うまれることば、しぬことば

  • 集英社 (2022年2月25日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (264ページ) / ISBN・EAN: 9784087880694

作品紹介・あらすじ

陰キャ、根暗、映え、生きづらさ、「気づき」をもらった……あの言葉と言い方はなぜ生まれ、なぜ消えていったのか。「ことば」にまつわるモヤモヤの原因に迫る、ポリコレ時代の日本語論。古典や近代の日本女性の歩みなどに精通した著者が、言葉の変遷をたどり、日本人の意識、社会的背景を掘り下げるエッセイ。以下、章題。
・Jの盛衰・「活動」の功と罪・「卒業」からの卒業・ 「自分らしさ」に疲弊して・「『気づき』をもらいました」・ コロナとの「戦い」・「三」の魔力・「黒人の人」と「白人」と・「陰キャ」と「根暗」の違い・「はえ」たり「ばえ」たり・「OL」は進化するのか・「古っ」への戦慄・「本当」の噓っぽさ・「生きづらさ」のわかりづらさ・「個人的な意見」という免罪符・「ウケ」たくて。・「You」に胸キュン・「ハラスメント」という黒船・「言葉狩り」の獲物と狩人・「寂しさ」というフラジャイル・「ご迷惑」と「ご心配」・「ね」には「ね」を

感想・レビュー・書評

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  • 初めて酒井順子さんの本を読んだのは8年前
    これが36冊目になります。
    でも昨年は2冊。
    具合でも悪いのかなあと気になっていました。

    でもそんなことはないようで、
    今回もすごく面白かったです!マジで。本当に。
    安心しました。

    今日は地下鉄サリンから27年で、
    NHKニュースでそのことについて放送していました。
    事件の後に生まれた人たちの感想を聞くと、
    自分たちとはずいぶん違うのですね。
    似たような思いを、この本でも感じました。
    生まれた年によって、感想が変わってくる本だと思います。

  • ことばって、ほんと生き物ですよね。新しい事象が生まれると、それにともなって新しいことばが生まれる。手紙から電話、そしてデジタル技術による伝達方法へと移ってくると、それに伴ってことばも変化。使う年代の主役が変わるので、急速に変化。それまでの、会って相手のまなざしを見ながら、心を思いやることばなんて、不必要。

    「活動・●活」「卒業・終了が卒業」「自分らしさ・でみな片付けて」「ばえ・映え、栄え」「個人的な意見」「YOU・おまえ、君」「言葉狩り・獲物と狩人」「ご迷惑とご心配・誰に?」・・いろいろありますな。

    新旧、ことばの変化は、自分の世間度を測るものさしになりそうです。

  • たまたま続けて読んだ本が言語絡みだったのですがこちらはエッセイ。
    発刊は2022年なので既に現在からすると「もうそれ使ってないな」という言葉もちらり。また、コロナ禍の真っ最中の書かれたこともありコロナに絡んだ世の中の情勢を振り返る内容ともなっていて、読んでいてある種懐かしさと言いますか「あの時大変だったよね」という哀愁と言いますか、そんな一抹の物悲しさも感じさせられました。
    言葉から世相が見える面白さを感じられた一冊。

    酒井さんはこの手の考察を文章にされるのがバツグンに上手だなぁといつも感心させられてしまいます。
    このテーマでよくこれだね書けるよなぁというテーマもあり、さらに絶妙にシモ系話題をさらりと入れてきて嫌味でないのはさすが稀代のエッセイスト。

    「本当」の嘘っぽさ、の章では読みながら反省しました。自分の周りの人がいかに私に気を使い関係性を損ねないよう対応してくれているのかを知った思いでした。
    p139 善意によって磨かれた演技力によって、本当の思いとは正反対の表情を浮かべることができるのです。
    私が太ったと自虐した時も、昭和のおじさんのようなつまらない駄洒落を連発した時も、冷ややかではなく曖昧⋯いやマイルドな微笑みで対応してくれていた優しさにもっと、感謝しなくてはと思い知ったことでした。
    「生きづらさ」のわかりづらさ、の章では、生きづらさに名前をつけることを陣地づくりのようなのと言っておられます(p150)なるほどと。
    状態や症状に名前がつくと安心するという人はとても多いと思います。まさに「生きづらさ」ブーム。これはまだ現在も続いているしもうしばらく続きそうに思います。

