- 集英社 (2019年11月26日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784087816839
作品紹介・あらすじ
2019年 第17回 開高健ノンフィクション賞受賞作
犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。
性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、
人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。
そして、戸惑いつつ、希望のかけらを見出していく──。
【選考委員、驚愕!】
・「秘境」ともいうべき動物との性愛を通じて、暴力なきコミュニケーションの可能性を追い求めようとする著者の真摯な熱情には脱帽せざるをえなかった。――姜尚中氏
・この作品を読み始めたとき、私はまず「おぞましさ」で逃げ出したくなる思いだった。しかし読み進めるにしたがって、その反応こそがダイバーシティの対極にある「偏見、差別」であることに気づいた。――田中優子氏
・ドイツの「ズー」=動物性愛者たちに出会い、驚き、惑いながらも、次第に癒やされていく過程を描いたノンフィクションは、衝撃でもあり、また禁忌を破壊するひとつの文学でもある。――藤沢周氏
・人によっては「#Me Too」の「先」の世界の感性があると受け取るのではないか。この作品を世間がどのように受容するのか、楽しみである。――茂木健一郎氏
・多くのファクトに翻弄された。こんな読書体験は久しぶりだ。――森達也氏
(選評より・五十音順)
【目次】
プロローグ
第一章 人間と動物のアンモラル
第二章 ズーたちの日々
第三章 動物からの誘い
第四章 禁じられた欲望
第五章 わかち合われる秘密
第六章 ロマンティックなズーたち
エピローグ
あとがき
【著者プロフィール】濱野ちひろ はまの・ちひろ
ノンフィクションライター。1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。
インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。
2018年、京都大学大学院修士課程修了。現在、同大学大学院博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。
みんなの感想まとめ
動物を愛する「ズー」と呼ばれる人々の世界を深く掘り下げたこの作品は、動物性愛という禁忌に挑むことで、人間にとっての愛や共生についての新たな視点を提供します。著者は自身の過去の痛みと向き合いながら、ドイ...
感想・レビュー・書評
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とってもショッキングな内容でした!ズーフィリア(ズー)というのは、動物性愛者のこと…動物をパートナーとしてその性も含めてかけがえのない存在として愛するということ…。今まで生きてきて、そんなこと考えもしなかったんです。偏見を持っていたんですよね、私…。
ドイツには動物性愛者の活動団体「ゼータ」があり、この作品はその取材内容に基づくものをベースとしています。筆者は自ら受けたDV被害から、性について、愛について知りたいと思ったことがきっかけになったようです。現在は多様性が重視される社会になっていますが、それでも…なんか受け入れがたい!でも、ズーたちは、自然の成りゆきだといいます。
動物は嘘をつかないし、ありのままの自分を受け入れてくれる…確かにそう、なんだけれど…、こういう世界もあるのか…と、知ることができました。この作品の表紙、犬だったんですね…ズーが愛する対象の動物で一番多いのが大型犬、次は馬なんですって…。 -
動物を性的なパートナーとする「ズーフィリア」という極めて扱いづらく、拒絶反応を招きやすいテーマに対し、著者自身が過去に受けた性暴力の傷を抱えながら、偏見を排して誠実に向き合ったノンフィクション。ドイツの当事者たちの日常に深く潜り込み、彼らにとっての「愛」や「共生」の形を丁寧に掬い上げる筆致は、単なる好奇心を超えて、人間同士の性愛に絶望した著者自身の切実な問い直しと重なり、胸に深く突き刺さった。
-
軽々しく口に出来ないセクシャリティの話の中に、聞いたことも無い「ズーフィリア(動物性愛者)」という人々がいるという事をこの本の存在で知りました。
いわゆる「獣姦」という言葉の持つ禍々しさと全く相容れない、動物の意思と幸せを価値観の最上位に置いた人々の姿が描かれています。
