書楼弔堂 霜夜 (書楼弔堂)

  • 集英社 (2024年11月26日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (520ページ) / ISBN・EAN: 9784087718768

作品紹介・あらすじ

古今東西の書物が集う墓場。
明治の終わり、消えゆくものたちの声が織りなす不滅の物語。

花も盛りの明治40年――高遠彬の紹介で、ひとりの男が書舗「弔堂」を訪れていた。
甲野昇。この名前に憶えがあるものはあるまい。故郷で居場所をなくし、なくしたまま逃げるように東京に出て、印刷造本改良会という会社で漫然と字を書いている。そんな青年である。
出版をめぐる事情は、この数十年で劇的に変わった。鉄道の発展により車内で読書が可能になり、黙読の習慣が生まれた。黙読の定着は読書の愉悦を深くし、読書人口を増やすことに貢献することとなる。本は商材となり、さらに読みやすくどんな文章にもなれる文字を必要とした。どのようにも活きられる文字――活字の誕生である。
そんな活字の種字を作らんと生きる、取り立てて個性もない名もなき男の物語。

夏目漱石、徳富蘇峰、金田一京助、牧野富太郎、そして過去シリーズの主人公も行きかうファン歓喜の最終巻。

残念ですがご所望のご本をお売りすることは出来ません――。


【目次】
探書拾玖 活字
探書廿 複製
探書廿壱 蒐集
探書廿弐 永世
探書廿参 黎明
探書廿肆 誕生

【著者略歴】
京極夏彦
きょうごく・なつひこ
1963年生まれ。北海道小樽市出身。
日本推理作家協会 第15代代表理事。世界妖怪協会・お化け友の会 代表代行。
1994年『姑獲鳥の夏』で衝撃的なデビューを飾る。1996年『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞長編部門、1997年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花文学賞、2000年 第8回桑沢賞、2003年『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、2004年『後巷説百物語』で第130回直木三十五賞、2011年 『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞、2016年 遠野文化賞、2019年 埼玉文化賞、2022年 『遠巷説百物語』で第56回吉川英治文学賞を受賞。

感想・レビュー・書評

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  • シリーズ第四弾。

    古今東西の書物が集う、“書物の墓場”〈書楼弔堂〉を巡る“探書”譚、連作六話が収録されております。

    朝(破曉)→昼(炎昼)→夕(待宵)を経て、ついに夜(霜夜)という事で、お気に入りだったこのシリーズも本作で完結との事で寂しい限りですね・・。

    本巻は、信州から上京して〈印刷造本改良会〉という会社で活字の創作をしている甲野さんを主役として、彼が各話で〈弔堂〉を訪れるたびに遭遇する、歴史上の人物と〈弔堂〉主人との問答を通して、自身が作る「活字」というものに向き合っていく流れなのですが、とりわけ「出版」に関する談義が多かったこともあって、本好き・・いえ、本が"大好き"な私としては非常に興味深く読ませて頂きました。

    本そのものが希少だった時代から、市井に書物が広がりだし、活字・印刷・製本技術や流通の発展によって本が手に取りやすくなり読書人口も増えてきて・・という本を巡るあらゆる繋がりを思うと、今自分が気軽に読書を楽しめている環境に、先人たちの貢献があったのだなぁ・・と感謝が湧いてきますね。

    登場したお歴々も、夏目漱石をはじめ、金田一京助、牧野富太郎・・等々豪華でしたし、シリーズ一作目に登場の高遠さんをはじめ、各巻の主役の皆さまも登場するという、まさにフィナーレに相応しい内容でございました。
    因みに、キャラということでは、甲野さんの下宿の"元浪花節語り"の親爺さんがいい味出ていて、個人的に好きでしたね。
    (京極さんの文体って、歯切れのいい江戸弁と相性バッチリだと思うんです~)

