ダロウェイ夫人

  • 集英社
3.81
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本棚登録 : 87
レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087732986

作品紹介・あらすじ

人生のただその「瞬間」に飛び込んでゆきたい…死と生のよろこびにみちた、六月のロンドンのように美しい小説。世紀末から1920年代の英国の精神風土をえがきながら、「意識の流れ」の文体で、老いゆく女性の、あるいは老いゆかざるをえない人間の悲哀を、生命力にみちた六月のロンドンを背景に、美しくうたいあげた、20世紀文学の最高傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 3度目くらいの通読。
    前と違うのは、【ダウントン・アビー』をラストまで見通したおかげで1920年代のロンドンをまるで知ってるかのように思い描けること、ほして、私がクラリッサとほとんど同じ年齢になったこと。
    有力者の昼食会に呼ばれなかっただけで落胆するとか、娘との間に感じる距離と焦りとか…わかる、わかるよ、クラリッサ! そして自分が物事を感じる心を擦り減らして鈍くなっている恐れも。
    彼女が最後に自殺するように記憶違いをしていた。映画の『The Hours』と混濁したわね…これも加齢だ。
    この本の装丁、とても好き。単行本で買っておいてよかった。

  • 六月の朝のロンドン。ビッグ・ベンの鐘の音が聞こえる。柔らかなヴェールのような灰白色の朝の空気の中に、クラリッサ・ダロウェイは飛びこんでゆく。今夜の夜会のための花を買いに。大戦は終わり、街は活気をとりもどしている。ウェストミンスターからセント・ジェイムズ公園へと歩を進めるクラリッサの目や耳に飛びこんでくる街の喧噪、馬車や自動車、ブラスバンド、辻音楽士の手回しオルガンの音――「このすべてのなかにわたしの愛するものがある、人生、ロンドン、六月のこの瞬間がある。」

    夫のリチャードは下院議員、今夜の夜会には首相も顔を出す。五十歳を過ぎ、クラリッサの髪にも白いものが目立つようになったが、魅力は相変わらず。彼女の生きがいは、人と人とを結びつけ、楽しい時間を与える夜会を催すこと。古い友人のピーター・ウオルシュはクラリッサを評して完全無欠の女主人になる素質があるといったものだ。

    そう、クラリッサは人生をロンドンを、人々を愛している。しかし、その一方で、彼女の心の中には死の想念がたえず浮かび上がってくる。「自分が外に、岸から遠く離れてひとりぼっちで沖にいるという、そんな感じにたえず襲われる。一日だって生きていくのは、ほんとうに、とても危険なことだ」「自分がいつかかならず跡形もなく消え失せ、その後もこのすべてがいままでどおりつづいていくとしても、どうでもいいことではないか?べつに腹立たしいことではない。」

    自分の周りにあふれる生き生きとした人々の生活を愛しながら、その一方で、自分の存在がなくても、これらは存在するだろうという覚めた認識がいつもつきまとう。それらが活気に溢れ、愛おしく思えば思うほど、自分はそれらから切り離されているといった感じがせまってくる。かつて、ブアトンの家で一夏をともにしたサリー・シートンのことを思い出す。彼女が一つ屋根の下にいることを考えると「いま死ねば、この上なく幸福だろう」と感じたのだった。あまりにも愛しすぎるから、そのひとときの過ぎ去るのがこわい。ピーターの求愛を退けたのも同じことだ。あまりにも、自分にとって近しすぎるから、長く続くことで、その関係の毀れるのを怖れずにいられない。

    誰かを愛し、ともに生きていくということは、長い間には、時には憎んだり、傷つけあったりすることを避けては通れない。信じるということの裏には疑いが、賞賛の背後には嫉妬が、コインの裏表のようにはりついているものだ。クラリッサは、美しいもの、よきものを愛するがゆえに自分のなかにもある、醜いもの、つまらないものをいつも抑圧して生きている。「それが私の自己(セルフ)なのだ。―とんがった、投げ矢のような、明確な自己。意識的な努力によって、自己になれという呼びかけによって、いくつかの部分が統合されたときに現れる自己。それがいかにほんとうの自分と異なるか、それと矛盾したものであるかは、わたしだけが知っている」。

