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本 ・本 (272ページ) / ISBN・EAN: 9784087901788
作品紹介・あらすじ
「善悪二元論」が世界を見る目を曇らせる。
世界を善と悪に分ける「正義」の誘惑から距離をとれ。
【DD(どっちもどっち)】派から見た日本社会の姿とは?
ものごとを瞬時に判断すれば、膨大なエネルギーを消費する脳を活動させるコストは最小限で済む。
そのためわたしたちヒトは進化の過程で、面倒な思考を「不快」と感じ、直感的な思考に「快感」を覚えるようになった。
すべての対立を善悪二元論に還元することは、いわばヒトの“デフォルト”だ。
ところが現代社会では、簡単な問題はすでにあらかた解決されている。
いまを生きるわたしたちが対処を迫られるのは、対立する当事者がいずれも「善」を主張し、第三者には単純に判断できないような【DD】的な問題なのだ。
面倒な問題をまともに議論する気のないメディアへの信頼感が失われ、SNSではそれぞれが交わることのない「真実」や「正義」を掲げる。
――そんな世の中ではとかく嫌われがちな、しかしそんな世の中にこそ必要なはずの【DD】な思考から、日本や世界がいま抱えている社会問題に鋭く斬り込む。
<目次から一部抜粋>
Part0 DDと善悪二元論 ウクライナ、ガザ、ヒロシマ
・国際社会の「正義」が戦争を泥沼化させる
・イスラエルvsユダヤ人
・ヒロシマからアウシュヴィッツへの行進
・憎悪の応酬を解決する方法は「忘却」
Part1 「正しさ」って何? リベラル化する社会の混乱
・「性交を金銭に換えるな」はエロス資本の搾取
・皇族の結婚騒動が示す「地獄とは、他人だ」
・安倍元首相銃撃事件でメディアが隠したこと
・政界の裏金疑惑をリベラル化と「説明責任」から読み解く
Part2 善悪を決められない事件
・孤独な若者とテロリズム
・猟奇殺人の原因は「子育て」が悪いから?
・「頂き女子」とナンパ師のマニュアルは瓜二つ
・「闇バイト」に申し込むのはどういう若者なのか?
Part3 よりよい社会/よりよい未来を目指して
・若者が「苦しまずに自殺する権利」を求める国
・学校の友だちはなぜブロックできないの?
・好き嫌いも、政治的信念もじつはどうでもいい?
・SNSはみんなが望んだ「地獄」
Part4 「正義」の名を騙(かた)る者たち
・マイナ騒動は「老人ファシズム」である。「紙の保険証残せ」はエセ正義
・自ら道徳的責任を引き受けた藤島ジュリー景子こそまっとうだ
感想・レビュー・書評
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DDというはアイドルオタクのあいだで使われるネットスラングで「だれでも大好き」な状態だそうで。特定の推しがいない。DDだと。そこから派生して「DD」はネット上の議論に転用されるようになり「どっちもどっち」を表すようになった。私は見事にこの言葉を知らない。
善悪二元論、勧善懲悪、両論併記、二律背反…ハッキリと白黒つけて扱う言葉は色々あるが、旗幟を鮮明にせず「どっちでも良いだろ」とか「そんな単純に扱えない」「断言する方が稚拙」みたいな大上段からのシニシズム的態度にも見える。私は断定しない、何故なら自らの無知を知るからだ。論戦するに適した安全圏からのアウトレンジ戦略。DD、それは卑怯な立ち位置でもある。
世の中には情報が溢れかえっていて、その割に正確に認識できるほどには情報は与えられてはおらず、全てに対し半端な評論家にしかなれない。そもそも当事者でもなく、利害関係も定かではない事案に対し、片方を援護射撃する必要もないのだ。DDは、いっちょかみするなという警句でもある。
本書で取り扱われる象徴的な事例がロシア対ウクライナ。どちらが正義だとか、どうなるべきだとか意見や関心を持つことは大切だが、究極的には偏った情報から正しい判断など難しいという姿勢を忘れてはならない。DDは常に冷静である。
イスラエルとパレスチナ問題もそう。DDは感情だけで推断はしないのだ。
