謝るなら、いつでもおいで

  • 集英社 (2014年3月26日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (328ページ) / ISBN・EAN: 9784087815504

作品紹介・あらすじ

佐世保の小学校で小6女児が仲の良い同級生に殺害された痛ましい事件から10年。被害者家族は、どう精神のバランスをとり生きてきたのか。子どもの心がわからない全ての人に贈る渾身のノンフィクション。

みんなの感想まとめ

痛ましい事件を背景に、被害者家族や加害者の心情を深く掘り下げたノンフィクションです。作品は、事件から10年が経過した今、記憶が風化しがちな中で、当時の真実に迫ろうとする姿勢が光ります。特に、被害者の兄...

感想・レビュー・書評

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  • かかりつけの病院に置かれていた本。
    タイトルが気になって読み始めたら止まらなくなりました。待合の時間では読み切れず、そうこうしてる間に本棚から無くなっていて更に絶版本,,,,
    先生に聞いたら貸してくれました。
    先生は川名壮志さんともお会いしたことがあるそうで色んな面でご縁を感じた本でした。
    そしてイッキ読み。
    加害者の親の気持ちも取材されていてなんとも言えない気持ちになりました。
    私は学校側にも大きな問題があると感じてしまいました。教師と生徒の関係性も大切だったんじゃないかと,,,,
    事件から21年経ちますが加害者は遺族への謝罪をしてほしいなと思います。

  • この本を読み始めた矢先、佐世保同級生殺害事件から10年のニュースが流れた。
    ああ、10年経ったのか。10年という節目でこの本が出版されたのか。

    10年もたてばどんな凶悪な事件も風化していく。
    次から次へとセンセーショナルな事件が発生するこの時代、人の記憶なんて儚いものだ。
    でも私の中ではこの事件の衝撃度は相当強くいまだに忘れられない。
    バスジャック事件、神戸や山口の事件よりも何より。
    犯人が少女だったこと、現場が学校だったこと、そして動機が分からないこと。
    もちろん、二人の中でいざこざがあった事は報道の通りだが、殺人に至る強い動機がどうしても理解できなかった。

    この本は当時被害者の父の御手洗さんの部下として働いていた記者の手による。
    事件の発生する前から被害者一家と深くかかわり、渦中においては事件の記者として奔走した。
    身近で事件を見つめてきた人が書いたものを読めば、事件の核心に触れられるのではないかと期待し手に取った。
    結果的にはやはり分からないと言わざるを得ない。
    加害者が口を開かず、被害者がもうこの世にいない以上何も分からない。

    そんな中で一番真実に近いと思われる部分が、被害者の二番目のお兄さんが語っている部分。
    被害者の最も傍にいたお兄さん。
    加害者の少女もよく知るお兄さん。
    このお兄さんのインタビューが、ズーンとくる。秀逸です。
    騒ぎの中で一人取り残され泣くこともできなかった少年。
    親を差し置いて一番辛かったとは言い難いが、苦しかっただろうな。
    その彼が言う言葉だからこそ重い。
    加害者の少女にこのお兄さんの思いが届くだろうか。
    届いてほしい、そんな気持ちになった。

    「結局、僕、あの子に同じ社会で生きていてほしいと思っていますから。僕がいるところできちんと生きろ、と。」

  • あまりにもやりきれない事件だった。被害者家族の加害児童への思いがそんな風に思えるのか?と尊敬する。そして、当時中学生だったお兄さんがいちばんすごい。この先幸せな人生が送れることを祈りたい。

  • まず、この作品を書いてくださってありがとうございますと筆者に心からの謝意を。
    その立場と境遇を鑑みるに相当の苦悩があったはずで…。
    一冊の本となりたくさんの人に届くまでのプロセスには苛烈な逡巡があったはずで…。

