こだわらない練習: 「それ、どうでもいい」という過ごしかた

著者 :
  • 小学館
3.45
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感想 : 39
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093884006

作品紹介・あらすじ

孤高の僧侶による心の断捨離

「世の中は余計なことであふれている」と、著者は語る。

日常生活のあちこちで私たちを待ち受ける「こだわりの罠」を、
どうすれば遠ざけて、心安らかに過ごしていけるのか。
孤高の僧侶がその作法を、本書で丁寧に解説する。

内容は「平等にこだわらない」「ルールにこだわらない」「他人の期待にこだわらない」「友の有無にこだわらない」など、実生活に簡単に取り入れることができる18項目。

悩みの原因を、「それ、どうでもいい」と言い切って、
不安のない日々を実現しよう。

感想・レビュー・書評

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  • R2.3.24 読了。

     「こだわれば、肩に力が入り、緊張する。こだわらなければ、無駄な力が抜けて、自然体の自分に戻る。こだわれば、そのこだわりに会わない『人』も『物』も『現象』も、すべてが”敵”になる。敵に出会うたびに、ストレスが生じる。こだわらなければ、世界から”敵”がいなくなる。こころが、まろやかに安らいでいる。こだわれば、執着に縛られて好みも思考もパターン化し、新しい可能性を閉ざす。こだわらなければ、縛られずにいる軽やかな自由とともに、新たな変化に向けて心を開いていられる。」…(本書より)。
     この本を通して、いかにこだわりが多いことかを気付かせてもらった。ときどき生活に窮屈さを感じた時に読み返してみたい。

    ・「他人の考えを軽蔑する者は、自分の限られた感覚や考え方に依存し、そして宗教的な戒律や儀礼を守ることに依存し、他人を嘲笑して、自分の主張から抜け出せなくなる。こうして、『あの人たちは愚かだ、ものが分かっていない』と言いつのり自分をカチコチにするのだ。」

  •  成る程、こういう考え方もあるんだと、驚きながら読んだ。

     こだわりがあるからこそ、悩み苦しむ。
    「友達がいないなんて」とこだわるから、友がいない状態を寂しく感じる。「これが好き」「これが楽しい」と快の状態にこだわるから、不快の状態を好ましく思えなくなる、「ルールは守るものだ」とこだわるから、ルールを守らない人に対して腹立たしく思う。。。
     これらのマイナスの感情は全て自らのこだわりが生み出すものであるので、自分の心の持ちようを変えることで苦しみから解き放たれるという。

     ストンと納得のいく事例もあれば、「ん?そうなのか?」といまいち疑問に思う事例もあったが、著者の穏やかな語り口に次第に毒気を抜かれていき、「まあ、どうでもいいか(笑)」という心境で読んだ。

     確かに、こだわりを捨てていくことで様々な苦しみから解放されてはいくだろうが、こだわりをもってギラギラと生きる人に人間的な魅力を感じる場合もあるだろう。すべての煩悩やこだわりをもし捨て去ったとしたら、生きる原動力すら湧き上がってこないのでは? いやしかし、「こだわりを捨てる」ことにこだわるのもよくないので、何事も中庸が大事ということか?
     など、色々考えさせられた。

     著者の説く、過去や未来へのこだわりを捨ててその瞬間瞬間である「いま」を丁寧に生きよ、というあり方は、心にとめておこうと思った。

  • 孤高の僧侶による心の断捨離

    「世の中は余計なことであふれている」と、著者は語る。

    日常生活のあちこちで私たちを待ち受ける「こだわりの罠」を、どうすれば遠ざけて、心安らかに過ごしていけるのか。
    孤高の僧侶がその作法を、本書で丁寧に解説する。

    内容は「平等にこだわらない」「ルールにこだわらない」「他人の期待にこだわらない」
    「友の有無にこだわらない」など、実生活に簡単に取り入れることができる18項目。

    悩みの原因を、「それ、どうでもいい」と言い切って、
    不安のない日々を実現しよう。

    人は承認欲求を持っており、こだわりもよくよく考えると捉えどころのない不安だったりする。
    慢心とは優れていることだけでなく、劣っていることも含むとは驚きました。
    とにかくこだわりを捨てて、肩の力を抜いていくことが必要だなと感じました。

  • 小池龍之介さんの文章は、ロジカルなのに言葉が柔らかく、そのバランスがなんとも言えない心地よさで、読んでいるのに文章が耳から入ってくるような感じがする。
    自分自身の心を見つめ直す良いきっかけとなった。

    時々感じていたが、拘りというのは心の武装。
    身体を守るための防具は、着けていたら傷つかないのかもしれないけど、重くて疲れるし、行動が制約されてしまうものだ。
    何事もバランスが要ですね。

  • チェック項目8箇所。こだわりのない柔らかな心を味わうべく、本書が導きの糸となれましたらと願うところであります、「それ、どうでもいい」と、軽やかに。「友人が誰もいない」と感じるときの寂寥感は、「自分のことを友に値する存在として承認してくれる人が誰もいない」という、承認感覚の欠落に由来するものだと思われます。友人そのものを求めているというよりも、友人を踏み台にして自分のかけがえのなさを確認したいという、自我の牢獄の中での独り言になってしまっているのです。所属に縛られすぎることは、私たちの特定の団体への忠誠度を上げることになり、私たちを忠実なる臣下に仕立て上げます。不公平さを糾弾するのは、ヒイキされて気持いい者の側ではなくて、ヒイキされずに不快に感じる側だということです、そう考えてみると、実は不公正さを是正したくなるのは決まって敗者の恨み(ルサンチマン)に由来することが見えてきます。「八方美人で、実力もないくせにッ……」とやっかみたくなるときには実は、重大な事実を見落としていることが分かります、それは、八方美人は八方美人なりに、周囲への気配りをして、職場を和ませるという、貴重な仕事をしているということです。人の体質はそのときどきにおいて、「自分に合う、合わない」というものは刻々と変わっているのですから、「これこそがいついかなる場合も正しい」と思いこみ、見顛倒にはまるのは危険なのです。性の幻想にこだわらない。

