- Amazon.co.jp ・マンガ (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784088712734
感想・レビュー・書評
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オタクとしての教養が深まった。
戸愚呂兄弟とか…これか…!となった。
キャラがみんな魅力的で面白かった。人間関係、特に認め合ってるライバル同士がすごく好き。幻海と戸愚呂弟の関係性が素晴らしかった。
話自体は私はハンターハンターの方が好みだけど、トーナメント戦とかゲームの中に入るとかその辺のワクワクする感じは共通している。名作なんだなー。 -
図書館にて再読。懐かしい!最初こんな設定だったのね。
初期は桑原がより不細工です… -
前にもちょろっと書いたことを、もう少し書きたいので。
作品の終盤、仙水という強敵が現れる。仙水は人間であり、昔は人間のために妖怪達と闘っていたのであるが、人間の醜悪な実態に耐えることができなくなり、妖怪の側に回ることになる。
ところで、富樫さんは本作を書き終わった後、ジャンプでハンターハンターという作品を連載している。そのハンターハンターもいよいよ佳境に差し掛かり、いま主人公達が対峙している敵は「王」である。王は圧倒的な力を持ち、人間を捕食対象としか見ない。しかしある時、全盲の少女棋士コムギと対局、交流していく中で、人間に対する考え方を次第に改めていくようになる。
違う立場、種族、そもそも違う作品に登場する二人である。しかし、上に紹介した二人の共通点を探ると、富樫さんが自分の作品にどんなメッセージを託しているのかが分かるような気がする。
仙水は当初、人間のために妖怪と闘うことは正義と信じて疑わない。彼の台詞と引用すると
「きっとボクは選ばれた正義の戦士で、あいつらは人間に害を及ぼす悪者なんだな。安易な二元論に疑問も持たなかった。」
とある。しかし、人間が快楽のために妖怪を拷問する姿を目撃し、人間の醜さに絶望するようになる。
「世の中に善と悪があると信じていたんだ。戦争も良い国と悪い国が戦っていると思ってた。可愛いだろ?だが、違ってた。オレが護ろうとしたものさえクズだった―――― 」
というのも彼の台詞である。それゆえ彼は人間を憎悪し、人間を滅亡させようと動き始める。
彼がなした、人間から妖怪への「越境」は、今なおこの作品を読んだ人々の中に残っているのだろうと思う。人間でありながら人間を恨まなければならないというジレンマを抱え、そこから生まれる孤独や失望の捌け口は、やはり人間に向けるしかないのだ。そうして肥大して止むことのない「毒」が、いままで僕たちが少年誌で見たことのないダークヒーローを作りあげたのだろう。
もう一つの越境をなしたのが、ハンターハンターに登場する「王」である。王は、人間を下等な生物だと考え、単なる食料としか考えなかった。ずさんな統治機構、下劣な品性、どれをとっても地球上の盟主に相応しくないと断ずる。しかし、貧乏で全盲、気品のかけらも感じられない少女と王は対局をし、ショックを受ける。少女コムギは自分のことを徹底的に卑下し、生きる価値のない人間だと言う。しかし対局中に溢れる才気は王をも圧倒するものがあり、王は初めて人間に対して尊敬の感情を描くようになる。
そしてさらには人間全体に対する考え方も変化していく。王を討伐するために派遣されたハンターに対しても王は対話を望むようになり、無駄な殺生を避ける。しかし人間側は王への攻撃をやめようとしない。
これがもう一つの「越境」だと思う。王はコムギを通じて人間にも尊敬に値する人物がいることを知るようになり、自己の欲求から次第に離れていくことになる。
幽々白書はあちら側への「越境」を描いていたが、ハンターハンターが描いたのは、こちら側への「越境」である。ただ、どちらの作品でも、人間の愚かさ故に「越境」は悲しい結末を迎える。仙水に見放され、王から共感されてもなお我々は異物を受け入れようとしない。
種族を超え、思想を超え、人は、妖怪は、蟻は、他者へと「越境」し、何かをわかり合える可能性を持っている。しかし人間の偏狭さはそれを受け入れることを許そうとしない。そういう「可能性」と「失望」の絶え間ないせめぎあいを、富樫さんは仙水と王によって表現したんだと思う。 -
全19巻所持。
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この頃は、あんなに壮大な話になろうとは。
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いやー良いラストでした!
全19巻でよくまとまってますね〜
ただもう少し続きを見たくなってしまうのはしょうがないですね
個人的に幻海と戸愚呂弟、軀と飛影の組み合わせが好きでした〜
好きなキャラは特にいないけど強いていうなら刃霧要とか海藤とかかな
ハンターの方もこういう風に終わらせてくれることを望みます -
絵はアレだけど、天才!
昔はちゃんと描いてたのに、
描かなくなったら天才になったのか、
天才になったから描かなくなったのか
それを体感できる作品です