- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087713350
感想・レビュー・書評
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バレー部のキャプテンの桐島が部活をやめたらしい…なんで?…バレーうまかったのに…
いなくなった桐島の代わりにリベロを任されることになった小泉風助、放課後校庭のバスケットゴールで、シュート練習をしている竜汰が気になってしかたないブラスバンド部の部長亜矢、目立たないように気遣いながら、誰もが存在すら知らない映画部で活躍する前田涼也、クラスではイケてる女子のグループにいながら誰にも言えない悩みを抱える宮部実果、そして、3年生進級を前に自分を見つめなおす菊池宏樹。
さりげなくリンクする5人の心の動きを描いた連作短編集
物語は高校2年生、バレー部、ブラスバンド部、映画部、ソフト部、野球部の5人の少年少女の等身大の物語。タイトルにある桐島くんは、噂にのぼる程度でキーパーソンというのでもないのだけど、微妙に影響してたり、していなかったりといったところか。こういったタイプの連作短編集としては、豊島ミホさんの『檸檬のころ』とか『初恋素描帖』なんかが思い出されるけど、高校生の男の子がここまで女の子のあれこれを書けることにびっくりしてしまいました。
高校生の言葉なので読みづらいかと思っていたけど、作り物の会話よりずっと読みやすくて…情景描写や心理描写もこの時期しか書けないような言葉の切り取り方が印象的でした。
個人的には、実果の物語が1番グッときて、これだけでも1つの作品になりそうな感じでした。終わり方もまた新たな始まりの予感でなかなかよかったです。 -
健全な高校生達の平和で悩ましい日常
無関心、嫉妬などの感情を程ほどに、比較的健全な高校生達の感覚が描かれている。高校生活における上下関係や恋愛、部活における、些細と言って良い細々とした感情を幾人かの独白として描き、結果として高校生を能く描けている。暴力や性行為などを省いており、現実との違いはあるものの、結果として綺麗に高校生を象ることができており、好印象を広く与えることに成功している。
物語は、桐島が部活を辞めることから、別のメンバーがレギュラーになったり、桐島の恋人の友達の習慣が変わったり、ある人の背景に登場した人物が、微妙な影響を受けていることを独白でつないでいる。物語全体の時系列は数日、大した出来事がなくとも高校生は多感だ。下らないといえば下らないが、そうして感じたあれこれの積み重ねで大人になっていく、というものでもあろう。
登場人物は、皆、普通の高校生、と思わせるが、高校生活における上下関係は表現されていて、自然、軽く見られている生徒も登場する。物語上、上手な構成だが、他の生徒が皆、周囲から敬われる存在であり、この生徒も全国で表彰されるような能力をもっているところは留意したい。本当に、何も能力が無い、ような高校生の話ではない。不幸にして、何の能力も認められることが無かった人を普通とするなら、少し綺麗な話であるようにも思う。
一人称で語ることは無く、地の文でも語られていない桐島だが、彼の部活を辞めた理由は何となく想像され、最終章の独白者が前向きな心情、行動に向かっていく様子は気持ちが良く、なるほどこの本の題名は、桐島、部活やめるってよ、が相応しかったと思う。
文京図書館から借用。 -
バレー部の「頼れるキャプテン」桐島が、突然部活をやめた。それがきっかけで、田舎の県立高校に通う5人の生活に、小さな波紋が広がっていく…。野球部、バレー部、ブラスバンド部、女子ソフトボール部、映画部。部活をキーワードに、至るところでリンクする5人の物語。第22回小説すばる新人賞受賞作。
[webの本の内容紹介より]
この頃、こんな気持ちになったことあったなぁ、っていう懐かしさ以外何も面白味のない作品。 -
文章の感じが今まで読んだ本の中でもトップクラスで好き。桐島が部活をやめたことによって彼らの日常は変わらないけれど、何かが変わった。
最後宏樹の『校門とは逆方向に歩く』ってところでうわああって鳥肌が立った -
タイトルが秀逸。絶対どんな本なんだろって興味もつ。そしてその桐島くんが最後まで登場しないのがまた秀逸。高校生活の中での「上」と「下」の表現や、人物の心理描写、特に女子の描写がうまいなぁ。
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話題作、読みました。
さすが現役大学生作家。
すっごく今時の高校生です。
なまなましい。
自分が高校教師という職業だからかもしれません。
自分の高校時代を懐かしく思い出す以前に、
まさに目の前の高校生、こんなカンジ。
自分の時以上にはっきりしている「上」「下」の人間が
住み分けたり、まざったりしながら生きている教室。
薄っぺらい価値観に嫌気がさしてみたり、
自分の限界を決められるのが嫌で逃げてみたり、
それでも独りにもなれず、人ごみの中にいる。
いやはや、すごい描写力だわ。
方言は自分の地元のものにもよく似てます。
だから、あまり読みづらさは感じませんでしたが、
慣れない人には抵抗があるんじゃないかなと思います。 -
高校生の名前が章になっている。
桐島と直接、関係のない高校生も出てくる。
自分がその時代を敏感に過ごしたことを覚えているが、なにせかなり昔で・・・、高校生の言葉もそのころと違い・・・
ただ、作家が大学生にしては、達観したような表現方法が際立つ。 -
くっそーイライラする!
