にじいろガーデン

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087715781

作品紹介・あらすじ

三十代半ばの高橋泉は、別居を続ける夫との行き詰った関係に苦しんでいた。
仕事帰りのある日、泉は駅のホームで女子高生の島原千代子と出会う。
千代子は自由な生き方を認めない両親との関係に悩み、命を絶とうとしていた。
心の痛みを分かち合ううち、ふたりは恋に落ちる。お互いをかけがえのない
存在だと気付いたふたりは、泉の一人息子・草介を連れて、星がきれいな山里
「マチュピチュ村」へと駆け落ち。泉と千代子の苗字をかけあわせた“タカシマ家"の誕生だった。
やがて千代子は、泉と出会う前に関係を持った男性の子どもを出産。
宝と名づけられた長女が加わり、一家は四人になる。
ゲストハウス開業、念願の結婚式&ハネムーンツアー、千代子の闘病、そして……。
喜びと悲しみに彩られたタカシマ家十六年間の軌跡を辿る、新たな家族小説の誕生。

感想・レビュー・書評

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  • 「サザエさん症候群」、日曜日の終わりの憂鬱さを象徴するこの言葉。私も例に漏れず「サザエさん」はすっかり見なくなって久しいですが、思えばサザエさんを中心とした祖父母、子供との三世帯同居という家族構成が『家族』の主流とされた時代はいつのことなのでしょうか。「サザエさん」の漫画としての連載が開始されたのは1946年。厚労省の調査によると1955年当時の三世帯同居家庭は43.9%という圧倒的な数字です。「サザエさん」という作品が生まれたのはさらに昔ですから、当時の『標準家庭』を元にして違和感のない『家族』像として描かれたのだと思います。それが60年の時間が経過し、直近の調査では5.9%と、なんと7分の一に縮小してしまった三世帯同居という家族形態。かつて、40%にも届いたと言われるアニメの視聴率が、昨今10%前後に低迷する理由は、もしかすると、今となっては少数派に過ぎない三世帯同居というものから感じられる、微妙な家族像の違和感も原因の一つなのかもしれません。『家族』のイメージが大きく変わる時代。自分の家族を基準にした会話がもはや成立しない時代。そんな時代に我々は家族像をどのように考えてゆけばいいのでしょうか。

    『僕はその人と手をつないでいたことに気づいた。手のひらに、秘密の小鳥を預かっている気分だった』という六歳の草介。『自由になりたくて、とうとう、ここまでたどり着いたのだ。未練なんてちっともない。いや、ないはずだった』という十九歳の千代子。そして、その直後『混雑する電車に草介と乗り込み、ふと顔を上げた時だった。駅のホームに、制服を着た少女が立っていた』という三十五歳の泉。偶然に接点を持った三人。その中で泉だけは『彼女を一目見たとたん、それまでぼやけて見えていた目の前の世界が鮮やかになった』という印象を受け、『以来、寝ても覚めても、彼女のことが頭から離れない』状態に陥ります。そして『まさか、また会えるなんて「待って!」大声でよびかけた』と駅のホームで再び彼女を見つけた泉。『彼女のしようとしていることは、容易に想像がついてしまう。明らかにそういう目をしている』とギリギリのタイミングで千代子の飛び込みを思いとどまらせます。『うちさ、雑居ビルの二階なんだけど、ビルの上に小さい屋上があってね、そこからの眺めが、結構いいのよ』と誘う泉に、『チョコ、屋上に行ってみたいです』と着いてきた千代子。『約束をしたわけでもないのに、次の日も、また次の日も、千代子は私の家にやって来た』とふたりの関係が始まり、やがて『燃えるような夕焼けの空に心を奪われていると、突然、千代子の指が私の頬に触れた』『ふわりと千代子の体がかぶさってくる』『私は、あられもない格好のまま横たわっていた』と一線を超えるふたり。『オーストラリアへの留学中、自分がレズビアンであることに気づいた』という千代子。泉は思い切って『カカね、好きな人ができたの。しかもね、その人、女の人なの』と息子の草介に告げます。そして、燻っていた夫との関係にケリをつけ『振り込まれた慰謝料で車を買った。フォルクスワーゲンの、古いバンだ。そこに必要最低限の荷物を詰め込み、千代子と草介と私の三人で街を出た』と三人での新しい人生に向かって歩み始めます。

