- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087716214
作品紹介・あらすじ
親の都合でオーストラリアに引越し、現地の小学校に通うことになった真人。言語の壁を乗り越え逞しく成長するが──。『さようなら、オレンジ』から2年。注目を集める新人作家の、新作長編!
感想・レビュー・書評
-
親の仕事の都合でオーストラリアに暮らすことになった少年の話。初めは言葉や環境に慣れず、イジメにも合って辛い毎日を過ごしていたが、だんだんと自分の居場所を見つけられるようになる。しかし、それとは反比例して母は息子が英語にとられてしまったと思うようになり、親子間、夫婦間でのすれ違いが起きてくる。父も母も息子も慣れない異国での暮らしに必死で、辛さを分かち合えないのがちょっとかわいそうだったなぁ。
〜言葉のやりとりの前に、人と人とのやりとりができないと。英語が操れるだけじゃだめだ。英語だとお世辞も言えないし、巧いウソをつくこともできない。だからこそ、どんな人間なのかが試される。〜詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
父親のオーストラリア海外赴任で現地校5年生に通い始めた真人は、言葉が全くわからない。
言語習得に苦しみ足掻きながらも逃げ出さない真人。異文化の中で居場所を見つけ自立への一歩を踏み出していく姿がたくましく眩しい。
それに対して母親は異国に溶け込めない。鬱積した気持ちは家族に向かう。子どもに対し一生懸命な母親だけに辛いだろう。
英語の方が得意になっていく真人に対して「自分の子どもなのに何言ってるのかわからないなんて!」と苛立つ。「オーストラリアに真人を取られた」と、そこまで思い込んでしまうのか。
真人の気持ちを優先させたいと思う父親と、子どもの教育進路に対して意見の相違から険悪になっていく様子が辛い。
異文化経験の物語であり、子どもの自立の物語でもある。子どもの強さを感じた一冊でした。 -
過日読んだ「さようなら、オレンジ」がとても良くて、その2年後に出た「Masato」を読んだけどこれもいい!父親の勤めの所為でオーストラリアに赴任した両親と姉弟と柴犬チロが慣れない地で過ごした2年間で各々の暮らしや生活は多かれ少なかれ変化していく。とりわけ小学生の真人の溶け込み様が上手く描かれていて気持ち良い!まさに真人がMasatoに成る由縁がそこにある。「異郷にあっては慣れない言葉のやりとりの前に、人と人とのやりとりが出来ることこそが根っこ」だと父親が言う場面があるけど、本当にその通りだなぁと感じます。
-
日本から父の仕事でオーストラリアにやって来た5年生の真人。言葉も文化も分からず、友だちもいない。けど得意なサッカーや好きな虫を通して、仲間が広がって明日の楽しみが増えていく様子に、一緒にワクワクして読み進めました。学校には他にも異文化からの生徒がいて、それぞれか抱えていることも盛り込まれストーリーが深められています。
馴染んでいく真人の一方、母親は言葉の壁を乗り越えられずストレスを抱え、真人に対しても苛立ちを高めていく。
自分が何を選ぶべきなのか、どうしたいのかもがきながら進んでいく真人から目が離せず一気読みでした。
-
ぼくがぼくの気持ちをぼくの言葉で伝えることの大切さと、誰かの気持ちを想像して思いやることは故郷じゃないどこかで生きていくためには必要なこと。それは生まれ育ったところで一生そこから離れないでいると忘れがちになるのだけど。
13歳から14歳、多感な年ごろを言葉も文化も違うところで過ごす、その苦労はいかばかりか。
できれば日本に帰りたい。こんなところからすぐにでも逃げ出したい。そう思いながらも言葉を覚え友だちを作り、自分の道を自分の力で見つけていった真人の逞しさとしなやかさがキラキラと輝いて見えました。