    「You」に胸キュン、今読むとジャニーさんのことなどドキッとしますが、自分は私のことを「あなた」と呼んでくれた知人のことを思い出しました。古くからの知人で職場の上司でプライベートでは友人や先輩のようで関係性をどう言ったら良いのか分からない間柄の人だったのですが、唯一自分の周りで私を「あなた」呼びする人でした。懐かしくなりました。
    しかし「あなた」は確かにもう口語としては死語かもしれない⋯
    でもYou呼びも流行って欲しくないな⋯

    「寂しさ」というフラジャイル、の章、「別に寂しくないですけど」「寂しいかどうかは私が決める」(p212)頷きました。
    自分が親を亡くした時年配の方から「お寂しくなりますね」と声をかけられたのですが慰めてくれていることはわかるのですが初めて聞いた言い回しだったこともありとても違和感を感じたのを覚えています。
    いや、うちの親のこと知らないですよね?寂しいかどうか忖度されたくないですと思ったことも覚えている。人に言ったことはないけれどこの章を読んで膝を打ちました。

    「ね」には「ね」を、の章、これもまた深く頷き。
    気づくと返信文が「ね」だらけになっていて読み返して「文章がうるさい」と思うことがままあり。無意識にやっていたことが酒井さんに解説していたたくと「そうそう!そうだったんだよ(のよ?次章、だよ・ねよに絡む語尾)」と腹落ち感が。
    酒井さんの深掘りの場所?の的確さにかゆいところに手が届いたような爽快感がありました。

    そして「ハラスメント」という黒船、お尻を触られてもそんなもんだと思ってた時代にOLしてたなぁと。
    これも「ハラ」名前がついたことで認識できたことの一つと思います。
    本書でも、アナウンサーがスカートが長くて残念とか女性を殴るのが愛情の表れと思われていたのような話が出てきますが、今思うとすごい時代だったなぁと思います。今の若い人たちには考えられないでしょうね。

    あと10年くらいして本書を読み返したなら、コロナを振り返る、それ以前の日本を振り返る、もう歴史書のように感じられるかもしれませんね。

  • 私たちが何気なく聞き流している言葉を分かりやすく事例を示し深掘りしてくれた本で大いに楽しめた。
    “「ケア」という言葉についても、私は今一つその実態を理解していません。何かをカタカナ語で言われると分かっていないのに分かったつもりになる事がしばしばありますが、「ケア」にしてもそうなのです。
    何かを助けたり面倒をみたり気にかけたりというイメージが「ケア」にはありますが、それは生きるか死ぬかという時に使う言葉では、なさそうです。
    人命の「ケア」とは言いませんが、「毛穴のケア」「キューティクルのケア」など、「何もしなくても今すぐどうこうということはないが、大切に扱ったほうが長い目で見た時に良い」という対象にほどこすのが「ケア」なのか。すなわち「治療」や「救助」まではいかない、その手前にある手助け全般が「ケア」という印象です。“
    上記はやたらカタカナ英語を使い、何となくわかった気分になっている私への警鐘になった。

    ”勇気をもらった”、”感動をもらった”、という“もらった”は日本文化の贈答文化と関係している、なのでもらったらお返ししたくなるもの。
    ”彼”、”彼女”という言葉の起源も初めて知った。元来、“彼”はあれという意味で人にも物にも使用されていたそうだが英語のsheに習い“女”をつけて“彼女”と言う言葉が出来たそうだ。実際、大正頃迄の小説には女性を彼と記していた作品もあったらしい。
    芸能人の不倫のニュースを見て世間の皆様に“ご迷惑”と”ご心配”をかけたことを深くお詫び致しますと謝罪会見に言われると著者は不倫有名人から謝られる筋合いは全く無く、こちらとしては不倫報道によって大いに楽しませてもらっているし、その人から迷惑もかけられてはいない。
    謝罪会見とは江戸時代における市中引き回し同様、悪事を犯した人を見たいという世間の欲求を充足させるために行われるイベント、人々は不倫が世に知られてしまった人の姿を見てこの人に比べたら自分はなんと正しく生きていることだろうと満足したり、「危ない危ない、自分も気をつけなければ」と気を引き締めたりする。

