著者 :
  • 集英社
3.78
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本棚登録 : 758
感想 : 77
  • Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087717211

作品紹介・あらすじ

明治44年、文豪・森鴎外の末子として誕生した類。優しい父と美しい母志げ、姉の茉莉、杏奴と千駄木の大きな屋敷で何不自由なく暮らしていた。大正11年に父が亡くなり、生活は一変。大きな喪失を抱えながら、自らの道を模索する類は、杏奴とともに画業を志しパリへ遊学。帰国後に母を看取り、やがて、画家・安宅安五郎の娘と結婚。明るい未来が開けるはずが、戦争によって財産が失われ困窮していく――。
昭和26年、心機一転を図り東京・千駄木で書店を開業。忙しない日々のなか、身を削り挑んだ文筆の道で才能を認められていくが……。
明治、大正、昭和、平成。時代の荒波に大きく揺さぶられながら、自らの生と格闘し続けた生涯が鮮やかによみがえる圧巻の長編小説。

【著者略歴】
朝井まかて
1959年大阪府生まれ。2008年小説現代長編新人賞奨励賞を受賞して作家デビュー。2013年に発表した『恋歌』で本屋が選ぶ時代小説大賞を、2014年に直木賞を受賞。ほか、同年『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞、2015年『すかたん』で大阪ほんま本大賞、2016年『眩』で中山義秀文学賞、2017年『福袋』で舟橋聖一文学賞、2018年『雲上雲下』で中央公論文芸賞、『悪玉伝』で司馬遼太郎賞、2019年に大阪文化賞を受賞。近著に『落花狼藉』『グッドバイ』『輪舞曲』などがある。

感想・レビュー・書評

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  • 森鴎外を知れば知るほど巨大な人物に見えてくる。作家としても、思想家としても、政府要人としても大きな足跡を残した。そして森鴎外は一方で類稀(たぐいまれ)なる家庭人だった。於菟(オト)、茉莉(マリ)、杏奴(アンヌ)、類(ルイ)の兄弟姉妹は、その海外でも通用する名前をもらって、愛情もって育てられる。二章目で森鴎外は亡くなり、そのあとは戦後のずっと先までの彼ら家族の物語になる。

    類が森鴎外の才能を受け継いだわけではない。むしろ(言及は一切ないけど)軽度の発達障害だったかもしれない。知能に障害があるわけではないが、成績が上がらない。凡ゆることに集中が続かず不器用だ。遂には中学校を中退する。ただ、遺産相続があり、一家は一生困らない生活ができると思っていた。

    底辺にいる末弟の類を通して華族的な森一家を見れば、森一族の世界が立体的に見えるだろう。というのが、作者の「狙い」だったのではないか?

    現在我々が簡単にその著作を手にすることができるのは、長女・森茉莉の作品だけである。しかし、次女の小堀杏奴の才能も素晴らしかった。4人兄妹や鴎外の妻や叔母の金井美恵子さえも本を出している。森類「鴎外の子供たち」(ちくま文庫)は、本書を機会に是非とも再販して欲しいものだ。

    一転、戦後家族人となった後の貧乏生活。世間一般の極貧とは違うが、初めての会社勤めをして類は1か月後に丁寧に追い払われる。後に同僚から言われた「役に立つ、立たないじゃないんですよ。あなたのような人が生きること自体が、現代では無理なんです」との指摘がキツい。類がそのホントの意味を分かり得ていないのもキツい。

    それでも、類たちには貴重な「体験」という資産があり、類は姉以上の記憶力を活かしてなんとかモノになる本を書く。尚且つ僅かばかりの本物の資産もあり、最後まで落ちぶれず(姉の茉莉は「贅沢貧乏」という形で精神の華族を表現した)彼ら森一族は昭和を生き延びてゆく。

    森一族という狭い眼鏡から観た昭和史。森鴎外という巨人の影からどうしても自由になれなかった芸術家の子供たちという「運命」。でも決して不幸ではなかった。それは彼らにあった「森鴎外の名前を汚しててはならぬ」という使命感が、彼らの顔を上に向かせていたからではないか?偉大な「パッパ」を持った一族史という「小説」だったと思う(同様の一族で、私は手塚治虫の子供たちを思う)。

