慈しみの女神たち 上

  • 集英社
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本棚登録 : 162
レビュー : 5
  • Amazon.co.jp ・本 (560ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087734737

作品紹介・あらすじ

筆舌に尽くし難い、恐るべき歴史はいかにして起こったか-わずか38歳の著者が、驚異的な知識と比類ない想像力で挑む。小説の域を超えたリアルさで世界的絶賛を浴びた、ナチ親衛隊将校の物語。2006年ゴンクール賞、アカデミー・フランセーズ文学大賞W受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 元ナチ親衛隊将校の一人語りによる、戦争と自身の歴史の告白。
    自らがどのようにナチ将校となり、どの戦線で何を見たのか、(おそらくは)膨大な資料を基に語りおこされた物語。
    2006年ゴンクール賞・アカデミー・フランセーズ文学大賞W受賞という作である。

    読むのがしんどい本であった。500ページ・2段組(上巻分で)のボリュームもさることながら、改行なしに延々と続くモノローグは、醒めることのない悪夢のよう。戦禍もすさまじいが、家族史もまた悲惨である。嘔吐と飢餓。膨大な血と排泄物。生と死の生々しさ。
    作者の肖像写真も表紙のエゴン・シーレの絵も、主人公のアウエ自身を思わせる。渇いて、ナイフの切っ先のようで、それでいて弱さも内奥しているような。

    ウクライナ・ロシアの戦況についてはあまり読んだことがなかったので勉強になった。山岳ユダヤ人に関する(「頭蓋指数」なんてものも絡めた)不毛な論争と結論は、実際、そんな論議があったのかもしれないと思わせる説得力がある。

    ホロコーストの物語を追う理由の1つは、プロローグにも触れられているように、それが自分の物語でもありえたと思うからだろう。被害者側になることも、また加害者側になることも、ありうることなのだ。
    本作については、青年将校である主人公の過去や家族との軋轢や性癖、諸々が、個人的には感情移入がしにくいのが難点だった。自分を重ね合わせて考えることができるのは断片的なシーンでしかないのが少々つらい。

    巻末の年譜によれば、下巻の舞台はアウシュビッツ・ビルケナウに移っていく模様。
    アウエが法学者である設定がこの先、どう生きていくのか。
    『慈しみの女神たち』というタイトルが何を意味しているのか。
    フランス語で語られるナチス・ドイツの物語というのは、ドイツ人からしたらどう感じられるものなのだろう?
    多々、疑問はありつつ、最終的には下巻を読まないと結論が出ないのは確かだろう。図書館の順番待ちなので、少し先のことになるが、下巻を手にするとき、体力・気力があることを祈っておこう。


    *各章に付いた、「トッカータ」「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」はバロック組曲の楽章名。

  • ちょうど映画『ハンナ・アーレント』を観た直後に読み始めたので、何度もアイヒマンの裁判映像が頭に浮かんだ。「私は命令に従ったまでです」「私は手を下してません」後年、ここに出てくる何人のナチス将校が同じ事を思うだろう。トッカータ、アルマンド…とバロック組曲の楽章に乗せたマクシミリアン・アウエの語りは醒めない悪夢のように続く。ひたすら続く。いとも簡単に人を殺せるという事実と、殺される側には大変な困難が存在するはずだという事実の間の、この絶対的な不適合。今後アウエは何を見て、何を思っていくのだろう。下巻へ。

  • とにかく緻密な心情描写。虐殺を描いてさえ文章に揺らぎはなく、まるでただの事務と錯覚しそうになる。繰り返される嘔吐と下痢、突然挿入される幻覚、すでに狂気にむしばまれていることに気づく。

  • 一人の元ナチス親衛隊の回想録という体裁をとった、歴史小説。
    1941年から1945年までのナチス従軍時の回想と、自身の生立ちや家族との関係とを折り重ねながら、重厚で長大な「あなたがたと同じような一人の人間」が見聞し、あるいは自らも手を染めた「悪」を語っていく。
    語り口はどちらかといえば淡々としている。法学博士でもある主人公はいわゆるインテリで、極力客観的に事態を回想しようと努めているようである。
    一歩間違えれば冗長ともなりうるような克明さで、過去の自分に一定の距離を取って語ることで、自分の身に起きた「悪」は、読者にとっても他人事でないことを示そうとしているかのようである。