    そして第二部の語り部3人にも。
    被害者の父、加害者の父、被害者の兄。
    彼らの口吻はどれも、それぞれの立場で胸裏に醸成された彼らにしか紡げないもので
    読んでいて終始辛いのにページを捲る手が止まらず、でもどこか「部外者の自分が読んでしまっていいのだろうか?」という後ろめたいような気持ちもして複雑だった。
    特に被害者の兄のチャプターは凄かった。
    ヴォラナブルかつレジリエンスにあふれ、筆者がそこに『少年法が理想とする可塑性の奇蹟をみる』と書いていてもう…。
    この1行で、ここまでどうにか踏みとどまっていた感情が決壊し、涙が止まらなくなった。

    ポッドキャストか何かでこの作品のタイトルを知り読んでみたのだけど、だめだ、涙が止まらない。
    覚悟をきちんと決めてページを開くべきだった。

  • もうあれから10年にもなるのかと思う。
    奇しくも先ごろ、同じ佐世保市で高校生が同級生を殺害するという痛ましい事件が起こったばかりだ。
    佐世保の教育委員会は、今まで命の大切さを子供たちに説いてきたのはなんだったのか、と嘆いているようだが、そういうことではないだろう。

    仕事柄、接する子どもの8割くらいは何かしらの発達障害を抱えているだけに、この加害少女の鑑定結果には、やはり、という思いと同時に、また槍玉に挙がってしまったかというやるせなさを感じずにはいられなかった。
    誤解のないように言い添えておきたいが、発達障害があるから犯罪を起こすのでは決してない。むしろ彼らはその特性ゆえに、社会で生きづらさを抱え日々苦しんでいるのだ。社会的弱者といってもいいと思う。ただ、その特性が、時として反社会的なものに結びつく要因になりやすいということは否定できない。周囲の大人がいち早く障害に気づき、適切な療育、支援を行って、本人の苦しみを軽減させ、二次的障害を抑え、社会の中で生きるすべを身につけさせることが何より重要であるのだが、その障害には非常にばらつきがあり個人差もあって、それと気づかれないまま成人している人も多い。特別な支援がなくても、周囲の理解があったり、特性に合った職業につくなど環境に恵まれることで、社会に居場所を見いだせるということの証明でもある。

    ただ、本書を読んで改めて感じるのは、障害のあるなしにかかわらず、人格形成途上の子どもにとって、そばで寄り添い心をくだいてくれる大人がいかに大切か、ということだろう。それは子どものその先の人生をも左右する。
    そして人格形成途上であればこそ、その可塑性によって、何かを間違えたとしても、充分やり直し導きなおすことができるのが子どもなのだ。だからこその少年法であり児童福祉法である。

    今回の事件では、法の「裁き」を受けることすら認められない11歳という幼い加害者であった。そこに、どれほどのご遺族のやり場のない思いがあったかと、私など想像すら及ばない。
    ただ、たとえ幼かろうとその彼女が、かけがえのない一人の命を奪ったことは紛れもない事実で、法の上でどうであれ、人として償いはしなければならない。

    償うとは、どういうことなのだろうか。
    何をしたところで、決して事件の前に戻ることはできない。失われた命を取り戻すことはできない。戻れない取り戻せない以上、ご遺族が前と同じように生きて行くことは決してできない。
    ならばせめて、加害者も、被害者遺族がそうするのと同じように、厳然と横たわる「失われた命」を背負って、その重みを一生感じながら、それでも前を向いてまっすぐに進んでいくこと。それしか、償いの道はないのかもしれない。

    亡くなった少女のお父様の深い言葉もさることながら、自身も多感な時期に人生を揺るがすような事件に遭遇して、苦しみながら時を過ごされてきたであろうお兄様の言葉が、重い。
    苦しんで苦しんで苦しみぬいてたどり着いたお兄さんの言葉は、罪を犯した人への厳罰化へと走ろうとするこの社会こそ、耳を傾けるべきだと思えてならない。
    厳罰化は何も生まない。

    中学を卒業し児童自立支援施設も出てどこかで暮らしているらしいという少女。もう成人しているはずだ。
    ご遺族の一生の重い荷物を同じように背負って、自分の過ちを一生背負って、被害者とご遺族に恥じないようにまっすぐにまっとうに生きていることを切に願う。