    表紙は類の絵だ。観潮楼(団子坂の鴎外邸)の、鴎外が手入れした花畑に違いないと思う。

    ※細かいところまで神経が行き届いている。観潮楼に生えている郁子を見ては「郁子なるかな」と祖母が呟いているエピソード。「むべなるかな」の元ネタを踏まえてのことだけど、それ以上の説明はない。ウィキにさえ載っていないモノネタである。
    森一族への直接取材も可能だったらしい。恐ろしいほどの取材を経て綴られた。約500頁、読み応えのある「小説」だった。

    • goya626さん
      茉莉さんのエッセイを読んだことがありますが、なんだか凄い人です、というか変わった人。
      茉莉さんのエッセイを読んだことがありますが、なんだか凄い人です、というか変わった人。
      2020/10/26
    • kuma0504さん
      goya626さん、
      森一族の本はいずれも読んだことはありませんが、
      絶対読んで、それぞれの家族評価を比べたくなります。ワイドショー的興味か...
      goya626さん、
      森一族の本はいずれも読んだことはありませんが、
      絶対読んで、それぞれの家族評価を比べたくなります。ワイドショー的興味からです。
      でも、わたしは我慢します。キリがないから。

      兄弟姉妹の不仲は、まぁこういう些細なことがきっかけになるよなとわかるところがあります。森茉莉さんの対応はとても立派でした。因みに真相は、この本で初めて詳細に述べられたのではないかと思います。

      とりあえず森鴎外を読んでいきたい、無性にそう思っています。
      2020/10/27
    • goya626さん
      鴎外、でかい壁ですね。「高瀬舟」「山椒大夫」しか読んでいません。
      鴎外、でかい壁ですね。「高瀬舟」「山椒大夫」しか読んでいません。
      2020/10/27
  • 森鴎外の末息子である類を中心に、
    のこされた家族を描いたもの。
    見たところ言葉も難しいものを多用しているし
    こんな高尚な家族の話が私にわかるかしらと思っていたら
    内容は実に俗っぽくワイドショー的で
    喜劇っぽくもあり笑いました。

    世事、俗事にうとい。
    金銭に無頓着。
    離れのアトリエで絵を描いて、女中が「お食事でございます」と呼びに来るまで、外の世界は何も考えずに生きていられる。
    親譲りの財産があるから、そのまま安閑として生きていけるはずだった。(戦争で失った)
    生存競争に参加せずに、悠然と暮らしたいだけ。

    しかし、最高に面白かったのは(ごめんなさい)
    類が家族について小説を書いたところで
    仲の良かった姉弟に亀裂が生じたこと。
    そしてそれまでも十分ユニークだった長姉茉莉が
    家族を描いた小説を発表。
    全く同じ場面が、見る人によって描く人によって
    こんなに違うものなのかと、
    心にすごい衝撃を受けました。

    朝井まかてさんにこのような本の出版を許してくださった
    森哲太郎さんはじめご家族の皆様に、
    私からも心から感謝いたします。

    森於菟、森茉莉、小堀杏奴、森類の著書を読んでみたい!
    本当は森鴎外を読まなくちゃと思うのですが、
    これでまた延びてしまうじゃないの。

  • 鴎外の子どもといえば、真っ先に浮かぶのが森茉莉。何をしても「お茉莉は上等」と鴎外に可愛がられた長女は、著作だけでなく存在そのものが圧倒的だ。それと比べると他の子どもたちは、「変わった名前をつけたもんだなあ(鴎外はよっぽどドイツが恋しかったんだろう)」と思うくらいで、その生涯や人となりについてはほとんど知らなかった。

    本書の主人公は末子の類だが、森家の人々の群像劇として非常に興味深く読んだ。「鴎外の子」として生きる。それがどんなものなのか、想像することはとても難しいが、小説の力で、まるで我がことのように胸に迫ってくるものがある。フィクションであると断られているものの、エピソードのほとんどは事実に沿っているらしい。五百ページ近い大作だが、全くだれずに読ませる力業に感服。

    しかしまあ、鴎外というのはすごい人だったのだと、あらためて思う。軍医総監にまで上り詰める傍ら、文豪と言うにふさわしい作品群を生みだし、おまけに愛情深い家庭人でもあった。子どもたちが「パッパ」に寄せる心からの敬愛の情には、ちょっと胸が熱くなる。鴎外は父としては幸せ者だったのだ。また、子どもが皆父譲りの文才の持ち主で(父ほどではないにしろ)、ものを書くことを大事にしたことも、鴎外が生きていたら喜んだにちがいない。