筆者の濱野さんは夫からの長年のDVにより、性的なもの、情愛に関するものに本能的に距離を置いています。「愛」「Love」という言葉で表される、拒否を表明しにくい強引さすら伴う人間の性の営みに疑問を抱き、そんな時にズーフィリア(以後ズーと表記)という存在を知り研究にのめりこんでいきます。
果たして動物が意思を表明出来るのか?多分に主観の入り込むテーマですが、このズーフィリアという存在を世の中が認めるか認めないかは、全てここに関わって来ます。
動物にも意思が有り、性欲が有り、それを満たしてあげることが動物にとって幸せな事。幸せの為に動物の性を満たしてあげる。動物が誘ってこない限りそういう関係にならない。
そういうズーの人々が沢山出てきます。
濱野さんはインタビューだけでなく、彼らと数日から数週間寝食を共にして理解を深めていき、次第にズーの人々がパートナーとなる動物や、それ以外の動物へ向ける気配りに溢れた優しい視線に癒されていきます。
ある意味彼女はDVで愛や性という部分に関しての視点が非常にシビアになっているはずです。にもかかわらず、ズーの人々と交流していく中で、動物とズーの関係性を幸せなパートナーシップであると認めるに至った事はとても大きい事だと思います。
興味本位で読まれる可能性の非常に高い本だし、僕も実際興味を惹かれて読んだことには間違いありません。
しかしこれは「情」「愛」「性」について考えるきっかけとなる本です。セクシャルマイノリティの生活を垣間見るだけの本ではありません。
言葉を話すことが出来ないパートナーとコンタクトを取る為、ズーの人々は常にパートナーの姿を追い、何を求めているのかイマジネーションを膨らませます。
人間同士である以上、言葉でのコミュニケーションが主になり、その裏側にある本当の感情は分からない可能性が有ります。いわゆる「嘘」がそこには含まれます。
犬と暮らした人は特に感じると思うのですが、なんでこんなに飼い主の事が好きなんだろうと不思議に感じます。無条件で好意を全開にしてくる彼らとの関係性はある意味完結しています。人間が意図的に関係性を絶つか、犬の命が果てるかしかありません。
「愛」と「性」は非常に密接な関係にありますが、「性」は欲求であり本来「愛」と便宜上定義する感情とは別の物です。相手の欲求を満たしてあげたいという事を純粋に遂行出来るのは、動物のように欲求をストレートに表せる相手にだけなのかもしれません。
ズーとは、相手との密接かつ嘘の介在しない関係の中で、対等にお互いへの「情」を与えあえる究極の共生関係ではないかという気がします。
実際に動物と性的な接触を行うという事が自分の中ではあり得ないですが、あの純粋に自分を見つめてくる瞳の中に、人間では得られない愛おしさと庇護欲を掻き立てられる事は体験しています。なので、動物が自分を求めた事に対して応じてあげたいと思う感情を不自然だとも思わない自分がいます。
社会的にタブーとされる部分と、真摯に向き合ったこの本の意義はとても大きいです。
センセーショナルな内容ではありますが、その中身は温かく光に満ち溢れています。 -
この本で言う"ズー"とは、犬やウマなどの動物をパートナーとする動物性愛者たちのことを指す。
彼らは動物とただ単に一緒に暮らして餌を与えるというようなことではなく、性処理も含めて動物の"生"を丸ごと受け止める、動物と対等な関係を築く、ということを自分たちのスタンスとしている。
昔と比べれば、さまざまなセクシュアリティを持つ人への理解が進んできた日本でも、動物性愛についてなかなか理解できない、そもそも知らないという人の方が多いのではないか。
私自身以前犬を飼っていたこともあるけれど、この本に書いてあるズーの人たちのことを理解するのはなかなか難しかった。
改めて感じたのは、セクシュアリティの問題の難しさ。著者はプロローグにて、このように書いている。
『私にはセックスがわからない。セックスとは、この世に存在するいきもののうち数多くの種にとって、それをしないと遺伝子を繋げない普遍的な行為のひとつだ。(中略)
セックスにそれ以上の意味がないと言われればそこで話はおしまいなのだが、セックスが生殖に限定されるものとは到底思えない』
筆者のこの言葉にものすごく共感して、この答えが見つかるかな、と思って読み進めたけど、さらに混乱が深まった感じがしている。笑
だけどそんなの当たり前で、一冊何か読んだだけでわかるようなことでもないよなと腑に落ちている部分もあり。
読みながら戸惑うことも多かったけど、知ることで偏見は少なくなったように感じる。
簡単に理解ができる内容ではなかったものの、そこにある彼らの愛は尊重したいし、されるべきだとは強く思った。
やっぱり知る努力は大切だし、怠らずに色々なものを読んでいきたい。 -
家族同然で飼っていたペットが、気づかないだけで実は自分にセックスを求めつづけていたとしたら?そしてある日それを知った時に自分はそれを「正しく」対応できるだろうか?