    このような努力を常に自己に強いていれば、無意識の裡にその努力から解放されることを要求する欲望が育っても不思議はない。狂気か死か、いずれにせよつくられた自己から解き放たれ、ほんとうの自分にもどれるきっかけを心の奥底で必死に追い求めながら、つくられた完璧な自己を生きるという矛盾した毎日を送るクラリッサの心を誰も知らない。良き夫であるリチャードも、いつまでたっても大人にならないピーターも、家族には優しいが典型的な俗物であるヒューも。いまや肥った資産家夫人となったサリー・シートンも。

    人好きのする自分の像が、意識的な努力の成果であるなら、努力を止めれば、その像は汚され地に落ちてしまう。セプティマスの自殺を聞いたとき、クラリッサの心の中に起きる共感「一日一日の生活のなかで堕落や嘘やおしゃべりとなって失われてゆくもの。これをその青年はまもったのだ。死は挑戦だ」という思いは痛切だ。事実、モダン・ライブラリー版への自序のなかで、ウルフは、初稿ではクラリッサが死ぬはずであったと打ち明けている。セプティマスが代わりに死ぬことで、クラリッサは生き続けてゆく。「もはや恐れるな、灼熱の太陽を」というシェイクスピアの詩を口ずさみながら、夜会の席にもどってゆくのだった。

    人は成長するにつれ「青春時代の勝利感をなくし、一日一日過ぎ去ってゆく生活のなかに自分を見失」ってゆく。大人になるためには捧げ物がいるのだ。しかし、窓の向こうの空を見て「あそこにわたしの一部がある」と感じることのできるものには、それでも「なお日がのぼり日が沈むときに、失ったものを見いだし衝撃的な歓喜をおぼえる」こともできる。それでよし、としようではないか。

  • たった一日のうちに、まるで水泡のように浮かんでは消えていく記憶や遠い憧れ、出会っていたかもしれない誰かとのすれ違い。そのひとつひとつが取り戻せない時間のなかにある、ということを教えてくれる小説。

  • 1923年6月の瑞々しいロンドンを舞台に、様々な人々の思いが交錯する。
    若い人は今や未来に思いを馳せ、成熟した人々は過去を回想する。その甘美な青春が眩しかった。
    うつくしい小説。

  • いまいち入り込めず。

  • ひとりの女性のゆっくりと流れる一日の物語。神経の細い主人公の感覚が繊細に描かれている素晴らしい小説です。思春期の多感な時期にこの本と出会いました。今でも大切な本です。

  • 別訳で再読。

  • 読み終わるのに時間がかかりました。まったく章立てなし。文章はだらだら続き、次々と登場人物の内面が独り語りされていきました。クラリッサの家で政治家などが集まるパーティがある日の朝から1日の話。パーティに参加する者のパーティ参加前と最中、主催する側の準備前と主催中に人の気持ちが大変な振れ幅でもって会いたい、会いたくない、パーティやりたい、やりたくないに動いていく様を読み手はずっと追っていった具合です。元の彼氏のピーターの存在はもとより、クラリッサの娘エリザベスの家庭教師の心理描写が良かった。印象に残った登場人物です。2011年1冊目。

  • 映画「巡りあう時間たち」を見て、中井先生のブログを見て、読んでみようと思った本。
    長かった―(笑)

    自由間接話法によって、ある1日があらゆる視点から語られる本。
    この「自由間接話法」ってやつ、”weep not child” でも出てくるんだけど、どうも苦手。誰の気持ちなのか、いつの考えなのか、かなり頭使いながら読まないと、話が見えなくなる。特に日本語文だと、なんだか不自然な気がしてね。きっとこの本は原文で読むときれいなんだろうなーと感じた。

    でも、本の中には、生きるとは、幸せとは、それを日々考え続ける人たちがわんさか。同じ出来事が、人が違えば捉え方も違う。よくこんなにもたくさんの視点を生み出したなーって。

    一つ教養になりました。

  • つまらないといえばつまらない。かといっておもしろわけでもない。視点の変わったモノローグが次々と繰り出され、互いが微妙にリンクしあう、そんな感じ。

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著者プロフィール

イギリスの作家。1882年ロンドンで生まれる。作家・芸術家・批評家のサークル〈ブルームズベリー・グループ〉に加わり、1915年、第一長篇『船出』を発表。〈意識の流れ〉の手法を用いた『ダロウェイ夫人』(25)、『燈台へ』(27)、『波』(31)で先鋭的なモダニズム作家として高い評価を得た。1941年、『幕間』(没後出版)の完成原稿を残して入水自殺。

「2020年 『フラッシュ 或る伝記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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