    鴎外の母峰子と妻志げとの軋轢をはじめ、茉莉の結婚の破綻、類の成績不良など、森家の影の姿も淡々と描かれていく。とりわけ、戦後財産を失った類一家の困窮の様子は痛ましい。鴎外が丹精した美しい庭ですごした、夢のような子ども時代とのなんという落差。類には世間を渡っていく力が決定的に欠けていて、いくつになっても、父が呼んだ「ボンチコ」と言う仇名通りのお坊ちゃんなのだった。妻の美穂(これがまあ実によくできた人なのだ)が、たまりかねて類に投げつける言葉は、おそらく正しいのだろう。
    「あなたは生存競争に参加せずに、悠然と暮らしたいだけの人なのよ。森鴎外というお人が充実し過ぎていたんだわ。あなた、お父様に全部持っていかれてしまったのよ」

    類は喫茶店の窓際で、煙草の煙を吐きながら思う。
    「どうして何もしないで、ただ風に吹かれて生きていてはいけないのだろう。どうして誰も彼もが、何かを為さねばならないのだろう」
    そうだよねえ。世の中には、エネルギーや向上心にあふれていて、価値あるものを追求していかなければ生きている甲斐がないと思う人もいるが、類と同じようにため息をつく人もまた、少なからずいるはずだ。そういう弱さが世界を少し優しくするのだと私は信じたい。

    茉莉もまた、生活力のないことでは類と同じなのだが、この人はそれをまるで気にかけないところが違う。自分の生活も危ういのに、類には気前よく金を貸し、周囲の思惑や迷惑など知らん顔、いつも傲然と頭を上げている。正直身内にいたら困るが(これは類も同じ)、なんとも魅力的な人で、その強い個性を鴎外は愛したのだろう。

    草花や自然の描写が繊細で美しい。表紙の絵は類氏によるものだが、鴎外の住まいの庭はこういう色合いであっただろうかと思いながら読んだ。また、「スウプ」「バタ」「ヒヤシント」「ダアリア」といった言葉遣いが独特の雰囲気をかもし出していて、戦前の上流階級らしい感じがするのも良いと思った。

  • 森鴎外の不肖の息子、という惹句に手に取り、しかし厚さに怯みつつなんとか読了。
    文章は分かりやすく「よくぞここまで詳細に造り上げられたものだ」と入念な調査や研究のあとが感じられるような一族の物語でもありました。

    大きな才能の肉親を持つ、偉大な親を持つと言うことの苦悩が伝わりました。文中に出てくる「どうして誰も彼もが何かを為さねばならないのだろう」という思いはきっと主人公が足掻きつつ生きる日々の本音だったのでは、と感じました。
    装丁が素敵だなと感じましたが類さんの作品だそう。爺ちゃんになっても愛すべき坊っちゃんのままである主人公が何だかとても可愛く感じられました。

    でもこんなに浮世離れした人と仕事するのは大変そうだなぁとも(笑)
    鴎外という人は何だか堅いイメージでしたがこんなに子供好きの一面が書かれていてそこも好もしかった。
    朝井まかてさん初めて読みましたがよくぞ書いてくれましたねという読後感。

  • 終わりまで一息つこうと思わないような、怒涛の展開だった……。

    類から見える、父の庭の描写が一番好きだったな。
    様々な木や花が季節毎に美しいシーンとなるような、そんな庭を実際に見てみたかった。
    家の作り、食卓に上るメニュー、留学生活や嗜み方など、豊かな生活が繰り広げられる前半は、たとえ鷗外の死を経ても余裕があるように感じる。

    そんな中、父、母、破天荒な茉莉と才能豊かな杏奴を姉に持ち、序盤から甘ちゃん末っ子ボーイぶりを遺憾なく発揮する類はどのように生きていくのか。ハラハラです。

    読みながら、父の庭と同じく、あくまでこれは類の目から見たお話なんだなと思ったのが、類が『鷗外の子供たち』を執筆するくだりだった。

    茉莉と杏奴にとっての類が、どのような存在だったのか。後に茉莉が類を主人公として、とある小説に仕立てあげる部分で、そうか、茉莉にとっての類はこんな一面を持っていたのかと唸らされる。
    対する類は、そのことを小説家の開花と言うのだけど……。