この本を読んだ後では、もうこれまでと同じ視点では動物と接せられないかもしれない。動物も人と同じく尊重される命であり、性があり、性欲がある。今まで自分は動物をペットとしてしか見てなかったんだなあ。
猫を飼うならペットショップよりも保護猫であるべきと思っていたけど、結局「保護する」という行為も人間のエゴであり、果たして猫がそれを望んでいるかって難しい問題だ。動物の尊厳と権利。
でも人間のエゴを断罪して「聖なる」レベルまで倫理的であることが正義になるのも違う気がする。だって動物たちは必ずしもお互いを尊重しながらセックスしているわけではないだろうし、エゴであることの方が自然であるようにも思う。
きっとバランスの問題だ。エゴと思いやりのバランス。 -
自分にとっては物凄く衝撃的な本だった。読んでる間、自分の価値観が思い切りひっくり返されていく感覚。
ズーファイル(動物性愛者)の人々と生活をともにしながら彼らと向き合い、動物性愛とは、セックスとは、愛とは、そして人間とは何かを見つめ直す著者のノンフィクション。
ズーは愛の対象が動物であるだけで、その愛し方はむしろ人間同士のそれより高潔、純真に見える。あらゆる逆境を超えその愛を貫かんとするズーの勇気に感動さえする。
例えば将来生まれるであろう自分の子が先天的にズーであった場合、自分はどうすれば良いだろうか。わからないが、その可能性があるということを知るだけでも心の準備ができる。だからもっと沢山の本を読み、沢山の世界を知っておきたい。あらゆる可能性を受け入れる準備のために。 -
読む前とは世界がまったく違って感じられるようだ。しかし、それはすでに私が知っていたはずの世界でもある。
ズーとは、動物性愛者の自称である。いわゆるアブノーマルなイメージの”獣姦”ではなく、異性愛者や同性愛者の多くが異性/同性と特別な絆を育み、コミュニケーションをし、そのなかでときにセックスするように、ズーのひとびとは特別な動物のパートナーを愛し、関係を築いて、ときには互いの意志のもと、性行動をおこなう(すくなくとも彼ら自身の認識では)、または実現していないにしても、そういった動物との関係性を欲望する。
愛した動物にセクシュアリティを感じて一瞬どきりとした経験があるのを、本書を読んで思い出した。
私たちはふだん飼い犬に性があることすら無視しがちだ。あるいは人間のものとの間に太い線を引いて完全に区分けし、本能という名前でくくり、あたかも単純な条件反射か、機械仕掛けかなにかのように扱うこともある。しかし、同じ動物として、まして不完全であれコミュニケーションをおこなえる間がらであるのに、私たちのセクシュアリティとかれらの”性本能”が、そんなにきれいにわけられるものだろうか。
そっと蓋をしているだけで、すぐ隣にある世界だ。
追記メモ:ズーフィリアをクィアの射程内で考えること
https://www.jstor.org/stable/23254843 -
めちゃくちゃ面白かった。
帯にセンセーショナルな「動物との性愛!」などの言葉が並ぶのでドぎつい内容を想像してしまうけど、なんてことない人間ではない動物をパートナーとして生きていくことを決断した人達の人生に真摯に寄り添って書かれた本。
著者があまりに壮絶な性暴力経験を過去に追っていて、愛やセックスについて今一度考えなおす作業が合間合間に入る。
あくまでパートナーと時間を過ごして生活をする中で、食事をしたり散歩をしたり、運動をしたりコミュニケーションを取ったりなどのひとつに、当然性衝動は入るわけで、パートナーの人生全てに寄り添おうと思ったとき、そこだけ見えないふりをするのは変だろうという考え方。言われりゃ当たり前なんだけど、相手が物言わぬ動物だからこそ理解を得るのが難しい。そこらへんはしっかり向き合って書かれているから読むのが早い。
パートナーのパーソナリティを徹底的に理解して寄り添うってあんまり考えたことなかったのでなんかわが身を振り返ってめちゃくちゃ考えてしまった。
相手が何も言葉を発してなくても触ってほしいと感じているところ、してほしいと思っていることを察してあげれているのか?相手をセックス・トイのように自分の快楽のために利用していないか?いやーーー、自分が満足することに熱中してるとき、ある。反省。そういった意味でも良い機会を頂きました。 -
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Yahoo!ノンフィクション大賞の候補作の中でいちばん心惹かれた。
「動物とセックスする」というのはなかなか強烈なフレーズで、私自身も「え、獣姦?」という発想しか浮かんでこなかった。