    『レズビアン』という言葉が出てくる通り、この作品では『LGBT』に関する内容が取り上げられます。『性的少数派を象徴する旗』とされる『赤・オレンジ・黄・緑・青・紫の六色』からなる『レインボーフラッグ』が『私たち家族の、声なき声』として、三人が居を構えた山里の家に掲げられます。ただ、より印象的だったのは、日本一星が美しく見えるとされる山里の美しい星空の表現でした。『見渡す限り、天空を星という星が覆い尽くしている。強く光る星、かすかに光る星、青白い星、金色の星、赤っぽい星、大きい星、小さい星。すべての星が、自分の光を放っている』。この作品のテーマを暗示するようなとても美しく、より象徴的な表現だと思いました。

    作品は4章から構成されていますが、泉、千代子、…と主人公である四人に章ごとに視点が切り替わっていきます。四人家族の中での視点の切り替えということで、同じシーンでもそれぞれが相手のことをどう見ていたのか、どう考えていたのか、章を読み進めるに従って、家族同士の考え方の微妙な違い、そしてそれぞれへの思いやりがとてもよく伝わってきました。そして、読み進めるに従って気づいたのは、この作品のテーマです。当初、『レズビアン』、『レインボーフラッグ』という単語、そしてその描写場面から、てっきり『LGBT』に焦点を当てた作品だとばかり思ってしまいましたが、子供がみんな街に出て行って山里に一人で暮らす年老いた女性の家庭、子供が欲しかったが諦めた夫婦の家庭、そして泉たちのような戸籍上複雑な問題のある家庭など、様々な家庭をそれぞれ築いている『家族』がいること、『家族』の数だけ色々な形があることを通じて『家族』というもの自体をテーマにしていることがよくわかりました。そして、作品は後半に向かって、前半で描かれた前向きで、どちらかというと軽い作品の印象が一変していきます。まさかの哀しい結末へと一歩一歩進んでいきます。そして結末に進めば進むほどに、『家族』とは何か、という小川さんからの問いかけが浮かび上がってくるのをとても感じました。

    『お互い、過去を変えることはできないけれど、これからの未来は私たちの意志で変えられる』と新しい人生を踏み出した泉と千代子。『好きな人と共に歳を重ねること、家族が平和に暮らすこと。ありきたりだけれど、それ以上の贅沢があるだろうか』という一見当たり前な考え方でさえ、必ずしも簡単には叶えられない現実がまだまだあることを改めて認識させられました。

    時代の変遷によって、かつて当たり前だった『家族』の形もどんどん変わって行くこと。そして、大切なのは、その形は極めて多様であり、自分の『家族』を基準にその形を判断してはいけないということ。『家族』のあり方の多様性を理解し、そのそれぞれの形を尊重すること。身近な問題でありながら、簡単なようで難しい、そんな『家族』というものについて、ふと立ち止まって考える機会をいただいた、そんな作品でした。

  • レインボーフラッグもLGBTという言葉も、本作を読むことで初めて知った。
    LGBTとは、Lesbian、Gay、Bisexual、Transgenderの各セクシュアルマイノリティの頭文字の略号から構成され、LGBTを象徴しているのが、「レインボーフラッグ」であるようだ。

    また、レインボーフラッグを考案した人物は、サンフランシスコのギルバート・ベーカー氏で、1976年にはフラッグが既にデザインされていた。また、1978年6月25日に「サンフランシスコ・ゲイ・フリーダム・デイ・パレード」という公の場もあったようである。

    当初は8色のフラッグであったが、ピンクとターコイズを抜いた現在では6色となっている。
    8色は、ピンク=性、レッド=生命、オレンジ=癒し、イエロー=太陽、グリーン=自然、ターコイズ=芸術、ネイビー=調和、パープル=精神である。ターコイズがなくなるのは理解できても、ピンクは重要ではないかと思ってしまう。

    本作は「別居中の夫との関係に苦しんでいた泉は、両親との関係に悩み、命を絶とうとしていた千代子と出会う。戸惑いながらも、お互いをかけがえのない存在だと気づいたふたりは、泉の一人息子・草介を連れて、星がきれいな山里「マチュピチュ村」へと駆け落ち。新しい生活が始まる―。特別なようでいてどこにでもいる、温かな家族の物語。 (Google booksより)」である。

