- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087713053
作品紹介・あらすじ
恋人でも、友達でもない、たまたま集まった職場の同僚たち…「ここに消えない会話がある」。ずっと好きだった先輩の退職前、最初で最後の二人きりのデート…「ああ、懐かしの肌色クレヨン」。いま隣にいる誰かとの、二度と訪れないかけがえのない時間を描いた作品集。
感想・レビュー・書評
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人物が皆さん繊細。
大きなストーリーの波は無いけど心の機微が。
たんたんとした話の中で、
「『ジューシーハムサラダ』の『ジューシー』ってなんですか?」
ってところだけ妙に盛り上がったのが印象的だった。
藤田嗣治と毎日新聞社のエレベータホールは検索してみた。
藤田嗣治はキャラ立ってるなー。こんな人いたんだね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
すごく好き。
まずタイトルが好き。
消えない会話ってなんだろう?
何が消えないんだろう?
とても気になってワクワクした。
淡い日常の中で交わされるたくさんの言葉は、それを口にした人とそれを耳にした人の中に少しずつ蓄積されていく。
例えば毎朝お決まりのように発する「おはようございます」でさえ、それを言った自分と言わなかった自分を決定的に隔てる重要な何かになるのではないか。
この本を読み終えてぼんやりとそんなことを考えている。
小説の中で交わされる言葉は、輪郭が曖昧で、温度は温めで、色はパステルカラーのように淡い。
シャボン玉みたいにふんわり生まれて、ふわふわ漂って、いつの間にかパチンと消えている。
でも消えたと思っていたその一言は、消えたのではなくて本当は吸収されたんですよ。
あなたの中に沁み込んでいったんです。
ふんわりと生まれた一言が、意識しないまま消えた一言が、あなたの目線や心の向きをちょっとだけ変えているんです。
その積み重ねが今のあなたです。
消えない会話ってそういうことかな?
そんな気がする。
山崎ナオコーラさんが書きたかったこととは違うかもしれないけれど。 -
図書館で借りた。初読みの作家さん。
表紙のパンと、中の空と建物の写真が、佐内正史さんの写真だと気付いて嬉しくなった。写真集持ってたから。
ストーリーからこぼれる会話が人生を作るのだ。
という台詞がとても良かった。
魚卵は食べられるために存在するんだよとか、
ハムスター飼い始めて名前何にするかっていう話とか、
仕事用デスクでミニトマトを育て始めた同僚とか、
栄養なんて、愛とかサンタクロースと同じで幻想ですからねとか。
津留崎に広田「そういう気持ちの中で転職したのに、仕事を覚えるの早いし、真面目に残業していて、すごいです。」
こんな事言ってもらえたら嬉しいだろうな。
その他印象に残った所
•水に映る花と、咲いている花と、どっちが本当の花か、あまりわからないなあ、と考えた。
匂いがする方かな。
•人が髪をいじる時、いじる前といじった後では、まったく違っていると本人は思っているものと思われる。
しかし傍目にはまったく変わらない。
それと同じように、人は咳ばらいをする前と咳ばらいをした後ではまったく声が違っていると本人は思っているようだ。
しかし傍耳にはまったく変わらない。
「ああ、懐かしの肌色クレヨン」の女性は、言葉から、とても素敵な女性だと感じる。こんな風に気持ちを伝えられて嬉しくない人はいないと思う。
でも山田はちっとも良い男性には思えない。自分で誘った美術館でチケットは自分の分しか買わない、好意を伝えられたのにイエスともはっきりノーとも言わず良い人のままでいようとする。
ドキドキハラハラするような大きな展開はないけど、日常に埋もれそうになる、時間が経てば忘れてしまいそうな他愛のない会話を書き留めた、心穏やかになる本でした。 -
ナオコーラさんが好きすぎて、最近は何を読んでも温泉に入ったときに立つ鳥肌のような、首を左右に捻ってあ"ぁ"~♨と言いたくなるような気持ちになってしまう(伝われ)
カバーだけじゃなくて、見返しのドット柄とか、夕日テレビ班の島の平面図とか、細やかなところまでセンスが大好きすぎる。(『昼田とハッコウ』の装丁も栞もアロワナ書店で最高だったな…)
表題作である『ここに消えない会話がある』は、全国で二番目くらいに偏差値の高い大学を出たものの、平凡にみえる仕事(新聞のラテ欄(テレビ欄)の製作)に打ち込む広田が主人公の物語。
仕事の内容もキツく入れ替わりが激しいので、広田が所属する夕日テレビ班のメンバーはみんな20代。
イヤな奴がでてきても、ある部分ではイヤでも違う視点から見れば結構いい奴だったりするナオコーラさんの描くキャラクターが好き。会話からそれぞれの登場人物の考えが垣間見えて、生きてるな、となる。
キャラクターの名前を呼び合う時も、ひとによって呼び方が違うのとか、そのひとらしさが出るのがとても良い。
P.35
「私、一緒に住んでいる人と、上手くいっていないんです」
岸は大学時代の先輩とつき合っていて、今は一緒に暮らしていた。その人は、要は岸の恋人なのだが、人前で、「彼」とか「彼氏」とかと言えなくて、岸は必ず「一緒に住んでいる人」という長い形容句を使った。
P.71