ズーファイル、動物性愛。動物をパートナーとして種族を超えた愛を育む人たちがいるということを、私は本当に全くとして知らなかったのだ。
動物性愛は実際まだ明確に定義されておらず、性的倒錯や精神疾患だとする精神医学的見地と、同性愛と同じように性的嗜好のひとつだとする性科学・心理学的見地とに分かれているらしいことも興味深い。
DV被害者である著者は、大学院で文化人類学におけるセクシュアリティ研究を始め、そこから愛やセックスの本質へアプローチするための命題として動物性愛を選んだと述べている。本書は、ドイツにある世界唯一の動物性愛者による団体「ZETA」を訪問し綿密な取材を重ねて書き上げた修士論文を、一冊のノンフィクションとして出版したものだ。
とにかく未知の世界が広がっていた。私も犬と猫を飼っていた経験があって、もちろん可愛くて大好きだったけどそれはペットとして、家族として大好きだったのであり、パートナーや性的対象として見たことは一度も無かった。
けれど本書を読み進めていって、動物性愛者たちが「パーソナリティを愛しているんだ」と繰り返し説明するのを読んで、理解するとっかかりを得た気がした。人間×動物、と考えるのではなく、パーソナリティ×パーソナリティと考える。
そして気になっていたズーと彼らのパートナーとのセックスについて、ZETAのメンバーたちはそろって、動物とのセックスはあくまで”自然に”始まるのだと答える。食べること、遊ぶこととなんら変わらない。とても自然で、ただただ楽しんでいるのだと。同意の意志表示ができない動物とのセックスは虐待だ、と断罪する声がある一方で、そこまでずっと動物性愛について読んだ私は決してその行為を虐待だとは言えない。
エドヴァルドとバディとティナの関係はそれでも複雑で難しかった。元々エドヴァルドが動物性愛者でバディという雄犬のパートナーがいる。そして人間の彼女であるティナにそのバディとの関係をカミングアウトして理解してもらった。二人と一匹は、三者で愛を育めるようになり、バディがティナとセックスするのをエドヴァルドが献身的にサポートする。書いていても頭がこんがらがってきた。ズー・ゲイやズー・レズビアン、そこにアクティブハートとパッシブハートがあり、さらに動物と人間のポリアモリーもあるということか。
ズーの世界はとにかく奥が深い。
同じような関係性は世界中に一つとして存在しない。でもそこには人間同士となんら変わらない愛の本質がある。種族や関係を超えて、個と個で愛し合うことのありのままの姿がある。うまく言えないけれど、ともかく私は本書を読んで、セクシュアリティについて知っておくべき新たな側面を得られたのだと思う。 -
ドイツの動物性愛のグループ「ZETA」のメンバーに直接取材した「獣姦嗜好」とは異なる「動物性愛者」の姿に迫るノンフィクション。
プロローグでいきなり自身のDV・性的虐待についての語りがあって、最初ちょっと苦手なタイプのノンフィクション(あまり著者が前面に出てくるノンフィクションは苦手)かもと思ったが、読み進むうちにこの本・著者に関してはそれで良かったと思うように。
登場する「ZETA」に所属するズーフィリアたちは、自分たちの性的指向に対して真面目であり高潔ささえ感じさせるものがある。しかし、それゆえに何処か胡散臭さも感じる。彼らが意図的なのか無意識的なのかはともかく何処かに欺瞞があるのではないか疑いを持つのは自分が下卑た人間だからか。
ただ、著者自身が書いているように、「ZETA」がズーフィリアのすべてを代表する訳ではなく、彼らとは考えを異にする人たちも多い。この本の中にも「ZETA」から嘘つき呼ばわりされているエドガーという人物が登場するが、時間的制約でキチンと取材できずに終わっているのが残念。そういう意味で、この本はズーフィリアのすべてについて語るものではなく、その極一部にスポットを当てただけのものに過ぎない。しかし「ZETA」の人たちの主張は綺麗事かもしれないが、著者の感じるセクシャリティの在り方に対する疑問やそこに潜む暴力性に対する回答とまでは行かないにしても、それまでとは異なる新しい側面を提示したとはいえるのではないだろうか。
結論のあるものではないが、起点とはなる一冊、 -
*
ノンフィクション
動物性愛 ズーフィリア
筆者 濱野ちひろさんの、
身体的、精神的、性暴力の経験を伝えた上での
セクシュアリティについての本です。
動物性愛・ズーフィリアをズーと呼び、
パートナーである動物との関わり方、
愛し方、個々のパーソナリティ。
愛する対象の動物の生にも、性があり、
それも含めて、それぞれのズーの
愛のカタチについて綴られています。