  • 事件が事件だけに読んでいてしんどいが読む手は止まらない。

    取り扱いに細心の注意が必要な内容だが、新聞記者である著者が冷静かつ最大限に公平に書いているため安心して読み進められる。

    読んでいて最初は、この事件は災害や事故と同じように「怒りを向ける先が存在しない」ことが辛さを生み出していると思ったが、そうではなかった。ここで取り上げられているのは、自然現象や不運とは異なり、「加害者が明確にいる」のに恨むことが出来ない・無意味である苦しさだ。怒りを向けることが無意味なのに自分の大切な存在が失われている事実は何があろうと動かない。

    たかだか300ページを安全な家で読んだだけの自分にはとてもではないが理解した気にはなれないが、
    この本を読んだことで、0.000何パーセントの共感度であろうと考える機会を得ることが出来たのは今後の人生に無意味ではないと思っている。

    この事件に理由や筋書きを見つけることや、事前の予測が(小さな火種はあれど)不可能であったように、いつ何時自分やその周りが理不尽に巻き込まれるかなんてわからないのだから。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    友だちを殺めたのは、11歳の少女。被害者の父親は、新聞社の支局長。僕は、駆け出し記者だった―。世間を震撼させた「佐世保小6同級生殺害事件」から10年。―新聞には書けなかった実話。第十一回開高健ノンフィクション賞最終候補作を大幅に加筆修正。



    2004年に起きた佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者の父親が働く新聞社の後輩が書いたノンフィクション。
    この作品を読み 初めて知ることがけっこうありました。
    14年経った今では どこかの街でひっそりと暮らし 前科前歴はついていない。この国では罰より更生を重視するし 被害者が戻って来るわけもないので しかたないかもしれないが釈然としない。
    結局、なぜ?というとても重要なところはわからないまま...
    この作品には 被害者の父親、お兄さん、加害者の父親の話が書かれてあるが 当時お兄さんはまわりから何も聞かれていないというのには驚きました。
    子供の心を大事にするためにそっとしておくというのもわからなくはないが...
    希望を持って生きていきたいが いつ誰がどうなるかわからない時代。

  • 普段はあまりノンフィクションは読まないものの、ブクログでの他の方のレビューに惹かれ読んでみた。
    佐世保小六小学生殺害事件についての取材をまとめた1冊。特徴的なのは、作者(記者)の上司が被害者の父親であるという点。その中で、取材のあり方と被害者遺族の心情を推し量る葛藤。作者の自分自身音弱さやずるさを認め、葛藤をされけ出して綴っているところにとても好感が持てた。

    「僕はかたときも仕事から離れない事で、自分自身の喫水線を保っていた。なのに、ゆっくりと気分は沈んでいった。僕はやわな人間だった。」
    「でも、気づけば丸腰だった。そんな横車ではない場面に僕は立っていた。答えなんかなくても、矛盾にまみれても、ぶざまに飛び込むしかない瞬間。本当に社会にでるということは、そうした情けなさやえげつなさも引き受ける事なのだろう。そこに自分なりの折り合いをつけながらしがらんでいくことなのだろう。」

    被害者の父親の2回目の記者会見での手記に涙が止まらなかった。圧倒的な現実の中から出てくる言葉の深みと重みに胸がえぐられるような想いがした。

    未成年の重大な犯罪については様々に議論されているのを耳にする。また、同様に刑事責任能力についても様々な議論や意見がある。
    どちらにしてもその事件に関して「責任」の所在が当事者にはない点が遺族にしてみれば気持ちのやりどころがなく、混乱や、悲しみを助長させてしまうことにもつながっていると感じている。だからといって厳罰化を求めるのが良いのかというとそういった問題ではないと思う。
    被害者遺族になる可能性も、加害者遺族になる可能性も、同じ明日が来る可能性も、それは誰にもわからない。「なぜ起きたのか」ではなく、「なぜ防げなかったのか」
    処遇後の、少女の専属医の言葉。
    「子供たちは自分の精神的発達の程度に応じて、贖罪意識を深めていく。(中略)贖罪教育は施設内で完成するものではない。社会復帰を果たし、実生活での経験を重ねながら、生きてゆく事の意味を実感し、かつて自分が起こした行為が何であったのかを考えてゆくのである。(中略)そうした日々の中で、彼らは事件によってゆがめられてしまった自分の人生と未来、被害者の失われた命、自分が破壊した自分と被害者の家族の平穏な生活を、実感を持って知り始める。本当の贖罪が、そこから始まる。」
    「気の遠くなるほどに長い人生を、少女自身がどう生きるのか。怜美ちゃんにとっても、御手洗さんにとっても、そして少女にとっても、この事件で問うべきは、そこにあるのだろう」

