フェルナンド・ペソア伝 異名者たちの迷路

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  • 集英社 (2023年8月4日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (496ページ) / ISBN・EAN: 9784087718232

作品紹介・あらすじ

フェルナンド・ペソア(1888-1935)。
〈「わたし」とは確固とした個人であるどころか、無定形な多様体で、自分自身にとっても捉えどころがない。21世紀の今でこそ自然に思われるこの考えを、ペソアははるか以前に先取りしていた。自分とは別人格の〈異名者〉たちを案出し、たったひとりで宇宙全体を体現するようなこの不思議な人物は、どのような人生を送り、何を考えていたのだろうか。〉(「あとがき」より)
70もの人格を作り作品を書き分け、没後に2万7500点以上の草稿が発見されたポルトガルの国民詩人ペソア。この20世紀の巨人の生涯と言葉を丹念にたどり、豊富な引用と貴重な図版を合わせて、稀有な詩人の魅力の全貌に迫る。ペソア入門としても最適な、本邦初、待望の本格評伝!

【著者略歴】
澤田 直(さわだ・なお)
1959年、東京生まれ。パリ第一大学大学院哲学科博士課程修了。現在、立教大学文学部教授(フランス文学)。
著書に『〈呼びかけ〉の経験:サルトルのモラル論』(人文書院)、『新・サルトル講義:未完の思想、実存から倫理へ』(平凡社)、『ジャン=リュック・ナンシー:分有のためのエチュード』(白水社)、『サルトルのプリズム:二十世紀フランス文学・思想論』(法政大学出版局)など。
訳書にフィリップ・フォレスト『洪水』(共訳、河出書房新社)、『シュレーディンガーの猫を追って』(共訳、河出書房新社)、
『夢、ゆきかひて』(共訳、白水社)、『荒木経惟 つひのはてに』(共訳、白水社)、『さりながら』(白水社)、ミシェル・ウエルベック『ショーペンハウアーとともに』(国書刊行会)、J-P・サルトル『真理と実存』『言葉』(以上、人文書院)、『自由への道』全6巻(共訳、岩波書店)、『家の馬鹿息子:ギュスターヴ・フローベール論』4巻、5巻(共訳、人文書院)、フェルナンド・ペソア『新編 不穏の書、断章』(平凡社)、海外詩文庫『ペソア詩集』(思潮社)などがある。

感想・レビュー・書評

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  • 昨日開催された立教大学の澤田直 教授の最終講義に参加するために手に取った。怠けていてイベントまでに読了出来なかったが、なんとか読み終えた。

    最近、ヌーヴォー・ロマンやガタリ、デリダなどと、やや背伸びして堅い本ばかり読んでいたので、それに比べると下り坂を自転車で走っているような爽快な読み心地だった。/

    ペソアは、ポルトガルの詩人・作家で、70もの人格(異名者)を作って作品を書き分けた。死の前年に出版された詩集『メンサージェン』などを除けば、生前にまとめて発表された作品はごく僅かで、死後二万七千点余りの草稿が衣装箱に残されていた。
    いまだに多くの謎を秘めた作家であり、そこがまたペソアの魅力の一つにもなっているのだと思う。/


    ◯「プロローグ」:

    【詩人はふりをするものだ 
    そのふりは完璧すぎて 
    ほんとうに感じている 
    苦痛のふりまでしてしまう】(ペソア「自己心理記述」)/

    この文章は、《「人間は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」》(安部公房『第四間氷期』)や、サルトルの『一指導者の幼年時代』に頻出する「ふりをする」を想起させる。/


    以前、ペソアの『不安の書』を読んだが、こういう断章形式の作品は、なかなか読書のモチベーションを持続できない僕のような人間には、すごく相性がいい。
    小間切れの読書を許してくれるのだから。
    たとえば、ベンヤミンの『パサージュ論』などもそうだ。
    なんだか、鉱物の標本を見ているようで、飽きることがない。/


    【ペソアの残した言葉を書き写すのは、なんだか少しだけペソアその人になったようで心地よい経験だ。「引用」は現代の文学の重要な要素のひとつだが、それは共振力が強力に発揮される磁場でもある。つまり、書くことと読むことが交わる場所であり、作者と読者が錯綜する地点なのだ。】/

