- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087716085
作品紹介・あらすじ
どんな動物と、どのように接しているか。人と動物との暮らしに、人生の光と影が浮かび上がる…。『ジーノの家』で日本エッセイスト・クラブ賞と講談社エッセイ賞を同時受賞した著者の、エッセイ集。
感想・レビュー・書評
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2021年1月11日読了
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エッセイなのか、小説なのか…。
イタリアでの日常と、そこにひっそりと寄り添う動物たち。
犬、猫、馬、タコ、ダンゴムシ、蛍…。
大怪我をして身動きが取れなくなり、飼う側から飼われる側になったり。
都会のミラノでも、小さな田舎町でも、人々は心地良さそうに生活している。
読んでいて、こちらも心がほっこりとする。 -
相変わらずぴりっと辛い話が多くて良かった。動物関連の話と言いつつそこまで関係のない話が多かったのは、人間も動物だからか。犬の飼い主同士のつながりって強いなあと思う。
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エッセイなのできっと現実の人々の話。でもなんだか物語めいていて、小説の人物のような人々だった。自分がイタリアに詳しくなさすぎて、地図を用意して読みたかったかも。
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ペットにまつわる15の物語。15話それぞれ、動物を通じて”人間”が映し出されていて興味深い。
著者の他作品との比較から☆3つも、また再読をすると思う。 -
15篇からなるエッセイ集。
犬を飼う。猫と暮らす。
人が寄り添い、そこから会話が生まれ付き合いが始まる。
花屋で会うリア夫人は90歳を越えてもエレガント。
そして、いつも一人。
リア夫人が預かった一匹の猫との温かい話
「要るときに、いてくれる」が良かった。 -
最近、手元にぐっと寄ったカメラのアングルが徐々に引いて遠景の絵になるのと同時に、季節が移り山や野の色合いが移り変わるという映像をしばしば目にする。構図としては斬新なところがある訳でもないズームアウトなのだけれど、そこにカメラの動きに伴う経過時間を越えた時の流れが加わることで、鮮やかな手品でも見たような感覚が生まれる。手品の仕掛けと同じように、映像を造り上げた過程を一つずつ解きほぐしてみれば不思議なことは何もないのだが、一瞬にして時が過ぎ去るあの感覚は何度見ても一瞬にして迷子になったような、それでいて何か惹き付けられる感覚を生む。内田洋子のエッセイの中で流れる時間もまた、あの映像と似た感覚を呼び起こすのだ。
それは一つの花であったり景色であったり気の良さそうな人物であったりするけれど、内田洋子の描く風景は、単焦点の、しかも被写体を肉眼と同じような大きさに映す倍率のレンズを通して描かれるようである。しかし50mmのレンズは倍率こそ肉眼に近いけれど肉眼ほどの大きな視野はない。いつでも風景は切り取られ、余白の多い景色となる。その意味で、50mmのレンズはいつでも少し近視眼的だ。逆説的かも知れないけれど、それ故に等身大の風景が映り込むところが面白い。それと同じように、内田洋子は対象物との程よい距離感を保ちつつ、何も構えたり気取ったりしたところのない風景画を描く。まさにポートレートのような筆致だと思う。
ところがその言葉の響きにすっかり気を許していると、景色も時間も切り取られた一枚の風景画と思っていた絵の中で、急に樹木の葉は色を変え主人公は年を重ねた姿となる。その変化は、一瞬だけ二重露出のイメージが投影され、異なる時間軸が同時に折り畳まれた印象を投げ掛けて来るけれど、構図そのものが完全に一致しているため、何処で過去と現在が入れ替わったのかが容易に見定められない。もちろんそれを、内田洋子がそこで過ごした時間の永さが俄には理解できない、と言い換えてもよい。
そしてそれが、妙に癖になる。何度でも味わいたくなる。けれど、その鮮やかな移り変わりは一度だけしか起こらない。二度目に読むとき、脳は変化を先取りしてしまう。それ故、内田洋子の新刊を読むことは自分にとって貴重な体験だ。それでいて何冊か読み重ねてしまうと、登場人物や場所に馴染みができてしまうため、変化を先取りしてしまう自分もいる。もう少しゆっくりとしたペースで新刊に出会う方がよいのか、読みたいような読みたくないような、どちらつかずの感覚に悩まされる。