    スポーツの世界の”そうですね”は相手が言ったことを肯定しつつ、回答の為に少しの猶予を求める為の言葉。
    ”ね”は寂しがり屋なので常に相手の反応を欲している。「これ美味しいね」と誰かがいった時に求められているのは「うん」ではなく、「美味しい」でもなく「美味しいよね」という返答。”ね”には”ね”を返してほしいと期待して、発言主は”ね”を使用している。共感を大切にする生き物である女性は特に”ね”を多用する傾向にある。
    末尾のあとがきも興味深かった。“ハンサム”は”イケメン”に取って代わり”超〇〇”という言い方は”めっちゃ〇〇”の勢いに凌駕されたた。
    今、我々が使用しているのは、生死を繰り返す言葉の残骸が堆積してできた分厚い層の、ほんの表面部分でしかなく、言葉は生まれ変わり続けるということがわかった
    著者の視点、知識、分析に脱帽した良書であった。

  • 久しぶりに酒井さんの著作を読んだ。たしか経営雑誌で紹介されていたのではなかったか。
    コロナ前から最中に書かれた作品だが、これまであまり意識したことはなかったが、ことばが時代とともに変わっていくことを改めて認識した。とはいえ文庫化もされているようだが、基本的にそんなに加筆していないのではなかろうか。
    ことばは、政治家の舌下に及ぶこともあるが、印刷されるものは編集者、校正者の目を通るから現状危険性は薄れる。SNSの表記、喋りは危険性を大いにはらんでいる。
    こうして書いていると、「そうですね。この本はとてもためになりました」といえる。

  • うまれることば、しぬことば
    酒井順子

    ∞----------------------∞

    たったひとつの言葉で、ここまで追求できるのかと感心した。色んな方向から物事を見ようと思っているのだけど、私はまだまだ浅いなと思う。

    ここから長いです。

    ●「J」は「日本」よりもかっこよく爽やかに感じてもてはやされたが、今では軽く見られてしまうという存在に。
    ●以前は自然に流されて出来たことを「活動」するようになった。「〇〇活」はプレッシャーも与えるが「活きる」と思って気軽に捉えよう。
    ●実質クビでも「卒業」と言われる時代。相手を思うと言うよりも、言い難いことを曖昧にしてしまっている残酷な言葉。
    ●「男らしく」「女らしく」と言われてきた世代よりも「そのままでいい」と育てられた世代の方が「自分らしさ」を追求する。
    ●自分の感情や気づいたことすら人からもらったことにしたい。「分かった」ではなく「分かりみが深い」は曖昧。
    ●「負けるな」「強くなりたい」など正義に我ありと思うことと、コロナを戦争と見なす感覚は同じ。
    ●「日本三大〇〇」や諺、慣用句に多く用いられる「三」。「二」では少なすぎ「四」では多すぎる。人は3人集まると社会になる。
    ●「黒人の人」と「白人」、「男」「女」と「男性」「女性」。長くすると柔らかく聞こえる。「外人」ではなく「外人さん」。「さん」をつけ、ラッピングして当たり障りなくする。
    ●「根暗」の生みの親はタモリ。「陰キャ」はキャラクター性であり性格ではない。「陽キャ」で「根暗」もいる。バブル前後で「暗」や「陰」の価値が変わった。
    ●紫式部日記や枕草子の頃の「映え」は着物の色や髪など。現代は見かけこそが大事と認識され「映える」対象も変わり、羞恥心も薄れてきている。
    ●以前は「女優」「女医」など女という但し書き付き。今では男性と同じ呼称になったが「〇〇女子」など別の言葉が増えてきている。カテゴライズ行為はその中のものを平板化してしまう。
    ●「新」が登場すると古いものがダサく見える。「新〇〇」も摩耗するが付けずにいられない。好意的に捉えられるまで20年。半腐れが古い。
    ●人の言葉は嘘でできているから「本当」をつけなければ信じてもらえない「ありがとう」。「本当の〇〇を知っているか」は実際大したことがない。
    ●「生きづらい」原因は他者にあり自分は被害者という傾向がある。
    ●言いきれない言葉にべんりな「よう知らんけど」「あくまで個人的な意見ですが」など曖昧にする表現が多様にある。しかし説得力のある言い切りに憧れも抱く。
    ●「ウケる」は受け取るの意。ウケを狙って失敗した政治家の多いこと。
    ●歌詞の中の女性に「おまえ」と呼び男性を「あんた」と呼んでいた頃。今では乱暴で雑な響きだが、今の歌詞にある「君」「あなた」を使う訳でもない。「You」の便利さ。
    ●セクハラ元年より前と後で生まれた人たちの「〇〇ハラ」に対する受け止め方の違い。オシャレに知的に怒るムーブメント。
    ●自分の言った言葉が非難され「言葉狩りに合う」のが怖いとは、新ルールに対応できない古い人間と思われるが、今問題ないと思っている人も時代が進めば自分もそうなる。
    ●かつては核家族化を嘆いていたが、今は1人の方が気楽で幸せ。それが当たり前になり、今度は寂しいと言いづらくなる時代に。
    ●「ご迷惑とご心配」「ご指導とご鞭撻」「ご理解とご協力」「ご健勝とご多幸」セットされた定型文。本来の意味を分からず使っていないか?
    ●スポーツのルーティンのように使われるインタビューの一言目「そうですね」は和歌の枕詞に近い。「ね」は「ね」で返す。「ね」だけで通じる会話。
    ● 英語はユニセックスな言葉で、ジェンダー問題から字幕の女性の言葉遣いが変わり、字幕だけでは男か女か分からなくなった。「わよ」「のね」など。日本語は女用文字のかながある。