    という訳で、本好きなら一度は訪れてみたい〈書楼弔堂〉という、夢の書物蔵(ご主人は"墓場"というておりますが)を舞台とした「深イイ話」を堪能させて頂きました。

    またいつか、〈弔堂〉の主・龍典さんや、撓(しほる)くんに再会できたらよいな・・と思いつつ本書を閉じた次第です・・今までありがとうございました。

  • ものすんごく面白かった、面白かったが、、
    これでおしまい(号泣)。悲しい。
    京極先生、、長らく続いていたシリーズを次々と畳んで
    どないするん?新シリーズ開始してくれるんだとありがたいが、、
    ていうか、弔堂めちゃ好きだったのに、、(涙)

    最終巻は、本そのものの在り方を考えさせられる。
    『本好きの下剋上』的な面白さもあり
    いつものごとく歴史蘊蓄も大変キラキラ
    有名人も多数出てきてアガる。
    夏目漱石、徳富蘇峰、金田一京助、
    牧野富太郎、そして過去シリーズの主人公たち
    あの有名人たちが全員弔堂に通っていた(笑)

    黙読、それは
    脳内を旅するファンタジー
    私などからすると、
    ほぼ100%識字率も
    黙読も物心ついたころからの”常識”であるが
    明治時代というと、男子で50%超、女子30%ぐらい
    寺子屋での音読
    「し〜のたまはく〜〜〜」のイメージ。
    そんなどころか、
    私の親世代でも、字が読み書きできない人は結構居たらしい。
    今の代書屋とか右筆というと、
    ややこしい作法の公文書作成とかする人という感あるが、
    文字を代わりに書くという職業が成り立っていたんである。
    ヴァイオレット・エヴァーガーデンの自動手記人形を思い出してしまうが(笑)
    話はめちゃくそそれたが、
    本書では、出版事情が劇的に変化した時代。
    鉄道の発展で、移動中の読書が可能になり、黙読の習慣が生まれ、
    黙読の定着は、読書の愉悦を深くし、読書人口の増加に貢献する。
    本ビジネスが生まれる。
    日本活版印刷へ移行していく時期。
    そう、活版印刷は1400年代にできたが、
    日本での活版印刷は、文字数の多さと、くずし字が活版印刷では不可能なことから
    発明された当時は入ってこれず、
    文章まるごと彫るスタイルの凸木版が主流であった。

    ※活版邦文字が全くなかったわけではない、家茂の頃には一応できていた。
    ただし、一般的に商材になるものではなく、アカデミックなものに限られた。

    これをなんとかするのが、
    活版に向く日本語の”フォント”、活字の発明なのである。
    その活字を作ろうとする男と
    サポートの弔堂、弔堂で出会う人々、
    京極節の会話で進んでいく話。


    これが今生のお別れに御座います。大変、お世話になりました。

  • シリーズ最終巻。明治時代の15年間における本と人の出会いの集大成でした。
    変わりゆく時代の中で、本に魅せられた人々が徐々に内省しながら道を拓いていきます。
    今回の語り手は活字を作る青年。代々の語り手も登場して最終巻に相応しい内容でした。
    本が作られていく過程を事細かに説明し、現代に繋がっていく様子がわかります。あまり意識したことないところへのこだわりが書籍の発展に大きく貢献し、誰でも不自由なく読書ができる時代に受け継がれていくことを感じました。

  • シリーズ物の良さで、今までの登場人物たちがたくさん出てきて嬉しかった。弔堂第一部完みたいな終わりだったけど、続いて欲しいな。
    古書店って作家さんからすると自分の作品が新品で買ってもらえないとか印税が入らないとか色々問題があるだろうに、それでもその役割についてここまで好意的に書くのは流石だと思う

  • 破曉、炎昼、待宵と続いて最終巻の霜夜。全巻読んでいたのに朝昼夕夜の構成だったと初めて気づきました。フィナーレらしく、今まで出てきた人が次々と現れたのは嬉しかった。時代がどんどん変わって、書物を取り巻く環境もいつのまにか出会うものから選べるようになっていた。そして弔堂の火事。そもそもこの世の人なのか分からない主人が北の方へ旅立ったということは、またどこかの本でふらっと現れるのかもしれない。