    ありのままに書くことは、誰にとっても美しいとは限らないし、また美しさだけが求められているわけでもない。この小説自体もそうだと言えるし、実在の人物を虚構として描くことの覚悟って必要なんだろうなと感じさせられた。

    また、自分の世界観や本心を、芸術として作品に仮託する反面、実世界での類が兄姉と対峙するシーンは殆ど見られないのも不思議。

    森家は兄弟各々に言葉を扱う才能が付与されていながら、けれども身内から外へなかなか出ることが出来なかったことや、書くことへの期待を持たれたことは、幸福だったのか、不幸だったのか。

    誰かと比較されながら、ずっと付いて離れぬ眼がある。生き方をも具に見られながら、類はどんな夢を抱いていたんだろう。

  • 例によって前知識も何もなく、ただ「鷗外の子の話」という情報だけで読み始めた。

    始めの方は、有名人の子というだけでここまで子細に家族内のことについて世間一般に知られるなんて、かわいそう…と思いながら読んでいたのだが、のちに自分たちからすすんで暴露しまくっていた内容だったのか、とわかった。だからこれだけの小説が書けるのか。

    鷗外本人については、この本をもってしても「神格化」されているように思えるのだが、やはり本当に神だったのかもしれない。

    苦労を知らないお嬢様おぼっちゃまが、戦争で一変した世の中をたくましく生きていく様子に、このコロナ禍で価値観も生活も変わってしまいそうな今の時代が透けて見えた。「これで将来は安泰」ということはないのだろう。

    森茉莉の想像を絶するお嬢様ぶりに勇気をもらった。
    ここまでの人もいる(いた)んだ…と思うと、とりあえず仕事も家事も育児もやっていないわけではない自分は、もっと堂々と生きていても良いような気がしてきた。「一緒にするな」と叱られそうだが、私にとってはそれだけでも読む価値が十分にあった。

  • 文豪・森鷗外の息子、森類(もり るい)さんの生涯。
    分厚い本を約一週間かけて、類さんの生涯にお付き合いした。
    文豪の子という宿命(あるいは枷)をとにかく生き抜いた類さんの一生だった。
    小説として昇華されているのだからぜんぶ鵜呑みにしてはいけないことは分かっている。
    しかし、以前、類さん本人の随筆を読んでいて、この本に出てくるエピソードは、細かい会話部分はともかく、ほとんど事実だ。
    全く、小説ネタには事欠かない、個性的で「キャラ立ってる」森家の人々。

    読み始めは、頼りない子供な印象。
    長ずれば、何をやっても長続きせず、モノにならず。
    今盛んに言われている“グレーゾーン”か?
    ケーキを切れない何ちゃらか?
    などと思ってしまう。
    文学に無縁な周りの人間も、同じように考えたのでは無いかと思える話もあり…
    植木屋に防空壕を掘らせていると、訪れた斎藤茂吉先生が興味深げに覗き込む。
    「どちら様で?」と尋ねる植木屋に、文学者としての肩書を説明しても分からないだろうと思った類は、「精神科のお医者様」とだけ説明する。
    気の毒げな顔で納得した植木屋は、森さんがついに頭のお医者様にかかるようになった、と思ったのだろう。

    しかし、文学や芸術の関係者は、何かと森鷗外と比べずには居れない。
    親の七光り、印税のおかげで働かなくて済む高等遊民。
    「あなたのような人が今の時代に生きてることが間違い」
    「あんたが偉いんじゃない、森鷗外が偉いんだ!」
    などとひどい言葉を浴びる。

    類は、本人の随筆を読んでも、自分の手で当たり前に稼ぎたいという気持ちは確かにあったのだけど、自分が何に向いているのかもよく分からなかったらしい。
    それでも、結婚して、子供も四人生まれる。
    戦前戦後の混乱をどうにか暮らしていけたのも、ひとえに奥さんの美穂さんのおかげだと思う。
    そんな美穂さんにも、不甲斐なさを責められて喧嘩になることもしばしば。

    芸術家はダメ人間が多いものだ。仕方がない。
    と思いつつ、終盤に差し掛かれば、何だか類さんが素敵なシルバーに見えてくるのだ。
    子供たちも(まともに)成長して、穏やかな晩年。
    ルックスも生き方も飄々として。
    「僕の本当の夢は、何も望まず、何も達しようとしないこと。質素に、ひっそりと暮らすことだ」
    生き方の多様性を認めようという流れも出てきた現在、類さんを理解できる人も多いのではないかと思う。

