こんぱるいろ、彼方

著者 :
  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093865760

作品紹介・あらすじ

「ベトナム人? お母さんが?」

サラリーマンの夫と二人の子どもと暮らす真依子は、近所のスーパーの総菜売り場で働く主婦だ。職場でのいじめに腹を立てたり、思春期の息子・賢人に手を焼いたりしながらも、日々は慌ただしく過ぎていく。
大学生の娘・奈月が、夏休みに友人と海外旅行へ行くと言い出した。真依子は戸惑った。子どもたちに伝えていないことがあった。真依子は幼いころ、両親や兄姉とともにボートピープルとして日本に来た、ファン・レ・マイという名前のベトナム人だった。
真依子の母・春恵(スアン)は、ベトナム南部ニャチャンの比較的豊かな家庭に育ち、結婚をした。夫・義雄(フン)が南ベトナム側の将校だったため、戦後に体制の変わった国で生活することが難しくなったのだ。
奈月は、偶然にも一族の故郷ベトナムへ向かう。戦争の残酷さや人々の哀しみ、いまだに残る戦争の跡に触れ、その国で暮らす遠い親戚に出会う。自分のルーツである国に深く関心を持つようになった奈月の変化が、真依子たち家族に与えたものとは――?


【編集担当からのおすすめ情報】
野間児童文芸賞、坪田譲治文学賞をダブル受賞した『しずかな日々』、
累計約20万部のヒット作『るり姉』、
神奈川本大賞受賞の『明日の食卓』。
家族小説の気鋭が、ベトナムから来日した
ボートピープル一家のその後を描く意欲作です。

感想・レビュー・書評

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  • 装丁に惹かれた。

    ベトナム戦争が終結した後、南ベトナム側だった人々が
    迫害され命からがら漁船に乗って国を出た。
    1970年代にボートピープルと呼ばれたベトナム難民の人たち。その中のある家族が、日本にたどり着き、この地で生きることを決めた。
    祖母・春恵(スアン)、母・真依子(マイ)、娘・奈月、3人の視点から、難民であり日本に帰化した家族の歴史を語る。

    大学生の娘・奈月が、友人たちとベトナム旅行に行くことになり、母・真依子は、自分が帰化して日本人となったベトナム人であることを打ち明ける決心をするが、奈月にしてみれば、青天の霹靂だ。
    それまでも物事に深く関わらない母への葛藤があったが、不信感が増してしまう。
    母とは考え方の違う奈月は、母も知らない、知ろうとしなかったベトナムの歴史について、様々な本を読み、祖母、伯母、その友人らの話を聴き学んでいく。
    そして、ベトナムで出会ったガイドの人たちや、言葉の通じない遠戚の人々との心の交流を通して、自分のルーツと幾多の困難を乗り越えて自分へとたどり着いた命の尊さに、新しい自分を発見する…。

    また祖母のスアンの、若かりし頃のベトナムの心象風景は、日本人の自分にさえも郷愁を感じさせる。戦争が終結しても直ちに平和が訪れるわけではなく、すさんだ人々の心は新たな傷を生み出してしまう。
    日本語を話すときは小声で片言、小柄でほっそりしたスアンが、奈月にベトナムの話をすることで、新たにエネルギーが注がれたように溌溂としていく…。

    2人に比すると母の真依子は、自分というものがないように見えてしまう。けれど、彼女が5才という年齢で日本へ来たこと、家族の中で自分だけがベトナム語をほとんど理解できないことなどを考えれば、アイデンティティの確立が難しかったのだろうと思う…。
    真依子はおそらく私と同じくらいの年齢だろう。
    私自身、幼いころテレビのニュースで見たボートピープルの映像がいまだに脳裏に焼き付いている。
    大波に揺られ、今にも壊れそうな小さな船に鈴なりに人が乗っていた…この人たちはどうなるの?このテレビの人が助けたの?と同じような映像を見るたびに、不安で母に尋ねた記憶がある。
    彼らの多くは、アメリカやフランスなどに受け入れられ、わずかだが、今よりははるかに多く日本にも受け入れられた。