  • 終わっちゃうかぁ。そうよね。
    でも、もうすこし、この世界に浸っていたかったな。

    モノクロの画像や史上に残されたエピソードくらいでしか知らなかった明治期の名士たちに、色が声が魂が吹き込まれ、いま、まさに隣で喋っているような、そんな世界が味わえるのが、この作品の良き点の一つ。

    毎巻変わる主人公たちが、変動最中の日本で、静かに右往左往しながら腹を決めていく様を見届けていけるのも良き点。

    そしてやはり、本好きなら一度は辿り着きたい、あの簾をめくって薄暗がりに入って息を呑んで見上げてみたい、叶うことなら自分の一冊は何なのか試しに聴いてみたい。

  • 大好きなシリーズの最終巻。この世界の空気に浸るのが大好きだった。超然とした世界に行ける気がした。
    「いつまでも変わらないのはまやかし」、「同じ状態を維持するためには常に変わっていないといけない」…その通りではあるけど、それこそ寂寥感で胸がいっぱい。やはりさみしい。

  • 弔堂シリーズの最終4冊目、「書楼弔堂霜夜」
    ここ数年かけて少しずつシリーズを読んできたけれど、これまでの語り手や弔堂の客が登場していて、まさに最終巻たる豪華な内容だった。

    今回の語り手である甲野は「印刷造本改良会」で活字を生み出す仕事を任されている。活字一つをとっても現代では当たり前のようにあるけれど、どんな文章にもなり、読みやすい文字の発明は読書の普及に大きく寄与している。
    物としての本がどう作られ、流通し、一般に読書が広まって楽しめるようになっていったかに思いを馳せる。読書ができることの奇跡と先人たちの仕事に感謝の気持が灯る。

    これまでの語り手の中で「炎昼」の塔子は出てこないのかなと思っていると、最後に登場して一番かっこいい&颯爽としていて、大人になった塔子さん、素敵だなぁと思った。
    弔堂の主人、龍典さんは最後まで年齢不詳だったな。その人の一冊を見つけ、本を弔い続けてきた龍典さん、お疲れ様でした。またどこかで会えそうな気がしてしまうのは私だけ?

    変わっていく時代を何とか生き延びるため、本を読む幸せ、読書の愉しみがこれからも受け継がれていってほしい。

  • 至福の読み心地。

    過去に京極夏彦作品を読んだときの、とにかく読みづらかったという印象が強くずっと避けていた。
    今回「読者による文学賞スピンオフ」の選考委員となり、担当作品を選ぶにあたって自分が普段読まないものを指名させてもらったが、いやはやこれは面白い!!

    「書楼弔堂」…しょろうとむらいどう、と読む。
    明治の終わり頃、町外れにある書店はその名のとおり一風変わっている。どう変わっているかはこの本の中でじっくりおいおいと。

    書楼弔堂シリーズの完結編。だが、この作品だけでも十分に楽しめたし、ここから遡ってシリーズ前作を読んでいくのもありだなと思った。

    「読みたい時に読みたいものが読める、それが何より大事」の言葉が心に響く。
    本というものが様々な角度から書かれている。

    すべての「本好き」にオススメしたい本。

  • <好>
    字が大きく太く適度に行間も空いていてすこぶる読み易い。出来れば全ての文芸書をこの本の様な装丁(で いいんか?)にしてくれないだろうか。値段も本の厚みの割には2300円 と結構お買い得感を醸し出しているぞぉ。でも中身が面白く無ければ本末転倒。そんなことは分かっている。僕にとって京極作品は今風に言えば鉄板。ショーワ風に言えば「間違い無し」ってやつなんで躊躇は皆無!(ちゅうちょっ て字 こんなに難しいんかい。パソコンくん以外は書けねぇじゃん)

