10年以上ぶりの再読。マルコ・ポーロがその旅の話を語って聞かせ、ルスティケロが記述したとされる「世界の記述」。そのテクストの成り立ちについての仮説がくりひろげられる物語。◆「マルコは見事に語り、騙る。(p.44)「マルコが言う、私が書く。マルコが言う、私が言う。私が言う?」(p.49)「私はマルコの語る地名を、どのように筆記するのであろうか。(略)それぞれの原語表記をもって。いいや、不可能であろう」(p.102)「世界の外と内が、マルコの話のなかで、私の地図の上で、われわれの本の中で、ひとつになる。マルコの頭の中で、次いで私の頭のなかで、ひとつに融合する。(略)マルココスモス」(p.114)「マルコの話のなかには、自分で見聞したものに加え、父や叔父から聞いた話も相当混じっているのであろう。(略)誰彼に聞いた、俗謡や昔話の類が」(p.119)◆マルコが語り、ルスティケロが記したという。しかし、マルコとは何者か?どのように旅したのか?旅しなかったのか?どこまでが実体験でどこまでが伝聞なのか?ルスティケロとは何者か?何語で語られ何語で記されたのか?写本の原本はどこに?◆「「世界の記述」が、世界を巻き込んで、どんどん発展しているのだ」(p.149)◆原本などもはやないのでは。書写されていく過程でどんどん内容が付け加えられていき、マルコやルスティケロすら、原作者「たち」の一人なのでは、と。◆後日譚めいて、ルスティケロがマルコとと分かれてから27年五に、マルコの娘と称する女性がやってきて形見を置いていくシーンが描かれる。◆「私が語ったマルコ・ポーロとは、何者であったのか。或いは、ひょっとすると私が、<私>だけが、マルコ・ポーロであるのか。」(p.156)◆めくるめく語りの、騙りの渦にまきこまれて、いささか興奮しながらテキスト成立の瞬間に立ち会えたかのような錯覚を、喜びを感じられる物語だった。◆あとがきに、そのプロフィールが、マルコに酷似してやしないか?もしや、マルコのプロフィールの原型?と語られるネパールの芸術家アルニコは、中野美代子「砂漠に埋もれた文字-パスパ文字のはなし」で見かけて以来気になりつづけている人物。「マルコ・ポーロと私」出版以後20年近く経つが、当時よりは邦語文献もちらほらと出てきているように思う。