- Amazon.co.jp ・マンガ (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784091832757
感想・レビュー・書評
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15年ぶりぐらいに読み返した。毛利甚八氏は真から優しい人だったな、と思う。ただ優しいだけではない。桑田判事の子供の守くんがお父さんのことを評してこう言っている。
「おまえ、あんな優しい父ちゃんに甘やかされて育ってるからな」
「そんなことないよ。うちのお父さん、怒ると誰よりも怖いよ」
「嘘つけ!」
「本当だよ‥」
「感情的に怒ってるんだったら、子供もつきあいやすいけど、なんたって冷静だからね。許せないって言った時は、もう絶対に許してくれないの」
「妥協がないっていうか、融通が効かないっていうか‥。ま、裁判官だから考えが正確すぎるんだよね」(14巻12p)
これはそのまま毛利甚八氏の自画像にもなっているだろう。
氏の遺作「『家栽の人』から君への遺言」で、私はこの作品に対する毛利甚八氏の人知れぬ悩みを知った。一作一作を血のにじむような推敲で作り上げたことなどや、それでも現実に桑田判事などは居ない、と知った時の落胆、そして数年間の休筆ののちに思い切って描かれた三巻に及ぶ大長編と、以前のような一刀両断の切れ味をわざと無くした処から人気もなくなり連載打ち切りまで、私は知ることになった。
第7巻で、粋がっているだけの青年に、桑田判事を野原で殴ろうとして草を切り倒しただけの青年に、草の種が数十万粒持っていることを教えて、「君の暴力なんて、草一本殺すことはできないんだよ」と言う。青年がハッと気がついた処でこの短編は感動的に終わるのである。しかし氏は、その後「そんな簡単には人は変われない」し、「学校や教育委員会も、更には裁判制度にも構造的な問題を抱えている」ことに気がつく。そして学校の体罰問題に絡んだ長い長い長編を描くことになる。著書によると、現実の事件に取材し綿密に描いたらしい。
「一粒になった数珠玉、これが今の君です。いつかきっとわかる時がくる」(15巻)
現実にはそう簡単に「わかる」ことが出来ないことを知っているから、氏はこんなにも長い長編を描いた。数珠玉は一粒では生きられない。ホントだよね。
佐世保の少女の同級生殺害事件は更に深刻だった。氏は、彼女に向けた「いつかきっとわかる時がくる」言葉を、残りの命のすべてを投げ打って書いた。第15巻において、桑田判事は、裁判を引き受けたために、少年に直に接し傷害事件を止めることができなかったと後悔する。判事は湖面のような平静な顔で「私はいま混乱しています」という。誰よりも自分に、冷静に、怒っていたのである。その20年後、そんなことがないように毛利甚八氏は生きたのだ。
2016年2月6日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いい人間ドラマだった~最後になればなるほど深みが出て良かったです。
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一人の人間として、一人の少年のために、苦悩し、葛藤する桑田判事の姿を思い浮かべては、涙があふれる。
最終巻として、終わり方もいい。
本当に素晴らしいコミックだった。