    しかし本当にヤバイのはこの本の題名が読めない事。笑う。「しょろうひどう?」わぁ。マジで読めなねぇ!笑う。 あ,Shorou tomuraido- ってローマ字が書いてあった。さて…所望 なんだやっぱ分かんねえじゃねえか。クソ! じゃこっちを先に とむらいどう 弔い同 うーん。一個づつ 「弔堂」よし!! さて しょもう でなくて しょろうShoro-だった。初老と所労しかねぇじゃんか。進展なし。書と楼で!「書楼」っと。ようやく完成『書楼弔堂』 ははは,こんな感想文あるか!って。無い!笑うう馬。

    京極ハンの本を読んでいると僕が普段使っている言葉に見たことも無い漢字が充てられていて驚く。早くも本文17ページ「『とても』億劫な気分になる」この漢字にはフリガナが付いていたので読めた。が変換はできない。今までに出会った京極文字使いの多くはPCで割と変換できたのだが今回はちょっと手ごわい。さてそうすると今までならマウスで手書き入力で…とやっていたのだが,今回はAiに頼ってみる事にした。

    …すると「『とても』は漢字で書く言葉ではありません。バカな事を言ってると風邪ひきますよ(笑)」と言われた。応えたAiはいつも慣れ親しんでいるGeminiである。さてどうする。この感想文にここまでで ”中という字の左側に二点しんにょう” を書いて「とても」と読ませる漢字をまだ書き表せていない。さぁいよいよ手書き入力だ。

    と,そんな難しい字ではないのですぐに描けて見つかった。ほれ『迚』やはり「とても」と読む字らしい。京極ハンは一体にどこからこういう類のモジを探してくるのだろう。そしてそのうちこういう字ばかりをまとめてウンチクを書いた分厚い文芸書を書いて出しやがりそうな気がする。そうなると僕としては読まねばならないのだろうなぁ。でもどう考えても面白い本ではなさそうだなぁ。ああ,気が滅入るわぁ。笑うう馬。

    あ,今度は日常使ってる言葉ではないけど初めて見る字が出て来た。読んでも意味はわからない。31ページ「操觚者:そうこしゃ 」もちろん変換は不能。さてどうする。又も AI Geminiに訊いてみた。今度は明確な答えがあった。以下By Gemini ”新聞における「そうこしゃ」は、通常 「操觚者(そうこしゃ)」 と書きます。これは、文章を書くことを職業とする人、特に新聞記者、ジャーナリスト、文筆家などを指す言葉です。

    (By Gemini続き)「觚(こ)」はもともと書き物をするときの道具を指す言葉で、「操る」は扱うという意味です。つまり、「筆やペンを操って文章を書く人」という意味から来ています。新聞においては、記事や論説を書く記者や論説委員などを指すことが多いです。やや硬い改まった表現として使われます。” うーむ上手くまとめているし良く分かる。AIって色んな事が分かって面白いけど僕は読書に時間が掛かってしょうがない。感想文に至っては言わずもがな,である。あ元々僕の感想文は 長過ぎ=書く時間掛かり過ぎ,だけど。

    西洋東洋という言葉があって東洋とは日本や中華国のこと そして西洋とはヨーロッパ諸国の事だと考えると…で 世界地図をじっくり見る。うーむ西洋東洋と云った場合その中心はどうやらアフガニスタンやパキスタンですねぇ。そうです始まりは…スタンなのですわ。だから標準のことをスタン ダードという…あはは笑う。西洋東洋と云う言葉を最初にっ使ったのは…スタンさんなのか。うーむうーむである。

    色々自然科学的取り決めから北と南は普遍的であって変えようも疑いようもないのであるが東西は主たるものがどこにいるかで様々に変わってゆく。アメリカ西部は日本から見ればはるか東にあるし…という具合に。だから「西洋東洋」という云い方も絶対にどこかに主体があるのだ。そして現在の世界地図を見限りそれはイスタンブールあたりなのである。

