- Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087713770
作品紹介・あらすじ
私は守っているのではなく、守られているのだ、この子に。なずなに。かけがえのない日々とかけがえのない人々を描く待望の長編"保育"小説。
感想・レビュー・書評
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私がこの本を読もうと思ったきっかけが何であったのかすっかり失念してしまったのだが、そこに書いてあったレビューにたがうことのない作品だった。
ほの温かくじっとりとした空気が作品中には流れ、時には心が温かくなり時にはぎゅーっと胸を締め付けられながら物語を堪能した。
この作品に出会えたことに感謝、である。
とある地方で新聞記者をしている菱山が生まれてほんの数ヶ月の赤ん坊を育てる育児小説。
その子の名前はなずな。弟夫婦がある事情により育てられなくなってしまったために突然親代わりになった。
これほどまでに美しい育児小説があっただろうか。
なずなに対するいとおしさ、かけがえのない気持ちがそこかしこから溢れてくる。
断続的な睡眠不足も赤ん坊のげっぷや排せつの様子ですら作者の手にかかるとなぜだかやけに微笑ましくかつ美しい。
とはいえリアリティに欠けるわけではない。
母親の抱える育児をする辛さをまっすぐに描いた作品は多々あって、それはそれで大いなる共感を持って読む。
しかし、ちょっとだけ目線を変えて赤ん坊を育てるあの一瞬しかない取り戻すことのできない輝くような時間をこんな風に切り取ってくれる作品もいいのではないか。
主人公を取り巻く人々。押しつけがましくなく手を差し伸べる温かい人達。
地元の人との交流やほのかな恋の行方など。
なずながやってきたことによって徐々に変わっていく主人公。
大きな事件もなく淡々と描かれるばかりだがそれが妙に心地よかった。
堀江さんの言葉はなにしろ美しい。
多少難解な部分はあるにせよ心地の良さが勝る。
今までお堅い純文学のイメージから敬遠していた作家だった。
ちょっとハードルが低くなった。
また彼の作品を読んでみたいと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
40過ぎの独身男・地方紙の記者が、生後二カ月の姪を預かり、仕事をしながら育てる???「本の雑誌」が選ぶ2011年度のベスト1、ということで読んでみました。(*^_^*)
なずな、とは主人公・菱山の姪の名前。ぺんぺん草の別名だ、などとも茶化されたりもしてるけど、温かみと芯の強さが同居するいい名前だなぁ、と思う。ひらがなの持つ優しい感じも好き。
菱山の弟は旅行添乗員。海外で交通事故に遭い、大怪我をして入院中。日本で留守を守っていた弟の妻も、時を同じくして少々面倒な気配漂う病気にかかりやはり長期入院中。それぞれの親も、認知症や体の不具合など事情があり、なずなの面倒を見ることができない。ということで、独身の兄の元にやってきたなずな、という設定が、徐々に明かされていく物語の展開は、謎解きの楽しさも含んでいて、うん、堀江さん、巧いなぁ、と思わせられました。
菱山がなずなと暮らした期間は、たぶん、ほんの三カ月ほど。
ほとんど新生児である姪にミルクを飲ませ、げっぷも毎回、おむつを換えて、お風呂にも入れる。
ただ、これだけのことがどんなに大変だったか、私が第一子である長女を育てていた時のことを思い出しながら読んだのですが、菱山がげっそりとやつれているという描写を踏まえながらも、そんな大変そうには見えなかった、というのが正直なところ。
それは、菱山自身がキリキリしない性格であること、また、なずなを可愛く思って育児を楽しんでいるという大前提、そして職場の協力や、ご近所の感じのよい飲み屋さんのママや小児科のジンゴロ先生、先生の娘で看護師の友栄さん(彼女とはほんのり大人の恋まで芽生えそう)といった人たちの温かいヘルプにより、肉体的にはきついのかもしれないけど、閉塞感なく日々を送っているように読めるからだと思ったんですよね・・・・。
しかも!!! なずなの存在のおかげで、取材先や見知らぬ街の人たちまで温かい目を向けてくれ、むしろ仕事がうまくいく、みたいな。
これって、「男がやってみたい期間限定の育児物語」じゃないの??なんて言ったら言い過ぎかなぁ。
子育てって、1人1人の子どもの性格や親の事情によって違うものだから、実際、こんな育児期間を過ごした人もいるんだろうけど、なずなみたいに、ミルクを飲んだら機嫌よく寝てくれて、おむつを換えたら、また機嫌よく寝てくれて、大人がいる店に連れて行っても、機嫌よく寝てくれて、という赤ちゃんだったら、それは楽しいでしょうよ、なんて、あぁ、ダメだなぁ、私、すっごく意地悪になってる・・・。
