謝るなら、いつでもおいで

著者 :
  • 集英社
4.03
  • (107)
  • (118)
  • (61)
  • (13)
  • (4)
本棚登録 : 920
感想 : 133
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087815504

作品紹介・あらすじ

佐世保の小学校で小6女児が仲の良い同級生に殺害された痛ましい事件から10年。被害者家族は、どう精神のバランスをとり生きてきたのか。子どもの心がわからない全ての人に贈る渾身のノンフィクション。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • この本を読み始めた矢先、佐世保同級生殺害事件から10年のニュースが流れた。
    ああ、10年経ったのか。10年という節目でこの本が出版されたのか。

    10年もたてばどんな凶悪な事件も風化していく。
    次から次へとセンセーショナルな事件が発生するこの時代、人の記憶なんて儚いものだ。
    でも私の中ではこの事件の衝撃度は相当強くいまだに忘れられない。
    バスジャック事件、神戸や山口の事件よりも何より。
    犯人が少女だったこと、現場が学校だったこと、そして動機が分からないこと。
    もちろん、二人の中でいざこざがあった事は報道の通りだが、殺人に至る強い動機がどうしても理解できなかった。

    この本は当時被害者の父の御手洗さんの部下として働いていた記者の手による。
    事件の発生する前から被害者一家と深くかかわり、渦中においては事件の記者として奔走した。
    身近で事件を見つめてきた人が書いたものを読めば、事件の核心に触れられるのではないかと期待し手に取った。
    結果的にはやはり分からないと言わざるを得ない。
    加害者が口を開かず、被害者がもうこの世にいない以上何も分からない。

    そんな中で一番真実に近いと思われる部分が、被害者の二番目のお兄さんが語っている部分。
    被害者の最も傍にいたお兄さん。
    加害者の少女もよく知るお兄さん。
    このお兄さんのインタビューが、ズーンとくる。秀逸です。
    騒ぎの中で一人取り残され泣くこともできなかった少年。
    親を差し置いて一番辛かったとは言い難いが、苦しかっただろうな。
    その彼が言う言葉だからこそ重い。
    加害者の少女にこのお兄さんの思いが届くだろうか。
    届いてほしい、そんな気持ちになった。

    「結局、僕、あの子に同じ社会で生きていてほしいと思っていますから。僕がいるところできちんと生きろ、と。」

  • もうあれから10年にもなるのかと思う。
    奇しくも先ごろ、同じ佐世保市で高校生が同級生を殺害するという痛ましい事件が起こったばかりだ。
    佐世保の教育委員会は、今まで命の大切さを子供たちに説いてきたのはなんだったのか、と嘆いているようだが、そういうことではないだろう。

    仕事柄、接する子どもの8割くらいは何かしらの発達障害を抱えているだけに、この加害少女の鑑定結果には、やはり、という思いと同時に、また槍玉に挙がってしまったかというやるせなさを感じずにはいられなかった。
    誤解のないように言い添えておきたいが、発達障害があるから犯罪を起こすのでは決してない。むしろ彼らはその特性ゆえに、社会で生きづらさを抱え日々苦しんでいるのだ。社会的弱者といってもいいと思う。ただ、その特性が、時として反社会的なものに結びつく要因になりやすいということは否定できない。周囲の大人がいち早く障害に気づき、適切な療育、支援を行って、本人の苦しみを軽減させ、二次的障害を抑え、社会の中で生きるすべを身につけさせることが何より重要であるのだが、その障害には非常にばらつきがあり個人差もあって、それと気づかれないまま成人している人も多い。特別な支援がなくても、周囲の理解があったり、特性に合った職業につくなど環境に恵まれることで、社会に居場所を見いだせるということの証明でもある。

