腐れ梅

著者 :
  • 集英社
3.23
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感想 : 16
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087711097

作品紹介・あらすじ

平安時代、身体を売って暮らす似非巫女の綾児(あやこ)は、その美貌を見込まれて、菅原道真を祀る神社をでっちあげる策謀に誘われた。神社の筆頭巫女として、権力を存分にふるえるかに思われたのだが……。

感想・レビュー・書評

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  • 所詮この世は男と女、そして嘘と欲望で成り立つもの。万巻の書を読み、故実典籍に通じたとて、女子の何たるかすら知らぬ頭でっかちに、どれだけのことが出来ようか

  • 面白かった!学が無さそう、寄る年波を自覚しつつでもあれこれ奮闘する綾児を肩入れして応援してしまった。阿鳥の思惑が恐ろしすぎるが伏線の回収にふーむと唸ってしまった。当時の暮らしぶり、身分の違いがよく分かった。

  • 濃かった。

    梅の毒なのはまあ、序盤に分かりまして。
    天神さんで梅かーーって感じでしたが。
    阿鳥がこわいね。

    細かい生活描写が、楽しい。

  • 叩き付けるような、吐き捨てるような、インパクトのあるタイトルである。

    「菅原道真が祀られる顛末」を描く物語なのだが、道真はまったく出てこない。左遷された太宰の地に客死してすでに数十年。都に彼を直接知る人はほとんどいなくなった頃が、物語の舞台である。
    主人公は、京の場末の七条二房で巫女として生きる綾児(あやこ)。巫女とは言っても似非である。祈祷もするし憑坐(よりまし:霊や神をよりつかせ、託宣などを行うもの)にもなるが、実際に主に売るのは「色」だ。美人でもあり、気も強く、それなりに何とかやってきた綾児だが、30歳を目前にして、男に逃げられ、後がない。
    そこに近所の巫女仲間の阿鳥が相談事を持ちかけた。阿鳥は不美人で綾児より1つ上だが、なぜか稼ぎがよいと評判である。取り立てて仲がよかったわけでもないのになぜ?と不審に思う綾児に阿鳥が切り出したのは、1つの壮大な「計画」だった。

    十数年前に、御所に雷が落ち、死人まで出る騒ぎがあった。それが元右大臣、道真の怨霊だと囁く声が密かにあった。道真を讒訴した後ろ暗いところがある上層部を中心に、そういえばあの死も、そういえばあの疫病も、と、内心怯えている貴族は多かった。だが、いまだに道真を祀る社はない。上つ方の不安につけ込み、社を建てさせ、生活の安定を得ようというのだ。見栄えのする綾児が筆頭巫女となり、阿鳥は影で諸事を取り仕切る。
    要は、道真とまったく縁もゆかりもない(多少見栄えがする)似非巫女を看板にして、「祟り」を餌に貴族や民衆から金を巻き上げようという一大詐欺事業だ。

    とはいえ、ことはそう簡単には進まない。
    元が遊女半分のいかさま巫女だ。非業の死を遂げた右大臣の怨霊が取り憑いたと言い立てても、色眼鏡で見られて当たり前だ。
    だが、知恵者で遣り手の阿鳥の仕切りもあり、道真の孫の菅原文時、文時の旧友の僧、最鎮、近江の神職・神良種(みわのよしたね)も巻き込んで、北野の地に社を建てる計画は徐々に軌道に乗って行く。
    それぞれの思惑、上層部の政権争い、洛外の有力者の動向が絡み合う。北野社の建立が現実的になっていくにつれて、綾児の内に秘めた「野心」が猛り立つ。

    「梅」はなぜ腐れるのか。
    タイトルの「梅」には、天神様の梅以外にももう1つ意味がある。それは終盤に向かうに連れて明らかになっていく。

    いくらなんでも、まったく縁故もない者のでっち上げで、現在あるような一大神社となるものか? 念のため、北野天満宮の由緒を見てみると、
    平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、・・・