  • 事件の関連書籍が少なかったので興味深く読んだ。遺族を身近で知っていた記者の方が書いたということもあり、事件発生後の遺族の様子が詳細に書かれており同じく子供を持つ身としては読み進めるのがけっこうきつかった。
    ただ前半は身近にいた著者の感傷的な一人語りが多く、後半は遺族の父親とお兄さんの話し口調による独白だったので、あんまりルポって感じはしなかった。あと事件の怒涛の日々を記す際に〜デスク(本名)、〜年入社、といちいち書いてるのが必要なのか?と新聞記者の自己満に感じてしまった。報道記者に憧れていたとのことなので、田舎に突然押しかけてきた大量の報道陣と過熱する報道に興奮する反面、よく知っている子が殺害されたというショックの狭間で気持ちが追いつかない著者の内面はよくわかった。
    開高健ノンフィクション賞の候補には上がったけど選ばれはしなかったというのがなんとなく分かる。良い本だけど、犯罪ノンフィクションとはちょっと違う感じ。
    タイトルは被害者の父親の言葉だと思っていたら、お兄さんの言葉だったというのもショックだった。被害者が亡くなる数年前にお母様も癌で他界されていたという事実も、どうしてそんな家族に、、と思わざるを得ない。

  • 2004年の佐世保小6女児同級生の事件を扱ったノンフィクション。読み終わって、自分の心の中の色々なものが揺れてしまい、気持ちも言葉がまとまらない。衝撃的な事件で、当時は理解する手掛かりを求めて、私も報じられる記事や映像を目にしたが、時間の経過とともに過去の一部となる。いくつかの不幸が重なって起こってしまった悲しい事件。何が解決で、どうすれば償いなのか、答えはない。ただただ事件による突然の身内の喪失という最も過酷な事実と一生寄り添っていくご家族の哀しみを想うことしかできない。メディアの乱暴な取材合戦も想像以上。それを正義と言い切らずに、迷う様を筆にした筆者の勇気に感謝。私たちは自分の身近に起こったこと以外、伝聞でしか触れることができないから。

  • ノンフィクションはほとんど手にしないんですが、ブクログのレビューに触発されて読んでみる事に。

    小説ではリアリティにこだわって、共感できる作品に出会えると嬉しくて喜んでいる私なのに、いざ現実を突きつけられると目を背けたくなる傾向にあるんです。
    現実って、正しい事がすべて正しく作用するとは限らないじゃないですか。そういう事で心を乱されたくないというか、できれば平穏な気持ちでいたいんで…。
    要するにヘタレなんです(T_T)

    だけど、やっぱり知る事も大切ですよね。そういう気持ちにさせてくれたブクログのみなさんには感謝です。

    佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者の父、御手洗さんの部下である川名さんの手記。
    被害者家族と一番近い立場で事件を見てきており、どちらかといえば被害者寄りの目線になっています。

    加害者少女はまだ11歳。少年法の適用も対象外で児童福祉法が優先されて、加害者でありながら被害者という位置付けになるとの事です。
    更生させるという事に重点が置かれ、重大事件を起こしておきながら刑罰を問う事ができません。

    少女は法律でガッチリ保護され、当然ながら彼女の情報は一切出てきません。
    何を思い、何を考え、自分が犯した罪をどのように受け止めているのか全く分からず、苛立ちのような悶々とした気分になりました。
    少ない情報の中からですが、この少女には最後まで反省の態度が見られなかった様に思います。

