- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093866262
作品紹介・あらすじ
あなたは、哀れでも可哀相でもないんですよ
北海道根室で生まれ、新潟で育ったミサエは、両親の顔を知らない。昭和十年、十歳で元屯田兵の吉岡家に引き取られる形で根室に舞い戻ったミサエは、ボロ雑巾のようにこき使われた。しかし、吉岡家出入りの薬売りに見込まれて、札幌の薬問屋で奉公することに。戦後、ミサエは保健婦となり、再び根室に暮らすようになる。幸せとは言えない結婚生活、そして長女の幼すぎる死。数々の苦難に遭いながら、ひっそりと生を全うしたミサエは幸せだったのか。養子に出された息子の雄介は、ミサエの人生の道のりを辿ろうとする。数々の文学賞に輝いた俊英が圧倒的筆力で贈る、北の女の一代記。
「なんで、死んだんですか。母は。癌とはこの間、聞きましたが、どこの癌だったんですか」
今まで疑問にも思わなかったことが、端的に口をついた。聞いてもどうしようもないことなのに、知りたいという欲が泡のように浮かんでしまった。
「乳癌だったの。発見が遅くて、切除しても間に合わなくてね。ミサエさん、ぎりぎりまで保健婦として仕事して、ぎりぎりまで、普段通りの生活を送りながらあれこれ片付けて、病院に入ってからはすぐ。あの人らしかった」(本文より)
【編集担当からのおすすめ情報】
絡み付いてね。栄養を奪いながら、芯にある木を締め付けていく。最後には締め付けて締め付けて、元の木を殺してしまう。その頃には、芯となる木がなくても蔓が自立するほどに太くなっているから、芯が枯れて朽ち果てて、中心に空洞ができるの。それが菩提樹。別名をシメゴロシノキ。
感想・レビュー・書評
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最果ての地、北海道根室で生を受けて亡くなるまでのミサエの足跡。
彼女の生きざまは、壮絶であるが故に哀しくて切ない。
だが、哀れという一言で済まされないものが彼女の中にある信念だろうか。
時代がそうさせるのか、土地がそうさせるのか…。
理由を探したくはないが、違った生き方はなかったのだろうかと思ってしまった。
久しぶりに圧巻の大河巨編を読み感慨深い気持ちになった。
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北海道の歴史には、この様な辛い話がいくつも語り継がれている。北海道開拓の大きな目的は国力増強、食糧増産、そして士族への授産だったのだろうなと思う。士族ばかりでなく内地では食べていけない人達も希望と夢を抱き移住したに違いない。
しかしこの政策には当然闇の歴史もある。
このお話を読んでいると《貧すれば鈍する》と言おうか貧しさは人の心をも貧しくさせるのかと思ってしまった。雄介さんが家庭教師先のお母さんを見《金で担保出来る心の豊かさや優しさというものもある》と感じ自分の置かれた境遇にはない世界を知る。
それにしてもミサエさんの一生は壮絶と言うしかない。《絞め殺しの樹》というタイトルに禍禍しさを感じ読み始めたが、どんな境遇にも負けず生き抜いたミサエさん、そして卒業後は故郷に帰り酪農家の後継者として生きようと決めた雄介さん。
切ないお話だったけれど希望を感じさせてくれた。
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ミサエの報われなさを
雄介が 母親の過去を知ることで
段々昇華してくれていくのは
ほっとしました
菩提樹の別名をシメゴロシノキというそうで
元の木を締め付けて殺してしまう
仏教的な死生観 善人も悪人も
生々流転していくさまが
描かれてると思います -
こういう一代(二代?)を追う作品好きとしては評価を甘くせざるを得ない。
これはどう考えても次作でますね。楽しみ。 ★4.0 -
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根室舞台に苦難の女性描く [評] 杉江松恋(書評家)
<書評>絞め殺しの樹:北海道新聞 どうしん電子版
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舞台となる根室は雪が少なく(雪は暖気を保つので雪が降る地方がしのぎ易い)乾いた風が吹き付け竹林や柿の木がないと描写してあった。竹林がないなんて私には全く想像できない。私が生まれ育った九州では竹林が里山を荒らすという話は良く耳にする。それと同じように、温暖な地域で育った者の根性のなさから来るものなのか、両親が居てくれたからなのか分からないが、本書にあるような理不尽さには激しい憤りを感じた。
屯田兵の歴史も初めて知った。初期の頃、屯田兵は武士から募られ、最初に入植した屯田兵は後から入植した農家出身の屯田兵を見下し、差別感を露わに接している。
お寺に嫁いだユリが長女を自殺で失い離縁されたミサエに「ミサエさんはちゃんと生きていらっしゃいましたよ。誰しもそうであるように、働いて、眠って、働いて、眠って。立派に生きていらっしゃいましたよ」。でも、あなたこそが特別ではない。あなただけが苦労したのではない。それでもきちんと生きてきたとミサエを諭す。そして、ミサエもその言葉を聞き心穏やかに落ち着いていく。そして誰にもしられることなくこの世を去りたいという願いをユリに語り、ユリも「左様ならば」と、彼女の言葉をしっかり受け取り別れを告げる。
第二部は養子に出された雄介の視点で始まった。ミサエの最期が微塵も描かれていないのは歯がゆいが、上記の流れからだろう。
でも、雄介が北大を卒業後に根室に再び戻る決心をするのは、百歩譲っても認められない。小山田への復讐もないとはいえないが。
締め殺しの樹が『菩提樹」だったとは驚いた。 釈迦が悟りを開いた木の別名にしては禍々しすぎる。日本で云われる菩提樹はシナノキで、本当はインド菩提樹、樹ではなく蔦、狙った木に絡みついて栄養を奪いながら芯にある木を締め付け、最後には元の木を殺してしまう。そして芯となる木がなくても蔦が自立するほどに太くなり、芯は枯れて朽ち果て中心に空洞ができる。しかし、いつか締め殺しの樹も枯れていくのだとユリの話は終わっている。これは間違いなく諦観の境地だろう。
でも、これから生きていく雄介には当てはめてはいけない。最後のページを読み終えどうして雄介、あなたは根室を出ないの!と胸の裡で叫んだ。母親のミサエが生きていたらきっとそう言って反対したはず、と考えるのは私の一方的な捉え方なのだろうか?
もしかすると、ミサエも雄介と同じ結論を出したのもしれないとも考える。
強い強靭な木があるとする、まっすぐで何もかもを受け入れる木、そんな木には安心して蔦は絡みつく、縋るなら揺るぎなく強い木。人の中にはすごく優しくて強い人が奇跡的にいる。そういう人は、他の人に倚りかかられ重荷を負わされ泣くことも歩みを止めることもできなくなる。それがミサエなのだ。
彼女は”便利な存在”にさせられたとも思えて、読後以来、私の苛立ちはずっと燻りっぱなし。
ブクログユーザーの評価も高く、気になっていた一冊でしたが、なかなか辛い作品でした。
語彙力がないので、私の感想だと...
ブクログユーザーの評価も高く、気になっていた一冊でしたが、なかなか辛い作品でした。
語彙力がないので、私の感想だとあまり参考にならないと思いますが、機会があれば是非とも手にとってみてください。
こんばんは
語彙力ありますよ
めっちゃ参考になって気になってしまいましたもん
こんばんは
語彙力ありますよ
めっちゃ参考になって気になってしまいましたもん
褒め言葉だと受け止めて喜んでおきますね
^o^
褒め言葉だと受け止めて喜んでおきますね
^o^