    自分がマジョリティーであると、違う世界で生きる人たちのことをこんなにも知らなかったのかと改めて認識すると同時に家族のあり方を考えさせる作品であった。

    実はこの本の前に読んだ、辻村深月さんの「朝が来る」で子供を授かることができない夫婦と子供を育てることができない母親について、家族の血の繋がりについて考えた。本作で偶然にもこの問題を考えることになった。

    血が繋がっていなくても、結婚していなくても(結婚できなくても)、一緒に暮らし、人生を共に歩んで行くことで、血の繋がりに以上に繋がりが太く、強くなっていくことがある。もちろんそれは、お互いが信頼し、相手に対する優しさがあることが前提ではある。そのことを本作から学んだ。

    高橋泉(泉ちゃん)と息子・草介、島原千代子(おチョコちゃん)とその娘・宝。二つの家族がタカシマという1つの家族となり、家庭を築いていく。本作の中でも『はしっこ』という言葉が出るように、泉ちゃんもおチョコちゃんも自分たちは端ではあっても世の中、世間という集合体の中にいると括っている。この言葉が登場する度に何が普通で、普通でないのは何なんだろう?

    今でこそ、テレビを通してセクシャルマイノリティーの芸能人が活躍している。心のギャップに問題は抱えていても、人間としての問題はなく、物事に対する思慮や人に対する配慮は、お手本とすべき人がたくさんいる。普通ではない、一般的ではないという考えよりも、人としてその考え方、人としてその行動のとり方をもっと考えなければならないと認識する。

    いきなり同性愛者という課題を突きつけられ、はじめは戸惑ったが、家族のあり方、人との接し方、人生の歩み方について新しい考え方を提案されたように感じた。

  • ちょっと複雑。話としては面白かったけど、近くにそういう人がいないから、想像しにくかった。

  • カカとママと草介と宝。
    日本で一番星がきれいに見える里〈マチュピチュ村〉での、家族の物語。

    設定や展開が唐突で、最初の方はちょっとありえない感じがあった。
    それがだんだんと、家族の魅力にひかれていく。

    視点人物を変えながらえがかれる、高島家の暮らし。

    反抗期も喧嘩もあるけれど、根底には相手を大切に思う気持ちがあり、あたたかく、時に泣ける。

    草介の最後は、もやもやするものがあった。

  • 性的少数者であるレズビアンのカップルと、その子供たちとの家族のカタチが描かれた物語であるけど、"特別"な感じはなく、どこにでもいる、自然な家族のように思いました。読み終えた瞬間は、なんて温かいお話なんどろうという想いでした。恋愛や家族にも色々なカタチがあって、多様性のあり方を理解してもらいたいという、メッセージが伝わってきたように感じました。
    この家族の16年間を、泉、千代子、草介、宝の家族それぞれの視点から描かれていて、わかりやすい上に、4人のそれぞれのアングルから垣間見ることができました。"マチュピチュ村"の大自然が、この温かい家族をさらに温かく包んでいて、このタカシマ家が営むゲストハウスで、しばらく滞在したいな。こんなゲストハウス、憧れます。
    千代子が失くなって、見送る場面は、一つ一つ丁寧に詳細に描かれているのが良かったです。ポロポロ涙を流しながら読み進めていました。
    ニーニーがあんなことになるなんて、宝と同様、私も思っていなかった。「悲しすぎるし・・・」と思ったけど、生きていると、辛いことが続いたりもする。それでも、前を向いて生きていかなくてはいけないんだということを、おしえてくれたように感じます。ニーニーは植物状態のままで物語は終わったけど、その後のタカシマ家のストーリーを、私達読者が想像できるように終わっているのも、凄くいいなぁって思いました!
    そして同性愛など性的少数者について、特に珍しいわけではなく、今まで、恋人やパートナーは異性であるのが当然だと思い込み考えた事がないだけであって、泉のように、タイミングやきっかけで、突然同性をパートナーとしてみることも少なくはないのでは?とも思いました。ちょっと考えさせられる一冊でもありました。

  • 2020(R2)2/14-2/16

    ちょうどこの時、槇原敬之の逮捕が世間を騒がせており、「彼が使用した薬物は、性行為の時に使用された」との情報が流れた。男性同士の性行為に、僕は嫌悪感を新たにした。

    その最中にこの本に出合った。レズビアンのカップルと2人の子どもの16年間の軌跡。

    僕が、槇原敬之の件で嫌悪感を抱いたのは、男性同士の性行為がどうも受け入れられないからだった。「男女間での性行為のいろいろを、男性同士でも行うってどうよ…。」という感覚である。