    ただ、本書を読んで改めて感じるのは、障害のあるなしにかかわらず、人格形成途上の子どもにとって、そばで寄り添い心をくだいてくれる大人がいかに大切か、ということだろう。それは子どものその先の人生をも左右する。
    そして人格形成途上であればこそ、その可塑性によって、何かを間違えたとしても、充分やり直し導きなおすことができるのが子どもなのだ。だからこその少年法であり児童福祉法である。

    今回の事件では、法の「裁き」を受けることすら認められない11歳という幼い加害者であった。そこに、どれほどのご遺族のやり場のない思いがあったかと、私など想像すら及ばない。
    ただ、たとえ幼かろうとその彼女が、かけがえのない一人の命を奪ったことは紛れもない事実で、法の上でどうであれ、人として償いはしなければならない。

    償うとは、どういうことなのだろうか。
    何をしたところで、決して事件の前に戻ることはできない。失われた命を取り戻すことはできない。戻れない取り戻せない以上、ご遺族が前と同じように生きて行くことは決してできない。
    ならばせめて、加害者も、被害者遺族がそうするのと同じように、厳然と横たわる「失われた命」を背負って、その重みを一生感じながら、それでも前を向いてまっすぐに進んでいくこと。それしか、償いの道はないのかもしれない。

    亡くなった少女のお父様の深い言葉もさることながら、自身も多感な時期に人生を揺るがすような事件に遭遇して、苦しみながら時を過ごされてきたであろうお兄様の言葉が、重い。
    苦しんで苦しんで苦しみぬいてたどり着いたお兄さんの言葉は、罪を犯した人への厳罰化へと走ろうとするこの社会こそ、耳を傾けるべきだと思えてならない。
    厳罰化は何も生まない。

    中学を卒業し児童自立支援施設も出てどこかで暮らしているらしいという少女。もう成人しているはずだ。
    ご遺族の一生の重い荷物を同じように背負って、自分の過ちを一生背負って、被害者とご遺族に恥じないようにまっすぐにまっとうに生きていることを切に願う。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    友だちを殺めたのは、11歳の少女。被害者の父親は、新聞社の支局長。僕は、駆け出し記者だった―。世間を震撼させた「佐世保小6同級生殺害事件」から10年。―新聞には書けなかった実話。第十一回開高健ノンフィクション賞最終候補作を大幅に加筆修正。



    2004年に起きた佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者の父親が働く新聞社の後輩が書いたノンフィクション。
    この作品を読み 初めて知ることがけっこうありました。
    14年経った今では どこかの街でひっそりと暮らし 前科前歴はついていない。この国では罰より更生を重視するし 被害者が戻って来るわけもないので しかたないかもしれないが釈然としない。
    結局、なぜ?というとても重要なところはわからないまま...
    この作品には 被害者の父親、お兄さん、加害者の父親の話が書かれてあるが 当時お兄さんはまわりから何も聞かれていないというのには驚きました。
    子供の心を大事にするためにそっとしておくというのもわからなくはないが...
    希望を持って生きていきたいが いつ誰がどうなるかわからない時代。

  • 普段はあまりノンフィクションは読まないものの、ブクログでの他の方のレビューに惹かれ読んでみた。
    佐世保小六小学生殺害事件についての取材をまとめた1冊。特徴的なのは、作者(記者)の上司が被害者の父親であるという点。その中で、取材のあり方と被害者遺族の心情を推し量る葛藤。作者の自分自身音弱さやずるさを認め、葛藤をされけ出して綴っているところにとても好感が持てた。

    「僕はかたときも仕事から離れない事で、自分自身の喫水線を保っていた。なのに、ゆっくりと気分は沈んでいった。僕はやわな人間だった。」
    「でも、気づけば丸腰だった。そんな横車ではない場面に僕は立っていた。答えなんかなくても、矛盾にまみれても、ぶざまに飛び込むしかない瞬間。本当に社会にでるということは、そうした情けなさやえげつなさも引き受ける事なのだろう。そこに自分なりの折り合いをつけながらしがらんでいくことなのだろう。」

