逢坂の六人

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087754193

作品紹介・あらすじ

古今和歌集の編纂者となった紀貫之と、小野小町・在原業平ら六歌仙との人間ドラマを鮮やかに描き出す。やまと歌の心と歴史の謎に迫る、書き下ろし長編小説。小説すばる新人賞受賞第一作!

感想・レビュー・書評

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  • 日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』の仮名序に登場する六人の歌人(六歌仙)たち。
    執筆者である紀貫之と六人の交流を描いた物語。

    「やまと歌は、人の心の種として、よろづの言の葉とぞなれりける。花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」
    貫之の信念「やまとの心には、やまとの歌」。
    時代を幾つ越えてもなお、やわらかく心に響くやまとの言霊に触れ、新年早々優雅な気分に浸れた。
    この時代ならではの腹黒い駆け引きも悲恋も、全てが夢うつつに煌めくのだから不思議。

    時勢からはずれた者たちが集った逢坂山。
    綺羅びやかな都からはずれ、夢もやぶれ、そうして溜まった鬱憤も歌に込めれば人びとの心により一層深く入り込む。
    なんと悲しき性。けれど人びとの心を捉えるのはそんなはずれの歌ばかり。いつの世も人びとにリアルに寄り添えるのはそんな歌。

    「たとひ時移り、事去り、たのしびかなしびゆきかふとも、この歌の文字あるをや」
    貫之の記した通り、時代が過ぎ流行り歌や流行り言葉が目まぐるしく変わろうとも、いつの世も人の心を掴む古のよき歌は、この先も変わらず残っていくことよと思った。
    周防柳さんはこれが初読み。これからも追いかけたくなる作家さんに出逢えて嬉しい正月だった。

    昨年のこの時期に読んだ川上弘美さんの『三度目の恋』を思い出す。在原業平の悲恋のお話。あの話を深く掘り下げて読めたのが嬉しい。
    この時代の恋物語は現代と違って奥深い。表面だけでは分からない裏面がある。それもまた楽し。

  •  著者の本は2冊目。最初に本書より後に出た『蘇我の娘の古事記』を読んで面白かったので、本書を図書館で借りて読んでみたもの。

    『蘇我の~』が600年代が舞台で、本書はその約200年後のお話。
     タイトルのとおり六歌仙を取り上げる。話の作り方が巧みで面白い。日本初の勅撰和歌集である『古今和歌集』が出来上がる過程から書きおこし、その序文をひねり出そうとする撰者のひとり紀貫之が思いを巡らし、「近き世にその名きこえたる人」として、後世に六歌仙と称される6人の歌人を記すに至る。
     その6人の半生を貫之を狂言回しに生き生きと描き切ったのが本書。なぜこの6人だったのかや、その6人と貫之の交流のみならず、それぞれの「家」にまつわる歴史も語って聞かせる物語になっていて奥行きがある。

     六歌仙は日本史で学んで必須暗記人物たちだ。在原業平、小野小町、大友黒主、文屋康秀、僧正遍照、喜撰法師。なぜかいつも大友黒主あたりが出てこず往生したもの(小倉百人一首に居ないので馴染みがないし)。本書を読めば壬申の乱から解き明かし語ってくれるので、あぁ、大友黒主は大友皇子の子孫なのかと。近江に都を置いた天智天皇の皇子がいて、その家系がこうして逢坂の関(山城と近江の国境)にいるのかと、歴史が繋がって見えてくる。
     業平、小野小町と有名人を章ごとに語っていくスタイルなので、大友黒主あたりは中だるみするかと思っていたが、大海、大友皇子の確執が語られ俄然歴史小説っぽくなり面白くなった。そのクダリは『蘇我の~』でもクライマックスのシーンでもある。本書より先に『蘇我の~』を読んでいたのはケガの功名?(誤用?)か。
     著者は大友黒主のエピソードを語るにあたりこのあたりの歴史を調べていくうちに『蘇我の~』のプロットを着想したのかもしれないと両作品の思わぬ関連性が面白かったりもする。

