奇跡の教室 伝説の灘高国語教師・橋本式の流儀

  • 小学館 (2010年11月29日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (226ページ) / ISBN・EAN: 9784093881630

作品紹介・あらすじ

文庫本一冊で「東大からの学力」。灘校伝説授業の真実

橋本武(現在98歳)は、戦後、公立のすべり止めだった灘校で、文庫本『銀の匙』だけを3年間かけて読むという空前絶後の授業を始める。明治の虚弱な少年の成長物語を、横道にそれながら丁寧に追体験していく。五感や季節感を大切にしながら進められる橋本の授業は、生徒の興味で脱線し、テーマを見つけた生徒はどこまでも調べていき、“個性”と出会っていく。一学年200人の中高一貫。6年間を繰り上がりで一教科一教師担当制の灘校で、橋本の『銀の匙』授業を受けられたのは30年間でわずか千人。『銀の匙』2巡めの昭和37年卒業組が「初の京大合格者日本一」。3巡め43年卒業組は、「私立初の東大合格者日本一」。実社会でも旺盛な好奇心で、教科書なき道を切り拓いていく彼ら。現在の東大総長・東大副総長・最高裁事務総長・弁護士会事務総長など、各界の頂点が“銀の匙の子”である。「燃え尽きない、一生学び続ける好奇心」を授けた授業を、橋本自身と教え子たちへの1年に及ぶ取材から解析した、21世紀の教育界、受験界への一つの回答になる感動の実用ノンフィクション。子育て本としても有用な1冊です。



【編集担当からのおすすめ情報】
灘校を東大合格日本一に導き、実社会でも新しい道を切り拓く、地肩の強い生徒達を育てた橋本武先生(98歳)、伝説のスロウ・リーディング授業。そのノウハウを齋藤孝氏、藤原和博氏ら、橋本授業に関心を持つ現在の教育識者の協力を得て、混沌とした今を生きる子どもたち、若い社会人に活かす本に仕上げました。ノンフィクションとしても「泣ける1冊」です。

感想・レビュー・書評

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  • 「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなります」

    今でこそ超名門校だが、当時まだ公立校の滑り止めでしかなかった灘(なだ)。冒頭の言を発した教師は、この学校で薄っぺらい文庫本「銀の匙(ぎんのさじ)」一冊だけを3年間かけて読むという型破りな国語授業を行った。やがて教え子たちは、灘に私立初の東大合格者数日本一の栄冠をもたらす。そして今、東大総長・副総長、最高裁事務総長、神奈川県知事、弁護士連合会事務総長・・・要職につき各界で活躍している。伝説とまでうたわれるようになったその教師の名は、橋本武100歳。

    ・橋下武先生は、本当にそんな授業を行ったのか?
    ・具体的に、どんな授業内容だったのか?
    ・なぜ、そのような授業を行ったのか? 
    ・そして、なぜ、結果を出せたのか? 
    ・教え子たちは、今、何を思うのか?

    本書には、こうした疑問全てに対する答えがつまっている。

    何と言っても本書最大の魅力は、教育の本質をとらえた橋本武先生のその手法の紹介だろう。一冊の本をとことん味わい尽くす・・・本書は、そんな橋下武先生の教育スタイルをスローリーディングと呼ぶ。スローリーディングと言っても、単にゆっくり読むのではなく、そこに登場する言葉、情景、心情・・・文字の一言一句を大切にし、丁寧に観察し、”追体験”することを指すのだ。たとえば、主人公が金太郎飴を食べている描写があれば、実際に生徒にも金太郎飴を食べさせ・・・同じ状況を味わいながら読み進める、といった具合である。

    ところで、スローリーディングを知るにつけ、個人的に、ふと、思う。成果を伴った教育というか学問というか・・・そういったものには、一つの共通点があるなと・・・。

    全てのケースに共通するのは「興味を持ち、自ら調べ、自ら体験し、自分の考えを見つける」というプロセスが発生している点である。

    橋本先生のスローリーディングは、まさに生徒にこのプロセスを踏ませる最も有効な手段の1つであるに違いない。しかも、今から遥か70年以上も前にその重要性に気がついて実践していたというのである。還暦をゆうに超える生徒達は、今も立派に生きている。