    2024/03/28 読了(図書館)

  • いつもながら、鋭い視線。
    楽しく読ませていただきました。
    酒井さんの他の本も読みたいなー。

  • アスリート達が、インタビューを受けた時にまず言う言葉「そうですね〜」、これが以前から気になっていたので、これを読んで、そうだったのか〜と納得した。

    今まで会話の最後に無意識に追加してた「・・知らんけど。」、全国的に広まってたのか・・知らんかった。

  •  意識的でも無意識のうちにでも、選びとる言葉によってその人の性格や心持ちがわかる。
    どんな言葉がうまれ、あの言葉が消えていったかを、著者の個人的見解で書いているが、読んでいて違和感を覚えた。
     きっと、自分は著者の言葉、文体に引っかかりを感じてしまうのだろう。

  • ことばの移り変わりを描くエッセイ。私達は普段なにげなく使ってることばの一つ一つの意味をわざわざ考えていない、が、その中にある気持ち悪さや、「おや?」という気持ちを思い出させてくれる。いちばん頷いたのは「Youの不在」だった。英語を勉強してると、居心地が悪くも、日本語と違い、思い切りの良さを感じられるのも事実。自分の口から放たれる一語一語に無関心でいてはいけないと強く思うのだった。知らんけど。

  • 天才だ…

    エッセイって、文体、雰囲気、取り上げる題材全てにおいてとても難しいというか自分には決して書けないものだと思うのだけど、その中でもこれは絶対に書けない。

    言語学的知見、鋭い観察力、経験則からの考察、全てがうまく噛み合って、世の中を生きる皆に刺さるように構成されている文章…そして読みやすい。あっという間に読み終わった。読み終わったと同時に、もう一度読みたい。そして流行り廃りがあるものなのはわかっているけど、一部手元に残しておきたい一冊。


