フィロソフィア・ヤポニカ

著者 :
  • 集英社
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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087745139

作品紹介・あらすじ

西田幾多郎の陰で忘れられた哲学者・田辺元。二人の対立点を明示しつつ、今日の世界思想の水準をも突き抜ける、先進的思考の全貌に肉薄する、会心の評論大作。

感想・レビュー・書評

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  •  微分的練習曲。曲線の上の二つの点をどんどん近づけていくと、二つの点はいつしか無限小の一点になり、切線はいつしか接線に豹変する。曲線を曲線たらしめているのは、曲線の上にあまねく内在する無限小がもつ方向と大きさ、すなわち強度である。無限小がもつ強度によって実在は生産される。これを哲学において実践し、対応するものを地上のすれすれに見出す。

  • 本書で、採り上げられているもう一人の思想家である西田幾多郎については、「近代の超克」論争においていくらかは聞き及んでいたが、田邉元といわれても、名のみ知るだけで、その思想については、ほとんど知らなかったと言ってもいい。この書は、現代にあってはほとんど話題に上ることのない田邉の思想が、いかに現代の課題を克服するに足る思想であるかを、先輩であり競争相手でもあった西田哲学と比較することにより、明らかにしようとする。著者が田邉の思想に見つけたのは、一言で言えば、ハイブリッド性である。現代にあっては、すべてが微細な個に分割されずにはいない。科学一つ例に取ってみても、様々な専門分野に分割され、他領域については門外漢であるのが当たり前である。田邉の哲学では、人間とモノ、量子論の世界が領域を横断して交通する。カントによって開かれたモダン社会は、人間と非人間的なモノを分離する。それによって自然は人間によって操作される存在となった。しかし、それが現在の環境問題を引き起こしているのも確かである。現代社会の抱える難題は、人間を物自体と分離することによりかえって制御不能のハイブリッド体を次々と作り出してしまう、モダンという「制度」から来ている。しかし、田邉が批判した西田哲学も、人間という主体を、対象とされる自然から純粋化し、分離することに異を唱えているという点では、非モダンなのである。中沢は、この二人の哲学的思考を「日本哲学」として取り出してみせる。そこには、西田がややもすれば、日本回帰的な潮流の中に取り込まれることに対する異議申し立てがある。中沢によれば、二人の思想は、西欧対非西欧などという対立とは無縁であり、プレモダン、モダン、ポストモダンという枠組みからも離れている。言うならば「非モダン」なのであって、現代が抱える難題を解く鍵はこの二人のモダンという制度の枠組みから自由な思考を探求することによってのみ得られるという。いかにも難解な田邉の論文を読みほぐしていく中沢の手並みは鮮やかで、もとの思想が本格的なフランス料理なら、中沢の出してくれた皿の上に乗っているのはヌーベルキュィジーヌのような気がしないでもないが、味の良さは保証する。それと思ったより消化もよい。一口賞味されることをお勧めする次第である。

  • かつて西田幾多郎とこの本で紹介されている田邊元の二人が日本の哲学を築き上げていったといっていい。しかし現在、西田幾多郎の人気に比べて田邊元が注目されることは、少ない。しかし、田邊元の思想は、まだまだくみつくされていないのである。

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著者プロフィール

中沢新一(なかざわ・しんいち)
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、明治大学野生の科学研究所所長。思想家。
著書に『アースダイバー』(桑原武夫学芸賞)、『大阪アースダイバー』、『カイエ・ソバージュ』(小林秀雄賞)、『チベットのモーツァルト』(サントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)など多数ある。

「2018年 『精霊の王』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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