我が家の場合、子どもはもちろん可愛いに決まってはいるんだけど、ミルクを飲んでも、おむつを換えても、延々とぐずり続け、なんで泣いてるの?お母さんに教えてちょうだい、と本気で涙が出てきたことを思い出す。また、世間の人たちだって・・・とまで思い出し始めると、あぁ、もうキリなく色んなことがこみ上げて来るんだよね。
確かに、気持ちの安定した赤ちゃんという存在はあるから、この「なずな」も夢物語だよ、とは言えないし、じゃあ、あなたは子育てが楽しくなかったか?と問われれば、いえいえ、楽しい思いもたくさんしましたよ、と答えるんだけど、なんか、あまりに、男目線のお話に見えてしまって素直になれない。
離乳食前で、ハイハイどころが寝がえりも打たないような時期の赤ちゃんの日々を描く、というチャレンジは興深いというか、勇敢だと思います。子どもって、月齢が上になればなるほどいろんな面白いことをやらかしてくれるし、片言でもしゃべり始めたら、それはもうネタの宝庫ですからね。(*^_^*)
それを、次第にしっかりしてくる皮膚の感触とか、ミルクの飲み方の変化とかを優しく、かつ丹念に追ったところは、赤ちゃんの匂いまで思い出させる優れ物だった・・・。
と、すみません、きっと大好きだ!と思っている人も多いお話だと思うし、実際、上手い!(*^_^*)とも思うのだけど、なんか、ブラックになってしまったじゅんであります。-
なんかなぁ・・、いいのかなぁ・・と思いながらの感想アップでしたので、共感いただいてとても嬉しいです。
子どもはホントに可愛いよ、でも、子育...なんかなぁ・・、いいのかなぁ・・と思いながらの感想アップでしたので、共感いただいてとても嬉しいです。
子どもはホントに可愛いよ、でも、子育てってもっとかなりカッコ悪いもんなんだけど、ってところでしょうか。
上手いなぁ、と思ったところも多々あったのですけど、これはちょっと言わせてもらいたい、という気持ちでございました。
今年は、たなぞうの閉鎖であたふたしちゃいましたね。でも、一緒に引越しができてよかったです!
来年もどうぞよろしく!
たまもひさん、いいお年を!2011/12/30 -
「たなぞう」を思い出します。
ほこっとするやり取りに嬉しくなりました。
じゅんさん、たまもひさん、よいお年を!「たなぞう」を思い出します。
ほこっとするやり取りに嬉しくなりました。
じゅんさん、たまもひさん、よいお年を!2011/12/30 -
>tsuzra様
(*^_^*) (*^_^*)
あぁ、なんかすっごく嬉しいコメントをいただいてありがとうございます!
こちら(新...>tsuzra様
(*^_^*) (*^_^*)
あぁ、なんかすっごく嬉しいコメントをいただいてありがとうございます!
こちら(新潟市です)は雪が降っています。
また、来年も本のおしゃべりができますように!
どうぞよろしくお願いします。2011/12/30
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ずっと育児している本です。地方紙の記者が主人公なのでそれなりに何かが起こりそうな感じなのですがひたすら子育てです。
弟夫妻が2人とも怪我と病気で育児出来ず、叔父として0歳児の育児をするという本です。かなり分厚いので結構時間掛かりましたが、なずなちゃんの顔が思い浮かぶくらいにひたすら育児の事で500P弱を読まされます。
自宅で仕事をしながら子育てしているのですが、周りにいい人が沢山居てその協力を仰いてどうにかこうにか乗り切ります。魅力的なご近所さんたちに助けられて胸が温かくなること請け合いの本です。
大事件が起こるわけでもなく、刺激的な事は全然出て来ないです。心が凪いだ状態でこれだけのボリューム読ませるのは大したものです。叔父が姪っ子を一時的に育てるなんて言ったら最終的に姪を手放し難くなるまでの感動話を想像します。しかし繰り返し言いますがほぼ事件は無いです、ミルクをあげて散歩してオムツを変え寝かしつけて、熱を出してはおろおろし、うんちの色がいつもと違っていればびくびくする。ずっと育児です。
なずなちゃんの成長が紙面から立ち上がるかのようで、僕もご近所さん気分で読みました。うーんいい本でした。 -
なずなちゃんという女の子の赤ちゃんが子育て経験のない伯父さんに面倒をみてもらうという長編小説。特にドラマチックなことも起きずましてやわたしが普段読んでいるような事件モノとは対極をなす、暖かいのどかなありきたりの日々。