    被害者の父親の2回目の記者会見での手記に涙が止まらなかった。圧倒的な現実の中から出てくる言葉の深みと重みに胸がえぐられるような想いがした。

    未成年の重大な犯罪については様々に議論されているのを耳にする。また、同様に刑事責任能力についても様々な議論や意見がある。
    どちらにしてもその事件に関して「責任」の所在が当事者にはない点が遺族にしてみれば気持ちのやりどころがなく、混乱や、悲しみを助長させてしまうことにもつながっていると感じている。だからといって厳罰化を求めるのが良いのかというとそういった問題ではないと思う。
    被害者遺族になる可能性も、加害者遺族になる可能性も、同じ明日が来る可能性も、それは誰にもわからない。「なぜ起きたのか」ではなく、「なぜ防げなかったのか」
    処遇後の、少女の専属医の言葉。
    「子供たちは自分の精神的発達の程度に応じて、贖罪意識を深めていく。(中略)贖罪教育は施設内で完成するものではない。社会復帰を果たし、実生活での経験を重ねながら、生きてゆく事の意味を実感し、かつて自分が起こした行為が何であったのかを考えてゆくのである。(中略)そうした日々の中で、彼らは事件によってゆがめられてしまった自分の人生と未来、被害者の失われた命、自分が破壊した自分と被害者の家族の平穏な生活を、実感を持って知り始める。本当の贖罪が、そこから始まる。」
    「気の遠くなるほどに長い人生を、少女自身がどう生きるのか。怜美ちゃんにとっても、御手洗さんにとっても、そして少女にとっても、この事件で問うべきは、そこにあるのだろう」

  • 2004年の佐世保小6女児同級生の事件を扱ったノンフィクション。読み終わって、自分の心の中の色々なものが揺れてしまい、気持ちも言葉がまとまらない。衝撃的な事件で、当時は理解する手掛かりを求めて、私も報じられる記事や映像を目にしたが、時間の経過とともに過去の一部となる。いくつかの不幸が重なって起こってしまった悲しい事件。何が解決で、どうすれば償いなのか、答えはない。ただただ事件による突然の身内の喪失という最も過酷な事実と一生寄り添っていくご家族の哀しみを想うことしかできない。メディアの乱暴な取材合戦も想像以上。それを正義と言い切らずに、迷う様を筆にした筆者の勇気に感謝。私たちは自分の身近に起こったこと以外、伝聞でしか触れることができないから。

  • ノンフィクションはほとんど手にしないんですが、ブクログのレビューに触発されて読んでみる事に。

    小説ではリアリティにこだわって、共感できる作品に出会えると嬉しくて喜んでいる私なのに、いざ現実を突きつけられると目を背けたくなる傾向にあるんです。
    現実って、正しい事がすべて正しく作用するとは限らないじゃないですか。そういう事で心を乱されたくないというか、できれば平穏な気持ちでいたいんで…。
    要するにヘタレなんです(T_T)

    だけど、やっぱり知る事も大切ですよね。そういう気持ちにさせてくれたブクログのみなさんには感謝です。

    佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者の父、御手洗さんの部下である川名さんの手記。
    被害者家族と一番近い立場で事件を見てきており、どちらかといえば被害者寄りの目線になっています。

    加害者少女はまだ11歳。少年法の適用も対象外で児童福祉法が優先されて、加害者でありながら被害者という位置付けになるとの事です。
    更生させるという事に重点が置かれ、重大事件を起こしておきながら刑罰を問う事ができません。

    少女は法律でガッチリ保護され、当然ながら彼女の情報は一切出てきません。
    何を思い、何を考え、自分が犯した罪をどのように受け止めているのか全く分からず、苛立ちのような悶々とした気分になりました。
    少ない情報の中からですが、この少女には最後まで反省の態度が見られなかった様に思います。