    ”奇跡の教室”・・・本書を読めばこの言葉が嘘ではないことがわかるはずだ。

    (書評全文はこちら→ http://ryosuke-katsumata.blogspot.jp/2012/12/blog-post_4367.html

  • 橋本先生は、中高生に、「銀の匙」という本を土台にして、子どもたちとともに本の内容を追体験、自由に考えて表現する授業を展開。
    先生の豊かな教養により、授業はいつも横道にそれていく。横道にそれるというより、横道を突き進むと言った方が正確かもしれない。横道と言うと学校で学ぶ必要が無いことの様に聞こえるが、そもそも生徒が学校で学ぶべきことって何だろうか。先生は学習指導要領に書いてあることだけ教えれば良いのだろうか。
    私は学ぶ姿勢や学ぶ面白さを学ぶことが大切だと考える。広く興味を持ち、興味を持ったことを追究してみる。追究する過程で、気になったこともまた追究してみる。それこそが真の学びだと思う。
    橋本先生の授業は私の思い描いていた理想の授業である。題材は違っても、学ぶ姿勢や学ぶ面白さを伝えられるこんな授業をやりたい。

    教育学部 社会科 4年 M.

  • さくっと読めました。
    教育論としてもおもしろい。

    ただ、この授業の内容についてこれるのは、やはり灘の子どもたちぐらいだろうかとも思ったり。

    心がささくれだちな思春期の子どもたちが、銀の匙をどれほど受け入れられるのだろうかということと、昔にはなかった、知的であることを拒否するような傾向が、学力の低下を招くのではないかと思ってみたり。

    ただ、一方でメディアは発達し、ジャンクも含まれるけれど望むものにはたくさんの情報が手に入る。

    興味を持ち、追求し、答えのようなものをつかむには時間がかかるが、答えを得るまでのプロセスに我慢できないことが、最近の子どもの問題だと思うので、エチ先生のようにうまく引き出すことができる、我慢を楽しみに変えられる教師が増えるといいなと思った。

  • 学校でしかできないこと
    それは、みんなで1つの作品を読み合うこと

    その大切さ、そしておもしろさを思い出させてくれる本
    じっくりと1つ1つの言葉を丁寧に
    探究していくその姿はすっごく刺激的。

    エチ先生のような先生
    そういうのもありかなって思います。

  • 『銀の匙』という1冊の本を3年かけて読ませるという授業をした灘校国語教師とその生徒たちの成功を書いた物語。エチ先生の考え方は「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」という言葉に集約される。すぐに目に見える結果を求め、小手先に走りがちな社会人としては耳が痛い。
    本書を読み終えてもなお疑問がのこるのはなぜ『銀の匙』という本でなくてはならなかったのか?なぜエチ先生はあまたある本の中から銀の匙をそこまで愛したのか?という点である。題材は他の本であっても、そこに愛を注げる先生がいれば奇跡の教室は成立しえたと思う。というわけで銀の匙そのものを読もうという気にはならなかった。
    灘校というと進学校イメージから超詰め込み教育が行われているとかってに思い込んでいたが、こんな授業ならうけてみたいな。

  • 知的好奇心・探究心を引き立てながら同時に考える力をどう養うか?この大問題を灘校の国語の先生が1冊の文庫本を横道にそれながら3年間かけて読み込むという型破りなカリキュラムで解いてみせた。本書の随所に挿入された解説にはスローリーディングだのポートフォリオだの方法論としての分析が載せられているが、無名校を東大合格率日本一の学校にした奇跡を起こした本質は転校生にプリントを送り続けたエピソードや学校の校庭を畑に変えての野菜作りを通じて「手間をかけたものは本物」と確信した話などにあるように思う。つまりは確とした信念と情熱を持ち合わせたエチ先生だからこそ「銀の匙」を3年間かけて読み進めながら、横道にそれる過程で知的好奇心・探究心を引き立て考える力を生徒に植え付けることができたのであって、同じ方法を他の人がやったところでうまくいかないのではないか。実際同じ方法を実践したという話は聞かない。