伯父さんである菱山さんにとっては毎日毎日が苦労と感激と困惑の連続なのだが、周りの人達との心のやり取りを育める稀有な育児期間だった。
月齢もみたない乳児のなずなちゃんにとっては記憶の彼方にも引っかからない数か月だろうけれど、きっといい子に育つんだろうなぁ~と確信が持てる。
一行一句勿体なくてじっくり取りかかった一冊でした。堀江先生の魅力また一つ発見しました。 -
『大切なものは、あっていいはずのところになく、なくてもいいところにある。世の中の不均衡は、こうしてまず身近な人間関係にあらわれる。そして、たぶん、これは憶測だが、なずなや私の周りの不均衡は、どこかでちゃんと均衡に結びついているのだろう、とも思う。いや、そう願う』
『とりあえず弁当を食うことですな。釣れて気持ちが浮き立つと、味がわからなくなる。長年釣りをしてきての、とりあえずの結論は、釣れない日に食う弁当のほうがうまいってことですか。たいていは握り飯ですがね』
過去にあった人生の選択肢をもう一度選び直したいと思ったことは幸いにしてない(筈である)。しかし過去に対する後悔の念が全くないという訳ではない。あの時どうしてああしなかったのか、というくすぶった思いは数々あり、時折何の脈絡もなくその場面がよみがえり、ぎりぎりとした気持ちになることはある。それはほとんどの場合、自分に近しい人たちに対する自分の態度や言葉についてなのである。そのことを「なずな」を読みながらずうっと感じていた。
自分の家族についての様々な記憶というものはもちろんあるのだが、意識的に思い出そうとして無意識の底から浮かび上がってくるのは何故かしら苦いものが多いような気がする。あの時ああしてやればよかったなあ、という場面ばかりが思い出されるような気がして仕方がない。自分で言うのも変な話だが、自分は案外記憶力がある方らしく、他人がとっくに忘れてしまったような話をいつまでもしつこく覚えていて、そういえば、と話すらしい。だから子供のことや家族の思い出と呼ばれるようなことも、はっきりと記憶はしている。但し覚えているのは「画像」や「音声」と呼んでしまえるような情報めいたことばかりで、そこにあった筈の感情についてはすっぽり抜け落ちているような気がする。だから楽しかった思い出というようには、後から中々呼び出せないのかも知れない。苦々しい思い出は感情と強く結びついて、容易に意識の表面にあらわれるのかとも思う。
「なずな」の中で展開する主人公の「後追い」めいた気持ちの動きが、そんな訳で、自分にはとてもしっくりとする。把握はしていてもいつまでも保留状態にあるような記憶。自分にとっての過去の出来事はまさにそんなようなものなのかも知れない、とも思うのである。一つ一つの出来事は、その時点では現実問題として対処しているばかりで、何に対して自分の感情が反応していたのかは、この主人公のように、後から整理してみて初めて解ることであるように思うのだ。
主人公の中年の男は、まさにそんな風にして事態に対応してゆく。そしてその場その場では本当の理解へ繋がる気配だけを記してゆく。現実の出来事を懸命に追いかけながら、理解の気配だけを漂わせ、全てを保留にしてゆく。じれったいような気もするが、保留された出来事と理解の気配だけで充分に自分の脳はその先の物語を読んでしまう。そして勝手に読んだその展開だけでひどく心を揺さぶられる。企んだところがないようでいて、実は堀江俊幸の巧みさがにくいほどに効いていると感心する。解ってはいても、やはり感情は解けてしまう。
思うにこの長篇はオーケストラのチューニングになぞらえるべきだと思う。この本の始まりは、たった一つのAの音だ(それは赤子が初めてあげる声の高さだともいう)。それがあちらこちらの楽器に飛び火するように受け継がれる。その様子は傍から見ると何のつながりもないようであり、場所を越えて飛び火したAの音はその場所から勝手に音を広げてゆく。それらは互いに関係のない音として雑然と響き合ったかと思うと静まり、また別の楽器群に引き継がれ、やがて全体を一つの響きに統一させてゆくのである。チューニングが終われば曲は始まる。全てはその一瞬に向けての動きでしかない。本当の物語はその後に始まるのである。
そのことは充分に心得たうえで、敢えて自分はチューニングの時間の中に別の物語を見たいと思う。この本の中でもオーケストラが全編成として楽曲を奏でる場面は読むことはできない。しかしそれでいいのだ。そのチューニングの時間の中にすでにすべての物語はあるのだ。たとえ読む者に許されているのが、指揮者の振り上げるアウフタクトだけだとしても。 -
