逆説の日本史1 古代黎明編: 封印された「倭」の謎

著者 :
  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (389ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093794121

作品紹介・あらすじ

「倭」から「和」への転換、これは一体どうして行なわれたのだろうか。つまり「ワ」とは「輪」であり「環」なのだ。倭とは実は「環」であり、古代日本人は、集落のことを「環」と呼んでいた。「わ」の精神と怨霊信仰で読み解く古代史最大の謎。

感想・レビュー・書評

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  • #2950ー245

  • ずっと前に読んだことがあるけど、もう一度。例え話などがくどいと思うところもあるけど、説として面白い。

  • 日本歴史学の三大欠点(史料至上主義、呪術的側面の無視・軽視、権威主義)を問題として、独自の観点で日本史を読み解く。初めて知ることが多く、興味深く面白いが、週間ポスト掲載による冒頭の振り返りがまどろっこしく感じた。他の本と交互に、シリーズを読み進めよう。【満足度80点】

  • 言霊教、という新しい視点は独自だけれど、史料のないところから憶測するために、少々独断と偏見がまじっている気がしないでもない。オリジナリティはあると思う。特に卑弥呼暗殺説は驚いた。

    しかし、続けて読みたいシリーズではなかったりする。

  • 井沢氏は、日本の「歴史学」の欠陥を3つ挙げる。「日本史の呪術的側面の無視ないし軽視」「滑稽ともいうべき史料至上主義」そして「権威主義」である。そもそも「歴史というのは、過去の人間の行為を研究対象とする学問である。だから過去の人間がどういう「宗教」によって動かされてきたかを知るのは、最も重要な基礎知識」のはず。また、史料には「あたりまえのこと」「常識」は記載されないもの。そして、大先生には批判する自由が与えられない学会の体質も周知のことである。だからこそ「素人が活躍する余地は大いにある」と井沢氏はいう。日本の歴史学の世界に風穴をあけた功績は大きい。

    井沢氏が特に注目するのは、呪術的側面と古代から現代に至るまで日本人を拘束する規範である「和」の精神-話し合い至上主義-である。一見、平和な「和」の精神は、「日本人の間だけ通じる原理」であり、根本的に「民主主義とは異なる」点があり、「真の知恵が伴わなければ却って有害である」ことに注意しなければならない。また、司馬遼太郎氏がいう「軽薄へのエネルギー」にもなり得る。「和」の精神は、日本人の美徳のように語られることが多い。しかし、歴史を見れば、この精神がもたらしたマイナス面も実は大きいことに気付かされる。和の精神だけではだめなのである。

    この著書は、昨今の日韓関係との絡みで面白い指摘も多い。例えば、朝鮮半島を統一した高麗王・王建の遺訓である。「後百済地区の人間は(略)裏切り者である。だから決して重要な地位につけてはいけない」と。実は、韓国内の地域対立は、今なお激しいのだ。後百済地区とは今の全羅道。7世紀でいうと、日本に多くの帰化人(渡来人)がやってきた百済国が位置した地域である。百済国からの帰化人は、古代日本の政権の中枢を担う訳だが、ここに反日感情の原点のひとつを見るようだ。

    他に感じる点としては、結局のところ、韓国は自国史のコンプレックス(特に対中国)のはけ口を、日本に向けているだけだということ。そして、古代には朝鮮半島と日本の間での人の交流があったことは地理的に見ても自然なことにもかかわらず、今の国境を基準に、日本対朝鮮という図式に過度に拘るのは無意味だし、歴史を客観的に見る目を奪ってしまっているということである。

  • 面白かった!

  • 20年以上振りに再読

  • 1993年刊行。◆週刊ポスト(小学館)連載。ここから連綿と続く週刊誌連載の日本通史。根底に位置づけるのは「怨霊」と「言霊」。

     今から見ると、中世史以降は相当怪しいし、また、先行研究に全く触れない(批判があったからか、近世史あたりから先行研究に触れるようになる。)し、考古学的知見の甘さは感じる。
     ただし、古代史の宗教からの目線ということに限定すれば、興味深い叙述もないではない。ただし、先行研究があった可能性もあって、一部を除き独自研究ではないと考えるべきだろう。批判的に検討したものも含め参考文献が開示されないのがそれを如実にしめしている。
     しかも、週刊誌連載の悪癖か、同じことを何度も繰り返して字数稼ぎをしている印象がつよく、さらに史的な叙述と殆ど関係のない現代の問題に紙幅を費やすのは興ざめ。

  •  この著者の歴史推理物をいくつか読んでみて、行きつくところはこの大シリーズということになる。以前から梅原猛が好きだったこともあり、いつか手に取ってみたいと興味があったのだが、いかんせん毀誉褒貶が激しく二の足を踏んでいたもの。今回実際に読んでみてつくづく納得した。卑弥呼だの邪馬台国だのは諸説あって必ずしもこの著者のオリジナルではないが、倭の国の語源、卑弥呼や神功皇后の正体から、天皇家の出自にいたるまで、旧弊な固定観念を捨てた歴史の新解釈、というて点では文句なしにおもしろいと思う。だがしかし。書きぶりが悪すぎる。個人の解釈だから主観的なのは仕方ないが、自己正当化のための他者攻撃、くどくどした弁解、重ね重ねの例え話には辟易してしまう。ここまでくると正統歴史観への意識過剰からくる被害妄想としか思えない。内容だけで十分興味深いのだからもっとさらりと書けないものか。

  • 日本古来の単位というものは、すべて「人間中心」にできているということをだ 革命というものは必ず前代の支配者の血を要求するものなのである 現代の歴史学者が何と言おうと、古代日本史の分析には、すべての面に渡って「霊は存在する」という前提で動いていたことを、決して忘れてはならないのである 日本では古代から左(向かって右)の方が上位であり尊いことになっている 私は、卑弥呼は殺されたのだ、と確信している ヒミコは、太陽神信仰を定着させた故に、紀元248年の日食が命取りになり殺された 地名は「言葉の化石」と言われる 神武、崇神、応神の三人の天皇は共通していえることは、新王朝の始祖だということだ 第四章神功皇后編(252~315p)宇佐八幡神神託事件 祖先への信仰は、最も重要な信仰である ヒミコが大和朝廷の祖アマテラスであると主張している 宇佐神宮の比売大神はヒミコだ、とういう結論が出た

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著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念。独自の歴史観からテーマに斬り込む作品で多くのファンをつかむ。著書は『逆説の日本史』シリーズ(小学館)、『英傑の日本史』『動乱の日本史』シリーズ、『天皇の日本史』、『お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで』『お金の日本史 近現代編』(いずれもKADOKAWA)など多数。

「2023年 『絶対に民主化しない中国の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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