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Amazon.co.jp ・本 (384ページ) / ISBN・EAN: 9784087714876
作品紹介・あらすじ
日本の黄金時代を駆け抜けた女性・安井かずみ
「わたしの城下町」「危険なふたり」「よろしく哀愁」…。数々のヒット曲を手がけた作詞家・安井かずみの55年間の生涯は、戦後からバブル崩壊までを体現するかのように華やかでスキャンダラスだった。
感想・レビュー・書評
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うーん、さすがの読み応え。関係者の証言によって浮かび上がってくる、安井かずみという人の人生に胸が震える。
島崎今日子さんのインタビューの凄さには定評があるが、ここでもその力は遺憾なく発揮されている。 安井かずみさんの華麗なプロフィールからは窺い知れない影の部分も、様々なエピソードとして聞き出し、それが決して暴露的な後味の悪いものにはなっていない。あとがきで、安井さんの妹さんに対して、全面的な協力と出版の快諾を感謝する言葉が述べられている。礼賛本ではなくても、真摯な姿勢があれば、著者の敬意と共感の念はちゃんと伝わるということを教えてくれる。
正直に言うと、最初のあたりはかなり反感を抱きつつ読んでいた。林真理子さんの証言から始まっていたせいもある。加藤和彦さんと結婚した後のセレブでハイソなライフスタイルの格好良さを林さんが語れば語るほど、「あーそー」という気分になる。いい気なもんだなって感じで。(大体、林真理子さんの良さが私にはちっともわからない。どんな人が彼女のファンなんだろう?)
しかし、読み進めていくうちにだんだん、常に時代を意識し、その中で自らの理想を現実のものとして生きようとした安井さんの人物像に引き込まれていった。証言は後になるに従って影の部分にも大胆に踏み込んでいく。また、何人もの証言が重なり合いながら、彼女の人生をたどっていき、その死へと向かう構成になっていて、これは本当にうまいと思った。
最も印象的だったのは、最も容赦ない評をしている吉田拓郎の回。この二人が親交があったというのは意外だ。この本は各章のタイトルが安井かずみ詞のヒット曲からとられているのだが、それらは私が小中学生の頃いつもテレビから流れていて今でも歌えるものばかりで、とても懐かしい。ただし、その「詞」がどうだとか思ったことはまったくない。歌の詞を意識して聴いたのは、拓郎のようなシンガーソングライターの曲であり、「職業作詞家」のものではなかった。安井かずみさんが自分の仕事と才能に強烈な誇りと自負を抱いていたのは間違いないが、それだけではない複雑な思いもあったのだとわかる。
また、彼女の「運命の人」であった加藤和彦さんについて書かれていることは、私がまったく知らなかったせいもあるだろうが、かなり衝撃的だ。常に行動を共にし理想の夫婦と見られ、病床の安井さんをこれ以上ないと皆が認めるほど献身的に看病した彼が、どうして彼女の亡骸を家に連れ帰らずお葬式まで五日も病院の霊安室に置きっ放しにできたのか。豪邸の前にはビニール袋に入れられた安井さんの写真や服や下着までが大量に捨てられていたという。このことが私には何よりも痛ましく悲しく感じられてならなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初読
はーーーー読み応えがあった!
島崎京子さんという方は存じ上げなかったのだけれど、
彼女のインタビュー・構成の上手さと、
あとがきにあるように様々な人の協力を得られた幸運とで
この濃度なのだろうな、と。
当然、加賀まりこにもオファーした筈なのだけど、
受けなかった理由も気になる。
金子國義の「僕と彼女は特別」感にも、そうでしょうねぇ…とため息が出るし、
大宅映子さんの「みんな(森瑤子も)先に行って失礼しちゃうわ。どうしてくれるのよ私の老後」
の軽やかさに当時の仲良さげな感じが思い浮かぶし
ムッシュの優しさ、吉田拓郎の辛辣も、驚いたり納得したり。
初めての結婚相手や実の妹さんのインタビューまである濃度。
安井さんの著書は何冊か読んでたけど
加藤和彦については安井かずみが亡くなった後にすぐ再婚をした事など
断片的にしか知らなかったので、どういう事なんだろう?