    「謝るなら、いつでもおいで」被害者の兄の言葉です。
    「彼女にも普通に暮らして行ってほしい」とも言っています。とても重い言葉だと思いました。

    事件から10年、少女は21歳の大人の女性になっています。精神的にも決して普通の生活ができているとは思いませんが、このままというのはあまりにも納得ができません。

    せめて、被害者家族には謝罪してほしい。だって、国があなたを守ってそして更生させてくれたんだよね。

    感情的になってしまいましたが、心からそう願います。

    • vilureefさん
      こんにちは。

      フーミンさん、ノンフィクション苦手なんですね・・・。
      事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、現実の方が救いがない...
      こんにちは。

      フーミンさん、ノンフィクション苦手なんですね・・・。
      事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、現実の方が救いがないことが多いですもんね。

      私は事実を知りたいと思ってノンフィクションを読むことが多いのですが加害者側からの話は皆無なので結局はもやもやしたままなんですよね。

      ズバリタイトル通りなのですが以前読んだ「教誨師」という本は、加害者に寄り添ったノンフィクションで色々考えさせられました。
      興味があったら是非読んでみてください。

      ではでは。
      2014/11/18
    • フーミンさん
      vilureefさんこんにちわ。

      ノンフィクション、どちらかといえばやっぱり苦手ですかね~^^;
      すぐ感情的になっちゃうんですよ。
      ...
      vilureefさんこんにちわ。

      ノンフィクション、どちらかといえばやっぱり苦手ですかね~^^;
      すぐ感情的になっちゃうんですよ。

      だけど、私も真実は知りたいと思うし興味はけっこうあるんですけどね。

      加害者寄りに書かれてると言われる「教誨師」ですか。気になります…。

      図書館で探してみようかな。ありがとうございます♪

      2014/11/18
  • あぁ〜なんて苦しい。

    冒頭の殺害の様子が生々しくてその時の子供の事や御手洗さんの事を思うと涙がこぼれた。
    御手洗さんが2度目にするはずだった記者会見の時に書いたコメントも泣きながら読んだ。

    【何で?】何度この言葉が浮かんだだろう。
    はっきりとした動機は分からない。
    SNSでの出来事と交換日記での揉め事。
    こんな事であんな悲劇は起こるのか?
    そしてまた思う。

    【何で?】

    お兄ちゃんの言葉が胸を抉る。

    謝るならいつでもおいで。
    でも一度でいい。
    後は関わらないで。
    ただ普通に生きてほしい。
    普通に生きるのが彼女にはきっと1番難しい事だと思うから。

  • 謝るならいつでもおいで
    タイトルに込められた意味が最後にわかった時、
    涙が止まりませんでした。

  • 高校生の頃に読んで以来、ずっと忘れられない作品で今でも考える

    あのとき彼女の痛みやもどかしさに誰かが気づいていたら?

    誰かを殺したいっていう感情って幼い頃だれもが持ったことがあるのではないのだろうか。

    悲しいことに彼女は実行してしまった



    当時、被害者の父が新聞記者として起こした行動、父を支えるためにお兄さんがとって自分を責め続けてしまったこと

    もっと相談できる人が周りにいたら、そして被害者を守るような公的機関が痛みに気付いて治療できていたら

    長引くことはなかったかもしれない………


    このような事件は二度とあってはならないと思うけれど、実際に自分が関係者になったとき、どう行動していいかなど全くわからないだろう。悲しいことにこうして悲劇は繰り返されていくのかな……

  • 2004年におきた佐世保小6同級生殺害事件のルポタージュ

    年月がたっても鮮明に記憶に残っている凄惨な事件
    事件当初から「なぜ?」という疑問が数多くあったが 少年犯罪はいつもその答えは見つからない。。

    被害者の父と兄の手記は心に残るが  この先もずっと葛藤しながら生きていくんだろうなと思う

全133件中 1 - 10件を表示

川名壮志の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×