    ところで各章の章題の前に「深書拾玖」などと書いてある。どうやら「たんしょじゅうきゅう」と読ませる様子だ。そして次章は「深書〇」。〇はPCスマホでは書けない。甘い という字のマスの中真ん中の横棒が無い字である。でも読みは僕には分かる。これ一字で「にじゅう」である。だから次は にじゅういち 「〇壱」と京極ハンは書いている。そして続いて「〇弐」。本書 色々と字について書いているが,ここは完全に京極ハンの独走だ。だって 甘いの横棒が無い字は再現不能なんだもの。これも本書お題の「活字」なのだろうか。やれやれ。

    先述の様に本書のテーマは『活字』だと読み取った。活字はそれこそ随分と前から馴染み深い言葉だがその意味を考えた事があまりなかった事に本書で気づかされた。結。活字とは自由な文章である。なに,意味わからんって。そうね。活字とは文章のどの位置にでも自由に登場できる文字の形態なのである。むろん反対語は「手書き」。もしくは本書によると版画や版字なのだろうと思う。つまり刷るそのページ全体が一度きりの版で終わってしまうのではなく,活字を使えば何度でも再現できるのだ。なに,余計に分からんって。じゃあこの本を読みなさい。

    本書に出てくるその例をちょっと偏っている内容だとは思うが そこはほれ京極ハンのことだかあきらめて書き記す。『馬と云う活字は 流鏑馬 にも 馬関 にもなれる!』それぞれの意味解説。「流鏑馬」は…うーむかなり難しく全部はとても長いので以下簡潔に。走る馬の背から矢を射る事。「馬関」は山口県下関の事。。。え!?あまりに二つの言葉の意味がジェンル違いだし関連性が無さすぎると思うが,そこもホレ京極ハンの事だからしょうがない,と思える。得じゃのう京極ハンは。笑うう馬。

    その活字の対極にある『版画』についての興味深い件り がある。歌川廣重『東海道五十三次』と 葛飾北斎『富嶽三十六景』について語られている。ここで突然僕の興味はもしこれらの版画の本物(江戸の当時に刷られたもの)が もし有ればそれらは一体いくらぐらいの値が付くのだろう という事。で再びAI Geminiに訊いた。手を変え品を変え,いや訊き方を色々変えて散々に試したが毎度のごとくのらりくらりと能書きばかり垂れて 結論は無かった。値段はともかくこれら作の本物の版画は果たして現存するのだろうか!?

    『競取り』せどり,という生業の事が書かれている。そう本の話でもあるので現在で云う『背取り』とほぼ同じ生業の事だ。要するに古本を安く仕入れて高く売る事,だと僕は考えている。現在はそのやり方が古書店などの棚の本の「背」を見て取り出して…という行為から『背取り』と呼ばれるが京極氏はそれを『競取り』と言い換えている。果たしてそっちがオリジナルなのかどうかは面倒なので僕は調べない。すまぬ。最後半でも再度語られる。が,そこでは何故か「せどり」とひらがな書きなのである。うーむ猿も木から落ちたか。

    明治維新のことを『御一新』と読んでいる。僕としては初めて聞く。でもどうやらその云い方は普通にあるらしい。いつも独断の過ぎる雰囲気を持っている京極ハンにしてはめづらしいことだ。維新も一新も正しいなら維と新は同じ意味だという事になる。これは…あ,もうめんどくさいしキリがないのでこれ以上の探索はやめる。京極ハンのウンチクに真っ向から立ち向かうと ものすごく疲れるのだ。

    ところで,カオス(混沌)の反対語はコスモス(秩序)だと知っていましたか。いや漢字での意味ならば当然ご存じでしょうが。モンダイは片仮名表記の「コスモス」というやつです。え,マジかっ と僕は思いました。秋花のコスモスではなく「宇宙」という意味でしょう。 え,違うって。じゃあ何なのか教えて下さい。僕はもう疲れてしまってこれ以上は調べたくない。生成Aiに訊くと早く分かる場合もまあ有るけど,基本奴らは一発ではこちらの思っている答えにはたどり着けなくて やはり疲れるのだから。