とずっと引っかかっていた私には、この本はこれ以上無い答えだった。
答えといっても、結局「本当のこと」なんてわからないのだ。
その人が見ていた角度からしか見れないのだから。
それでもやはり、弱くて、強くて、醜くて、美しいのが人間であり、
「素敵なふたり」だったのだなぁと私は思う。 -
おとなになった頃、安井かずみさんのエッセイを手に取り、作詞家であられるのに、歌じゃなく、そちらに大きな影響を受けました。彼女のライフスタイルの全てが是とされるわけではないけど暮らし方のいい面は学んで、できっこない面は流す、ことで読者だった私は、随分趣味を広げました。箱入り娘だった私が、海外へ行く経験を持ったのも、彼女のおかげです。
エッセイを読んでからこの評伝に触れると、また違う印象を私は持ちました。かずみさんは、加藤和彦さんとご結婚後奔放な生活を正したというのは、ちょっと違うと。もともと堅実な家庭のお育ちですし、ミッションの女子校というのは、華やかさより、真面目で平和、穏健な思想を与えます。妻としての家庭性と、職業人としての自立を同時に教育として受けた方だと、考えていいのではないでしょうか。
かずみさん自身は、本来真面目で家庭に仕える、今から見れば古風な女性像と、自分の生活を自分で管理し自立して自由に行動する女性像を、一度に身にお持ちだったかと。ですから本来、奔放なひとではなかったと思うのです。ただ彼女の職業だと、アーティスティックで刺激ある生活を送ること、が活力源だったのだと思います。
でも、本来の彼女の少女時代からの心の基盤を考えると
その生活は、大変な疲労感を伴ったのではないかと。古典的な奥様として、旦那様についてゆく。家庭の安らぎのシンボルになることを求めていらした。同時にクリエイターとして、スタイルを持つことも、求めていらした。真逆なものを求めれば、大変だったはずで。
夫である加藤さんの側のご実家には触れられていませんが、京都のよいお家の出である加藤さんも、精神的には同じように、内容は奥様と逆の葛藤を持ち、ご自身なりの家庭や夫婦に求めていらした気がします。まして、世間がどう見るかが、大きな行動の基準になる関西の家庭の感覚を、東京の芸能関係者の家庭に入れたらスノップな方向に行くほかない。
かずみさんの中には「わかりやすい妻」ではない。それへの自責が、私は確かにあったと考えるのです。和彦さんも、スタイリッシュな外国風の夫をご自分でやりながら、「わかりやすい妻」がくれる、家長の生活を欲していらしたでしょう。
求めていない顔で求められるのは、苦しい。
才能はおふたりともありながら。
すごく個人的な「才能」というものが。
家庭という狭い場に収斂された時、個人対個人、という対立は、現実には妻と夫という別のパワーバランスで回転する。大変な桎梏があったと思います。ただ、それだけじゃなく、やはり愛情があったから続いたのです。
でも、愛情の問題も、「夫に恋人がいても、妻ならアホになって家を締める。」という家庭観と「浮気など思いもかけない。真面目に夫婦は一緒に暮らす」という価値観の対立が、あったと見ます。加藤さんは、『離婚する気はないのだし』と思っていたことがかずみさんには大きな背信に映ったとしたら。そこに世間からの目、という価値観がのしかかったら。
あの本に書かれていることが、起きたと思うのです。稀有な才能があって時代を作ってきたかずみさんと和彦さん。素敵なお二人であったのは確かです。ひとりひとりの素顔と、夫婦としての素顔は別。そう思って読むと、クリエイター安井かずみさんと妻加藤かずみさんの2つの姿が見えてきます。
クリエイターである面を追う読み方。
女性としての面を追う読み方。
そこへ、時代の空気や流れを加味してルポとして読むのがいいと思います。
理想の妻でなくては、と思いながら、完璧になれないと悩む妻。一方、優しく優れているけれど、世間からの視線を気にし家庭内での「あかんたれ」の顔と「立ててもらう男」の顔は封じ、妻に尽くした夫。
歯車は合っていたのです。同じ価値観で、社会に勝つことを目指したふたりは。でも、片方の歯車は早く折れ…。残った歯車は…。せつないですね。
ふたりのかずみさんが残した、遺産。
作品は残り、今も愛されています。 -
☆2つ。
先日読んだ吉田拓郎 口述本『もういらない』に続いて、同じく拓郎の関連本だという事がこの本を読んだ唯一の動機。」