「岸さん、元気ですか?」
広田が声をかけた。
「はい」
岸はにっこりして見せた。
「関係ないんですけど、僕は、男なのに、野球って一回もやったことないんです」
「そうなんですか」
広田の使う言葉はいつも控えめだ。たいして間違っていないのに、「僕、間違えました」。わりと関係のある話なのに、「関係ないんですけど…」。一瞬で戻るわけがないのに、「一瞬行って、戻ってきます」。
野球をやったことない、という科白は、岸を和ませるために放たれたものに違いない。
P.81
そのあと、遠くの机で校正をしていた広田が、夕日テレビ島に帰ってきた。
「広田くんは、『チーズハム』と『ジューシーハムサラダ』と『玉子ツナ』の三つのうち、どれがいい?」
佐々木から聞かれて、
「チーズハム」
広田は立ったまま、即答した。
「わかった」
佐々木がサンドウィッチを取りに行きかけると、広田は少し考えてから、
「ちょっと待ってください」
と片手を上げて呼び止め、
「何?」
佐々木が振り返ると、
「『ジューシー』ってなんですか?」
と言った。そこで、一同爆笑。
どうしてハムサラダにだけジューシーという形容句がつくのか、と岸も可笑しく感じていたので、「広田さん、よくぞ言ってくれた」と思った。ハムサラダは人気がないから、お店の人がジューシーという惹句を付けたのかもしれない。
広田は、「ジューシー」の語感の良さに、ゆっくりと気がついたのだろう。
P.101
友だちもいないし、仕事を続けていくには広田の神経は繊細過ぎる。どうやってあと何十年も過ごしたらいいのか。この世はキュウクツ。居場所がない。日本は苦しい。
生きるとはこんなに不安なものなのか。
しかし、広田はこれを抱えていくことに決めた。不安。
波があって当たり前、障害があって当たり前、すぐに憂鬱になることも。
波があるから、波乗りできる。
後半に収録してある『ああ、懐かしの肌色クレヨン』もすごく良かった。
"アルビノ"という言葉を使わずに主人公の女性がアルビノであることに気付かせる文章力と、着眼点がさすがだな、と偉そうに思ってしまった。 -
図書館は涼しくて快適w
ってな事で、山崎ナオコーラの『ここに消えない会話がある』
ここに消えない会話がある
ああ、懐かしの肌色クレヨン
の2編集。
取り留めのない日常をスラスラと書き綴った感じの2編w
じゃが、1文刺さった文を
『生きるのが面倒なのは、不幸だからではなく、生半可な幸せと堪えられそうな不幸が交互に訪れるからではないだろうか。』
2018年55冊目 -
100:ラジオテレビ欄を作る6人の何気なく流れる日常を描いた表題作と、今は「はだいろ」と表記されなくなった色についての「ああ、懐かしの肌色クレヨン」の二本が収録されています。どちらも、何てことのない日々の描写が多く、物足りなさを感じる部分もあるのですが、淡々とした地の文のなかに時々はっとさせられるものがあって、その鋭さが痛くもあり、ああそうかと納得したり。起伏に富んだ話がお好きな方にはお勧めできませんが、私は好きだなあ。たぶん日常ってこんなものだから。
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覚えてなかったら消えちゃうかもしれない。とは思うものの、交わされた言葉が地層のように重なるイメージがわくのが愉快。
冷静で優しい文章。
生きづらい世の中でも、なんとかやっていけそうと思える作品だった。 -
p.83
「他愛のない遣り取りが ビルの十階で泡のように生まれ続ける
会話の泡は球体のまま冷凍保存されて
氷河の中のマンモスのように一万年後に伝わる」
新聞のテレビ欄の配信会社で働く、同じデスク6人の物語。事件も起きないし、すれ違いもない平和な仕事風景の続く日常。
感傷の先行しない、感情の浮き沈みのない、的確な言葉で、日常の想いを読み手を意識せずに書くのって難しいと思う、けれどこの作家さんはそれが出来ているんだと思う。「イタくない」叙情。
この会話の距離感と視点の柔らかさが、読んでいて心地良かった。
会話で、思想の違いでなく、自然な言葉で、それぞれの性格が書き分けられているのが見事。 -
再読。山崎ナオコーラの小説を読むと、自分にぴったりな心の置き場所を用意してもらったような気持ちになる。時おり挟まれる詩は凪いだ海。そしてまた打ち寄せる言葉の波。弾ける会話の泡。ぶつかり合い、くだけ散り、泡となる波のどこまでが一つなのかわからない。連綿と続いていく日々も同じ。脆く、儚く、膨らんでは消えてゆく。再び生まれ、集まり、日々に回復する。
あの日、あの時の何気ない一言が精彩を帯びる。虹色にすきとおるあたたかい泡だ。そのいくつを私は憶えていられるだろうか。
“登場人物は死んでも 会話が残る
永遠に残る” -
二部短編にて読みやすく、新聞のラテ欄を作っている会社の社員の会話がつらつらと進んでいく淡々感が良かった。ラテ欄の作成過程を初めて知った。そして一部文中抜粋<「でも、僕は新聞ってあんまり信用してないんです~~~ああいうのは、情報操作されたものだと思っていますから~~~テレビなんて、権力の権化ですよ。スポンサーの言いなりですよ~~~だから、いろんな情報を突き合わせて、どの情報を自分で信じるかを、自分で決めなくちゃいけないんです~~~ネットは、民が直に発信できる場所ですから~~~」>何かタイムリーに繋がりを感じてしまった脈絡。