    Jの盛衰
    「活動」の功と罪
    「卒業」からの卒業
    「自分らしさ」に疲弊して
    「『気づき』をもらいました」
    コロナとの「戦い」
    「三」の魔力
    「黒人の人」と「白人」と
    「陰キャ」と「根暗」の違い
    「はえ」たり「ばえ」たり
    「OL」は進化するのか
    「古っ」への戦慄
    「本当」の嘘っぽさ
    「生きづらさ」のわかりづらさ
    「個人的意見」という免罪符
    「ウケ」たくて。
    「You」に胸キュン
    「ハラスメント」という黒船
    「言葉狩り」の獲物と狩人
    「寂しさ」というフラジャイル
    「ご迷惑」と「ご心配」
    「ね」には「ね」を
    「だよ」、「のよ」、「です」

    p.130 「古っ」への戦慄

    新しいものは、瑞々しい。しかし、新しいものがたっぷりと含んでいる水分は、腐臭を発しやすくいちど腐ると、なかなか乾くものではありません。流行が腐った後、完全に乾ききるまでに最低20年もかかる、と言う事でもあるのだと思います。我々はしばしば、時代遅れの事象、「古っ」と笑いますが、「古っ」と言われるのは、半腐れ、というか、生乾きというか、その手の状態にあるものでした。しかし、乾ききってしまえば、「古っ」とは言われずに、「レトロ」「懐かしい」「クラシック」などと、好意的に捉えられるようになる。少し前までは半腐れ状態で、「昭和って感じ〜(笑)」と揶揄の対象になりがちだった事物の、特に令和となって以降は、昭和が2世代前となったこともあって、すっかり乾き切ったようです。レコードがCDよりも売れているとか、フィルムカメラがいいとか、シティポップ最高だよねなどと若者たちが言うのを見れば、昭和もやっとフリーズドライ化されたと言う考えが湧く。さらに年月が経てば、昭和の文化はさらに賞賛されることでしょう。東大寺を見て、「古っ」と言う人はいないわけで、一定時間の古さを持つのは、文化財として大事にされていることになるのです。

    新しさがちやほやされるへ→半腐れ状態が「古っ」と嗤われる(わらわれる)→古さが賞賛される…と言う流れは、ファッションであれこれまであれ、言葉遣いであれ、同様です。人間にしても、新しい人間、すなわち、若者や子供は、その新しさを持って賞賛されるのであり、高齢者もまた、その経験の積み重ねやら達観ぶりやらで尊敬される。…のに対して、若者でも、高齢者でもないハ半腐れ、と言うのに、語弊があるのなら、中古の人間は、なかなかそのあり方が難しいのでした。

    …私が若かった頃も、祖母が「神神」やら「鴻巣」やら言った古い言葉を使うことに「する」と言わなかったし、祖母がいつも着物姿で入るのも、古い友田埼玉思わなかった。中古ではなく、太鼓の人になれば、かえって自由になることができるのではないか。

    が、しかし。そのような期待の前にはては、君が立ち込めているような気がしてなりません。
    私が若かった頃の高齢者が、まだ尊敬される資格を持っていたのです。祖父母世代は、戦争や、何なら、関東大震災もくぐり抜けてきた、苦労人。年をとっていけばいるほど、経験を積んでいると言うことで、確実においしい漬物をつけたり、風の吹き方で明日の天気を予測したりするといった知恵も、持っていました。

    対して、私たちの今の生活は、経験値が積み上がらない仕組みになっています。長年ぬかみそをかき回し続けなくても、誰でも美味しく漬けられるぬか床を簡単に買うことができるし、ぬか床などなくても漬物そのものを買えばいい。おばあちゃんの知恵的なものは、ネット検索や100円ショップで代替可能となりました。

    また、戦争も貧困も知らない我々は、むしろ歳下の世代よりも楽して生きてきたと言うことで、人生観も生ぬるい。着物は仕方も知らないので、渋いおばあちゃんになることもできません。IT化も、未来の高齢者にとっては味方にならないでしょう。IT技術は積み上げるものではなく、更新されるもの。更新ペースについていくことができない高齢者は今にも増してお荷物扱いされることが確実です。IT化は、若さや新しさが偉いと言う時代の流れを、さらに強めるのです。

    我々が高齢者となる頃には、長年積み上げて熟成された知恵を持つ年寄りは、その存在自体が珍しくなりましょう。一部の職人や伝統芸能の世界でのみ、経験値の高い高齢者が尊敬され、積み上げようのない経験しかしてこなかった高齢者の大群が出現することになりそうです。

    p.236 「ね」には「ね」を
    何も話したくない時も、思いっきり泣きたい時もあるだろうに、まだぜいぜいしているアスリートをカメラの前に立たせるその仕打ちは、残酷です。全力を出し切った直後に、「話す」と言う専門外のことをしなければならないのは、どれほどストレスであることか。