とは言っても、拓郎と安井かずみのことばかりを書いてある本ではない。他にわたしが知っている人で言うとかまやつひろし、など・・・すまぬ、その他の人物は一人も知らない。
例えば浅田美代子の『赤い風船』の様なヒット曲でも、その詞を書いたのが安井一美だという事はたいがいの人は知らなくて当然だろう。 でもそちらの無名?の人たちのお話だって最初は少しは面白い。
著者 島崎今日子の事は申し訳ないが全く知らない。しかし思いのほか読みやすい文章であったので、わたし世代的には全く知る由も無かった作詞家 安井かずみについて割りと興味深く読むことが出来た。
この本中で吉田拓郎が登場するコーナーには「ジャスト・ア・Ronin」というサブタイトルが付けられている。同名の曲は安井一美の詞である。(曲はもちろん吉田拓郎)このコーナーで1970年代のよしだたくろうとテレビのしがらみについて拓郎自身が次のように語っている。
決してテレビに出たくなかったわけではないんだ。だってそういうキラキラした芸能界にあこがれて広島から東京へ出てきたなから。自分で思うように出られるものなら是非とも出たかった。でもあの時代のテレビ屋というのは「おい出させてやるからああしろこうしろ。出たかったら俺の云うことを聞け!」という風な、金のブレスレットとか首輪をじゃらじゃらと身に着けた連中がハバを利かせていて、こりゃだめだ状態だったのだよ。
しかし安井一美は ZUZU というニックネームだったらしいが、よせよぉそんな鼻っ垂らしな名前、とだけ異世代のわたしは思ってしまった。再びすまぬ。-
2013/08/11
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おおPippoさん、ながぁーいご無沙汰です、ってなんだかいっつもツイターでのつぶやきを見てるのでそうでもないようなきもするw。
この本! ...おおPippoさん、ながぁーいご無沙汰です、ってなんだかいっつもツイターでのつぶやきを見てるのでそうでもないようなきもするw。
この本! いやいや、単に拓郎を辿っていたらこうなっただけでして。すまんこってす。すごすご[m:237]。[m:80]
(ここに書いてもなかなかPippoさんへは伝わらないような気もする。まいっかw)2013/08/11
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カッコイイということはやはり痛々しいものなんだな・・。
筆者もあとがきに添えているように、取材対象にいささか偏りがあるのは仕方がない。
しかし温かな眼差しを持って過去を紐解いていく筆者のスタンスは好感を覚えるどころか、泣ける。
大量消費社会という、もう二度と来ない「時代」と「人」。
作品は永遠に残るが、そこで生きていた人たちの熱い想いや生き様は、こんな形でもっともっと伝えていかれなければならないような気がした。歳かな(笑)。 -
美しく才能にあふれ、付き合う人たちもみんなどこか秀でたものを持つ人ばかり。エネルギッシュでおしゃれで、まさに別世界を生きていた女性。
…こんなイメージをさらに確固たるものにさせられるエピソードのあとには、結婚してからのどこか無理をしているようにも感じられるエピソードが。
どんな人にも光り輝く面だけではないのだなあ、としみじみ感じた一冊。 -
2016.7.9市立図書館
ハピリーくらしっく課題図書。
初出は『婦人画報』の連載記事。
作詞家として、かっこいい女性のロールモデルとして、一世を風靡した安井かずみに仕事でプライベートでかかわってきた人へのインタビュー・取材を通じて、安井かずみの仕事や人生を浮き彫りにする評伝的作品。一つ一つの章のタイトルには安井が詞を書いたヒット曲の題名があてられている。
取材を受けた証言者は、フェリスの同窓生、音楽仲間、遊び仲間、はじめの夫の新田ジョージ、実妹から邸宅・別荘の隣人や主治医まで。2番目の、そして人生を大きく変えた夫加藤和彦本人が鬼籍に入っているので、そちらからの視点がやや弱め、夫婦の実態については両方の言い分がききたいところ。作品や発言、著作からうけとれる強気で華やかな人生の裏にある、もともとおじょうさん育ちの彼女の核にどこまでせまれているか、という点ではよくわからない。ずっと下の世代の自分としてはちょっと痛々しい印象が強かった。みんなが今になって感じていてもあえて心の底にしまっていることもあるかもしれない。現代に生まれていたら、しなくてもいい強がりや苦労も多かったように感じる。