    そう云いながら気になる事が次から次へと出て来る。皆様は「素封家」と「金満家」の違いは分かりますか。で,目づらしく Geminiがそこそこ分かる答えを示したのでここにコピペする。面倒なので全部する。従って非常に長い。皆様 もちろん読まなくて良いです。(まあ興味あれば読めば 結構面白いけどね。笑う)

    【以下 生成AI Geminiの発言】 素封家(そほうか)と金満家(きんまんか)は、どちらもお金持ちを指す言葉ですが、ニュアンスに違いがあります。
    『素封家』
    先祖代々からの財産を持ち、社会的な地位や名誉もある程度備わっている人を指すことが多いです。
    お金だけでなく、家柄や地域社会への貢献なども含めた、総合的な意味合いを持つことがあります。
    質素倹約を美徳とするなど、表面的には派手さがない場合もあります。
    例:「彼は地域の素封家として知られ、長年学校の運営を支援している。」

    『金満家』
    莫大な財産を持ち、贅沢な暮らしをしている人を指すことが多いです。
    一代で財を成した新興の富裕層を指す場合もあります。
    お金を持っていることが強調され、社会的な地位や名誉については必ずしも問われません。
    派手な生活ぶりや成金をイメージさせることもあります。
    例:「彼は一代で財を築き、今や誰もが知る金満家だ。」
    簡単に言えば、素封家は「由緒あるお金持ち」、金満家は「お金をたくさん持っている人」というニュアンスの違いがあります。


    さて,僕は「すこぶる」という言葉を時々使う。浅田の次郎吉親分の著書の影響なのだが,本書ではその すこぶる を漢字で書いてある。初めてお目に掛かる。 『頗る』だそうだ。なんだ割と簡単に変換出来るではないか。でもまあ読めんわな。だから すこぶる で正解である。 頗る,なんて書くのはもちろん京極ハンだけなのである。笑うう馬。 同様に『等閑』:なおざり についても学んだ。これも初めて。まあこれも漢字書いてもまづ読めんわな。更に いやらしさ『鄙しさ』 生臭さ『腥さ』。どうだっ!これはそう簡単には変換できんぞ。笑う馬。

    最後に僕のHNハンドルネェム「りょうけん」についても貴重な記述があるので,本文478ページから引いて意見しておく。 「ですからね,お金を出して買ったのだから読まなければ損だとか,短い時間で読めたから得だとか,そんな料簡では良い読書は出来ませんのよ」 ほらね 料簡:りょうけん とは常に悪い言い廻しの時にしか使われないのですよね。りょうけん と云えば悪い例。やれやれ。まあこんなにも長い感想文書いちまう迷惑な奴が良い料簡の筈は無いっすよねー。誠に す まんこ ってすぅ すこすこ

  • 本好きにとって、今編は大変勉強になりました。
    そして、活字、書のみならず、芸術の変遷が上手く弔堂と絡みなにか大切なものを気付かされた思いでした。

    これでシリーズは完結なのか、現代編や未来の話が形を変えて作られるのでしょうか?
    京極さんの創作を楽しみにしたいと思います。

  • あー、もう龍典さんには会えないのだろうか。貴殿をはじめ、弔堂をめぐる人人には様様な真髄を伝えてもらった。今回は、初代迷える凡人高遠彬の下で働く名もなき青年甲野昇が書楼を訪ねる。確かに書籍の活字は時代を経て妙な個性がなくなり、読みやすくなった。地道な改良が続けられているんだね。紙質に然り。汎用性と永続性のせめぎ合い。「同じ状態を維持するためには常に変わっていなければいけない」か。天馬さん、凄い成長した。弥蔵さん、おからだ大切に。貴方の頑固ぶり好きでした。鶴田くん、弔堂なくなっても休み処茶屋が続きますように。