    本書で感心したのは2点。
    1点は解説にもあるように、恐らく非常に大量の史料に支えられているであろう、事実関係の詳細さである。本作にはしばしば実在の人物が登場するが、彼らの言動の骨子は数々の証言や回想録から再構築されていると思われる。
    また物語の舞台になる東方戦線や、その支援部隊で起きていた出来事にも、迫真のリアリティがある。
    ユダヤ人の虐殺や、それによって壊れていくドイツ兵士の精神であったり、スターリングラードの過酷な激戦や、一方でそれと対照的に意外と平穏な銃後の生活、国防軍とナチスとの反目、巨大すぎる官僚機構と仕事のための仕事、敗北が決定的となっていく中でのベルリンの雰囲気等々、展開される場面の多くに非常に説得力がある。

    もう一つ面白い点は、大変克明に出来事や会話を記録している一方で主人公は自分自身の心理描写はあまり行っていないにも関わらず、時の経過とともに主人公の精神も変容し、壊れていく様がまざまざと描かれている点である。
    法学博士でインテリである主人公は、物語の前半では理知的で明晰な思考を行うし、音楽や文学などを楽しむ教養も豊かな人物として見受けられる。ユダヤ人の殺戮に初めて遭遇した際は吐き気を催しとても直視していられず、やがて精神に支障をきたし傷病兵として銃後に送られるという、ある意味真っ当な反応を起こしていた。
    その彼が、戦争の過程で数々の破壊と殺戮を目の当たりにし、自らも命を落としかけ、収容所での任務にも加わってありとあらゆる異常を経験していくことで、徐々に徐々に元の自分ではなくなっていく。最後には無気力と情緒不安定に襲われ、元々持っていた倒錯的な性癖とも相まって何度も幻覚や悪夢を見、ついには友人をも平然と殺害するようにまで落ちていく。
    起こった出来事と会話だけで組み立てているにも関わらず、彼の精神が徐々に蝕まれていく様はなかなかに読みごたえがある。

    一方で、本書の長所でもある克明さには、不自然さもある。
    それは本書が一人称による語りという体裁を取っていることに起因する。
    つまり、昔のことを思い出して書いている割には、克明すぎるのだ。
    彼が関係した数々のナチス将校たちの言動や役職、党の方針や軍事行動といったことは、数々の証言や史料と記憶とを突き合わせることである程度正確に描写できたのだと説明できるだろう。
    ただ、会話の内容や、一日のうちいつ、どこで、誰に会い、何をしたか。何を食べたか、そこに誰がいたか・・・、等、先月のことであっても日次で思い出すことが不可能なことも克明に書きつづられていることには、「回想録」としてはかなりの違和感を覚えさせられる。
    膨大な史料に基づいたリアリティある描写が、回想録という体裁を取ったことによって、回想録としてのリアリティを毀損してしまっている。
    何となくこのことがずっと気になり、結局はここに書かれていることは主人公の作り話だというような、徹頭徹尾彼の思考の中で繰り広げられたフィクションにすぎないのではというような感を抱いた。
    小説という体裁は、実に難しいものだ。

    本書を読む前に、ローラン・ビネの『HHhH』を読んだからこんなことを考えたのだと思う。
    彼が本書のことを作中で批判的に(何度も)取り上げていたので、本書が歴史的事実を小説でどう取り扱うかという問題について『HHhH』とは対極にあるのは当然のことなのだが・・・。

    歴史的事実をどう取り扱うかについての著者の見解を探すために、また冒頭の第一章(「トッカータ」)を読み返したくなった。
    そういう意味で、やっぱり本書には強烈な魅力があるのだろう。

  • 読みかかるまでに少し覚悟がいる本の分厚さ。でも、プロローグの「トッカータ」から、この本の魅力に引き込まれる。リテル氏の博識には驚かされる。歴史はいうまでもなく、本文の中で展開される言語学、音楽、美術、哲学、心理学などの圧倒的な知識に唖然!会話も面白いし、主人公の家族、生い立ちも謎がありユダヤ問題にも鋭く切り込み、何より戦争の本質に言及していると思う。ただ、ドイツの階級など、読みにくいところも多い。訳の工夫が欲しい。

    • sollers1さん
      読書意欲を駆り立てられましたが、未だに完読していません。ご指摘の階級名は、確かに読みずらいですね。もう一度とりかかってみます。
      読書意欲を駆り立てられましたが、未だに完読していません。ご指摘の階級名は、確かに読みずらいですね。もう一度とりかかってみます。
      2011/10/23
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