戦後の音楽史と高度成長期の日本の先端を生き急いだようで、55年の生涯は短かった。長く生きても幸せだったかどうかわからないけれど、バブルがはじけた後の日本でどういう姿を見せたのか見てみたかった気はする。 -
著者は朝日新聞でメディア評を書いている評論家。単著では自立した女性の著書が目立つ。文体が心地よく、朝日の文章は毎週好んで読んでいる。その流れで買った本。安井かずみを通じて戦後の高度経済成長からバブル、そして崩壊と昭和の大衆文化史を見るようで興味深く読んだ。加藤和彦の評伝があれば読んでみたい気になる。
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安井かずみという人のことは、「私の城下町」「折鶴」「赤い風船」など今でも名曲といわれる数々の歌でなじみ深い。だけど、キャンティで夜な夜な遊んだり、加藤和彦とのセレブライフについては全然知らなくて、それだけに、興味がわいてこの本を取ってみた。
コシノジュンコ、金子國義、大宅映子といったかなりの顔ぶれに安井かずみとの思い出を語ってもらったもの。もちろん、人によってとらえ方は違うが、総じてのところでは、ハチャメチャやってカッコよかったZUZUが、トノバンと結婚してスノッブ方向に走り、無理していたんじゃないかというもの。親しかった多くの人がこう語っていると、なるほどなと思う。一方で、安井かずみはトンデる女のようで、実は古風で原理原則、正しいものが好きだった。だから、正統派とされるスノッブライフに自らを向けて行ったフシもある。
いずれにしても、ちょっと気の毒だが、彼女はつらくても寂しくても、自らこういう人生を望んだのではないだろうか。妥協して気楽に生きることを自分に許さなかったのではないだろうか。走り出して止まらない汽車に乗ってしまっていたのかなという感じがした。一生懸命だっただけに、何だか哀れ。たぶん、そう思われるのは嫌がるだろうけど。
でもある意味、華やかな1960~1980年代を生きられたのはよかったのかもしれない。「かわいい」がもてはやされる今の時代、歌詞なんてないがしろ、もしくは恥ずかし気もなくコテコテした言葉で飾られている今の時代、彼女はやっぱり合わなくなっていたと思うから。 -
掘り起こし方の問題なのか。いつも同じ話型になってしまう。
加藤和彦の側から見た一章があったら、きっともう少し味わいが増したのではないか。
同じ話しか出てこないのなら、こんなに豪華な語り手たちなのに、ややもったいない。
ただ、それにしても読ませるんだけども。 -
安井かずみという名を意識したのは多分林真理子が世に出た「ルンルンを買っておうちに帰ろう」だと思う。それ以前にもレコードジャケットやテレビの歌番組で名前を見ていたとは思うけれど、意識したことがなかった。「ルンルン」では「キャンティ」という名も初めて知ったと思う。その後、「安井かずみ」の名は森瑤子のエッセイにもちらほらと名前が出てきたり。なぜかジュリーの「勝手にしやがれ」も安いかずみ作詞と思い込んでいた。これは阿久悠さんの追悼番組で間違いであったことを知った。また、夫君が加藤和彦氏ということで、なんかよくわからないけれど相当にかっこいいご夫婦なのだなという程度の知識。そしてこの本を読んだ。
いろいろな方々からのインタビューを編纂したもので、手厳しい意見もあればただただ礼賛というものもある。夫婦としてはひたすら時代の最先端を行くおしゃれ~なカップルとみな大体口をそろえているが、吉田拓郎氏の章が忌憚ない意見を言っていて面白かった。人間そうそう完璧でいられない、ところが他人にはそれを求めてしまう。そしてそれに答えるかっこいいご夫婦。
加藤ご夫妻ほどではないにしても夫婦で名をとどろかせたカップルにブラッキン夫妻がいた。奇しくも、妻が同じような年頃で病気で亡くなってしまっている。こちらの夫婦は妻の収入が莫大なもので、外国人の夫はあまり経済力がなかったらしい。それでも英国人の夫とハーフの美しい娘たちがいるというのがブランドとなっていたのは確か。ブラッキン夫妻も妻が夫をたてて、豊かで幸せでみなうらやむ家族像を作らねばならなかった。その作家の死後出されたお父様のエッセイ集に胸が痛んだ。
なんら本の感想となっていないけれども、作詞家という職業のルポゆえ、昭和の歌謡界の歴史をざっとさらったような一面もあって、アイドル創世記に小学生だった自分には、えっこの歌も安井かずみだったの?と驚くことも多かった。