    かといって、どんなに悔しくても、悲しくても、はたまた、嬉しくても、うっかりしたことを言えば、たちまち叩かれてしまうのが、今の世。「めんどくさいなぁ」「くだらない質問してんじゃねーよ」と言った気持ちは、おくびにも出してはなりません。そんな時に「そうですね」は、やはり便利な言葉なのでしょう。インタビューが嫌であっても、「そうですね」と言うことによって、インタビューの質問をまずは肯定してワンクッション置くことができる。アスリートにとって「そうですね」は、いつも一緒にいて精神を安定をさせてくれる、ライナスの安心毛布のような役割を果たすのかもしれません。

    ほとんど意味を持たないので、なくてはならない、今は無用の用を果たしている、インタビュー時の「そうですね」。オリンピックにおいて「そうですね」のリンクを聞いているうちに、私は「これは和歌における枕詞のようなものかも」と思えてきました。「ひさかたの」とか、「あをによし」といった枕詞と言うものが、平安時代前後の和歌には使用されている、と、学生時代の古典の時間に習いました。「ひさかたの」であれば、光、空など、「あをによし」なら、奈良と、かける言葉が決まっており、とは言え、枕詞はニュアンスを醸し出すだけで、それ自体には意味がない、と聞いたときに、私は、「なぜ限られた文字しか使用できない中に、意味を持たない枕詞のなどを入れるのだろう」と思ったものでした。もっと意味のある他の言葉を入れて、さらに歌の密度を高めればいいのに、と。

    しかし和歌を眺めていると、さほど意味の持たない言葉は、枕詞だけでなく、そこここにちりばめられているのでした。表現したいことが31文字と言う「型」よりも、小ぶりのサイズだと、なんとなくムードはあるけれど、意味は無い、エアパッキンのような言葉を挟んでカサ増しする必要があるのです。

    …「そうですね」の「ね」と言う最後の文字にも、注目したいところです。「そうです」と「そうですね」では、大いに感じが違ってくるわけで、会話文において「ね」は重要な意味を持ちます。話の最後に「ね」をつけると、相手へ積極的に働きかけている感じが出るし、それも敵対的でなく、友好的な、できれば、こちらの意見に共感してもらいたいんだけどなぁ、といった空気も伝わる。

    …相手に歩み寄る姿勢がそこに生まれます。「な」とか「ね」、地域によっては「の」など、主にな行の文字を会話の最後にくっつけると、「相手との距離を縮めよう」と言う意思が、立ち上がるのです。

    「ね」は寂しがり屋なので、常に相手の反応も欲してもいます。「これ、おいしいね」と誰かが言った時に求められているのは、「うん」ではなく、「おいしい」でもなく、「おいしいよね」と言う返答。「ね」には「ね」を返してほしいと期待して、発言主は「ね」を使用しているのです。共感を大切にする生き物とされる女性は、特に「ね」を多用する傾向にあるのでした。

    …我々は「ね」をやり取りすることによって、「私はあなたの敵ではない」と言うことを伝え合い、そこに安全地帯を形成しているのです。

  • p20 家族社会学者の山田昌弘氏が、『婚活』という言葉の生みの親です。

    p30 ジャニーズアイドルの場合はらメンバーがやめるときも、「卒業」という言葉は使用しません。〜中略〜メンバーが辞めることは、すなわち「脱退」。アイドルにおける「卒業」は、新しい誰かが入ってくることを前提とした上で使用。

    確かに二人称ユーがいちばん楽だわ〜

  • まず冒頭ページで、あれ?と。「~なのです」と「思われる」が常体と敬体が混在しており気持ち悪い

    そして、全体として気軽に語られている明るい文体なのにときおり「~と言えましょう」などと、小難しい説明文のような文が出てくる違和感。

    あれれ?「負け犬の遠吠え」は読んだことがないけど、バサっとした切り口が小気味良い文章を書くひとだと認識していたのに、しかもこれ、言葉の本なのに、残念

    同年代と思われるので書いてあることにはいちいち納得、同調できるところあまた。でも最後まで読むにはちょっとしんどかった。

    図書館で借りたけれど、4分の1も読まずに返してしまった。

  • 2023年15冊目。
    いつの頃か、若者言葉の意味が全く分からなくなった。人生で若者言葉を使う時間はもの凄く短いのかもしれない。

    「焼き増し」懐かしい!!!
    修学旅行の写真を大量に焼き増しをした高校時代の記憶が一瞬で蘇った。言葉でも記憶は蘇る。
    そして、自分は間違いなく「陽キャラの根暗」だ。