    知的好奇心・探究心と考える力を養うことの大切さは小学時の教育方法における日本と欧米、特に北欧などの「教育先進国」との違いを引き合いによく議論されていることであり、今になって新しく発見されたものではない。大切、大切と言い続けながらなぜ変われないのか?脱個性・均一化を助長する教育方針を押し付ける教育機関にも問題があるだろう。しかし一方で完全に自身の裁量で教育方法を編み出し実践できる、考える力と情熱をもった教育者が育たないことも問題であり、再び教育の問題に戻る。この負のループをどこかで断ち切らなければならない。

  • 齋藤孝さんの銀の匙の話から。
    銀の匙を読むにあたっての解説的なことがあるかなと思って図書館で借りたが、そういった記載はあまりない。

    銀の匙だけを題材にした灘の国語授業、について特集した本。

    ●好きなことを徹底的に掘り下げることそれ自体が勉強である

    ●銀の匙を深く読むことで養う複眼思考(←これは某本のタイトルでもある)

    ●橋本武にとっての「銀の匙」を自分でみつけてみる

    疑問→結果を出す(進学実績をあげる)ことが求められる状況で、いくら自信があったとしても、教科書完全無視の授業を30年続ける、というのは単に覚悟だけではできない気がした。その部分は本書には記されていない。

  • 国語は学ぶ力の背骨
    読書が好きな子は理解できない単語が出ても、乗り越えることができる

  • ふむ

  • 灘中学において、3年間で一冊の文庫本「銀の匙」を読みとおすという授業を行った先生のお話。生徒の興味に応じて、どんどんと脱線し、凧を作るシーンがあったときには、実際に美術の先生にお願いして、凧をつくることまでやってしまう。ゆっくりと精読するスローリーディングを通して、生徒がいかに自分で考えることを学んだかがわかります。情報を短時間で得るための速読に注目が集まりがちですが、一つの本をじっくりと読むことも大切だと感じさせられました。

  • 中学の3年間の国語の授業を、1冊の文庫本だけで行うという先生の考え方、そして、その授業を受けた生徒の今を追ったノンフィクションである。

    灘中・高は、各教科の担当が6年間変わらないらしく、当時の灘中生が皆この授業を受けた訳ではないそうな。面白いシステムだ。他にもいろいろ面白い先生がいそうなシステムだと思う。

    途中語られる先生の想いにドキリとさせられる。スピードが大事なんじゃない。すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる。子どもたちの好奇心を活かす、脱線こそ大事。壁を階段に。

    先生もとても勇気のいることだったろう。そして、今でも、研究ノートを改良しているという、その前向きさ。凄すぎる。

    ノートの写真なども見たかった。その辺りが残念。

    [more]
    (目次)
    第1章 「追体験」が風を吹かせた
    第2章 「エチ先生」以前
    第3章 『銀の匙研究』ノート
    第4章 主人公との往復書簡
    第5章 横道こそが王道
    第6章 『銀の匙』の子どもたちの快挙
    第7章 見果てぬ夢

  • いいなぁ、うらやましいなぁ。こんな授業を受けてみたかった。そして我が子にも受けさせてみたかった。灘ってただただ頭脳明晰の子供たちの学校、ってイメージだけどたいていの私立がそうであるようにそうじゃない時期もあったんだ。敬愛する中島らも氏がここの卒業生であり、かわいそうなくらいに頭が良すぎるって著書を読んでいていつも思っていたけれど、ただただ頭でっかちじゃない、本当の天才だ!って思えるのはそうか~こんな学校ならさもありなん(氏はエチ先生の直教え子ではないと思われ)。そしてエチ先生だけでなく学校の先生がみんな好き勝手なように見えてその実確実に子供たちにほんものの学力が身につく工夫された授業をしている。たった数か月で転校していった生徒にその後の授業プリントを送り続けたというエピソードも「東大合格率全国一」を目指しているのではない、という思いが見て取れる。
    原作者とも直に交流し考察を深めていったというのもなんという贅沢な授業であるかとため息であった。
    そして、どんなにグローバル社会だ、英語くらいできなければ、と、外国語教育が声高に叫ばれたって、やっぱりやっぱり!「国語」が大切だと確信した。
    難解そうだけど、「銀の匙」を読んでみようと思う。
    読後しばらく余韻に浸りその「研究ノート」というものはいったいどんなものか見てみたくなり検索したところ、ヤ〇オクでン百万で出ていました。。。破格だけどぜひ本当に子供の未来を考える国語教師に落札していただきたいものだわ

