抱擁、あるいはライスには塩を

著者 :
  • 集英社
4.01
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  • Amazon.co.jp ・本 (600ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087713664

作品紹介・あらすじ

三世代、百年にわたる「風変わりな家族」の秘密とは-。東京・神谷町にある、大正期に建築された洋館に暮らす柳島家。ロシア人である祖母の存在、子供を学校にやらない教育方針、叔父や叔母まで同居する環境、さらには四人の子供たちのうち二人が父か母の違う子供という事情が、彼らを周囲から浮いた存在にしていた。

感想・レビュー・書評

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  • 寂しかった。
    新しい生命がやってきたり、子供たちが笑ったり、大人たちがそれぞれに余暇を楽しんだり、その全てを家はただそこでじっと見守っている。

    一つの家の中で過ぎていく家族の時間は、毎日同じようで同じでなくて、少しずつ変わっていく。

    私の家族の時間を思い出して恋しくなった。

    クリスマスの夜は必ず母の手料理と子供たちが作ったケーキでテーブルが彩られたこと。
    家庭用ゲーム機のコントローラーを握りしめて夢中になったこと。
    ピアノの音。弾く人によって不思議とその音色が違って聴こえること。
    休みの日の朝に父の布団に潜り込んだこと。
    風呂場に響く声と、かこんと音を立てる洗面器。


    今はそれを自分の記憶として覚えているのか、誰かから聞いた話を記憶だと勘違いしているのかも分からない。
    二度と戻ってこない、思い出の中にだけある過去。

    人間みな生まれて死んでいく。それをまざまざと目の当たりにして、少し怖くなり同時に安心もした。

    私はただ生きているにすぎない。どうしようが自分の勝手なのだ。

  • 三世代にわたる、家族と家の物語。

    子どもがいる家は、明るくてエネルギーに満ちている。子どもそのもののように。
    子どもが独立し家を離れ、老人が死に…家族はどんどん減っていく。
    家は静かになり、ほとんど変化のない日々が続く。そして、昔の楽しかった時代を思い出す。
    この本のラストでは、家もまさに「晩年」を迎えていた。
    家(建物)の一生は、人の一生みたいだ。

    家族それぞれが、日本人の多くが思う「普通」からは逸れた生き方をしているけど、この本を読むと「普通」なんて瑣末なことだと思う。
    こういう家族だからこそ、人が人を思い、支え合って生きていく、という根本的なことが、言葉はなくても伝わってくる。

    私が一番心を寄せた登場人物は、百合叔母だった。
    彼女が一番、人間の弱さを感じたからだ。
    甥を我が子のように溺愛し、依存しそうになる百合、婚家で良い奥さんになろうとして心を壊す百合。
    はっきりとは書かれていないが、彼女が甥、姪の4人を平等に扱っていないところ(光一を溺愛し後年は依存する一方で、血のつながらない卯月との交流はほとんど描かれない)も、彼女の人間らしさを引き立たせていた。
    登場する大人たちの多くが婚外恋愛をし、婚外子が存在するなか、そもそも恋愛自体に生涯縁遠かった百合だから、婚姻関係から生まれた光一を贔屓にしたのではないか、と思ったりもした。

    柳島家では、婚外恋愛の末に生まれた子ども二人を育てあげた。
    世間一般では「秘密」とされるようなことを、家族の中では「秘密」にしなかったのだ。
    それとの対比で、ただひとり、死ぬまで秘密を抱えた祖母絹の秘密が、とても衝撃的で、しかも美しく思えた。

    タイトルの「ライスには塩を」というのは、家族の合言葉のひとつだ。
    大人になるまでライスに塩をふることを許されなかった菊乃、百合、桐之輔が、大人になってライスに塩をふれることになったことを自由の象徴として、「自由万歳!」という意味で使っている。
    「乾杯!」みたいなものかな。
    この合言葉も、菊乃と百合が死んだら、もう誰も使うことはないのだろう。
    でも、きっと家は覚えている。

  • 世間とはかけ離れた世界に生きる名家の一族の1960年から2006年までの46年間を描いた物語。 年序列がばらばらで、語り手もその都度違うため、多少複雑なのですが、この構成だからこそ生まれる驚きや痛みがあり、物語がより深く濃いものに仕上がっていると思う。 彼らの閉ざされた世界が、窮屈そうでありながら、とても自由にも感じられ、幸せそうなのにとても淋しそうで、胸に沁み入る物語だった。 好きです、この感じ。いつもの江國さんも好きだけどこれもとても良い。

  • 面白かった!自由で世間の常識にとらわれない独自の規律で暮らす一家の話。音楽や運動、物語や議論、食事やお酒、自然を愛する人たち。大切なものを見失わない。驚きもあちこちにある。美味しいワインを飲みながら親しい人たちと語り合いたくなりました。

  • 舞台は日本なのだけれど、外国文学の翻訳を読んでいるような。
    閉鎖された家族が、少しずつほどけていく寂しさと暖かさ。
    わかりやすくなくていい、これが小説だ、と思う。

  • 何度読んでも最高。装丁も、銀色の見返しも好き。センスいいな、集英社(笑笑!
    大きなお屋敷に暮らす、お金持ち一家の、3代にわたる家族の物語。1963〜2006年の43年間のあちこちが、違うキャラの視点からランダムに描かれるが、混乱させず、10人のキャラ(プラスその友やら夫やら愛人やら)の人となりと関係性を読者の頭に染み込ませていく手腕は本当に本当にさすがというしかない!