    日本では取り上げられることがあまりない、戦争や紛争の犠牲になる難民の問題。
    3世代に渡る女性の物語を通して問いかけられる。
    2020.9.27

  • 何度か涙腺崩壊しました。それは決まって娘の奈月の心が揺れる場面。
    母・真依子が実はベトナム人だったという事実をずっと知らされていなかったこと、そして母の物事を追求しない考え方に反発を覚えていた奈月が、ベトナムのことをしっかり勉強し、今の正直な気持ちを友人や恋人にも打ち明けている姿に泣きました。そして、奈月をしっかりと受け止めてくれている友人、恋人にも泣かされました。
    真依子は自分がベトナム人であるということで娘がいじめにあったり嫌な思いをするのではないか?と心配して打ち明けられなかったのに、娘は自分の中できちんと整理をできるまでに成長できている。そして全てをまるっと受け止めてくれる友人、恋人がいる‥‥それは奈月が魅力的な女性だからなのです。だからそんな人間関係が築けているのです。
    母はあんなに心配していたのに、こんなにステキな女性に成長しているんだと思う度に泣けました。

    物事を深く追求しない母にイライラしてしまう正義感の強い娘。対立しながらも母は娘に蝶が羽化する瞬間の姿を重ねてみたりする。親がしてあげられることはそんなにないのかもしれない、ただお腹を貸してあげただけなのかも‥‥と。
    娘の成長を嬉しく思う母の気持ちに共感です。

    しかし、奈月と同じ立場の従姉妹に「ベトナムの血を意識したことはあるか」たずねると「そういうことはどうでもいいかなあ。自分は自分でしかないでしょ」と。
    押し付けない感じで、とても気持ち良く読み終えました。
    読み終わった後は、表紙カバーの美しい絵をじっくり見たくなります。あぁ、こういう意味だったんだって。

  • 何も知らぬままジャケ借りした本だったため、
    予想外の内容…!

    小説としてストーリーを楽しむというよりは、
    ベトナム戦争や歴史について学ばされました。

    小説として捉えると、大人になって事実を知らされ、奈月のようにまっすぐと受け止められるかな?とやや物語として出来過ぎな部分も感じました。

  •  何かしらのきっかけで心に引っ掛ったことを追求する。腑に落ちるということ。心からの納得。
     知らなければ済むこと、知らなくてはいけないこと。選択肢が多過ぎてめまいがする感じがすることがある。
    けれど。

    第七章260ページ。
    “ただ順番に繰り返されていく日々の営みの美しさ。それで十分だ。それこそが正解だ。”

     海外に行くのも、つまみ細工を始めるのもフラダンスを始めるのも、美しい日々なんだ。
     

  • ベトナムで生まれボートピープルとして日本に来た真依子は、自分の名前の由来など考えたこともなかった。ホアマイ、テトの花。南ベトナムのお正月を象徴する花。45年間知らないまま、知ろうともしないまま、ここまで来てしまったという。
    娘の奈月から「お母さんって、甘いっていうか、適当、いつも曖昧、いつもどっちつかず。その場を無難にやり過ごせば、問題が解決できると思っている。」と痛烈に非難されてしまう。

    奈月からベトナム旅行をすると告げられた時、出自を初めて明かす。
    奈月は、ベトナムの歴史を調べ、家族のルーツを訪ね、たくさんのことを考える。奈月の若者らしいまじめさ、正義感に胸打たれる。
    そんな奈月だが、南北に別れて戦ったベトナムの歴史に触れ『正しさって何なのだろう』と考える。弟、賢人への頭ごなしの態度も反省する。

    真依子はそんな娘に感心し、少しだけ変わっていく。真依子の生き方に寄り添えなかったが、いつのまにか大きくなった子どものハッとする言動に触れた時の喜びには頷く。それがたとえ自分に向けられた批判でさえも。

    話の各章は、真依子、奈月、おばあちゃんの春恵の母娘三代の視点で書かれている。
    家族は影響しあい、繋がっている。連綿と受け継いできた営みがある。
    人は『日々の営みの美しさ』を守るために生きているのかもしれない。

  • ベトナムのこと、ボートピープルのこと、全然知らなかった。
    いろんな歴史があって、日本にもいろんな国からいろんな事情で来た人がたくさんいるんだろうな。

    何が正しくて何が正しくないとか、そんなことは簡単に言えない。

    たまたまそこに生まれたから、そこが北だったから、南だったから、で変わってしまう人生もある。

    北とか南とか、人種とか、国とか、の前に、みんなそれぞれ大切な家族があって、家族を守りたいだけなんだ。それを戦争という形にしてしまうのもまた人間だけれど。

    戦争って本当にいろんな人の人生を変えてしまう。

    なつきとともにベトナムの歴史を少し学ぶことが出来た。
    スァンの学生時代の話は、ホント微笑ましかった。まるでうちの娘と一緒だ。友達と他愛もないことで笑って、とにかく楽しくてしょうがない時期。同じ人間だなぁとつくづく思う。