    「謝るなら、いつでもおいで」被害者の兄の言葉です。
    「彼女にも普通に暮らして行ってほしい」とも言っています。とても重い言葉だと思いました。

    事件から10年、少女は21歳の大人の女性になっています。精神的にも決して普通の生活ができているとは思いませんが、このままというのはあまりにも納得ができません。

    せめて、被害者家族には謝罪してほしい。だって、国があなたを守ってそして更生させてくれたんだよね。

    感情的になってしまいましたが、心からそう願います。

    • vilureefさん
      こんにちは。

      フーミンさん、ノンフィクション苦手なんですね・・・。
      事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、現実の方が救いがない...
      こんにちは。

      フーミンさん、ノンフィクション苦手なんですね・・・。
      事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、現実の方が救いがないことが多いですもんね。

      私は事実を知りたいと思ってノンフィクションを読むことが多いのですが加害者側からの話は皆無なので結局はもやもやしたままなんですよね。

      ズバリタイトル通りなのですが以前読んだ「教誨師」という本は、加害者に寄り添ったノンフィクションで色々考えさせられました。
      興味があったら是非読んでみてください。

      ではでは。
      2014/11/18
    • フーミンさん
      vilureefさんこんにちわ。

      ノンフィクション、どちらかといえばやっぱり苦手ですかね~^^;
      すぐ感情的になっちゃうんですよ。
      ...
      vilureefさんこんにちわ。

      ノンフィクション、どちらかといえばやっぱり苦手ですかね~^^;
      すぐ感情的になっちゃうんですよ。

      だけど、私も真実は知りたいと思うし興味はけっこうあるんですけどね。

      加害者寄りに書かれてると言われる「教誨師」ですか。気になります…。

      図書館で探してみようかな。ありがとうございます♪

      2014/11/18
  • 謝るならいつでもおいで
    タイトルに込められた意味が最後にわかった時、
    涙が止まりませんでした。

  • あぁ〜なんて苦しい。

    冒頭の殺害の様子が生々しくてその時の子供の事や御手洗さんの事を思うと涙がこぼれた。
    御手洗さんが2度目にするはずだった記者会見の時に書いたコメントも泣きながら読んだ。

    【何で?】何度この言葉が浮かんだだろう。
    はっきりとした動機は分からない。
    SNSでの出来事と交換日記での揉め事。
    こんな事であんな悲劇は起こるのか?
    そしてまた思う。

    【何で?】

    お兄ちゃんの言葉が胸を抉る。

    謝るならいつでもおいで。
    でも一度でいい。
    後は関わらないで。
    ただ普通に生きてほしい。
    普通に生きるのが彼女にはきっと1番難しい事だと思うから。

  • 少年犯罪の報道がある時、いつも目や鼻のない顔が浮かぶ。彼らのプライバシーが保護されているから、というのもあるが「何故こんな事が起きたのか?」が不明確だからだ。
    若さや幼さ故にその場の衝動だけで行動してしまうのはよくわかる。振り返ってみて、「あの時のあれは一体何だったのか?」と思う事が未だにある。
    これは推測でしかないが実際のところ、心の中が憎しみや怒りでパンパンに詰まっている人間よりも中身が空っぽの人間の方が事件を起こしやすいのではないか。自分自身の器も持っていない、代わりに相手の感情を受け止める器もないからだ。
    この事件の事はよく覚えている。もう二度とこんな事が起きませんように。

  • 被害者のお父さん・お兄さん、加害者の父親、そして被害者家族のそばにいた記者の話。
    被害者のお父さん・お兄さん、加害者の少女や家族に対しての気持ちの葛藤。
    普通だったら家族が殺されたら加害者や加害者家族を恨むだろう。
    でも怜美さんの家族は違った。
    恨むどころか加害者家族を思いやる気持ち、加害者少女には普通に生活してほしいと望む。
    そして加害者の父親。
    なぜ?が多い。子どもがPCで何をしているのか把握しなかったのか。
    子どもが親の前でも気持ちを吐き出せない、そんな家庭状況に気づかなかったのだろうか。
    子どもより仕事仕事で、子どものことが見えなかったのかな。
    加害者少女もきぬ学園を退園し、社会に出てきているとのこと。
    発達障害があるとはいえ、自分のやったことに向き合ってこれたのだろうか。
    きちんと更生して、自分が何をしたのか理解してるといいが。いや理解しててほしい。