    私は食べ物も着るものの描写がないストーリーは興味もてないのだが、そこはもう江國香織さま、食とファッションがそれぞれの個性を鮮やかに彩ってくれている。

    まるでこの、ちょっと変わった一家の一員となったかのように愛おしく感じられ、離別には泣かされる。ひとつの出来事が時を経て別の視点から語られることで膨らみをもって「歴史」になってゆく。いいなあ。

  • 【動機】
    江國香織で未読だったため。

    【内容】
    全23章、語り手も時系列もバラバラ。
    「風変わり」な家族のお話。

    【所見・まとめ】
    さすが江國香織、瑞々しい情景描写と美麗で納得感のある言葉遣い。
    p.160『彼女が私に秘密裡に事を運んだ。淋しさは、しかしわずかに遅れをとった。』
    こんな言語感覚が欲しかった。

    これは多分適応、自由そして愛の話。
    そして家族それぞれ、変化をどう受け入れるか。

    風変わりな風習、考え方、やり方を守り続ける家、外からいろいろな刺激を受け、それぞれ変化していく家人。
    変化に適応できなかった、あるいは適応しなかった家人。
    家を出た家人と家に残った家人。

    何が違った?

    第23章、もっともノスタルジックでもっともゾクッとしてしまった章。
    広い家に残ったのは、菊子、百合、陸子。
    熟年離婚を受け入れた菊子、不幸せな短い結婚生活を経験した百合、家、あるいは内を当たり前のものと受け入れる陸子。

    『抱擁、あるいはライスには塩を』
    それは『愛、あるいは自由』。

  • 絶好調、江國香織。
    江國香織読んでると「好きな人と結婚して永遠に幸せ」って宝くじにあたる確率なのでは?と思う。
    婆さんの章読んだときに「なにーーー」ってなったわ。
    豊太郎さんは知ってたんじゃないのかな。

  • ずっしりとした濃厚なチーズケーキを食べたような本だった。一口一口じっくり食べ、食べ終わった後も
    舌に残ったほのかなレモンの酸味をいつまでも味わっていたいような……。

    ある変わった一家をずっと追った話。
    毎回、違う人物からの視点で話は進み、時間軸も過去に遡ったり先ほどまで小学生だった(次女、陸子)がいきなり20歳になってたりすることに驚いた。
    そうやってたまに置いてきぼりにされたような寂しさを感じつつも、私も柳島家の家族と一緒に過ごしているような暖かい気持ちになれた本だった。
    本当に長い長い年月がこの本の中で流れ、成長していく子供たち(望、光一、陸子、卯月)を本の中で見つけた時は、まるで親戚の叔母さんのように懐かしくそして微笑ましい気持ちになった。
    両親(豊彦、菊乃、百合、桐之輔)や祖父母たち(竹次郎、絹)の若い頃の章は、柳島家の子供になって、本人達から昔話を聞いているようだった。

    変わった一家のだけど、皆愛すべき人達。
    特に子供たちから人気のあった優しくてユーモアたっぷりな桐叔父が私も大好きで、だからこそ彼が亡くなった時は私も柳島家の皆と一緒に泣いてしまいました。
    こんなに心を揺さぶられた小説は久しぶりでした。
    いい本に出逢えたと思います。

  • 年末の図書館で目について久しぶりに江國香織を読んだ。
    調べたら『思いわずらうことなく愉しく生きよ』以来だった。
    大きな洋館に住む風変わりな一族、柳島家の3世代に渡る家族の歴史を綴る物語。
    語り手は子ども世代(4兄弟)、親世代(3兄弟)、祖父世代(夫婦)の、本人とその友人や恋人の視点になり、時代も飛び飛びで、それぞれが抱える気持ちや事情、秘密などが描かれる。
    ”風変わり”とはたとえば大学まで学校に行かずに家で教育を受けるということ。それ以外にも「えぇ?」っとびっくりするような展開が多数なのだけど、後からツジツマが合っていくというか。。人の気持ちにツジツマなんてないのだけれど。こういう環境だからこういう過去があるからこういう人になったんだ、とつまびらかになる展開が愉しかったです。
    お金持ちでもしかしたら幸福に見えるのかもしれない一族だけど、それぞれはやっぱり孤独で寂しいような気持ちになる。


    主人公はいないのだけれど、自分の中では一応柳島家の永遠の子どもである陸子が主人公で、陸子が語る柳島家が一番すきだった。
    そして、桐叔父、豊さん、光一などの男性陣が何を考えているのかわからなかったのだよ。光一が選んだ涼子ちゃんが好きになれないわたしは、きっと百合ちゃんみたいな頑固で内にこもった性格なのだ。叔母バカだし。

    ちなみに、タイトルの「抱擁、あるいはライスには塩を」というのは、物語の中で片方が「あわれなニジンスキー」と言えば片方は「かわいそうなアレクセイエフ」とこたえる、という柳島家の呼応と同じで、家族にしかわからない合言葉、空気感、慣習のようなもののことでした。
    祖父の死により柳島家の日常は姿を変えはじめ、祖母の死により彼らの風変わりな生活は終焉に向かい、昭和の終わりを感じます。

    自分語りをすると、正月に田舎から段ボールいっぱいにもちが送られて来ていました。黒豆の入った豆もちはみんなの大好物でした。祖父の老衰により、もちの数は減り、祖父が死んでおもちが送られることがなくなりました。今年のお正月、母からおもちを食べるか聞かれた兄が「豆もち」とこたえたら、「豆もちは、もうないのよ」と言われていたことをどこかで思い出しました。あの豆もちをもう二度と食べられないのだろうか。兄も母も心の中で思ったと思います。いまはスーパーで買った切りもちを食べています。

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著者プロフィール

1964年、東京都生まれ。1987年「草之丞の話」で毎日新聞主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2010年「真昼なのに昏い部屋」で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年に「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」で谷崎潤一郎賞を受賞。

「2023年 『去年の雪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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