-
自分には遠い世界のものと思っていた、動物とのセックスについての本。 最初はあまりにも異質と言っていい世界の話の連続だったけれど、著者の観察者に徹しようとしながらも、ズーの人たちとの関わり方、それを踏まえた考え方の…上手く言えないけど、人柄みたいなもののおかげで、最後まで読むことができた。 ズーの人達が伝えたい、叫びたいことが著者を通して、自分なりに理解ができたと思う。 動物が裏切らないと言う彼等の話や、一定の考えは凄く納得いくものだった。
多様な生き方が推奨されている今なら、どんな生き方だって、考え方だって自分が共感できる場面があるならば、少しでも寄り添えられるんじゃないかな。 読み終えた今も、色々な考えで頭がいっぱいだけど、目線を変えた愛の先を考える良いきっかけになった。 -
そうだよな、キリスト教は近親相姦と生理中女性との性行為た不倫と同性愛性交と獣姦を禁止してる上に、やったら死ねって書いてあったな……。
獣姦って字面もまたあんまり…なのかも分からんな。
確かに、人間でも動物でも無理矢理酷いことするのは大罪だけども。無理やりじゃないんです合意の上なんですー言われたら、お、おう……ってなるのはやむなしな訳で…。
でも、動物相手じゃあアンタ同意って何で分かるんや…?????って、はたから見たら思うわけで……。
うううん…難しい……、大変な性愛志向だ……。
犬とお馬さんをセックスパートナーに選ぶ動物性愛者が圧倒的に多いってのも…なんか…タイムリーでびっくりしつつ、なんか納得したな…。
でも、海外でもお馬さんを所有してる人は牧畜の人達以外は金持ちばっかイコール地位名誉のある人ばっかだから、余計にお馬さんをパートナーにしてるとは言いづらい……。
それにしてもメスのお馬さんにお誘いされる少年の描写、セクシーでわろた…。すげえ……。
なんかそういうのも含めて、お馬さんとか四足動物のレイプ事件って多いのかもな……。
あと動物性愛者にもヘテロと同性愛関係があるのか、とか……。
体格差から、動物を傷つけないが絶対条件……何故なら彼らは大前提で動物が好きだから…。なるほど……。
でもそれは、ちょっと言い方があれだけども、動物にペニスを挿入しない側の動物性愛者はハッキリ自分とパートナーの関係を他者に言えるけど、挿入する側での動物性愛者は正直言って、堂々と話せない……。
ううううん、難しいことだ……。
動物性愛者でありつつも特定のパートナーは持たずに、ネズミの群れと共同生活を営む男…。
アニメ「ワンワン三銃士」で性の目覚め……。す、スゲエ…。 -
動物性愛の人々をズーと呼ぶ。彼らは世間の偏見や法律の改正の影響を受けて自身のセクシュアリティーを著者に打ち明けるまでに時間を要した。
ズーの中には自分を偽りうつ病を発症した人もいる。
実際の彼らは動物を心から愛しペットとしてではなくパーソンとして対等性を重視して接していた。
動物と人との有り方を考えさせられるノンフィクション。 -
こちらも一気読み!
動物性愛とは…
非常に新しい視点、新しい価値観だった。
嫌悪感というよりもズー達の人生ではあり得る世界なのだ、幸福な世界なのだと思わせる、ルポの進め方が素晴らしかった。
ドイツのナチス後の反動、性愛に対する自由主義化という知らなかった側面も知ることができ、多文化を知るという観点でも読み進める手が止まらなかった。
興味本位なのではなく、著者の方の傷が癒えていく旅だった。(毎回一部の男性の自己本位性や暴力性には、物凄い嫌悪感を催す)
キリスト教の洗礼を受けご両親に大切にされてきたであろう女性がなぜそんな酷い男から逃れられなかったのかという矛盾を感じた。悪い形で共依存になってしまっていたのではないだろうか、とも。
大きな傷を受けた人間が再生する物語が好きかもしれない。 -
動物性愛というキーワードに、まずは嫌悪と興味を同時に覚える。が、読むと、筆者のDV被害体験、フェミニズムとは?虐待とは?ありとあらゆる問題についてわからなくなってしまった。大変良いノンフィクションです。是非。
著者プロフィール
濱野ちひろの作品

そうなんですよね!
この本を読んでも、その境地にいるズーを
理解できるところまではいかないと思...
そうなんですよね!
この本を読んでも、その境地にいるズーを
理解できるところまではいかないと思うんです。
私もそうだし^^;
いろんな世界がありますね、、、!
いろんな世界がありますね、、、!
私も、知らない境地でした^^;
ホント、驚きです…が、
こういう世界もあるんですねぇ…。
私も、知らない境地でした^^;
ホント、驚きです…が、
こういう世界もあるんですねぇ…。