  • この事件自体、真相(なぜ加害者が犯行に及んだのか)がよく分からないまま結審を迎えているので、ルポにしても目新しい情報は出て来ないし、よくある「取材攻勢の裏側にある被害者・加害者家族の物語」になってしまいかねない部分はあった。

    前半部分は、被害者家族に近い立場から事件の経過を追っていた著者(被害者の父は当時の著者の上司だった)の目線で進んでいく。そのせいか、ルポにしては妙に感傷的な言い回しが気になった。エッセイならいいけれど、もう少し淡々と端的に書いてくれたほうがルポとしては読みやすいのに、と思ってしまった。

    さておき、読み応えがあったのは後半、被害者の兄の独白部分。

    大切な人を失った瞬間の現実味のなさ、自分自身より家族に対する思いやりから働いてしまう防衛機制、事件について誰からも触れられないことで逆にやり場を失ってしまう悲しみや喪失感、時間を経て襲ってくる混乱、無力感、心身の不調……

    生前の被害者と加害者の関係や、これからの被害者家族、加害者、加害者家族の生き方についての見方や考え方は、当時中学生だった彼だからこそなのか、事件について考え抜いてきた彼だからこそなのかは分からないが、真相不明の事件に対して投げやりに出した結論ではなく、彼自身が築き上げた筋の通った結論のように感じ、舌を巻いた。

  • 高校生の頃に読んで以来、ずっと忘れられない作品で今でも考える

    あのとき彼女の痛みやもどかしさに誰かが気づいていたら?

    誰かを殺したいっていう感情って幼い頃だれもが持ったことがあるのではないのだろうか。

    悲しいことに彼女は実行してしまった



    当時、被害者の父が新聞記者として起こした行動、父を支えるためにお兄さんがとって自分を責め続けてしまったこと

    もっと相談できる人が周りにいたら、そして被害者を守るような公的機関が痛みに気付いて治療できていたら

    長引くことはなかったかもしれない………


    このような事件は二度とあってはならないと思うけれど、実際に自分が関係者になったとき、どう行動していいかなど全くわからないだろう。悲しいことにこうして悲劇は繰り返されていくのかな……

  • 2004年におきた佐世保小6同級生殺害事件のルポタージュ

    年月がたっても鮮明に記憶に残っている凄惨な事件
    事件当初から「なぜ?」という疑問が数多くあったが 少年犯罪はいつもその答えは見つからない。。

    被害者の父と兄の手記は心に残るが  この先もずっと葛藤しながら生きていくんだろうなと思う

  • ★5つにしましたが、
    この本にそれだけの評価をした訳ではありません。

    最近、殺人事件云々の本を読み始めて色々と思う所があり、
    この本(佐世保小6女児同級生殺人事件)も読み進める程に不快になるいつもの↓が。
    加害者少女の殺害にいたる理由があまりにも陳腐、そして反省しない、謝罪もしない、しかしこの本でも 加害者=アスペルガー(後で調べて分かったそうで)
    アスペルガーだったと分かったから何なんだという。
    虐待されて人格障害だろうが実はアスペルガーだろうが
    殺しておいて はい おわり(死刑もしくは反省もなく社会復帰)はどうなのか。
    反省できない人間にはもっと相応の罰を、と考えてしまいます。
    しかもこの事件、当時の年齢のせいで前科前歴はついていないという。

    読んでいて被害者の父親の言葉や手記が痛くて泣かずにはいられませんでした。人柄が…。

    そして最後の最後、「被害者の兄として」を読んだら
    自分が人間として恥ずかしすぎて言葉もない。
    ダラダラ生きて幼稚で人間に至ってない感じがしすぎました。
    成長する事、生きる事を考えさせられる言葉の数々に敬意。という意味で★5つです。