ー 「日本人はヒロシマを、戦争の加害責任から目を逸らすために利用してきた」になるでしょう…世界のあらゆる場所で「犠牲の物語」をめぐる"記憶の闘争”が起きており、ヒロシマ(日本)と従軍慰安婦(韓国)を東アジアにおけるその象徴的な事例として、「地球規模の記憶構成体」の視点から考えることです。「戦後日本の民族主義と朝鮮半島の民族主義には「敵対的な共犯関係」がある」ことを見いだします。韓国と日本の民族主義はどちらも、「自民族の生存を脅かす隣人の攻撃的民族主義」という想像上の他者を必要としています。日韓の「歴史戦」とは、「日本の右翼の歴史否定論が韓国の反日民族主義を正当化し、韓国の民族主義による日本たたきが日本の右翼の民族主義を強化する」ことで過激化してきました(そして大きなビジネスになりました)。「いかなる民族主義も他者の存在なしには成り立たない」のです。
上記は凄い発言だなと思ってメモ書き。DDが回避すべき対立構造を戦略的に相互依存関係として見抜き、双方を〝プロレスとして揶揄する“論説だ。こんな言い方を許して良いかは別として、実際にはバイキンマンがいなければアンパンマンが成立しないように、そうした共存関係はあり得るものだ。DDは物語ブレーカーにもなるかも知れない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「解決できない問題」には理由がある。
物事は、単純化できないですね。
社会問題の複雑さに切り込んだ内容で、自分の思慮の浅さに気付かされる。
ディープな内容もあり、「どっちもどっち」というタイトルが軽々しい印象すら受けた。
「言ってはいけない」けど、言っちゃう橘玲さんは、貴重な作家さん。 -
「へぇー」「ほぉー」と大変勉強になりました。
そして、普段いかに頭は使ってないか、痛感しました。 -
【どうしようもない】
脳みそは膨大なエネルギーを消費します。
したがって、瞬時に判断すれば消費動力を少なくすることができます。つまり、善と悪がはっきりしている方がわかりやすいので、善と悪を決めつける極端な二極化に陥るのです。
考える能力が備わっている人間ですが、考えないように生きてきたので脳みそを有効に使えていません。
ただ、現代は飽食の時代です。
膨大なエネルギーを使用する脳みそを動かしても問題ない。
どんどん動かしていきましょう! -
私が大好きな作家・橘玲さんがロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・ハマス紛争、売春、トランスジェンダーの競技参加、安楽死、SNS、マイナ保険証等、連日世間を賑わせた(ている)問題についてマスメディアの報道とは違った観点から問題提起してくれる良書です。私としてはトランスジェンダー女性(元男性)が女性として1位になってしまう事やマイナ保険証のデメリットばかり報道するマスメディアに辟易していた自分にとってはスカッとする論調でした。
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DD論の定義が最初に分かり易く書いてあるので、まず読む前にこの本はこの位の気持ちで読み進めばいいのか、と目安になる。
発刊当時の時事ネタについて、引用も多く、少し時間が経った現在からすると、そんなこともあった、とかいつまんで把握できた。
さて、DD論。どっちもどっちは、ほんまそれ。
使い古されている表現だが、置かれた立場から見た、考えた、その景色からの評価、考え方、認識でしかない。
と、みんながみんな思えればいいけどね!
その当人にとっての、その場の平和的解決方法がその言動であり、
その時点を離れたらまた複数の選択肢が現れる。
多数の人間が集合することで、様々な知が入り乱れ、統率は難しくなる。 -
この方の本は読むと賢くなった気になれる
ただ前半の70ページほどがタイトルの内容で自分が知らなかった若しくは考えもつかなかった論が展開され唸らされた
後半は雑誌連載の掲載のようでこちらは短いセンテンスで時事問題を中心に
アレ?この話はこれで終わりなの?って感がして全体としての統一感は無い
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自分にも善悪二元論のような0か1かのバイナリー思考のクセがあって、多面的なモノの見方が重要であることはよくわかった。ただ絶対悪とされるものを擁護したいばかりに、無理やりな感じが否めない。単なる天邪鬼と紙一重。
ウクライナ戦争の背景は初めて知ったが、ドンバスにおける地方の勢力争いの域を出て首都キエフの一般市民をミサイルで無差別攻撃し、政権転覆を狙うのは「どっちもどっち」ではないだろ。京アニ事件にしても大阪のクリニック放火殺人にしても全く擁護しようのない凶悪犯罪であり、「どっちもどっち」でも「善悪つけられない問題」でもない。後半になるとますますDD感がなくなってきて、もはや何が主題の本なのかわからなくなる。Part4に至ってはDDと言うよりDY(どうでも良い)だ。 -
