ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語

著者 :
  • 集英社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087716610

作品紹介・あらすじ

アイヌの母と和人の間に生まれ、幼くして孤児となったチカップ。17世紀を舞台に、キリシタン一行と共に海を渡った女性の一生を描いた叙事小説。津島文学の集大成であり、最後の長編小説。遺作。

感想・レビュー・書評

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  • ジャッカ・ドフニとは、北方のトナカイ遊牧民ウィルタの言葉で、「大切なものを収める家」の意味。
    作者は2010年、26年前訪ねた「ジャッカ・ドフニ」の建物でウィルタであるゲンダーヌ氏と出会ったはずなのに、それは喪った子供と同じように幻だったのか・・・。
    「あなた」はどんどん過去へと遡り、1967年の道東へと降り立つ。ここでは、作者がアイヌや北方民族と関わる過程と、我が子の喪失が語られる。

    物語は、1620年の日本。キリシタンの少年(洗礼名ジュリアン)と、アイヌとシサム(和人)の混血児チカップが、キリシタンの迫害から逃れて、当時ポルトガルの植民地であった、中国のマカオに逃れるところから始まる。
    チカップはジュリアンを兄とし、洗礼も受けるが、「半分アイヌ」である自分を、アイヌであるハボ(母親)、アイヌの歌を忘れることはなかった。ジュリアンはマカオでやがて日本に戻って、迫害に苦しむ信者たちを救うために、キリスト教聖職者となるべく勉強を続ける。
    チカップは兄と別れる決心をしてマカオからパタビア(現インドネシアのジャカルタ)へ渡る。
    チカップは多くの人と出会い、別れるが、ほとんどの人の消息は歴史の渦に飲まれてしまい、知ることができないままだ。

    初めは時系列でなく、回想、しかもジュリアンの想像したチカの過去が語られるのでとまどう。ほぼチカップの視点で語られる物語は、多くの事柄が曖昧なまま、置いてきぼりにして進むので、ぜんたいを把握するのは難しいかもしれない。でも、物語の力が読み手を捉えて離さない。チカップのとった道は正しいのか、ジュリアンの願いは叶うのか。歴史の流れが多くの人々を押し流していく・・・。心に残る小説だった。

  • 心が震える。

    雨が降るように、
    まるで土砂降りの雨の中にいるよう。
    本を開いている間中、私の五感はそれに全部持って行かれる。

    お腹も空かないし、眠くもならない。



    壮大なスケールで描かれる
    半アイヌ、半和人の少女チカップの生涯。
    それにリンクするように描かれる筆者の喪失。

    寝食を忘れて、読みたくなる一冊。

    和人は特に読むべき物語と思う。
    今の特権のあるノーマライズされた生活が誰の犠牲に成り立ち、
    その過程で何が行われたのか。
    暴力の中に恐れを抱きながらも、怯まず生き続けた人たち。
    和人であるとは、
    アイヌであるとは、
    信仰を持つとは、
    生きるとは、
    どういうこと?
    おはなしが、うたが、人を支えていく強い魔法なのだということもしっかり描かれている。

    最初の章を読み終えた夜、あまりの衝撃に眠れなかった。
    それから三日間、チカップと過ごした時間は宝物になった。

    図書館の本だけど、買って一生手元において、何度も読み返したい一冊。

    勧めてくれた母に感謝。

    津島さんの他の本も今読んでるけど、
    この人、すごく好き。やばい。

  • 思い出の記念館ジャッカ・ドフニ・“大切なものを収める家”に訪れることで子を亡くした過去と向き合う私。
    17世紀アイヌとシサム・和人の間の子として生まれ、キリシタンとなり、マツマエからナガサキ、果てはマカオ、バタビアまで流れ、羽ばたいていく少女チカ。

    二つのお話が時系列や語りの手法を変えながら時代を超え響きあう物語は、信教、人種、争いなど、たくさんの分断の中で私たちが生きているということ、そして生きていけるということを教えてくれる。
    それぞれの謡や物語を心に抱きながら。

    読み終えて本を閉じた時、目に飛び込んでくる表紙。
    描かれる“おらしょ”を唱える女性の姿は、限りなく聡明で美しく思います。

  • キリスト教の禁教化が進む江戸時代を舞台に、アイヌの血を引くチカと、キリスト教徒の日本人ジュリアンが、新天地を求める。ほとんど蝦夷地の記憶を持っていない年少のチカだが、失われたアイヌの言葉、歌をよすがにして、津軽→長崎→マカオへと、南進する。

    チカの物語と交差するように、著者の現代の記憶もシンクロする。チカの物語が過去から未来へ進行することと比較して、著者の物語は過去に向かって遡る。津島佑子の記憶とチカの記憶が、現代と過去から歩み寄り、アイヌの歌を介して響きあう。

    津島佑子の作品は、死を巡る「喪失」、それこそ物理的と呼びたくなるゴツゴツした「喪失」感情のゆらぎを突きつける。その質感は圧倒的であり哀切。
    という印象を抱かせる津島佑子の作品だったが、過去の作品からの印象であったのかも知れない。本作では、失われていくものへの尽きない思いが、諦念や無常観とは異なるものとして読み手に伝わる。自分の表現力のなさが呪わしいが、それは包摂のようなものか。

    大きな物語。

  • 狂おしいほどの喪失感、言葉を持たない魂の叫び、置き場のない感情。
    家族と、生と死と。
    何かに衝かれるように生きる様。
    読んでいて居たたまれず、かといって立ち去れず。

  • ふむ

  • 中途半端な博多弁やらカタカナ語が読みづらくって付き合いきれない。♪僕は何を思えばいいんだろう~僕は何て言えばいいんだろう♪

  • 消えていく、人のはかなさよ。

  • 北海道は阿寒湖のアイヌコタンを訪ね、木彫熊と浮き彫りを土産に買ったほどで、アイヌについての知識はないに等しい。司馬遼太郎の『菜の花の沖』を読んだ際に松前藩のアイヌに対する圧制を知り、憤ったのを思い出す。日本が北方領土領有を主張することにさえも疑問を抱く。これを読んでアイヌの何が分かるわけでもないが、日本時代の南樺太にはアイヌのほかウィルタ、ニブヒ、ヤクート、エヴェンキ、ウデヘなどの民族が住んでいたことを学ぶ。著者か本年逝かれて初めて太宰治の娘と知り、遺作に触れる。

  • せつないアイヌの子守唄

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著者プロフィール

津島 佑子(つしま・ゆうこ) 1947年、東京都生まれ。白百合女子大学卒業。78年「寵児」で第17回女流文学賞、83年「黙市」で第10回川端康成文学賞、87年『夜の光に追われて』で第38回読売文学賞、98年『火の山―山猿記』で第34回谷崎潤一郎賞、第51回野間文芸賞、2005年『ナラ・レポート』で第55回芸術選奨文部科学大臣賞、第15回紫式部文学賞、12年『黄金の夢の歌』で第53回毎日芸術賞を受賞。2016年2月18日、逝去。

「2018年 『笑いオオカミ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

津島佑子の作品

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