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Amazon.co.jp ・本 (312ページ) / ISBN・EAN: 9784087805765
感想・レビュー・書評
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20180122
涙無しでは読めない。
事故の凄惨さと共に、身元確認すら容易に出来ない遺族の長い戦いにただ感動。
家族がいる事がどれだけ幸せなことか痛感させられた。
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日航機墜落事故より25年を経て、あまり心情の伝えられなかった遺族の「息子」さんの思い。ひとつひとつがとても重くて、でもほんの一部の方と思うと、どれほどの辛さか想像を絶しました。著者様の寄り添う視線を借りながら、必死で頑張って立ち直ってきた遺族の姿を見るのに反し、誰も責任を負うことなく終結させられた事故の、日航の真摯な姿がまるで見られなかったことにやりきれなさが。あのような大きな事故を経ても、体質は変わったのかな。本質的には、なにも変わってないのかも。
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当時色んな立場にあった息子だった人たち。中高生であっても親の遺体確認に立ち会わなければならない。しかもその遺体は完全なものではないものがほとんど。まだ自分に支えが必要な年頃なのにお母さんの心を支えなければならない。
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秀逸なタイトル。
文庫化の際のタイトル変更は、それはそれで秀逸。
今後は図書館でも読めなくなるのだろうか。
「著作権侵害」について考えさせられる。 -
日航機事故の被害者家族のうち、男性に特化された、その時、それから、今、の話。
報道の裏側で、現実にはどんなふうに事故を知り、受け止め、生きてきたのかを知ることができる。
もちろん、かかれている以上に辛い出来事だったのだろうけれど。
こんな悲劇は二度と起きなければよいのに! -
父と息子の日航機事故。
息子の立場からの日航機事故についての回顧。 -
遺体確認の場面が壮絶。そんなことができるのか?
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突然家族を失ってしまった家族の、その直後からの姿が痛々しいほどに書かれていました。強い気持ちで生きて、いくら時を経ても決して元に戻ることはないのだと。ただ、それと同時に前向きな気持ちも持てたのも事実です。家族や子を持つ者として、今の幸せを噛みしめ、悔いのない生活をしていかなければならないと強く思いました。
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図書館でお借りしたものの中々手にできずにいた。というのもあの悲惨な事故が脳裏に焼き付いてるから。
1985年8月12日。日本航空123便が墜落、乗員乗客520名の犠牲者を出した。既に四半世紀も経過してる。
そして今回「尾根のかなたに」とドラマ化されるきっかけで読み始めると、当時、被害者家族の息子さん達は、立派なお父さんになられてた。絶望から立直り歩んでおられるお姿に涙無くしては読めないが自然と「頑張って」と心で叫びながら傍で励ましたい想い一杯だった。
今ある命に感謝しつつ同世代の子供達にも是非、読んで欲しく思われた。 -
「息子」として遭遇した遺族らが、四半世紀たって「父親」となった男たちが辿った物語。近いうちに御巣鷹山に行こうと思う。
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御巣鷹山、それから四半世紀。
今は父親になった、かつての息子たちに
インタビューしたルポ。
真面目に、丁寧にまとめられていて、
かつて読んだ全体から事故を振り返ったり、
遺体の照合作業に取り組んだ人の手記、
飛行機の専門家が書いた本とは少し違った。
ある日突然父親が、家族が死んでしまった時、残された息子たちは
母親や他の家族を支えながら、
自らが父親にならざるを得なかった。
事故から25年を過ぎ、自らが本当の父親になった息子たちの語りは
リアルで悲しくて、とても強い。
今の私に大事な人がこんな事故で死んだら絶対嫌だから、
私は絶対一緒に行動するぞ。
せめて一緒に死ねるように。
あと60年後位にね。 -
読書をしている最中に涙を流したことは殆どなかったが、この本は涙を流さずには読むことが出来なかった。少年時代のあの暑い夏の日の記憶は、永遠に忘れないと思う。
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門田隆将といえば、死刑判決が出た極悪犯人=福田孝行が起こした凶悪犯罪の光市母子殺害事件、すなわち12年前の1999年4月14日午後2時すぎ、当時23歳の本村弥生さんを殺害後に屍姦して、生後11カ月の長女の夕夏ちゃんを床にたたきつけてヒモで首をしめて殺した、という事件を『なぜ君は絶望と闘えたのか』で書いたことで、記憶に鮮明に残っているノンフィクション作家ですが、こともあろうかこの『風にそよぐ墓標』で、遺族の方の手記からの盗作で訴えられたというではありませんか。