2025.03.01
世の中にあふれる表層的な物の見方をばっさりと斬る一冊。
特に秀れていると感じたテーマは、旧ジャニーズ事務所の代表として、「法的責任」を課されるべきではない藤島女史に関する記述。
日本人に限らず大衆はムードだけで判断し、あれはあれ、これはこれと分けて考えることをしなさすぎるよなという感想と、いわゆるそんなこと知っていたとうそぶく「大マスコミ」の輩の悪癖。立花隆氏が田中元総理のロッキード事件を暴いたときも大マスコミの面々は田中元総理のカネに纏わる悪癖を知っていたのに書いたり報道したりしなかった。
マスコミという特権階級に属する人々の悪癖がSNSで議席を獲得する輩を生み出す土壌となっていることを思う。 -
橘玲さんの最新刊『DD論』を読みました。最近の事件や社会の動向について、橘さんらしい冷静でありながら鋭い指摘が光ります。語り口は淡々としているものの、その内容は非常に考えさせられるものばかりです。本書では、善悪二元論が認知のゆがみである「二分思考」につながり、危険な考え方であることが明確に示されています。この指摘には深く納得させられました。現代社会の様々な出来事を別の視点から捉え直すために、多くの方にお勧めしたい一冊です。
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DD 「どっちもどっち」わかりやすいけど、もっといい言葉ないのかな
ぱーと0以外はネット記事とかの再掲みたいです
まとめて読めるのはいいんだけど、見たことあるフレーズが頻繁にでてくる
この本読むひとは作者をある程度知ってるひとだと思うので、同じような感想になると思う
善悪二元論かどっちもどっち、私たちはどう選択するのか?
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●DDとは、複数の推しアイドルがいる事。その後、どっちもどっちの略で、双方に言い分がある立場。善悪二元論の逆。
●演繹法と帰納法。演繹法の陰謀論では「世界はディープステートに支配されている」と言う公理がまず先にあって、政治家の何気ない発言やささやいな出来事から「隠されたメッセージ」を読み取ろうとします。
●イスラエルは建国の正統性に苦労する。バビロン捕囚や出エジプトについては何の記載も史料もない。 -
取り扱ってる範囲が広くて1冊にまとまってるようでまとまってなくて惜しい。ただ1本1本の内容は濃く露宇戦争から戸籍制度、エロスの資本化まで世界の潮流を知るための良書だと思う。
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いつもの橘玲節で子気味良いが、本全体としてはまとまりを欠く印象。
序盤で、ウクライナ戦争と第二次大戦のナチスドイツと、太平洋戦争での原爆投下を並べて、善悪二元論では解決できない「どっちもどっち」であることを明らかにする。これは、結構刺激的。
個人的には「日本は唯一の被爆国だから、核廃絶運動の先頭に立つべき」論について、「気持ちはわかるけど、何故そうなるのか理屈が分からない」と、昔から感じていた。著者はそこに「人類は誰もが被害者ポジションを取りたがる」という補助線を引く。これは、なかなか秀逸な視点で、侵略戦争の側面を薄め、被害側面を強調することで、集団維持に貢献している。そしてポリコレが進んだ現代では、この傾向は加速している。
中盤以降は、現代日本の様々な政治・社会問題について、同じようにどっちもどっち論で切っていく。だけど、節ごとのつながりが薄く、個別のネット記事を寄せ集めたような印象。節が移るたびに、唐突に話題が変わり、大きなテーマを追えていない印象。編集がもう少し全体の構成を作って欲しいところ。 -
【★3】ところどころ極端だと思うところもあるが考えさせられる
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衝動買い。
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二つの思考様式: 世の中の対立は、しばしば「どちらか一方が絶対的に正しい」と考える善悪二元論(私が正義)と、「双方に言い分がある」と考える**どっちもどっち論(DD論)**の間で揺れ動く。
DD論の起源と転用: 元々はアイドルオタク用語だった「DD」が、ネット議論で「世の中は単純ではない」という意味で使われるようになった。