    とある。巻末には参考文献。「この物語はフィクションであり、実在する個人・団体等とはいっさい関係ありません」とはあるものの、一から百までほら話とは言えなそうだ。
    例えば政権争いで消耗する中央貴族、例えば金がありながら身分上は蔑まれる郊外の分限者の苛立ち、例えば生活の基盤が不安定で日々の稼ぎに汲々とする貧しい庶民。そうしたものが積もり積もって、何かを依り代に「怨霊」を創り出すことは、あるいはあったのではないか。ふとそんな気にさせられる。
    著者はもともと、史学を学んで博士課程にも進んでいたらしい。物語のはしばしの細かい描写にどこか確かな骨格を感じる。

    1つ気になったのは、綾児や阿鳥らの言葉遣いだ。京言葉ではないし、いささか現代っぽすぎるのではないか? 当時の話し言葉がどのようであったのか、知る術はないのだが、最後まで違和感がぬぐえなかった。

    前作、『若冲』でも言えることだろうが、著者は人の「負」の感情に惹かれているのではないかと思う。前作での「負」がいささか内に籠もるものだったのに比べて、今作ではそれが怒りを孕み、暴れ狂おうとしている。
    妄想×史実で「負」の情念を描き出す著者の筆は、もう一段、ぴたりと填るテーマと出会ったとき、何か凄まじいものを生むのではないか。
    何とはなしにそんなことも思う。

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 藤原道真を祀っている北野天満宮の興りをフィクションで描いた小説。
    あまり面白くはなかったから結果的に買わなくてよかったということになる(図書館で借りた)。
    最後のドンチャン騒ぎ(祭り)が腹フリ党みたいだった。だから何だという訳ではないけれど。

  • 北野天満宮の裏縁起。
    スピリチュアルなエピソード皆無で、神仏を信じぬものたちによる天神信仰もの初めの話。とても面白かったが、神仏を信じている自分には読むのが辛いものがある。しかし、こういう一面もあったはず。いろいろな意味でとても濃厚な話であった。

  • 初出 2016〜17年「小説すばる」

    教義を持たない神道は仏教側の主導で仏の本地垂迹か寺院内の地主神をいう地位に置かれるようになっていたが、平安期に怨みをのんで死んだ人を祟り神として祀る御霊信仰が始まり、その代表が北野天満宮であるというのは、高校の日本史の教科書にも出ている。
    じゃあ誰がどうやって天満宮を始めたのか?という疑問から書かれた小説なのか。ちゃんと参考文献が挙げられている。

    売春兼業の美貌の巫女(祈祷師)綾児は仲間から持ちかけられて菅原道真の御霊を祀り始めると、当の道真の孫が現れ、氏の長者で文章博士になっている従兄弟を凌ごうとスポンサーになり、僧侶や神主のブレーンもつき、北野天神縁起も作られる。

    綾児は彼らを出し抜いて有力貴族をスポンサーにつけるとともに、富農ら民衆のエネルギーも取り込み、自分が中心になって北野に大規模な社を建造するのだが、あっさり逆転されてしまう。

  • 小説すばる2016年3月号〜2017年2月号連載に加筆修正して、2017年7月集英社刊。二人の似非巫女と平安時代の庶民の生活の物語。天満宮縁起としての比重は低い。辛辣な話しが多く、気がめいるが、二人の似非巫女のバイタリティは見事だ。

  • 歴史の料理の仕方は面白いが、女の描きかたがひどい。

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著者プロフィール

1977年京都府生まれ。2011年デビュー作『孤鷹の天』で中山義秀文学賞、’13年『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞、’16年『若冲』で親鸞賞、歴史時代作家クラブ賞作品賞、’20年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞、’21年『星落ちて、なお』で直木賞を受賞。近著に『漆花ひとつ』『恋ふらむ鳥は』『吼えろ道真 大宰府の詩』がある。

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