  •  著者の小池龍之介氏は、浄土真宗系寺院の現職の住職。厳しい修行僧というイメージとは正反対で、凡人のリアルな生活に密着した、もっと気楽に生きる方法を説いた本となっている。著者によると現代社会を窮屈にしているのが、様々な「こだわり=執着」であり、こだわりから解放されて、「それ、どうでもいい」と思えることで、「自然体の自分」に戻れるという。
     世の中の状況、自分の身の回りは絶えず変化しており、正に「諸行無常」である。この諸行無常を意識すること、すなわち過去にひきずられないことが、こだわりから自分を解放することにつながるのであろう。
     本書を読んで、私なりに考えたのは、「こだわり」にも、「ポジティブなこだわり」と「ネガティブなこだわり」があるということだ。前者は、自分が目標達成のために「こうしたい」というもので、「個性の発揮」につながるもの、後者は、他人からの承認を得るために、「こうしなければならない」という「must思考」、「固定観念」と言える。本書でいう「こだわり」は後者である。
     自分の心を迷わせている「こだわり」がどちらのものかを見極めることが、悩み解消の第一歩だと考える。その見極めには、心静かに自分に向き合う「瞑想」という手段が有効であると著者は説く。
     私の「こだわらない練習」の第一歩として、「買った本は全部を通読しなければならない」というこだわりを捨てて、最初と最後と気になるところだけを拾い読みして、このレビューを書いてみた。 

  • 〜するべき、〜でなければならない。そういうことにこだわらないことでまた少し生きやすくなりますよね。わかってはいるんですがどうにも…難しいですね(笑)
    葬儀も遺族のためにあるものなのに、最近は死にゆく者のこだわりが見えてきたとのことでハッとしました。でも、BGMくらいは私の好きな曲にしてみたいかも、と、思っています。

  • 考えないの代用で、要は仏教だったので練習てか応用問題

  • 「それ、どうでもいい」という過ごしかた」というサブタイトル、著者がつけたのかもしれないが、あまり内容には合わないというか、せっかくもっと丁寧に考え方が説かれているのになーと思う。
    著者が読者の側に降りてきて書いてくれているのでがいい。特に人間のセックスについて考えているくだりは出色と思った。
    何にもこだわらず何も持たない心でありたいが、でも自分は、うれしかったこと、大切にされた記憶は捨てずに大切にしておきたい。ここだけは著者とは考えを異にしている。
    [more]<blockquote>
    P25 衆会をたのしむ(他者たちと一緒にいることで承認感覚を得ること)者としてあることなく、遠離をたのしむ者としてあるように

    P57 人類にはそれほど感謝の気持ちなどないのが通常だということ。嫌われないため便宜上感謝しているふりをしたり、もしくは感謝しているふりがクセになりすぎて自分が感謝しているつもりになっている、という場合がほとんどである。

    P63 「うるさくてむかつく音」という実態が存在するわけではなくて、あくまでも「むかつきたい」という煩悩のエネルギーが自分の中で働くからこそ、音をうるさいと感じるだけなのだな

    P124 自分の見解に基づいて私たちは世界を歪めて映し出してしまうものでありまして、この歪み作用のことを仏教語で見?倒(けんてんどう)と呼んでいます。

    P125 自分を正しいと思いたくてしょうがないという自分の見解への執着は、「自分を正しい」と見せたいという欲と「間違っていると思われたくない」という恐れがセットになりやすいことが原因なのです。

    P139 宗教的姿勢を否定して世俗の日々を信仰しようとする「無宗教」教ともいえるのです。【中略】そんなこんなで、不当な自己正当化や他宗教への鼻持ちならぬ優越感などに陥る危険を冒すよりは、「そうだよ、これも宗教だよ」と素直に認めておくほうが、はるかに穏当でもあり、謙虚になれるのだなあ、と思うようになった次第であります。

    P158 心が変わらず「快」の状態でいてほしいとばかりに、不変の、永続する「快」を求めている私たちの脳は、「無常(アニッチャ)」を嫌がり「常(ニッチャ)」を追い求めてもがいているのです。

    P198 相手が気持ちよくなっているのを見たり聞いたりするのが自分にとっても快感という程度の幻想は必要悪として利用してあげて、いわば互いの気持ちよさの循環をしておいてやる【中略】素朴なつながりや暗黙の対話という程度に、幻想を抑制してみること。そうすると「私の幻想」というさびしい牢屋からでて、お互いが交わる「交為」になるのではないでしょうか。

    P209 こまごまとしたささやかなことを「ああちゃんと仕上げた」と一つ一つ満足し、この自分の弱っちい自尊心を慰めておいてあげるくらいは、そんなに悪いことではないでしょう。【中略】日々の基礎的な身体性において、必要悪としての慢心はおとなしくさせておいてやること。この作戦において、仕事や人付き合いや瞑想の中に持ち込みたくなってしまう慢心の量を、少しなりとも減らすことができるのです。</blockquote>

  • ブッダの教え

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著者プロフィール

1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒業。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。僧名は龍照(のちに空朴に改名)。住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導も行う。執筆活動も手がけ、『考えない練習』(小学館文庫)、『しない生活』(幻冬舎新書)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など、多くの著作を持つ。2018年9月に月読寺を引き払い、路上生活者に。11月には修行の旅に出る(現在は音信不通)。

「2019年 『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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