  • 本 本 本 本 本 本 本 本 本 本
    言葉 言葉 言葉 言葉 言葉 言葉 言葉

    人がいて
    言葉ができて
    文字ができた
    紙ができて
    墨と筆ができた
    そして本があらわれた

    今 言葉は 電子の波に 揺蕩い始めている
    「本」の形か好きなのだけれど
    紙は、本は、言葉は、どこへいくのだろう

  • 「新刊書店でも古書店でも図書館でもいい。私達は本と出逢うことが出来るようになった。これまでと違い、確実に出逢い易くなったのです。」
    その仕組みはさらに発達し、確かに今は「手の届くところに本が在る」。しかし、残念なことに、本は商材としての側面が強くなりすぎてしまったように思う。残された過去や、記憶も、経済的な価値がないとみるや、無駄と切り捨ててしまったりする。営利目的ではないはずの図書館においても、数字で表せないものは価値がないと判断されることがあるようだ。
    「世に無駄なものなどない。それを無駄にする愚者が居るだけのことに御座いますよ」
    この言葉を噛みしめてこれからも頁を繰ろう。そして、本の中に記されることはない営みではあるけれど、塔子のように日々の暮らしも物語を読むように楽しむこととしよう。

  • ストーリーとしても面白かったのに加えて、明治期の製本における様々な苦労・工夫(活字の事、紙の事など)についても、垣間見る事が出来て良かった。読書する時にいちいち気にはしてないけど、活字の漢字の横棒一本一本に拘っていた人がかつて実際にいたんだろうと思うと、凄い事だと思う(気にせず読書できるような字体こそが活字としては理想的なんだろうから、それでいいんだろうと思うが)。本の形態・普及の形式も、今後変わっていくのかもしれないけど、紙の本も残っていて欲しいと思った。
    今回で書楼弔堂のシリーズが完結。時間があればまた破暁から読み返したいとも思うけど、1冊がそれなりなボリュームでもあるから、実際むずかしいのだろう。

  • シリーズ最終巻。
    今回の語り手は活字のデザインをする青年で、彼の目を通して本の物理的な側面や流通などの変遷が語られる。本といえば内容についてばかり考えがちだが、本を作り人々の手に届ける過程に携わる人々の思いや苦労について考えさせられた。過去の語り手たちのその後も描かれていて、シリーズ最終巻にふさわしい終わり方。

  • 本作は文章の美しさ、構成の良さ、知識の学び等評価する人がいる一方、こんなに退屈なすぐさじを投げてしまいそうな作品は無いと思う人もいるだろう。

    個人的には前者に近いが、流石にエンタメ性や読んでて区分は高揚するようなことは無い。

    作者の感じるままを只読んでるだけ。

    文章が兎に角美しいので、それだけで読み進める事の出来る稀有な作家。

  • 年の瀬に読めて良かった1冊。
    2024年の締めくくりに出会えて良かった、
    読むのを来年に先延ばししなくて良かった…

    個人的なコトにとても絡んできた各話のテーマ。

    最後はやっぱりなんだかもの悲しい。
    これは京極さん作品を読んで毎回思う。笑
    スッキリするのに何処か寂しい感じ…

    読書、これからも自分なりに楽しみます!

  • 全てのシリーズを読み終えたが、また最初から読み返したくなった。

  • 3冊で完結かと思っていたので、4冊目が出て驚きました。今回は信州から東京に出てきた、甲野さんという青年を語り手とした作品でした。
    現在手軽に入手できる本が、今のような形になる裏側には、各工程に関わった先人たちの工夫や苦労があったと思うと、より本が愛おしくなりました。
    その一方で時代の流れにも触れていて、電子書籍が今後どうなってゆくのか考えさせられました。
    個人的には、紙の書籍の方が好きですが、いずれそれは贅沢な楽しみになってしまうのかなあ。

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著者プロフィール

京極 夏彦(きょうごく・なつひこ):一九六三年北海道生まれ。九四年『姑獲鳥の夏』でデビュー。同作を含む〈百鬼夜行〉シリーズで人気を博す。九六年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞。その後も泉鏡花文学賞、山本周五郎賞、直木三十五賞、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞を受賞。〈巷説百物語〉シリーズ、〈豆腐小僧〉シリーズなど著書多数。

「2025年 『東海道綺譚 時代小説傑作選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

京極夏彦の作品

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