    しかし、この本を読み進めていくうちに、こんなことを感じた。

    男女間での性行為なら、みんなが嫌悪感を抱かないのか?いや、そんなことはない。男女間の性行為の中にだって、“それ、NG”っていうのもいっぱいあるだろう。ならば、"Good"と"No Good"の境目って何だろう?
    結局それって、「男女間だからGood」「同性間だからNo Good」ではなく、その人それぞれの考え方・感じ方によるものだから、明確な境界はない。
    虹だって「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」っていうけど、それは明確な分け方じゃない。赤と橙の間だってあるし、藍と紫の間の色もある。
    僕が男性同士の性行為や、同性どうしの恋愛に対してどんな感情を抱いたって自由だけど、その感情を他人に押し付けるのはNo Goodだ。
    その人が、どんな属性をもっていたとしても、一人の人として、その人を尊重できる心構えは持っていたい。
    人間を何かのモノサシで明確に境目に線を引くことはできないのだから。

  • 三十代半ばの泉は、別居中の夫との行き詰った関係に
    苦しみながら小学生の草介と二人で暮らしていた。
    ある日、駅のホームから列車に飛び込もうとしていた
    女子高生の千代子を助ける。
    千代子は、自由な生き方を認めない両親との関係に悩み
    傷付いていた。
    お互いをかけがえのない存在だと気付いた二人は、
    星が綺麗な山里『マチュピチュ村』へ駆け落ち
    新しい生活が始まる--。
    千代子の妊娠を知る。
    二人の母と二人の子供の『タカシマ家』
    16年間の軌跡…。

    章ごとにそれぞれに視点が変わり、時間も進んで行きます。
    読み始めは、何て安易な…駆け落ちって…。
    出会いから駆け落ちまでが、余りにも早く
    何となく共感も出来ず、戸惑いました。

    血が繋がってなくても、毎日の生活の積み重ねで時間を掛けて
    少しずつ形成されて家族になっていくんだなぁ。
    家族には男も女も年齢も関係ない…。
    終わりの方は涙・涙・涙でした。
    タカシマ家の『虹色憲法』
    そして、ニイニイ…タカシマ家の憲法を守れなかった…。
    優し過ぎたニイニイ・優しさナンバーワンのニイニイ
    切な過ぎます。
    目覚めて欲しい…。

    小川糸さんの著書を初めて読みましたが、
    とても温かい文章を書く人でした。
    素敵な作品でした。


  • 軽く読み始めたら
    なかなかハードなテーマで。
    なのに温かな話だった。


    それは出てくる人たちが、
    泉ちゃんや、チョコちゃんや、草介や宝が
    優しくて、暖かくて
    だからこんな気持ちで読めたのかもしれない。



    レズビアンのカップルと
    その子供たちの家族の物語。


    恋人の形、家族の在り方、血のつながり
    いろいろなことを考える機会になった。


    「家族というものは
    きっと最初から家族のわけではなく
    毎日毎日笑ったり怒ったり泣いたりしながら
    少しずつその形が固まっていくものだと思う」



    最後まで草介の思いやその後がわからず
    少しモヤモヤが残る。
    でも信じたい。信じるしかない。



    作中の虹色憲法がとてもよかった。

  • 愛情の形
    家族の形
    色々考えれた。
    虹色憲法は素晴らしい。
    草介、起きろよ!

  • ふたりのお母さんとふたりの子ども。他とは少し違うけど、あたたかい家族の物語。

    LGBTであることの生きにくさも、前向きで明るい千代子や、優しい草介がいて、乗りこえていく。
    そのうちに村の人たちもあたたかく見守ってくれるようになるのが、素敵だな。こういう設定だと、田舎の排他的な空気が描かれそうだけれど、ボスやガソリンスタンドの夫婦をはじめ、この家族がちゃんと受け入れてもらえるのが、ほっとした。

    後半は読んでいて辛いけれど、このあときっと奇跡が起きると感じられるような、ほんのり明るいエンディング。
    疲れた心がほぐれるような、ハワイのゆったりした場面は、よかったな。

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著者プロフィール

作家。デビュー作『食堂かたつむり』が、大ベストセラーとなる。その他に、『喋々喃々』『にじいろガーデン』『サーカスの夜に』『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』『ミ・ト・ン』『ライオンのおやつ』『とわの庭』など著書多数。

「2023年 『昨日のパスタ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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