  •  装丁がとてもいい。この色合い、手触り、ベストだと思う。ボートピープルが中心のテーマとなっている小説だ。
     私はこの小説には違和感を覚える。

     まず、奈月が「常に正しい」存在であるのだ。おそらく作者の代弁者の一人であるのだが、母と対照的に、常に行動的で,理性的で、失敗らしい失敗をしない。そして誰もが彼女を認め、誰もが彼女を愛し、彼女も、誰もを愛し、そして前に進むことができる。言葉は常に正論で、正義である。また愛に一途で、公平である。この奈月が、あまりに本に書かれてある答えを言い過ぎていて、とても人間とは思えない。かといって、架空のキャラクターとも思えない。ああ、作者だな。もしくは、作者に首輪をつけられた人間だなと、思ってしまう。言葉はすべて説教臭く、作中でも、自分のことを説教臭いと述べている。奈月自身がわかっているくらい、読者に「教える側」に立っている。
     奈月がいなければ、この作品は実に味わい深い作品になっていると思う。むしろ、反抗期ばりばりで、なかなか謝ろうとしない、言うことを聞かない弟は、実にリアルだった。これも、おそらく作者の息子か、もしくは作者が見てきた男の子だろう。この子が、ベトナムにいったのならば、いったいどういう思いをするか。グランドツアーじゃないが、きっと、「ああ、世界はこういうものか。適当に生きていて良いのだ」と思うはずだ。ひったくりやぼったくりにあって。
     弟をしばって、苦しめているのは、「こう生きなければならない」というものだ。「女に優しくなければならない」「男なら立派にならねばならない」要するに、「寛容で公平で優しく収入のある男らしく」あらねばならない。この「ねばならない」を脱して、多少間違っていても、卑怯でも、人は、人を傷つけながら、それを黙ってスルーしながらも、次に出会う人は傷付けないようにしようと、ずる賢く生きていくものだ。それが、弟から、そして母から感じる。奈月からは、理想化された思想人間以外のなにものも感じない。
     サングラスを外さないベトナム人の姿は、リアルで、これはなるほどと思った。

  • 突然知った母のルーツ。
    友達と旅行先に決めたベトナムが、母の故郷だった。

    奈月の眩しいばかりの正義感に涙が出る。ここ最近、差別的な発言に触れすぎていたのか、力強く差別を否定し、そしてそれに屈しそうになる人にも等しくNOを言える奈月の言動に救われた自分がいる。

    娘に自身のルーツを隠す真依子と同じように不安があった。知ったら奈月がどう思うか、それを知った周りがなにを言うか。そこに差別があることを否定する前に、周りの人間の差別心を疑ってしまう。自分の弱さを人のせいにして。奈月と同時に憤れなかった私は、ベトナムに対して、ボートピープルに対して、日本で生きるうえで差別や偏見は残念ながら少なからずあるものと、思ってしまってはいなかったか。自分は差別をしていないと思っても、差別の存在を仕方ないと思ってしまえば、それは間違いない、差別だ。

    奈月の言葉に安心したと同時にその言葉が鋭く突き刺さったのは、きっとそんな保身的で差別の存在をどこかで否定しきれていない弱い自分を強く叱ってほしかったのだ。

    ルーツを隠していたことに対して奈月は激しく憤り、真依子に言う。
    「親がベトナム人だからなんなの?わたしがハーフだからなんなの?なんの問題があるの?小中のとき、クラスにフィリピンの友達がいたよ。高校のときだって、イギリスと韓国の子がいた。みんな大好きな友達だよ。なんでいじめられるのが前提なわけ?」

    そして、さらに続ける。

    「わたしたちのせいにして、本当はお母さん自身が隠しておきたかったんじゃないの?お母さんが自分のことをはすかしいって思ってるんじゃないの?」

    突き刺さる。涙が出た。

    私にインド人の友達がいる。日本語も英語もヒンディー語も上手でとっても明るくて優しい友達。その友達のことを好きで、仲良くしていても、その友達に対する周りの偏見の目を許せば、仕方ないと諦めれば、それは差別だ。