    最後に、母が同じ鷗外の三人の子についての印象。
    ・茉莉は、己のうちに夢の世界を作り上げ、鷗外に溺愛されたという誇りに生きた。
    その呪縛、他人からの目については、三人の中ではわりと自由。
    ・杏奴は、自分から「鷗外の娘」という呪縛に縛られようとし、世間に対して完璧な姿を見せようとした。
    ・類は何も繕わず、正直だった。
    自身にはその気が無いのに、親の威を借りようとしている、と歪めて判断され割りを喰った。

    そして三人とも「表現したい」という思いと父親への愛は同じだったのだろう。

  • 明治の偉人・森鴎外の末子として生まれた“不肖の子”森類の人生を、彼の視点から見つめた物語。
    【鴎外の子であることの幸福。
    鴎外の子であることの不幸。】という帯の文言、そのまま。

    どこまでも優しく偉大な父、粋で美しい母。
    花々に彩られた庭、優しい姉たち、贅沢な衣食住、父の遺した印税や不動産、当代一流の画家や文筆家たちとの人脈、良妻賢母を絵に描いたような妻。

    一方で、才能を様々に花開かせる兄姉の中で、学業でつまづいた事を皮切りに、周囲の期待に見合うものがなく、何をしても大成しない自分。
    美意識や感性には優れたものがあるのに、表現力や洞察力に乏しいアンバランスさ。

    5センチ近くあるかという長編は、なかなか捗らなかった。
    率直に言って、類には苛々させられた。
    妻の美穂から現実を突きつけられ、初めて(!)『働く』ことになったあたりから、哀れなまでに生活力のない類が滑稽。
    幸と不幸で言えば、あきれるほど幸の方が大きいとしか思えないのに、『思うようにならない』と感じる彼の鈍感さ、それ故に多くの人にまた許されてしまうことに、また苛々。


    ………朝井まかてさんの筆力は、いつもながら素晴らしい。仮名遣いなどにも、それぞれの時代の空気を感じられる。

    けれど、この作品に関しては、読者として申し訳ないが、自分の現実が邪魔をして、類の心情にピントを合わせる事ができなかった。
    類と違って、人脈も遺産もない。子供の前では精一杯見栄を張ってきたけれど…子供の目から見て、この親たちの姿は、どう映っているのだろうか。
    とりあえず、絶対先に死んでなんかやらないぞ!

  • 文豪・森鴎外の死後、遺された家族がどう生きたかを、末子・類の視点から描いた、約500ページの長編。

    鴎外の子のうち、小説の主人公にしていちばん〝映える〟のは、浮世離れして天衣無縫な長女・森茉莉だろう。

    だが本作は、茉莉や小堀杏奴(次女)ではなく、いちばん目立たない類をあえて主人公に据えたのがミソ。そうすることで、我々凡人・非リア充にも共感しやすい作品になった。

    医学者となった長男・於菟、小説家・エッセイストとして活躍した茉莉、絵画と文筆に才能を発揮した杏奴……兄・姉たちに比べ、類は子どものころから勉強ができず、絵画や文筆でもなかなか芽が出ず、森ファミリーの中では落ちこぼれであったからだ。

    ただし、類の目を通して、茉莉や杏奴についても十分に描かれていく。2人はそれぞれ副主人公と言ってよいウェートを占めているのだ。

    一族の華族的で優雅な暮らしを描いた前半。戦後の凋落のなか、類が生活力の乏しさに苦しむ後半。それぞれ面白い。

    これは、「文学の家」であった森ファミリーの物語であるとともに、森家をフィルターとした日本の近現代史でもある。

    一種の擬古文というのか、サラダを「サラド」、スープを「スウプ」などと、固有名詞に当時使われた表記を用いていることも、絶妙な効果を上げている。

    文豪の父に庇護され、美しい庭園を持つ豪邸で暮らした幼年期が、あたかも〝失われた楽園〟のように、くり返し追想される。その甘やかな喪失感が、読後深く心に残る。

  • 森鴎外の子供達が、西洋でも通じる名を付けられていたことは有名だ。では、その人達個人の事は、どのくらいに知られているのか。森茉莉さんは、いまだに確固たるファンを持つ作家である。小堀杏奴さんも名随筆が多く、『晩年の父』などは、今も読み継がれている。では。男兄弟は?となると、もう一つよくわからない。末子の森類さんについて、何ほどの知識を持って読み始めたわけでもない。

