幼児狩り・蟹 (P+D BOOKS)

著者 :
  • 小学館
3.33
  • (1)
  • (2)
  • (1)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 52
感想 : 7
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093522984

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 自らのための備忘録

    「幼児狩り」
     一行目から「キタ! ブンガク」と久しぶりに感動しました。言葉の魔術師。文学とは言葉と想像力で何をやっても良いのだということを知らしめてくれた一作です。
     男の子がシャツの裾を摑んで脱ぐところを想像する描写、また西瓜の種を指先で掘りだす仕草の描写、もうむしゃぶりつきたくなるほど可愛らしい。そして「凧揚げ」のシーン(p.27-30)。これを形容する言葉は持ちませんが、河野多惠子が異才の文学者だということがよくわかりました。
     《あてがはずれて、彼女はたかぶりはじめていたのである。そんなとき、彼女はよく不思議な世界の訪れを受けた。彼女がなおもそんな風にしているのは、その訪れを待ちうけているからだった。もう兆してあるのかもしれない。/その夢想の世界がひろがりはじめ、そこに身を投じ去るとき、晶子はいつも恍惚として、われを忘れた。心臓を波打たせ、たらたら汗を流しさえした》(p.26)

    「劇場」
     《あの「リゴレット」の劇場へこのせむし男と美女を配してみたくてたまらなかった日出子の要求は、今ここで、それをあまるくらいにかなえられた。せむしの夫に人前てリゴレットを歌われ、それを黙って見ていなければならない美女が羨しくってしようがない。が、その羨しさは日出子を嫉妬の快楽へと誘うのだった》(p.69)
     《しかし、日出子はそんな吟味をすることさえ忘れていた。そこを出る頃にはもう満ち足りてしまっていて、それどころではなかったのである》(p.71)
     《その人達を知るようになってから、彼女ははじめて男を見、女を見たような気がした。これまで見てきたのは皆、人間ばかりであったような気がした》(p.72)
     「嫉妬の快楽」「満ち足りる」という言葉の意味がよく伝わってきます。

    「塀の中」
     相変わらず男の子の描き方が秀逸。
     いくつか、河野多惠子節とでもいう表現を。
     《指導にあたっていた看護婦がそれを調べた。手当ては完璧だった。だが、場所が違っていた。 「上膊骨折でしょう、このひとの負傷は……。ここ、上膊ですか?」 「いいえ。下膊です」  武子は素直に誤りを認めた。が、先方が、 「上膊と下膊の区別くらいできないじゃあ、いざというとき役には立ちませんよ」  そう言ったとき、彼女はその素直さを引っ込めてしまったのだ。 「どうしてでしょう」  と彼女は言いはじめた。 「いざというときこそ困らないと思いますが。いざというときには、真っ赤な血が噴きだしたり、骨が突きだしたりしているんでしょう。それッ、とそこを縛ればいいんです。上膊か、下膊か、その区別ができなくて困るのは、今みたいなときだけだと思います」──》
     《彼女には、トンボの浴衣まで妬ましくなった。折柄仕上った手拭の洋服を、手荒く畳んで後へ押しやると、子供に言った。 「シン坊。おばちゃん、もうすぐいなくなるのよ」  彼女は漸く近づいてきた、報告当番のことを言っていた。 「どこへ行くの?」  子供は驚いて、踏むのをやめた。確かに利き目があった。 「お家へ行くの」 「ほんとに行ってしまうの?」 「そう」  みるみる子供の眼には涙が溜ってきた。  もういいのだ、おばちゃんたる確証を得たのだから。が、正子は意地悪くいった。「シン坊がきらいになったから」  子供はわっと泣いた。それを眺めながら、彼女は、はじめて胸がすうっとした。 「からかうもんじゃないわよ」  咲子がたしなめた。》

    「雪」
     もの凄くおもしろかった。母の死、夢、鼻血、二歳違い、雪。《母は片手で早子の頭を抱え込んだ。顔を仰向けさせ、 「雪だなんて、二度と言えないようにしてあげる」》《早子が自分の存在にはじめて疑問を感じたのは、彼女に対する母の態度によるのではなかった。自分の遇せられ方について吟味などし得ない程小さい頃から、彼女は自分の存在が心もとなくて仕方がなかったものである》《ふと口を衝いて出た自分の願いを一層切実なものに感じさせた》
     ストーリー、表現、何をとっても素晴らしかった。河野多惠子、いい。

    「蟹」
     男の子が出てきてから、文章が華やいだ。河野多惠子の描く男の子の可愛らしさといったら比類ない。とにかく文章が上手い。
     思い通りにいかないどころか頤使され、《武に蟹を探してやることに示した執心ぶりが、梶井に知れるな、と知った瞬間、悠子が顔まであかくなるほど羞恥を覚え》てしまうのだから、読んでいてぞくぞくしてしまう。

     第47回芥川賞を受賞した際の選評から幾つか。
    《文章がうまいがうますぎる感じで、話もうまく(ことに終りの部分で)つくりすぎていますが、才の有る人という印象をうけました》中村光夫。彼の賛否は不明。
    《女の特異の感情を美しく見せたものだが、抽象化されて、きれい事のようで、恰も美術人形のようで、僕は採れなかった》瀧井孝作。彼は積極的反対派。
    《いいと思った。新風といったものは感じられぬが、何かゆたかなものもあり、読後の印象のいい作品で、こうした作品の少い現在、充分珍重さるべきものであろう》井上靖。賛否不明。
    《私は当選させたかった。だんだんと種明かししていくあたり、心にくい技巧だが、推理めいていると評したひとがある。」「作者はそのことをすてても気にすることはいらないのだ。この作者は本質的に何かがある。豊かな情感をあたえる。文章もよろしい》丹羽文雄。積極的に賛成。

    「夜を往く」
     やはり上手い。思わせぶり。
     《よく見ると、立看板が倒れているのである。〝夜間の墓地は危険です。入ってはいけません〟──傍の家から射す明りで、微かにそう読める。福子は自分が大分前から、今夜はこのまま村尾と歩き続けて、ふたりで思いがけない犯罪をおかすか、おかされるかしてみたいような気分に陥っていたことを、はじめて知らされたように感じた》と、このようなことをサラリと言ってのける。お見事です!

     この小学館のP+D BOOKS シリーズは素晴らしい。河野多惠子は、講談社文芸文庫(高いのが難点!)にもあるようなので、図書館で借りてきてこれからも読んでいきたい。

河野多惠子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
宇佐見りん
宮部みゆき
村上 春樹
朝井 リョウ
ヴィクトール・E...
三島由紀夫
遠藤 周作
村田 沙耶香
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×