  •  2004年、佐世保の小学校で、小学校6年生の女子が同級生からカッターナイフで切られ、死亡する事件があった。これはその本のルポなのだが、類書と違っているのは、著者が事件の当事者と極めて近いところにいる人間だという点である。被害者の父親は毎日新聞佐世保支局長だった。佐世保支局は総勢4名の小さな支局で、著者はその支局にいる2名の記者の1人である。支局の3階は住居になっていて、支局長一家はそこで暮らしていたので、支局のスタッフはみな、被害者家族全員と親しくしていた。著者にとって、死亡した女の子はただの被害者、他人ではなかった。
     このルポに興味を持ったのは、事実を客観的に報道するプロである記者が、いわば身内に起こった事件について、あえて個人的な感情を交えて調べ、報告しているからであり、他のルポライターが書くものとは一味違う、より説得力がある本になっていることを期待したからだった。
     最も読み応えがあるのは50ページに及ぶ、当時中学3年生の、被害者の兄の手記である。本のタイトル「謝るなら、いつでもおいで」はこの手記にあった言葉であり、表紙の題字もこの兄が書いたものである。また、被害者の父である支局長の「語り」も切々と胸に沁みる。この本を価値あるものにしているのはこの2章である。そして、どちらも著者自身が書いたものではない。
     肝心の、著者の手による部分だが、あまりに私情に流され冷静さを欠いている気がして、申し訳ないが期待外れであり、私は少なからず反感を持って読んだ。例えば、加害者の父親へのインタビューで、宗教への勧誘がよく来ると述べる父親に対して著者は、
     「加害者側が神頼みを求めるなんて、虫がよすぎるんじゃないか」という思いを抱く。
     父親に責任があるのは無論だが、加害者の家族がどれほどつらい思いを味わうか、著者は知らないのだろうか。また、反省の言葉を口にする父親を、
     「どうして事件になる前に気がつかなかったんですか。お父さんなら止められたじゃないですか」と詰問する。記者が口にすべきことではないだろう。
     ホラー小説や映画を初めから「悪」と決めてかかる論調、児童福祉法や児童相談所への疑問も、誰でも思いつきそうなことを疑いもせず述べていて極めて凡庸であり、この立場にいる記者だからこそ気づいた、書けた、というものがあったとは、私には思えなかった。
     それに、私には著者の文章がやや稚拙な気がした。例えば、有益な話が聞けそうな同級生や教師を探している場面で著者は、
     「名前や電話番号が一覧できる名簿や連絡網があれば、一網打尽」と書く。
     「一網打尽」とは、悪人を一挙に捕えることを指すはずであり、大変な衝撃を受けている小学生、教師に対して使う言葉ではない。失礼であり、冷淡である。
     前に引用した「神頼みを求める」という言い方もおかしい。「神を求める」は成立するが、「頼みを求める」という表現はあり得ない。「頼む」のも「求める」のも同じ人だからである。
     こんな記述も気になった。加害者の少女のパソコンにはオカルトサイトに頻繁にアクセスした履歴が残っていて、自作の「バトル・ロワイヤル」小説もあったのだが、著者はここで、
     「少女のゆがんだ熱情は、あますところなく、このパソコンに詰まっていた」と書く。
     「あますところなく」。事実を伝えることを生業とする者は、事実を伝える文章で、こんな言葉を安易に使ってはいけないと思う。どうしてこんなに物事を単純化してしまうのだろう。
     親しい人が殺害され、しかもそれが子供であり、尊敬する上司が不幸の底に突き落とされた、その理不尽さに対する怒り、動揺は十分理解できるが、それを考慮しても、大学を出て4年の若い記者である著者には、書き手としての力量がまだ明らかに不足している、私はそう思わざるを得なかった。
     読む価値のある本ではある。それは確かだが、前に書いたようにそれは被害者の兄の手記、被害者の父親の語りの部分によるところが大きい。著者は正義感が強い人だという印象を持った。もう少し冷静に、物事について深く考える態度を養ってもらえれば、それがもっといい形で表面化すると思う。著者が文章力を更に磨き、巨悪にひるまず筋を通すような記者として成長していってくれることを期待したい。

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