善悪二元論の根源: 人間の脳はエネルギー消費を抑えるため、瞬時に敵か味方かなどを判断する傾向があり、これが善悪二元論に繋がりやすい。特に、最初に結論(公理)ありきで物事を解釈する演繹法的な思考は、認知的コストが低いが、現実との矛盾に気づきにくい。
複雑な現実: 実際の社会問題は単純な善悪で割り切れず、当事者双方が自らを「善」と主張するため、解決が困難な「どっちもどっち」の状態に陥りやすい。複雑なものを複雑なまま理解するのは認知的な負荷が高い。
DD論の功罪: 全てを相対化すると社会の基盤が揺らぐ危険性もあるが、一方的な正義の押し付け合い(善悪二元論)は対立を泥沼化させやすい。DD的な視点は、双方の言い分を認め、現実的な「手打ち」としての和解を可能にする側面も持つ。
ウクライナ戦争: 当初は「ロシア=悪、ウクライナ=正義」という善悪二元論が支配的だったが、戦況の膠着や核の脅威、戦後処理の困難さといった現実から、DD的な見方(停戦交渉重視)も再び現れている。
イスラエル・パレスチナ紛争: 当初の「イスラエル=被害者、ハマス=加害者」から、ガザ地区での犠牲拡大により「パレスチナ人=被害者、イスラエル=加害者」へと、善悪の立場が逆転する形でDD化。歴史認識や宗教、大国の思惑が絡み合い、極めて複雑。
歴史認識と記憶の政治: 歴史は常に修正され、政治的に利用される(記憶の政治)。日本のリベラルは「ヒロシマ」を被害の象徴としてきたが、加害の側面も含めてDD化し、ポストコロニアリズム時代の新たな視点を示す必要性が指摘される。「忘却の政治」は対立を終わらせる可能性がある一方、犠牲者の否定にも繋がりかねない。
リベラリズムの変容と新たな対立: 「誰もが自分らしく」を目指すリベラリズム自体が、社会の複雑化の中で新たな紛争(例:トランスジェンダー問題、夫婦別姓、共同親権)を生み出している。SNS上の対立やマッチングアプリによる格差拡大も現代的な課題。
責任の所在の曖昧化: 近代社会では個人の自由と責任が問われるが、匿名空間(SNSなど)では責任の所在が曖昧になりがち。メディアの責任放棄も問題視される。
「モンスター」の出現: 社会から疎外され、極端な被害者意識と他責性を持つ人々が「モンスター」化するメカニズム(認知的不協和など)が指摘される。特に、どこにも居場所がないと感じる中高年男性の問題が深刻化する可能性。
過剰な自粛と専門家の限界: 一部の「面倒な案件」に対してメディアや社会が過剰に反応・自粛する一方、ジャニーズ問題のような深刻な問題が見過ごされがち。スクールカウンセラー等の専門家導入も、必ずしも問題解決に繋がるとは限らない。
認知バイアス: 人は自分の選択や信念を後付けで正当化する傾向がある。政治的立場も、信念そのものより「自分が何を支持していると認識しているか」が重要かもしれない。
高齢化社会の歪み: マイナンバー保険証問題に見られるような、高齢者の「安心」を過度に優先し、デジタル化や社会改革を妨げる「老害ファシズム」とも言える状況。将来世代への負担増、社会システムの維持困難といった深刻な問題が迫る。
ジャニーズ問題: 性加害問題は、単なる賠償問題に留まらず、タレント、元タレント、メディア、ファンまで巻き込み、「犠牲者非難」も起こるなど収拾困難な状況。組織の問題や責任の所在が複雑に絡み合っている。 -
書き下ろしかと思ったら連載の単行本化だった。なので各テーマへの掘り下げは限定的にならざるを得ないが、作者の指摘にはつねに瞠目させられる点が多くある。というか要はだれも言いたがらない(見たがらない)不都合な真実を正面から抉り取っているだけに過ぎないか。
いずれにせよどのテーマにも共通していたのは、昨今のリベラル的なものの見方に対する警鐘だと受け止めた。元リベラル寄りとしても、言動のポリティカルコレクトネスに固執することなく、どっちもどっちの両義性にも目を配ることを忘れてはならない。 -
0/100で分別しきれない複雑な問題で溢れかえっている現代。そんな中で無理のある善悪二元論を振りかざすから、平行線の議論や要らぬ争いが生まれてしまう。
昨今のトレンドテーマである「正しさ論」から、世を騒がせている闇バイト・頂き女子まで、スパイスとしてのバイアスを多方面から掛けて語られていて面白かった。これが仮に一方向からだけならつまらなかったと思う。
多くの章の中でも、犠牲者意識ナショナリズムについては、国家から私自身に抽象化して置き換えてみて腑に落ちる部分があったからブログ化したいと思う。
著者プロフィール
橘玲の作品





