父・萩原朔太郎 (P+D BOOKS)

著者 :
  • 小学館
4.33
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本棚登録 : 27
感想 : 2
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093524452

作品紹介・あらすじ

娘の目に映った“不世出の詩人”の真実 ――父はお酒を飲むと、まるでたあいない子供になってしまう。そして酔ってくると、次第にお酒をびしゃびしゃお膳にこぼしはじめ、それにつれてお菜を、膝の上から畳の上一面にこぼすのだった。―― 室生犀星をして“不世出の詩人”と言わしめた萩原朔太郎。口語自由詩というスタイルを確立し、一躍時代の寵児となった朔太郎だが、その私生活は、風呂嫌いで、女物の下駄を平気でつっかけ、食事のときは前掛けをさせられていた、など驚くべきものだった。 いちばん間近で朔太郎の真の姿を観察していた長女・葉子が、父はもちろん、愛人をつくって家を出た母やいつも辛く当たる祖母のこと、そして室生犀星、三好達治、北原白秋、佐藤惣之助ら作家たちとの交流を克明に描いた文壇デビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • 自らのための備忘録

     まずは小学館のP + D BOOKS、つまりペーパーバックとデジタルブックスという出版形態にお礼を申し上げたいと思います。P + D BOOKSとは「後世に受け継がれるべき名作でありながら、現在入手困難となっている作品を、B6判ペーパーバック書籍と電子書籍を、同時かつ同価格で発売・発信する、小学館のまったく新しいスタイルのブックレーベル」なのだそうです。おかげで私が生まれた年1959年に出版された、萩原葉子による『父・萩原朔太郎』を読むことができました。
     萩原朔太郎が右の細長い五本の指いっぱいに、赤い球を挟み、それを増やしたり、減らしたりするような手品に無心となり、晩年「アマチュア・マジシャン・クラブ」に入会して亡くなるまで手品用品を収集し大切に保管していたなどの、娘ならではが明かすおもしろいエピソードを知ることができました。
     室生犀星、三好達治、堀辰雄、北原白秋などの文学者と父・萩原朔太郎との交流もおもしろく読みましたが、やはりなんといっても、『蕁麻の家』の別バージョンとしての価値は、私にとっては大変高く、よくぞ、本書を出版してくださったと感謝しています。
     「『新版』あとがき」(昭和51年9月)の中で興味深く感じられたのが、著者・萩原葉子自身が、次のように締めくくっていることです。

     《これを書いた後、密かな思いが私の胸中に沸くのを押え切れなかった。しかしそれは到底書けないモチーフだと思った。その密かな思いは、自分の心奥に深く畳み込まれたまま、十数年経った。/この本には書けない部分が、それだった。しかし時が来れば必ず一度は書かなくてはならないモチーフでもある。密かな言葉にもならない思いが浮遊していた。そしていまその時が来て『蕁麻の家』を書き終った。小説であり、フィクションの物語であるが、両方を重ねて読んでもらうことによって読者のイメージが立体化するのではないかと思う。/前者が明るいエッセイだと見れば、後者は闇の部分を摘出した暗い小説と言えるだろう。/『蕁麻の家』を発表したあと処女作『父・萩原朔太郎』が久々に新版となって出ることは、私にとって意義深いことである》

     もうひとつ私が興味深く感じたのが、文体について書かれた次の箇所です。

     《この本が出てから数えると、十七年の歳月が経った。思えば長い月日が過ぎ去ったものである。(中略)/一番感じるのは、文章のことであった。新版に当り加筆、削除を試み鉛筆でチェックしてゆくと、たちまちページが真黒になるのだった。(中略)/思えばこの本が出た当時「うぶな魅力」と言われたことを思い出す。その当時、あまりうれしくなかった批評であったが、今日ではもつ誰も言ってくれない。長い間文章を書いているうちに、いつか消えてしまった当初の文体なのか。/私は、鉛筆を止めて本を投げ出した。文章とは何か? を考えてみると、分らなくなって来たのである。うぶが良いのか、馴れた文体が良いのか。だが、たとえうぶが良いからと言っても、長年持続することはできない。経験や年齢で次第に文文章も変って来るのは、仕方ないことだった》

     今回、萩原葉子の書いたものを立て続けに何冊か読んでみましたが、私にも本書の「うぶな文体」が一番魅力的に感じられました。
     常々感じてきたことのひとつですが、何事も、練習したり、経験を積むことによって「良くなる」あるいは「上達する」ということはないのだと思います。デビュー作が一番魅力的だったなどというのは、少しも珍しいことではありません。
     今回のP + D BOOKSシリーズには、萩原葉子作品としては、本書『父・萩原朔太郎』と、『天上の花・蕁麻の家』が選ばれていますが、いずれも著者の初期の頃の作品です。

     ところで、本書は父のみならず母との別れ、再会についても読み応えがありました。子どもにとって母と別れるシーンは、繰り返し繰り返し反芻され、映画の1シーンのようになっていったのがよく伝わってきました。再会の場面の記憶の中の母と現実の母とのギャップも、萩原葉子ならでは筆致で描かれていました。
     私にとっておもしろかったのは、萩原葉子の長男の萩原朔美が、著書の中で自分の《ゴミ恐怖症》について書いていましたが、その大元は萩原葉子に冷たく当たった祖母「ケイ」(朔美にとっては曾祖母)の次のような性癖だったことがわかったことです。

    《きれい好きの祖母(引用者注: 萩原ケイのこと)が、いちばん嫌やがるのは、埃だった。食事のときに埃がたつと「ああ!」と悲鳴を挙げて、右手を振って食物の上に浮いている埃を真剣になって払う。誰かが座蒲団などを、ばさっと敷くと大変怒って大騒ぎになるのだった》(本書p.92)

    《母親からの(引用者注: 萩原葉子のこと)注意の影響で、今でも脱出出来ないことがある。食べものの上にふりかかる室内のチリだ。/母親は、食事中なんども手でゴミを払うような仕種をする。テーブルから誰かが立ち上ると、ゴミが沸き起こると思っているのである。ゴハンの上を忙しなく右左に振られる手。(中略)/この母親のゴミに対する潔癖症は、ずっと私の身体に染み込んでなじんでしまった。》(『死んだら何を書いてもいいわ』萩原朔美著 p.33)

     文中、植物の名前がところどころに出てきました。庭の太い梧桐(あおぎり)、白梅、沈丁花、杏子、枇杷、無花果、柿、ザクロ、松葉ボタンなどです。私が子どもの頃は、近所の家のあちこちにこのような植物が植っていたと、郷愁を感じました。近代文学を読む楽しみのひとつには、このような描写に出会うことがあります。

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萩原葉子の作品

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