  • 言葉は水物。社会の変容に沿う言葉が日々アップデートされ、形を変えたり、意味合いを変えたり、言葉の使われ方が当世感の象徴、時代を映す鏡になってたり。。。

    言葉の解釈が全年代共通しているわけではない。年代だけの尺度だけでは推し量りかねるし、生まれ育った環境、社会情勢、性別、性格、という多角的な視点を踏まえれば言葉の意味合いは無限の解釈の余地がある。

    令和という時代から見た死語、新語。
    わかりみ深さは今だからこそで、
    これがまた10年後、20年後、同等の価値観のまま在るとは考えづらく、だからこそ今の時代の大きな流れを捉える為の足跡として型取っておくのは重要なのかもしれない。

    具体的で明晰な筆致、論旨。

    カジュアルみ故パラパラ読めてしまえる読み味。

    「根暗」発案者はタモリ。

    軽チャーの時代だからこそのカウンター語。

    らへんが一番面白かったかな。(個人の感想です)

  • 読み応えあるエッセイ。時代の風を感じさせる。
    いつも読む感じよりも、文化論に近い。ことばの持つ意味合いについて、ハッとさせられることも。
    「映え」の考察など、見事に世相を斬ってみせた。
    個人的な好き嫌いだが、エッセイの分量としてちと長いか。半分でも彼女なら上手く書けると思ってしまった。その分、もっと雑多なことばをたくさん扱って欲しかったかも。そして、もっと乱暴なくらいに言いたい放題で。言葉狩りやポリティカル・コレクトネスの時代には難しいのかもしれないが。

  • 「生きづらさ」と言う言葉が自分のせいではなくて、僕が私が生きづらいのは社会、世の中のせいだっ! みたいな気持ちを表している、といった箇所を読んでなるほど~と思いましたかね…社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    以前なら心の弱さなどは自分のせい、とするところを最近の若者(笑)は他者、いや、世の中のせいにする傾向があるとか…まあ、本人らはそんなこと考えているわけじゃなくとも、「生きづらさ」というワードからは確かに自責というよりは他責のような雰囲気を感じざるを得ないですねぇ…社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    他にも色々と気になる点はありましたが、読了した瞬間に忘れました(笑) 社畜死ね!!

    ヽ(・ω・)/ズコー

    目次を見て思い出す行為をしてみましたけれども…陰キャと根暗の違いとかね…てか、今時の若者って「根暗」ってワード、知らないんですね…衝撃でしたわ…

    あと、「根暗」と言うワードがタモさん発、ということも初めて知りましたとも…色々と勉強になる著書でしたね…。

    さようなら…。

    ヽ(・ω・)/ズコー

  •  イクメンなんだー!と育児をしている男をひとくくりにしないでほしい。わかる!その気持ち!

     カテゴライズと言う行為はするほうが楽しいけれどされた方がさほど楽しくない。そのカテゴリーの中に存在する様々な濃淡や凸凹やらをツルッと平板化する。
    言われた方は微妙な心持ちになる。

     言葉って大事だなと改めて思う。感覚、世代、差別、性差、上下関係など、言葉を変えることでその軸も変わってくる。

  • 私たちが日常何気なく使用している日本語について、なぜこのような言葉が生まれ、そこに何が埋まっているのかを筆者が考察した本です。
    おもしろい考察が多く、楽しく読めます。
    本書にも書いてあるとおり、今はポリコレ、ネットで炎上等があり、言葉使いに気を付けて話す機会が多いので正直疲れることも多いですが、考察してみるとおもしろいものです。

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著者プロフィール

エッセイスト

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

酒井順子の作品

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