  • 中勘助の『銀の匙』を中学3年間掛けて読み解く授業を、灘中学校で行なわれていたという話は聞いていました。しかしどのような形で授業が展開されているのか、全く想像もつかなかったのです。ここではその伝説の授業の一部始終を、授業を執り行なった橋本武先生(エチ先生)の生い立ちから丁寧にまとめられていました。
    まず驚いたのは『銀の匙』を用いた授業というものがまだ若いエチ先生による起案であったということです。学校を上げてのプログラムだと思っていましたが、一教師のアイデアから始まっていたことに驚き、それを行なうことのできた灘校の自由な校風というものに感心しました。
    ただ単に『銀の匙』を読み込んでいくだけに留まらず、そこに書かれていることから想起して横道に逸れる。それは語句の意味からの広がりであり、文中に現れる事柄を実際に体験することでもある。国語を学ぶ力の背骨だと言うエチ先生の言葉のように、国語という教科はその教科の範囲を超えて影響していく。人が生きるための力が国語によって養われるのだろう。横道こそが王道となるのである。
    人は思考する時、他者の話を聞く時、自らの意見を発する時、どの時にも文章によってそれを成している。文章を理解し組み立てる力こそが生きる力となるのだろう。実際にエチ先生の授業を受けた人たちのその後に焦点を当て、取材をすることによってそのことを証明している。それは単に東大に合格した社会に於いて重要な地位に就いたというだけでなく、人として考え行動する根本となる力をエチ先生の授業で得たことが語られている。
    インターネットの普及に伴って、人は調べること考えることが不得手になっていると感じています。答をポンと与えられること、それは調べることにも考えることでもない。自ら調べ考えまとめる。そんな力を得るにはどうすればいいのか。この本にはそのことを考えさせられるものが、たくさん詰まっていました。これを読んでこんな授業受けられたらよかったのになと羨んで終わるのでなく、これから進む一歩の指針となるような本でした。

  • 『大物一点豪華主義』

    という概念は

    知っておいたらいいとおもう

    ぼくはかなり重視して生きてて

    たのしい

  • 久しぶりに良い本に出会った。読み物としてとても良かった。
    一つの物語を自分の生活に結びつけて読むと、これほどの実りがあること。考えてみれば当たり前なのだけど、実践できているかと言われると難しい。
    国語だからこそ言葉の意味を調べて分かることが大事だと思っていた。しかし、具体物を見るほうが分かるに決まっている。それで読みを深められたらそれは立派な国語の授業なのだ。
    「国語力を高めたら他の教科の理解も深まる」ところは生徒にも紹介したいと思えた。

    実践の一つに、後輩の国語科教員がやっている「表題をつける」試みと全く同じのがあった。あの行為にはこういう意味とか楽しさとかあるんだと知った。
    ただ、彼の授業だと「楽しい!」までいけていない。その授業の生徒を見ていると、教員が認めた「正答」が出て来るまで何も書かない子も多いからだ。
    機会あれば彼もその実践箇所だけでも読むといいと思う。取り組みは一緒でもやり方が微妙に違うから、授業改善のヒントになるだろう。

  • 昭和9年橋本先生は、教科書を一切使わずに「銀の匙」を教材に3年間、一言一句を読み解き授業を展開していった。久しぶりにこの本を手に取り、「アクティブラーニング」ってまさにこれなのではないかと思わされた。一つの言葉の裏には、広がりがある。詳細に読み込んで行くと、歴史・文化・社会・伝統とつながっていく。受験・受験となるのではなく、一つ一つの物事を丁寧に読み解いていけるって素敵なことだと思う。橋本先生の「すぐ役立つことは、すぐに役立たなくなります」という言葉も非常に共感。自分はどんな国語教師になりたいのか、受験だけに捉われずに熟考していけたらと思う。

  • 全国的に有名な進学校、灘校で教鞭をとられたエチ先生こと橋本武先生と、その教え子たち(と言ってももう立派な大人の方々)とのお話です。

    エチ先生の国語の授業は一風変わっていて、教科書は一切使わず、文庫本 『銀の匙』(中勘助著)一冊を読み通す、それのみを勉強するというものです。
    一冊の本の内容を深く掘り下げ、広く脱線し、大きく横道に逸れ、読み込んでいくことで、作品を自分のものにする。
    感性豊かな中少年の生き様を、中学生が三年間をかけて存分に味わうのだそうです。

