものはない。一切ないわけではないが『世界が違い過ぎて憧れる事すらできない』というものだと思う。憧れというのは手が届くから沸き起こる感情で、それが全くの異世界の事という認識ならば憧れる対象には程遠い。
そして、これを『友情モノ』としてしまうと、男性の浮気やセックスフレンドを女性は認めている物語になってしまう。物語の中では男性をチクりと刺すようなシーンはあるけど、それ以上のものはないし、女性もそれ以上の事はしない。
二人の主人公の生い立ちや背景を書いた理由が『それだけ違っていても友情は結べる』という事だったのかと思った。私はただ単に、『背景の違う二人が出会って、少しだけ自分の世界を変える』物語だと思っていた。
友情とは思えない点の最大の理由は、二人が『相手を通して男の事を知りたい』という事しか書かれてないから。友情というのは『相手の事を知りたい』ではないのだろうか。彼女たちの間には、『男を挟んだ相手』しか書かれてなかった気がする。もしくは、婚活での苦労話などだったろうか。
二人の間に横たわる『男もしくは、男社会』という川が深すぎて、友情には思えないように私には感じた。
作者の話を聞いて、この作品がますます嫌いになってしまった。 -
こないだ映画を見たので、原作も読んでみた。
映画での一番の不満、すなわち離婚を決意した華子が(義実家でなく)実の両親にそれを伝える部分は小説でもやっぱり端折られている。なんでそこをちゃんと書かないのかなあ?
また、「貴族」側の描写のために帝国ホテルだのなんだのという記号が散りばめられているが、読んでていまいち上流社会という雰囲気が感じられない。比べるのもなんだけど、谷崎潤一郎の『細雪』などはそもそも文体が上流階級を描く文体なのであって、どうも志が違うんだよなあと思ってしまいました。 -
映画もみた。
女性のモヤモヤを色んな人が表現してる。 -
生まれ育ちの違う人たち、特に女性間の分断を煽る内容かと思いながら読み進めたが、リアリティもありつつ読後感が爽やかで良かった