エネルギッシュに生きる人は人の何倍も強くタフではあるけれども、当然何倍ものエネルギーを使っている。もしもご存命ならば、どれだけかっこいい老婆になっていただろうか。 -
沢田研二の「危険なふたり」の歌詞は安井かずみがジュリーにこう思ってて欲しい!という想いを乗せた、という話を聞いたことがあります。この本では一章ごとに彼女の生みだしたヒット曲のタイトルがテーマになっています。(歌詞も数多く掲載されています。)それをYouTubeで改めて聞くと、言葉にしないと、そして音楽に乗せないとカタチにならないような心の動きを取り扱っている気がしました。それは演歌のように過去を振り返るものでもなく、まったくもって今、その瞬間の心の揺れ動く方向の顕在化みたいなもので、そもそもこの時代の歌謡曲が日本人(特に女性!)の欲望を顕わにする装置だったと思うのです。幼いころはそれが歌手の想いとして受け取っていましたが、今回、それはレコード会社のプロの作詞家とシンガーソングライターの間に立つ本書の主人公のような存在が個人的に発するものだったことを感じました。安井かずみの欲望が70年代の女性を欲情させたのだと思います。キャンティ、川口アパート、メルセデス、そして大麻。今まで日本になかった生活が欲望を増幅し、欲望が新しい言葉を生産する。しかし、彼女自身がその欲望を収斂させるためのステージをして結婚を求めていた、という部分がこの本のもうひとつのテーマでもあります。それは日本が非婚の時代に入る序章のような時代の葛藤が前半の作詞家時代と後半の加藤和彦の妻時代に通底していると思いました。無いものを求める理想と手に入れたものを理想のものとする、これは彼女が変わったわけではなくて、どちらも「いいとこのお嬢さん」だった彼女の保守性だったのでは…みたいに感じました。それを人は哀れと取りがちですが、そんなことはなくて、やっぱり日本にカッコイイ女性像を確立した先駆者で、その人生もカッコイイと思います。ただオノヨーコや草間弥生のクレージーが彼女のクリエイティブにはなくて、それが時代を超えるものになるのかどうかはこれからによるかも。
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読みますか~と貸してもらった本。著者の島崎今日子さんは『女学者丁々発止』とか『この国で女であるということ』の人だと分かるが、「安井かずみって、誰?」と思うくらい、私は知らなかった。
私がわかる歌だと、「格子戸をくぐりぬけ…」という『私の城下町』を作詞した人でもあるらしい。そして、カバーの袖を見て、安井かずみが1939年うまれ、というところに目がいく。安井かずみは、私の母と同い年で、早く死んだと言われる母よりも、さらに早く亡くなっていた。
もとは『婦人画報』という雑誌に連載されたもの。島崎さんは1回ごとに証言者を立て、本文に彼女の詞をもりこんで、「安井かずみがいた時代」というタイトルで書く提案をして、そのように書いた。
なんらかのかたちで安井かずみと関わった人たち(のうち、取材を受けてくれた人たち)が、さまざまに、自分が見聞きした「安井かずみ」を語っている。証言者によって、安井かずみを見る目、そして安井かずみと加藤和彦という夫妻を見る目は、違っていた。
島崎さんは、あとがきにこんな風に書いている。
▼安井かずみは、そんな時代[=みんなが豊かになることをめざして懸命に走っていた時代]を作詞という才能と飛び抜けたセンスで体現した女たちの憧れであった。(p.374)
歳の違いと、興味関心の違いなのかもしれないが、島崎さんが「安井かずみ=女たちの憧れ」だったとあちこちで書いているのは、私にはなんだか違和感があった。正直、(ほんまかいな)と思うところがある。「私たち」とか「多くの女」と書かれるときに、そこには誰が含まれてるんやろと思ったのだ。
たとえば、伊東ゆかり・中尾ミエ・園まりの三人娘を証言者に立てた章の冒頭にはこう書かれる。
▼…安井かずみは、訳詞家としてデビューした1960年代前半から亡くなった90年代半ばまで、実に30年以上の長きにわたって日本の女たちのロールモデルであり、メディアのスターであり続けた。
20代から30代前半は自由奔放に生きる人気作詞家として、30代後半からは加藤和彦と理想の夫婦を体現する女として。高度成長期からバブル崩壊へと刻々と姿を変えていった日本と、歩調を合わせるかのようにその生き方をギア・チェンジして、大衆の憧れを誘い続けた。安井はどこまでも"時代の娘"であった。(pp.38-39)