    『古今和歌集』の撰者紀貫之がその序文「仮名序」に記すことになる6人。生没年不詳の者も多いが、おおよそ貫之のひと世代上という点に着目し、幼少(10代前半)の貫之が、おじおば世代の彼らに可愛がられながら、彼らの歌の真髄や波瀾に満ちた半生を聞きとるという構成にした点がとにかくお見事。
     紀貫之の生年は866~872年のあたりとなっているが、本書は866年に近い生年とし、六歌仙との交流時期は貫之が多感な12,3歳という設定だ。 業平、小町が50を少し超えたところで、過去の色恋沙汰も達観して語れる年代になっている点も上手い設定だと感心させられた。

    「これや、驚いた。あこくそはとんでもない博士だわ」

     業平と貫之は、幼名の「あこくそ」と、「ざいごのおじ」(業平の役職からの通称在五中将から)と呼び合う。その掛け合いがなんとも微笑ましい。
     業平の有名な一句、「世の中にたへて桜のなかりせば…」の背後を探るように語らう二人。貫之は“ざいごのおじ”に春が「好きなのに、嫌いなの」と問う。業平の答えがふるっている。
    「たぶん、思い出のせいさ。あこくそは童だから、思い出が少ない。おれは年寄りだから、思い出が多い。思い出の中には悲しきものもたくさんあるのだ。それがこの春の気色と結びついているのだ。だから、桜が咲くとそいつらが甦って、なんともいえぬ心持ちになるのだ」
    この作中の業平と同じ年代となった今、この心情がよく分かるというものだ。

     そんな中心人物以外の人物造形も、多くの資料が残る在原業平以外は「仮名序」の記述から実に巧みに膨らませ創造しているところも面白い。
     例えば文屋康秀。「詞はたくみにて、そのさま身におはず、いはば商人のよき衣着たらんがごとし」とあるのを、商人≒口が達者というイメージなのだろうか、代詠みといって、歌の苦手な皇族・貴族の依頼で代わって歌を作って、身分は低いながらも巧みに世渡りしているかのようなキャラ作りが愉快だ。こんな処世術を康秀に語らせる。

    「追儺(ついな)とか、端午の節句とか、夏越祓えとか、仲秋の観月とか、重陽の菊の宴とか、いろんな行事を見越していろんなお歌をたくわえておく。どんなお望みにもおこたえするのがわれらのつとめだ。秀歌である要はない。とにもかくにもおこたえする。そこに道の者としてのわれらの誉れがある。深さより広さだ。そこへの求めがある限り、われらの首はつながり申す」

    代表作の「吹くからに~」の下の句が「山」と「風」を合わせて「嵐といふらむ」とダジャレを織り込む軽妙さも考慮しての人物設定だろう。実に面白い。

     こうした「仮名序」を端緒に紡ぎだされる六歌仙の人となり。あぁ、歴史もこんな風に勉強出来ていたら、ただ丸暗記するだけの無機質な知識に終始しなくても済んだのになと思う。
     僧正遍照の代表作「天つ風雲の通い路吹きとぢよ おとめの姿しばしとどめむ」は、小野小町が宮仕えを始める前、五節の舞姫をつとめたことがあり、その姿を見た時に小町を天女に喩えて詠ったなんてエピソードは、小町の美貌と遍照のナマグサ坊主っぷりが端的に出てていいではないか。
     あの頃無理やり覚えた人名ではあったけど、改めてこうして出会え人物像を知り得る楽しさを体験もできるというもの、まぁ乙なもの。もちろんフィクションであることは百も承知だが、さもありなんと思わせる作者の筆力に脱帽だ。

     そうした人物造形の他、歴史の謎、作者不詳の古典作品についても著者によるフィクションの味付けが楽しめる。本書で語られる物語の後の話にはなるが、貫之がなにゆえ「男もすなる日記という…」という有名な書き出しの『土佐日記』を女性を騙って書いたのかなど、本当のところは分からないが、なるほどなぁと納得してしまう作りになっている点も面白い。 男勝りだった小野小町が祖父の小野篁から譲り受けて漢書をよく読み、女だてらに漢詩を詠んでみようとしたという話を聞いて、その逆もあるなと幼少の貫之は発想する。あるいは代詠み屋の文屋康秀にも
    「あこの君もやってみせよ。くせになるぞ。あるいはいっそ虚(そら)の名を名乗って、ありもせぬ者になりすまして詠うてみるとかな」
     と吹き込まれる。