報道によると・・・・・
【門田隆将は「承諾を得て参考にした。盗用ではない」としているけれど、遺族側は「承諾していない」と抗議。著作権を侵害されたとして訴訟を起こす構えだそうです。
抗議しているのは、事故で夫を亡くした池田知加恵さん(78歳)で事故から11年後の96年に『雪解けの尾根』(ほおずき書籍)を出版し、対して本書は昨年夏に門田隆将が複数の遺族を取材して出版しました。
池田さん側が「酷似」と指摘するのは合計26カ所。例えば、池田さんの家族を取り上げた部分で、「不安と疲労のために、家族たちは“敗残兵”のようにバスから降り立った」という記述は、「雪解けの尾根」の「みなさすがに不安と疲労の色濃く、敗残兵のようにバスから降り立った」と似通っています。
池田さんは「敗残兵という表現は、戦争を体験した世代で、かつその場にいた遺族だからこそ発することのできた固有の表現。著書に記した言葉は、苦悩の中で紡ぎ上げたもので、盗用は許されない」と話される。
門田隆将は執筆に際して、池田さんから約4時間取材し、サイン入りの著書、当時のニュース映像を収録したDVDなど複数の資料提供も受けたそうです。池田さんは「事実関係を整理する参考にと本を渡したが、表現を使っていいとは一切認めていない」としています。
門田隆将は「本人に長時間取材し、提供されたサイン入りの本を、本人承諾の上で参考文献として巻末に明記し、参考にした。それを後になって著作権侵害とは、ただただ驚きだ。これが問題となるなら、日本のノンフィクションは成り立たない」と話しているとのことです】
そうかな? と思うのは私だけでしょうか。そこに、驕りはこれっぽっちもなかったのか。
犯罪や事件に関心を持って、粘り強い取材と強靭な思索と想像力でその本質的な核心にせまるという営為は、嘘で塗り固めた他愛無いフィクションを書く数百倍の労力が必要な、それこそ命を縮めるような仕事ではあるはずですが、その執筆過程で、はからずもどうしても自らが超越的な神のような存在になる瞬間があるはずですが、そのとき彼もしくは彼女が、表現主体としての自分をどう自覚するかということです。
盗作は、かつてあの『白い巨塔』や『不毛地帯』の山崎豊子が起こしたこともあったり、その他、このまえ物故した立松和平とか、古くは、かの司馬遼太郎もあったとか、3,4年前には熊谷達也もだとか、まさかあの人がという人がついうっかりやってしまうらしいのですが、どこかの街のアマチュア小説家じゃあるまいし、公表すればわかる人にはすぐバレルはずなのに、どうして想像力たくましい作家がそれを予想できないのか不思議です。
盗作問題だけでなく、表現するときにつきまとう、行き過ぎ・歪曲・捏造・虚偽・中傷などは、単なるひとり相撲ならともかく、親愛なる隣人に致命的な損傷を与えないとも限らないので、たとえ論争相手にでも驕らないようにしなければ、というのは自戒を込めた私の持論でありました。 -
日航機墜落事故で犠牲になった遺族のインタビューをもとに書かれたノンフィクション。
主に残された息子さんにスポットを当てて書かれています。
10代の少年が「男」という自覚のもと、遺体確認作業を続ける姿に泣けました。 -
御巣鷹山の日航機墜落事故から25年。四半世紀の時を経て語られる、「父と息子」を軸とした6家族の物語。
この事故については、折に触れ、節目ごとに注目もされ、手記やノンフィクションも多く出版されているが、男性の立場で語られるものがなかったと筆者は言う。
事故後20年の頃、関連本を何冊か読んだが、確か、飯塚訓の著書には、男性家族の体験談も取られていたと記憶しているので、「男たちは語らなかった」という本書の筆者の弁には首をかしげないでもない。が、相対的に女性の視点の方が多かったとは言えるかもしれない。
「父と息子」を軸にするということは、主に、大黒柱としての父親が亡くなった家族が対象となることである。幼くして父を失い、子どもであるのに遺体確認に関わらざるを得なかった人もいる。
つらい話を聞かせてもらって申し訳なくなるような、極めて個人的で、そして過酷な体験の数々。家族を「突然」失ったことに加えて、凄惨な遺体確認作業が心身を極限状態に追い込む。真夏の酷暑がさらに事態を過酷にする。
四半世紀を過ぎて、ようやく語られること。そしてまた、四半世紀を過ぎてもなお語れないこともあるだろう。
どの物語も重いが、最終章の、歯科医の父を亡くし、自ら検視に加わったやはり歯科医の息子の話が印象深かった。また、「父と息子」ではないが、プロローグに登場する、救助に携わった陸上自衛隊員の話も忘れられない。
*筆者は光市事件を追ったノンフィクションの著者でもある。 -
日航機墜落事故の遺族たち、彼らのあの日からその後を追ったドキュメントです。登場するのはいずれも息子として事故に直面することになった人たち。彼らが年を重ねて父親の年齢に達した時に何が見えたのか…。あの事故からもう25年もたったのですね。
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