あるいは、巻頭の林真理子を証言者に立てた章では、こうも書く。
▼あの頃、安井かずみはなぜあんなにも私たちを魅了したのか。安井かずみが生きた時代とはどんな時代であったのか。そして死んでなお、安井かずみに惹きつけられるのはなぜなのか。(p.22)
島崎さんの書く「私たち」が、私にはどうも遠い。その感じは、本を読んでる間もずっとあった。どういう世代が、あるいはどういう女たちが、安井かずみに憧れたのか?と思う。
巻頭の章で、林真理子は、安井かずみは最高に眩しいロールモデルであったと語っている。
「…桐島洋子さんなんて、とてもカッコよかった。従軍記者になったり、颯爽と子供を産んだり。知のアイドル落合恵子さんも人気がありました。ただ、お洒落やその生活を真似たいという文化人は、安井さんが嚆矢。パリに行って、お洋服買って、朝からシャンパン飲んでみたいって思ったもの」(p.14)
林真理子が著者の島崎さんと同じであるところに、そういう距離感があるのかなとも思った。安井かずみと島崎さんとの間には15年という距離がある(島崎さんと私との間にも、同じく15年の距離がある)。それとも、おしゃれ、センス、そういうものを真似たいという気持ちの強弱なのか。
その林は、安井の恋愛についてはこう言っている。「…恋をしても中央フリーウェイを飛ばしていくのではなくて、女は男の腕の中で幸せになるということを信じていた人ですよね。恋愛においては、一世代前の女の人なんでしょう」(pp.17-18)
安井の、男との関係のつくり方は、たとえばこう書かれる。
▼安井と加藤のカップルが週刊誌を賑わした頃から、傍目には、キャリアも収入も上の女が年下の男をリードしているように映っていた。だが、「彼女なしでは暮らせなかった」はずの親友とも疎遠になり、気がつけば安井の人生は加藤を中心に回りだしていた。愛して欲しいと願った瞬間、人は自由を手放すのである。ただ一人の男が他の女に気持ちを移した瞬間に、二人のパワー・バランスは完全に逆転し、あの自由奔放な人でさえ自我を折り、夫の顔色をうかがいはじめて委縮していったのだ。…(pp.275-276)
安井は、しだいに女友だちとも疎遠になり、さいごは加藤和彦と縛りあうかのように二人の世界に籠もったようだ。
そのライフスタイルについては、こうも書かれる。
▼健康志向の高まりの中で自然食ブームも起こっていたが、安井同様に多くの女はジムに通い、玄米を食べながら煙草をくゆらして、アルコールを飲んで、アンニュイな表情をしていた。痩せて病的であることや、エキセントリックであることは、カッコいい女の一つのスタイルのようなものであった。(p.305)
安井は、「ガス管くわえたの、もう死ぬから来て」といった愛を試すような電話を恋人にかけたりする人だったという。私には、そういうエキセントリックさがカッコいいとは全然思えず、うざい人やなーと思うが、そういう人がカッコいいと思われた時代があったんかなあとぼんやり思う。
母と同い年の人か…と思い、安井が何歳と書かれるときに、母もこの歳だったのかと(そして自分はいくつだったかと)何度も数えながら読んだ。
(4/25了) -
時代の違いを感じた。同時代の著名人を調べながら読んだ。かっこいいんだけど後半、本人を不幸と決めつけ必要以上にに没落した風に描いたり落としすぎてる感じが不快だった。
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ノンフィクション
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作詞家4000曲。ただ、安井かずみをよく知らないな。
女性のあこがれ(ロールモデル)だったそうだ。 -
故、安井かずみさんってカリスマ性があるというか、ものすごく他人を惹きつける人だったと思う。作詞の才能に恵まれた彼女は美意識が高く服のセンスも抜群に良かったという。早くに亡くなってしまったのが残念です。
周囲にいた人たちからの視線で安井さんのことが書かれているこの本。明るく勝気、都会の夜を遊び歩く姿から、家庭で夫に尽くす姿まで書かれています。
島崎今日子の作品
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