     こうした六歌仙たち先人から教わった、“不埒な言葉遊び”が、やがて、あの謎の人物や、作者不詳のあの名作、そして「男もすなる・・・」に繋がっていくという、実に愉快な創作だ。貫之は最後に、こう嘯く。

    「― このあめのした、興がなければ、生きてゆけぬじゃない。」

     あぁ、楽しい平安漫遊の時だった。

  • 古典の授業してると、
    つくづく器用だよなーと思います。
    一番は定家ですけど。

    六歌仙と貫之の思い出話。
    かの有名な仮名序の評価から
    よくこんな話を思いつくよなー。
    一つ一つの話でキャラが濃いので面白い。
    遍照とか……大変だわ(笑)

    なんというか、
    すっごくキャラの濃い先輩が引退した後の
    後輩が貫之という感じ。
    だから、歴史ものなのに何だか身近に感じます。

  • 紀貫之は新しい勅撰集の撰者となり、その誉れに喜びながらも、政治に振り回されているようなわだかまりも感じる。そんな中、子どもの頃に出会った現在「六歌仙」と呼ばれる人々とのことを回想する。そして自分の好きな歌を選んで序文を作成する。個性的な六歌仙と『古今和歌集』の撰者紀貫之との交流の物語。

  • 「六歌仙」に関する小説。
    紀貫之を主人公に、『古今和歌集仮名序』を書く過程を使いつつ、”六人”を描き出す。
    『土佐日記』や『伊勢物語』(貫之作の説をとる)の成立もちらついていて面白い。
    「六歌仙」ってなんなんだろう?=貫之の心に残る歌人である、というのが無理なく理解でき、面白かった。
    天智・天武までさかのぼって語られる部分もあり、読み応えはある。
    しかし、最近はめっきり「天智・天武異父兄弟説、天智が兄」というの主流だなぁ…。

  • 「言葉があまるということは、理で考えておるということだ。言葉が足らぬということは、情に流されておるということだ。」

    同作者のデビュー作「八月の青い蝶」が良かったので、二作目も読んでみた。
    全く題材も書く姿勢も違ったのが面白い。
    古今和歌集を編纂している紀貫之が、在原業平ら六歌仙との交流を思い出すという小説。
    戦国時代や幕末の小説はよく見るけれど、平安時代というのはほとんど読んで来なかったので新鮮だった。
    登場人物が生き生きしているのが良い。
    しかしこの時代に詳しくない私には読みづらいところもあり、どこまでが明らかにフィクションかわからないのにも困惑した。
    知識があれば、もっと楽しめたと思うので残念(作品に対して出なくて自分が残念)。
    けれど、引き出しの多さは今後も期待出来る。
    三作目はまた異なる色合いのようなので、読んでみたい。

  • この作者の本は初めて。
    六歌仙の話で主人公は紀貫之。この時代に限らず歴史ものは登場人物の年齢差がよくわからない。業平が40上、道真が20上、紫式部は100年後の人。
    第三章までは個性的な大人たちと利発な少年の心温まる交流という感じで面白かった。けど四章でん、SF?となり六章で人外?でついて行けなかった。

  • 紀貫之を中心に描かれた六歌仙。

    最初の『古今和歌集』の構成の所について書かれたところがおもしろかった。

    業平さんがカッコよく描かれた1冊。

  • とてもおもしろかった!
    貫之と六歌仙(在原業平、小野小町、大友黒主、文屋康秀、僧正遍照、喜撰法師)のお話。
    小ちゃい貫之が、めちゃ可愛い。
    古今集を始めから順に読んでみたくなる。

  • やまとうたや歴史上の人物の相関図は難しくてわからないとこ、多かったけど

    幼い貫之の舌足らずな語り口がかわゆいのでした

    ざいごうのおじうえが魅力的です

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著者プロフィール

1964年生まれ。作家。早稲田大学第一文学部卒業。編集者・ライターを経て、『八月の青い蝶』で第26回小説すばる新人賞、第5回広島本大賞を受賞。『身もこがれつつ』で第28回中山義秀文学賞を受賞。日本史を扱った他の小説に『高天原』『蘇我の娘の古事記』『逢坂の六人』『うきよの恋花』などがある。

「2023年 『小説で読みとく古代史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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