    教え子たちは異口同音に、国語の授業を通じて、エチ先生から生き方の根源を教わったと、言っておられます。
    エチ先生の教育に対する覚悟と信念、魂は、教え子たちにしっかりと伝わり、彼らの人生の肥やしとなっているのです。

    エチ先生は退職された後、街のカルチャースクールの教壇に立っておられると知り、ぜひ一度講義をお聞きしたいと思いましたが、残念ながら2013年に101歳でお亡くなりになっていました・・・

    図書館スタッフ(東生駒):ほっこり

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    帝塚山大学図書館OPAC
    https://lib.tezukayama-u.ac.jp/opac/volume/732042

  • 仕事上の知り合いから進められ。

    人にものを伝える(教える)ことの価値観を揺さぶられました。

    灘に興味深々。

  • あたたかな気持ちになりました。先生の言う所の、『結果を出す』が、いい大学にすすむ学力を身につけることではなく、何歳になっても、前を見続けることだというのが最後にのっていて、特に素敵だと思いました。

  •  昭和59年まで50年間、兵庫県の灘中高の教壇に立ち続け、中学3年間は中勘助の自伝的小説『銀の匙』1冊だけを授業で扱うというスタイルを取っていた国語教師・橋本武先生のドキュメンタリー。各界を牽引する存在となった教え子たちへのインタビューを交えて、「エチ先生」の人柄や教室の様子が伝わってくる読み物となっている。途中で齋藤孝などの教育学者が、橋本先生の授業を分析するコーナーが設けられている。
     この読み物の舞台となるのが、戦後の昭和なので、とにかく時代のギャップが結構ある。表紙の写真は最近の子供達に囲まれるものなのに、ページをめくって出てくる写真がいかにも昭和の写真ばっかりなので、この表紙は何なんだ、とか思ってしまった。橋本先生みたいな授業が出来るのは、必要なことはこれでも出来る、という信念があるからだと思う。じゃなければ、「結果が出なければ責任を取る」なんて言えないだろう。
     いくつか共感した部分を挙げると、まず「壁を階段にする力」(p.79)という部分。橋本先生よりも、この本の著者が実は20年間英語教員だったという事実に驚いてしまうが、「単語がわからなくても、文法が難解でも、前後の文脈から類推しようとする。意味がわからない一文があっても、とにかく読み進めていき、後の文章からヒントを探そう、結論から逆算してみよう、などとあれこれ方策を練る。」(p.78)というのが、英語の成績が伸びる生徒、と著者は言っているが、この部分に共感した。おれは高校の時は、「ミクロで攻めて(倒置・省略・挿入を見抜けば文型は取れるはず)、マクロで攻めて(結局この筆者は何が言いたくてこの文を書いているのか)」と自分に言い聞かせて英文を読み砕いていた。あとはこれも橋本先生自身の言葉ではないが、教え子で東大総長の濱田氏の「知識を伝えるのは、一種の『美しいもの』を伝える」(p.160)という部分。知的な興奮を味わせてやる、というのは教える過程における究極のステージだと思うので、こういうステージに到達できる授業者というのになりたいと思った。『銀の匙』を読んだことがないので、また灘という学校も超有名進学校のトップ、という意識しかないので、入り込みにくい部分もないことはないが、全体としては読みやすいエッセイみたいになっている。(15/11/08)

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著者プロフィール

伊藤氏貴(いとう うじたか)
1968年生まれ。文藝評論家。明治大学文学部教授。
麻布中学校・高等学校卒業後、早稲田大学第一文学部を経て、日本大学大学院藝術学研究科修了。博士(藝術学)。
2002年に「他者の在処」で群像新人文学賞(評論部門)受賞。
著書に、『告白の文学』(鳥影社)、『奇跡の教室』(小学館)、『美の日本』(明治大学出版会)、『同性愛文学の系譜』(勉誠出版)など、
訳書に、『塹壕の四週間 あるヴァイオリニストの従軍記』がある。

「2022年 『ジョージ・セル —音楽の生涯—』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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