    人がよく、世事に疎く何事もモノにならず、センスと人柄、育ちは良いけれど、才能は屹立していない……ように見える。少なくとも不肖の息子と思われてしまった人。誰にもなれず、何もなし得ず、他人の扶助がなくては生き難かった類さんの人生。彼には彼の美質があったと思うのだけれど、それは外側から見ている我々が、彼の人生を背負っていないから言える話。本人は、か弱くダメな自分に何度歯噛みをしただろうか。

    ただでさえ答えも実績も出難い、画業や文筆での身過ぎ世過ぎのことである。何も出来ない、という空白の時間が積み上がること、そうであるのに茫漠と過ごしてしまう悲哀は、想像以上に重かろう。

    昭和の中頃あたりまでは、彼のような人でも、良いところの出であれば、周りが助けてどうにか生きて行けた。今のような殺伐とした世の中では、どれだけ傷ついていただろう。類の悲しい気持ちも、姉君や周囲の、詠嘆とも怒りとも、諦めともつかぬ思いも、解りすぎて、最後のページを閉じるまで胸が痛んだ。

    それでも、最初の夫人美穂さんとの家庭生活は、読んでいてほっとする。温かくて美味しいコーヒーを誰かと飲んだような感触がする。才気があって夫を愛し、家政の切り盛りの上手い、愛らしい女性。彼女が添い遂げてくれたこと、お子さんたちが立派に育ったことが、実は彼の一番の財産だと思う。小説の登場人物に、『自分もこうなりたい』なんて思うのは少ないのだけれど、美穂さんは本当に、なれるならこんな女性になりたかったと、心から思った。なんて可愛くて、暖かで、品があるのに勇気がある人なのだろう。

    類さんというひとは、決して悪い人ではない。両親譲りのシックで上質な生活を大切にする生き方も、森家を愛おしく誇りに思う気持ちも、嘘はない。妻子を慈しみ、いとおしいのも本当なのである。この人の才能というのは、父祖伝来の屋敷の花畑に咲く、ささやかで淡い花を愛でたような、ちいさな愛惜に満ちた眼差しにあったのだろうし、高等遊民然とした、紳士の贅沢な暮らし方も身についたものだから、嫌味はない。生き方そのものが作品で、価値があったひとなのかもしれないのだ。

    ただ悲しく痛ましいことに、それでは世の中は渡りきれない。文豪森鴎外の子として、すぐれた美的感覚を持った家庭に生き、良い家族を持ったこと。良縁に恵まれて支えてくれるひとに恵まれ続けたことは、幸運だった。今、表紙に装丁された類さんの絵を見ると、人を驚かすパンチ力よりも、ちいさな命に向ける優しさや、伸びゆくもの、命の濃密さへのあこがれを感じる。それは、近代以降、イケイケドンドン、成功せよ、結果を出せという路線をひた走ってきた中では、優しすぎて凡庸に映ったのかもしれない。今見れば、とてもきれいなのに。

    そして、この作品に漂う品の良さと香気は。どんなに悲惨な生活の場面でも失われない。それは、森家の人々が持つ品の高さであり、類さんの長所でもある。それを描き出したことは、朝井まかてさんの、作家としての才能と充実した筆力によるところ。きっと代表作になることだろう。読み応えのある、良い小説だった。

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著者プロフィール

1959年、大阪府生まれ。2008年『実さえ花さえ』(のち『花競べ』に改題)で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞してデビュー。13年『恋歌』で本屋が選ぶ時代小説大賞、14年直木賞を受賞。同年『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞、15年『すかたん』で大阪ほんま本大賞、16年『眩』で中山義秀文学賞、17年『福袋』で舟橋聖一文学賞、18年『雲上雲下』で中央公論文芸賞、『悪玉伝』で司馬遼太郎賞、19年に大阪文化賞、20年『グッドバイ』で親鸞賞、21年『類』で芸術選奨文部科学大臣賞、柴田錬三郎賞を受賞。他の著作に『落陽』(祥伝社文庫)、『白光』など。

「2022年 『ボタニカ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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