これは10代喋り場や中学生日記を見てるよーな不愉快さ。
「17歳」ってテーマで小説書いたら全部こんなんになる気がする。
っていうか17歳ってそんなに特別な年齢か?
みんな同じこと考えてるようにしか見えない。
「勉強も運動もそれなりにこなすし、可愛い彼女かっこいい彼氏いるし、クラスでも目立っちゃう上のグループ^^人生充実してて楽しいけど、でも最近なんか違う感じ・・ちょっと色々抱えてる。私、これでいいのかな?この先どうなるんだろ」
わー痛い。
そんでもって全然リアルじゃないしね!
映画好きの女子が突然話しかけてくるとか童貞の妄想かよ。
はいはいジブリ(笑)岩井俊二(笑)
比喩とかもちょっと凝ってみました~な感じが鼻につくし、そもそもどっかでみたことあるよーな表現だし、
母親から死んじゃった姉と認識されて生きてるって話、漫画か映画か小説かで見たことあるし。
だんだん作者が”オレ今時普通男子ですよ~”みたいなスタイルを作り込んでるのにもむかついてきた。
もう全部イライラする!!!!! -
学校の授業で義務で「読め」と言われたから読んでみたものの、そうでなければこの手の作品は絶対に手に取らなかっただろうなあ、と思う。私の学校、勉強はともかく部活はすっごい緩かったし。久々にラノベじゃないいわゆる現代小説読んだわぁ。
単純に「好き」とか「嫌い」とかが連発されているあたりで、もう文体は正直言って好みじゃないんだけど、これが大衆受けするかどうかって聞かれたら間違いなくイエスと答える。そのくらいサラッと読める話だし、おそらくこの話の対象である中高生には逆にこのくらいのほうが親しみやすいんじゃないかと思うし。平成初期までの文章を読みなれているとこの手の文体はラノベと大して変わらないんじゃないかと思う。そのくらい現代的。文体自体が流行をとらえているから、時代がこういうものを欲しているんだなあということがよくわかる。
あと文章を見ていて気になったことと言えば、明らかに現代の子供を意識したような、というか平成という時代に青春をした人にしか分からないネタが盛りだくさんだったこと(と言ってはみるが私も平成人だからあまり説得力がないかな)。ハンガリー舞曲第五番がさけるチーズのBGMだったことを覚えている人が平成人以外でどれほどいるかってことだ。あと中盤に出てくる映画の話とか。時代を経たら明らかに通じる人が減るであろうネタがたくさんあった。
構成というかテクニックというか、そういうものについて述べるならば、題名は本文に入る直前に誰かが言ったであろうセリフだと予感できる。
さらに特筆すべきはこのページ数でこの登場人物の数。そのたびに描写が出てくるとは言え、がんばって追っていかないとかなり混乱するであろう。今度わかりやすい相関図でも作ってみたいくらいである。
その数のわりに、今回のすべての当事者と思しき桐島は、登場人物の回想シーンや関連する話以外には全く出てこない。寧ろそれが狙いか。あえて当事者を避けている印象がする。
さていよいよ内容のほうは、というと、部活をしていないと分からない感覚というのがこれまた多く、前述の通り中高ともに部活が緩かった私のような人間には、いまいち理解できない感覚がしばしば見受けられた。
特に最初の二人の章は「高校生ってこんなことしか考えていなかったものか」と、読んでいて首をかしげざるを得なかった。(私はつい2月前まで高校生であったのだが、体育館がきらきらしてるとか、彼女がどうとか彼氏がどうとかなんて皆目理解できなかった)
しかし前田涼也の章が文化部の私としても非常になじみ深い話で、ここから先はかなりすらすら読むことができた。全体に対するページの割き方からしても、後半の菊池の心理を考えても、この章は重要な位置を占めているのではないかと思う。それと好きなものに打ち込む時は何もかもを忘れられるよね、というメッセージ性はこの章を読んでいる時が一番理解できた。一番共感したともいえる。
ただ、やはり全体の雰囲気としてどこか「目立つ人==服装が派手=運動部=かっこいい=上」だとか「目立たない人=服装は規定通り=文化部=ダサい=下」だとかいう意識がいたるところに見えていて、高校時代、全くそんなことも考えずに過ごしていた地味な私としては、簡潔すぎる線引きに多少なりともイラっとくるものがあった。当時の私の感覚は、「目立つ人=服装が派手(チャラい)=やたら声がでかくてうるさい=怖い=近寄りたくない」であって、間違っても「かっこいい」とか「上」だとかは思わなかったし、ましてやその中に加わりたいなどとは微塵も思わなかった。私と同じく地味に高校生活を送っている人が、運動部を見てかっこいいだとか上だとか意識してるのだとしたら、それは間違いであるとはっきりと言いたい。他人にどう見られようと自分が満足できる環境にあればそれは最高なのであり、そのときは運動部だろうが文化部だろうが、外見がどうだろうが関係がない。人は人、自分は自分だろう。自分が過ごしやすい環境で生きていくのが一番だ。
ところどころに入る詩的な文体と現代的なネタ、そして恐ろしく崩れた若者言葉など、総じて現代小説らしく、かなり流行をとらえて行間を読ませる話であった。