海外で事故に見舞われて帰国できなくなった弟と、大病を患った彼の妻に代わって、新生児の姪っ子「なずな」を一定期間育てることになった記者、菱山秀一。決して社交的な性格ではないけれど、近所に住む心優しい人々の力を借りながら、真摯になずなと向き合い、未経験の子育てに奮闘する。彼がなずなと過ごした期間はほんの数ヶ月なのに、この本は実に436頁。たわいもない日常の中で、周囲の人の温もりを感じる出来事を丁寧に大切に掬い取って描いている。新生児の肌の柔らかさのようにふわっと読者を包み込んでくれるような作品。
最後まで読めたり読めなかったり、相性の波がある堀江敏幸氏の作品。まだわたしには早かったかなあと思うこともしばしば、それでもどうしても気になってしまって堀江さんの作品を見つけると性懲りも無くつい手に取ってしまう。この本はちゃんと最後まで読めた。未婚男性の育児奮闘記ではあるのだけれど、いかにも奮闘記然とした暑苦しさは一切なく、淡々と、静かに、ここは永遠に春ですか?って感じの清らかさを携えて物語は進んでいく。さらさらと。暑苦しい育児奮闘記とか最悪だもんね、「わたし頑張ってます!!!どうすか!!!!!」みたいな。んなもんみんなそれぞれ頑張ってんだよって言いたくなる。
わたしもこんな温かい人たちに囲まれて子育てできていたら、幸せだっただろうなあ。菱山氏は、はなから自分一人でなんとかしようと意固地になることなく、周囲の優しさや気遣いをありがたく受け止めて、若干お節介と思うようなことでも拒絶するのではなく苦笑いしながらきちんと感謝する。必ずしも自分が求めている形ではなくても、手助けしようとしてくれる人々の行為の裏には確実に善意があるということを、菱山氏は忘れないからだと思う。他人は自分が思った通りには動いてくれない。違うそうじゃない、というやり方でびっくりするような方向から手を差し伸べてくる。それでも、その裏にある善意に意識を向けられれば感謝できるし、助けを求めることができる。なかなか難しいけれど、、、少なくともわたしはできていなかった。違うそうじゃない、って悶々とするばかりだった。未熟だったんだなあ、今もだけど、今とは比較にならないほど、もっとずっと未熟だったなあ。 -
この本の"タイトルロール"は台詞がない。ただ(ミルクを)飲んで、出して、寝て、時々泣いて、大きくなっていくだけ。でもそれがいい。赤ちゃんのそれ(爆裂)をこんなに素敵に表現した文章を読んだことがない。さすが堀江氏。時間にすればほんの数か月のことの割に本が厚く、そこに描かれる日常も大きな事件はなく、地方都市の日常そのもの。主人公峯山が地元紙に勤めている設定が街を語ることに生きている。でもあまりに淡々としていて途中読み通せないかと思ったほど。その日常の中にアクセントのように挟まれるなずなの日々の成長はわずかな変化だけど、でも確実に大きくなっていることがわかる。次第に成長報告を受けている親戚の目線になっていて、なずなの成長が綴られるところでは自分もニコニコとするようになっていた(姪の赤ん坊のころも思い出していた)。佐野医院の人々、マンションの管理人さん、行きつけの飲み屋のママ、勤め先の伊都川日報の面々、取材対象である街の人々、峯山の父、弟夫妻、誰もが柔らかで優しい。峯山がその人々と触れ合うときになずながそばにいる。その風景が愛おしくなる。そんな一冊だった。
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父の日に読んでもらいたい本です。
主人公は、弟の、生後二ヶ月女の子「なずな」を預かった40代前半の地方新聞記者をしている独身男性。「なずな」と一緒に過ごすことで社会と関わっていく育児物語。読みながら一緒に育児をしている気になりハラハラドキドキの連続です。誰もが「なずな」のように大切に育ててもらったのだろうなと思います。改めて親に感謝したくなりました。 -
同じくらいの子の育児中だから、感じ取れるところがあるかも、
と、思ったが難しかった。
私の今の心情は、愛情や疲れや幸福や苛立ちが、もっともっと幅を持って起こります。
この本のように穏やかな日常が進むわけではないなぁ。 -
生後間もない姪っ子「なずな」を預かる40歳過ぎの独身男性。
長いお話で読むのは大変だった。
これといった盛り上がりはなかったけれど、平和な空気感、その中で菱山本人だけが冷や汗を流し息を呑んで「なずな」を見守り育て裏る様子は微笑ましいものだった。
当然くる別れに感傷的になりすぎなかったところが好感もてた。
なずなを返す場面とその3ヶ月後、みたいなスピンオフが読みたい。
菱山と友栄さんのきっと進展していないその後のお話。
ともえ、っていい名前だな、と思いながら読んだ。
菱山:竹野内豊
友栄:ちょっと背が低めで柔らかそうな人がいいな、優香かな?