異文化、というほどではないけれど進学のため18歳で家を出て知らない土地で暮らし始めた時、自分の名前を呼ぶそのイントネーションの違いに、自分がいままでの自分ではなくなってしまったような言いようのない不安に包まれたことを思い出しました。食べ物の味付けが違う、モノの呼び方が違う、自分の名前が違う。そんな中で「私は私だ、どこにいてもどんな呼び方で呼ばれても、私は私だ」と思えた時、自分の周りの世界に属しているゆるぎない自分の存在に気付いたような。
ぼくがぼくであることの素晴らしさ、を自分の手で見つけた真人をギュッと抱きしめたい、そう思ったと同時に、子どもから手を放せない母親に自分を見て少し落ち込んだりもして。
岩城けいさんの小説は心の中をからりとした風が吹き抜けるような、そんな心地よさがある。 -
父親の赴任先のオーストラリアへ家族とともに引っ越し、現地の小学校へ転校した真人。
転校早々はイジメにあったり色々大変だったが、言葉を覚えるとともにすっかり現地社会に馴染んでいく。
しかし母親は一向に馴染まず、日本へ帰りたがる。
真人が馴染めば馴染むほど母親は真人ともに日本へ帰りたがる。
小学校5,6年生というと親から離れていこうとする時期。
真人の母親は真人が現地社会に馴染んでいくのと同時に自分の手から離れていく寂しさをどうにも受け入れられないのだろう。
自分が理解できない言葉で今まで自分の腕の中にいた息子が喋る、通常でも親の庇護のもとから飛び出そうとする子どもにやるせなさを覚えるだろうに、自分が理解できない言語で反論されたらそりゃたまらないだろうとは思う。
息子を持つ身としては理解できなくもない。
様々な仲間がいたから真人は成長していけたのだろう。
皆、何処でも色んな葛藤を抱えながら大人になっていく。
空港での別れのシーン、真人が大人に向かって自分の足で第一歩を踏み出した。
-
父親の仕事の都合でオーストラリアに引っ越し現地の小学校に通うことになる5年生の真人のお話。やはり6年生でオーストラリアに引っ越して現地校に通った私としては、あまりにも似た状況と描写にくらっとすると同時に目が離せなく、一気読みでした。
この多感な時期に全く言葉の通じない社会に放り込まれることの大変さはよくわかる。真人はたくましいと思う。とまどいながらのスタートだったけど、ぐいぐい溶け込んでいく。だんだん英語の自分の方が本当だと感じるほどに。それが心配になるお母さんの気持ちもわかる。日本人なんだから漢字も書けなくちゃって思うし。最終的な決断は真人を尊重したもので納得がいくけど、家族が離れ離れになるのは悲しいな。オーストラリアに行ったことで真人は少し早く大人になったんだね。お母さんが「まあくんをこの国に取られちゃった」と涙ぐむ気持ちがよくわかる。
オーストラリアの風景や文化や学校生活が、あまりにも知っていて、かつて身近だったものなので、読んでいて変な感じだった。なつかしい、というのとも違う。あの頃のことを思い出したいような、思い出したくないような。ただ自分は真人とはぜんぜん違ったなと思う。男女の違いもあるけど、私はオーストラリアにいる間もやっぱり日本に気持ちが向いていたんだと思う。私は日本語の自分の方が本当の自分だった。そこが真人とは決定的に違ったところ。 -
帰国子女家庭の現実だと思うので、子どもを海外で育てたい人は読んだ方がいいと思います。子どもに海外教育を受けさせる場合は、家族がバラバラになっても子どもが希望する場合そのまま海外に送り込む覚悟があるかどうかが問われます。海外に行って帰ってくると子どもの人生は2度も自分のコントロール外の力で中断させられるので、中途半端な気持ちで住む場所、通う学校を変えさせられるのが一番辛いです。また、駐妻は一番閉塞感を感じやすいため働く選択肢を与えてほしいです。
-
いきなりオーストラリアへの単身赴任にともなって地元の小学校に放り込まれたマサト。英語が話せることが安定につながると思い込む親の安定は、日本の中での安定でしかなく、ダイバーシティを受け止められない母と仕事に夢中で週末ぐらいしか息子を見てやれていない父と、一人異郷での適応に悪戦苦闘し少しずつひとり立ちするマサト。いい小説でした。
-
問題文が面白くて続きを読もうと買いました。
国語の授業でも楽しい文も時々あるよ