    奈月のようになりたい。と、強く思った。物語の中で、奈月はベトナムを訪れ、そこで様々な風景、人々、暮らしに触れながら正義とはなにかと自分の中で深めていく。自分の正しさを押し付けることが正しいことではない、と。もちろん、その意見には共感するし、この世界のことは正義と悪には単純に分けられないことはよくわかる。そして、それを実感し自身の信じるところをしなやかに力強く深め広げていく奈月の成長は眩しくうつくしい。

    ふれつづけるべきた。考え続けるべきだ。関わり続けるべきだ。

    当事者として。

    今回奈月は、突然ベトナムという国の当事者となった。しかし、私もまた当事者だ。日本で就職できたことを笑顔で教えてくれたインド人の友達、農家で働く技能実習生、コンビニでアルバイトする留学生。当事者たちと関わり生きていくという意味で私も当事者だ。この多様な人々の生きていく世界の当事者。

    この物語に出会えてよかった。私は物語を通して真依子に寄り添い、奈月と旅をして、スアンと海を渡った。私も当事者。物語は私を当事者にしてくれる。物語の力だ。いろんな世界に生きることができる。

    ベトナムに行きたいな。スアンの見たニャチャンの海の色を、私も見たい。

  • あたりまえだけれど
    日本で暮らしているのは
    日本人だけではない

    秀吉のころから
    とまでも言わなくとも
    1945年のあの敗戦の前後に
    ちょっと考えるだけでも
    実にたくさんの日本人以外の人が
    日本と関わりを持ち
    また 今も暮らしている

    ベトナムの戦争が生み出した
    ボート・ピープルの人たちが日本に辿り着いて
    ほぼ半世紀になろうとしている

    戦場カメラマンとして
    当時のベトナムを活写された
    石川文洋さん、そして沢田教一さん
    の作品に触れた時の印象が強烈で
    ずっと記憶に留まっている

    また日常の風景で
    私の暮らす町でも
    ワーカーとして働くベトナムの人たちを
    見かけることが珍しくなくなっている

    本書で描かれるのは
    ボートピープルの祖父母、父母を持つ
    日本で生まれ、日本で育った
    二十歳の娘が自分のルーツを辿る物語

    読みながら
    過去に読んだ「ベトナム戦争」の写真、ルポルタージュ
    が脳裏に浮かんでは消えていく

    どこで 読んだのかは 忘れてしまったけれど
    ー人は これからを これまでが 作っていく 
    という言葉が浮かんできました

  • 素晴らしい小説でした!

    奈月は、ベトナムへ旅行することから、母、真依子より、ベトナム人であること、ボートピープルであることを知らされる。

    もし自分が奈月の立場がだったらどうしただろう…
    奈月はベトナム戦争やボートピープルについて、さまざまな視点で書かれている本を読んだり、祖父母や叔父叔母に話を聞いていく。
    そして、奈月は、ベトナムへ行き、ベトナムで感じた空気感や風景、歴史、さまざまなことを吸収していく。

    陽の奈月、陰の母真依子。
    この物語は、奈月、母真依子、祖母春恵、それぞれの視点や時代から語られる。奈月の行動から、家族のつながりがさらに強くなっていく気がした。
    難しいテーマが根元にあるけれど、でもどこにでもいる元気な賑やかな家族。


    カバーイラストや色彩がとてもきれいで一目惚れした。ただ、「ベトナム戦争」「ボートピープル」という言葉から、重い内容だったら…と、正直、少しためらいがあった。作中では沖縄の歴史にも話題は広がる。読む決め手は、ネットで読んだ著者の椰月美智子さんのインタビュー記事でした。


    今までの歴史の中で起こった出来事や事件などは、自分には関係ないかもしれない。でも、出来事が起こった場所は、大切な人や友人が住んでいたり関係のある場所だったり、旅行にしたことがある場所だったり…一見自分に無関係に思えても、実はつながっていることはたくさんあるのでは、と気づかされました。

    家族小説でもあり、様々なことを教えてくれる小説でもあり。ますます椰月美智子さんの大ファンになりました。

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著者プロフィール

1970年神奈川県生まれ。2002年、第42回講談社児童文学新人賞を受賞した『十二歳』でデビュー。07年『しずかな日々』で第45回野間児童文芸賞、08年第23回坪田譲治文学賞、17年『明日の食卓』で第3回神奈川県本大賞、20年『昔はおれと同い年だった田中さんとの友情』で第69回小学館児童出版文化賞を受賞。『明日の食卓』は21年映画化。その他の著書に『消えてなくなっても』『純喫茶パオーン』『ぼくたちの答え』『さしすせその女たち』などがある。

「2021年 『つながりの蔵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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