    僕のような「半引用」にはありがたい言葉だ。/


    ◯「少年時代」:

    ペソアが五歳の時に、父が結核で亡くなり、その翌年弟が死去する。最初の異名者が現れるのはこの頃だ。/

    【彼は孤独な子どもだった。(略)それに加えて、衝動的な激しい怒りと、多くの恐怖が見られた。その性格を要約すれば、知的早熟、時期尚早の強烈な想像力、意地の悪さ、恐怖、孤立の必要。つまり、ミニチュアの神経疾患である。】(ペソアの書いた幼年期の思い出)/

    ペソアの性向には、同居していた精神を病む祖母の存在も関与していたようで、彼は自分もまた狂気に捕らわれてしまうのではないかという思いに、生涯つきまとわれる。/


    ◯「異名者登場」:

    ペソアの〈異名〉はどのようにして生まれたのか?

    【ある日、私は少々複雑な牧歌詩人をつくりあげ、それをあたかも実在する詩人であるかのように〔略〕紹介して、サ=カルネイロを揶揄(からか)ってやろうと思い立ちました。数日を費やしましたが、うまく仕立てることができませんでした。ところが、それを諦めた日(略)私はふと(略)紙をとって、立ったまま(略)書き始めたのです。そうして、私は、次々と三十篇ほどの詩を(略)一種の忘我のうちに書き上げました。それは本当に私の生涯の勝利の日でした。(略)そしてそれに続いてきたものは、私のうちにおける誰かの出現だったのです。私はすぐさまその人物をアルベルト・カエイロと名づけました。】/

    ペソアの異名者は、平野啓一郎の言う「分人」※と、ダニエル・キイス『24人のビリー・ミリガン』における「多重人格」との中間に位置するものだが、単に作品の作者としてだけの存在に留まらず、恋人に異名者名で手紙を送ったりもしている。/

    ※「分人」:
    一般に、たった一つの「本当の自分」が存在し、様々な仮面(ペルソナ)を使い分けて、社会生活を営んでいると考えられているが、そうではなく、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格(分人)があるのであり、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉える考え方。/


    ◯「『不穏の書』」:

    異名者の一人、ベルナルド・ソアレス(輸入会社の会計補佐)が作者とされている。本書には、澤田氏訳の『不穏の書』 (思潮社、2000年)と、高橋都彦訳の(新思索社、2007年)がある。/

    【都市の孤独な散策者の独白という側面がある。これはイタリアの作家にしてペソア研究の第一人者でもあったアントニオ・タブッキが指摘したことであるが、『不穏の書』には、リルケの『マルテの手記』(一九一〇)に通じる街の描写がある。

    ─中略─

    ただ、ソアレスには青年マルテのようなストイックな相貌は見られず、疲れた中年の悲哀が揺曳している。こう書きながらぼくの脳裏に浮かぶのは、いまひとりの孤独な書記、ブーヴィルの街を徘徊し、ブルジョワを呪詛する『嘔吐』(一九三八)のロカンタンだ。】/

    ソアレスからマルテを想起するというのは、「マルテ」の愛読者ならそう困難なことではないのかも知れないが、ロカンタンの名前はなかなか出てこないのではないか?
    さすが、哲学者としてサルトル関連本をたくさん書いている澤田氏である。/


    【わたしは何ひとつしたことがない そうなのだ 
    これからもしないだろう だが 何もしないこと 
    それこそわたしの学んだこと 
    すべてをする 何もしない それは同じこと 
    わたしとは なれなかったものの亡霊にすぎない】/

    怠け者の心になんと沁み入る言葉だろうか?
    このあたりは、なんとなくベケットの登場人物の匂いがする。/


    ◯「詩人の恋」:

    1920年、32歳のペソアに一大転機が訪れる。

    【詩人に遅咲きの初恋が訪れる。当時十九歳だったオフェリア・ケイロスという娘に魅了され、恋に落ちたのだ。】/

    せっかくですが、ここを詳しく引用してしまったのでは、ネタバレの誹りを免れないと思うので、ご興味のある方は、ぜひ本書をお手に取って、詩人の恋の顛末をお読み下さい。/


    ◯「詩集『メンサージェン』」:

    【なにものかであることは牢獄だ 
    自分であることは 存在しないこと 
    逃げながら わたしは生きるだろう 
    より生き生きと ほんとうに】(ペソアの、この時期に書かれ発表されなかった詩篇より。)/


    ペソアは、ほとんど断章ばかりを残した。
    だが、果たして人生は大河ドラマのようなものなのだろうか?
    生は、ある日なんの脈絡もなく強制終了となる。
    人生は、果たして長編小説のようなものなのだろうか?
    人生とは、断章ではないか?
    ジュゼッペ・トルナトーレの映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストで、数々の映画のラブシーンが走馬灯のように流れる。
    あれは、トルナトーレの映画への愛を表したものとだけ思っていたが、ひょっとしたら彼の人生観を表したものでもあったのではないだろうか?

  • おそらく日本での本格的な評伝は初なのでは。フェルナンド・ペソアの誕生から死までが語られる。もちろん詩人本人は(というか異名者カエイロが)「わたしが死んでから 伝記を書くひとがいても/これほど簡単なことはない/ふたつの日付があるだけ生まれた日と死んだ日/ふたつに挟まれた日々や出来事はすべてわたしのものだ」とは書いてはいるのだけれども。ペソアの「異名者」=平野啓一郎の「分人」に通ずる、という見方にはなるほど、と。Twitterの別アカに例えている人もいたなあ。「不安の書」などを読んでいると、ペソアはリスボン帰還以来、商業翻訳で日々の糧を得ているが、それ以外はひきこもりで友人も恋人もほぼなく、ただただ夢想し、詩作を続けていたようなイメージを持ってしまいがちだが、どうしてどうして。二度の出版社起業と挫折。友人たちとの交友。婚約までいった女性との手紙ややりとり(異名者カンポスが、ふたりの関係を邪魔した。オフェリアに、カンポスがペソア批判でいっぱいの手紙を書いた…って異名者もペソアじゃないの?と普通なら考えてしまうが)。新聞への積極的な政治発言。雑誌の創刊。そしてコカ・コーラのためのコピーライティングまで(これはなぜか当局に目をつけられて以降50年間ポルトガルにコカ・コーラが入ってこないい事態に)。ときに神経を病んで停滞する時期もあったけれども、なかなかに活発で活動的な一面もあわせもっていたんだなあ、というのがわかっておもしろかった。◆絶筆は、鉛筆書きの英文I know not what tomorrow will bring.(明日が私に何をもたらすかは知らない)。生前、詩集を一冊刊行しただけだった詩人は、現在、こんなにも世界に名が広がり、極東の島国で日本語の評伝が出版されるだなんて、きっと思っていなかっただろうなと思いつつ。◆ウジェーヌ・グリーン監督「いかにしてフェルンド・ペソーアはポルトガルを救ったか 2018年 27分◆ペソアを響かせてるという、ファドが基調のアレシャンドラ「テラス・ド・リスコ」あたりは観たり聞いたりしたい。

  • ペソアとは「誰」だったのだろう。たくさんの異名(別名義)を使い分け、多作を示しつつ同時に忘れがたい大部の『不穏の書』を記してしまった男。孤高のたたずまいを示すこの人物を、澤田直は豊富な資料も然ることながら実に情熱的で精緻な読解を駆使してほとんど丸裸にしてしまう。そこから見えてくるのは実にスットコドッコイというかなんというか、恋をしては空振りに終わったり詩を書いては未完に終わらせてしまったり、到底取り澄ましたところのない男の姿だ。そんな、ある意味発達障害的なスットコドッコイさこそ逆に読者を惹くのかもしれない

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/572809

  • ポルトガルの詩人

  • 記録

  • 武蔵野大学図書館OPACへ⇒https://opac.musashino-u.ac.jp/detail?bbid=1000260071

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著者プロフィール

澤田 直 ⽴教⼤学教授。著書:『〈呼びかけ〉の経験──サルトルのモラル論』(⼈⽂書院)、『ジャン=リュック・ナンシー』(⽩⽔社)、『サルトルのプリズム──⼆⼗世紀フランス⽂学・思想論』(法政⼤学出版局)、訳書:サルトル『真理と実存』『⾔葉』(以上、⼈⽂書院)、ペソア『新編不穏の書、断章』(平凡社)など。

「2023年 『はじまりのバタイユ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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