- Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093897754
作品紹介・あらすじ
死の「瞬間」にまで立ち会った衝撃ルポ!
安楽死、それはスイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、アメリカの一部の州、カナダで認められる医療行為である。超高齢社会を迎えた日本でも、昨今、容認論が高まりつつある。しかし、実態が伝えられることは少ない。
安らかに死ぬ――。本当に字義通りの逝き方なのか。患者たちはどのような痛みや苦しみを抱え、自ら死を選ぶのか。遺された家族はどう思うか。
79歳の認知症男性や難病を背負う12歳少女、49歳の躁鬱病男性。彼らが死に至った「過程」を辿りつつ、スイスの自殺幇助団体に登録する日本人や、「安楽死事件」で罪に問われた日本人医師を訪ねた。当初、安楽死に懐疑的だった筆者は、どのような「理想の死」を見つけ出すか。
<医師は、老婦に向かって、「もう大丈夫よ、もう少しで楽になるわ」と呟いた。15、16、17秒、そして20秒が経過した時、老婦の口が半開きになり、枕にのせられていた頭部が右側にコクリと垂れた。まるで、テレビの前でうたた寝を始めたかのようだった。・・・・・・死の直後、犯行現場に居合わせている気分に襲われた。私は老婦の横で、ただ祈りを捧げ、自らへの罪滅ぼしを演じていた>――プロローグより
【編集担当からのおすすめ情報】
「死は怖くないの。この痛みとともにじわじわと死んでいくのが恐怖なの」
これは、16時間後に死が迫ったスウェーデン人女性(68)が、筆者に答えた言葉です。
脚本家・橋田壽賀子さんの発言が呼び水となって、日本でも「安楽死容認論」が高まりつつあります。65歳以上の高齢者が3500万人に迫る日本では、今後、ますます多様な「逝き方」が模索されるでしょう。しかし、先に安楽死を導入した欧米各国で、どのような事態が起こっているか、ご存知でしょうか。
その選択に至るまでに、何を憂い、どのように葛藤し、そして決断したのか。実際に、安楽死希望者やその家族、医師らの証言を集めた本書は、日本の終末医療を考える上で、大いなる示唆を与えてくれるはずです。
感想・レビュー・書評
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「安楽死」とは本書では
(患者本人の自発的意志に基づく要求で)意図的に生命を絶ったり、短縮したりする行為
を指す。
本書では欧州の事例を中心に、実際に安楽死を遂げた人、その家族や近しい人、そして幇助した医師に取材し、彼らがどのような経緯で安楽死を選び、実践したのかを追う。
著者は日本人だが、欧州で20年以上、生活している。
安楽死の問題に取り組むきっかけは、スペイン人パートナーのひと言だった。看護師である彼女は、末期癌になったら躊躇わずに安楽死を選ぶだろうと言う。そして「あなたはどうしたいか」と聞いてくる。
その問いに、著者は即答はできなかった。逡巡なく答えられる問題ではなかった。
彼我の違いはなぜ生じるのか。
日本では近年、著名脚本家の安楽死を巡る発言が物議を醸したが、一般的に、安楽死を認める傾向は高いとは言えない。一方、欧米は、安楽死に関する法整備の整っている国もある。そうした国が大半とまでは言えないが、認めるべきではないかと言う主張は増えてきているようだ。
文化の違い、宗教、家族観、そうしたものが安楽死の問題にどのように関わるのかという疑問が出発点である。
本書の特色は、「個」にフォーカスし、視点が地に着いているところだろう。
いくつかの事例に関する当事者の発言、行動が詳細に記載される。著者自身が、他人の死を目の前にして自分がどう感じたか、心情的にどう揺れ動いたかも克明に記される。
「死」というものが個人に対してどういうものなのかに重点が置かれていると言ってもよい。
最初に取り上げられるのは、安楽死が合法であるスイスを拠点とする自殺幇助団体である。
その他、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、そして日本の事例が取り上げられる。
欧州ではいくつかの「安楽死」「尊厳死」に関わる協会がある。
その手法やポリシーにはいくつかの細かい、しかし厳然とした違いがある。薬物を飲むのか、医師が注射をするのか、あるいは患者自身が最後のスイッチを入れるのか。そして尊厳死の対象とされる「条件」は何であるのか。
法律との絡みはもちろんあるが、主催者それぞれの考え方によるところが大きい。
人が死を選ぶとして、それは自分だけの問題なのか。
身体的な苦痛が大きく、回復の見込みがないとすればどうか(とはいえ、本当に回復する可能性はまったくないのか)。
身体的な疾患でなく、認知症などの精神的な疾患であったらどうなのか。
自殺と殺人と尊厳死の線引きはどの程度明確にできるのか。
死に向かうそれぞれの人々は、読者にも鋭く問いを突き付けてくる。
自分であればどうするか。家族であったらどうするか。
具体的な事例と著者の内省は、読み手にも当事者の視点を持つよう促す。
個人的にはこれらの事例の多くは、自殺との線引きが困難であるように感じる。人生に絶望したから自殺することと本質的には同じなのではないか。
もちろん、読み手によって感じることは違うだろう。それだけこの問題は、「個」の視点が重要だとも言える。
本書で取り上げられた欧州の事例と日本の事例では、かなりの温度差があるように感じられる。
回復の見込みがないとされた患者が自ら死を選ぶ「権利」について、一歩二歩踏み込んだ欧州に対し、日本での事例はそこまでは至らない。家族が深くかかわっていることも特徴的だ。それが日本人のウェットな気質や社会構造のせいであるのかどうかはともかく、日本で例えばスイスのような形の「尊厳死」が法的に認められるのは、あるとしてもかなり先のことではないかと思う。
現状の欧州での尊厳死はどのようなものであるのか、そして「尊厳死」というものに対して読者がどう考えるのか、さまざまな問いを孕む点で、非常に考えさせられる労作である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
図書館本
国内外の方々にインタビューしたもの。
セデーション
例えば残りの命が1、2週間に迫ってきた末期癌患者に薬をとうよし、耐え難い痛みを鎮静させるとともに、人工的に昏睡状態に陥らせ、死に向かわせること。
意識を失って、栄養なと与えないので、3-7日で死に。
安楽死、死を選択する権利、尊厳死、自殺幇助。きちんと理解したいなあと思う。
生き死には、人ではなく、神というような大きな何かに委ねられるものかな? なんて思ってきたけれど、
混沌とした現代で、命の選別なんてことも言われていて、
生き死にへの捉え方が揺らいでる。
どうしたもんか。
読んで、心が乱された。 -
最初のカラーページに死の間際に立ち会えた人々の
直前の姿が映されており ひとつひとつの話を読みながら
その写真をみると 読み進めるのがとても苦しかったです
いっきに読むことができず他の本と並行して少しづつ読みました
安楽死が認められている各国で1年近く続けたルポ
(スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、アメリカ)
その最後の瞬間に立ち会った経緯
感じたこと疑問に思ったこと
安楽死 尊厳死 自殺幇助 言葉の定義
そもそも違いはあるのかという疑問もはさみつつ
そして最終章では日本に戻り実際に裁判になった事例を追う
個を尊重する欧米と共同体を尊重する日本との違い
宗教や社会による死に対する考え方の違い
著者は18歳でアメリカに渡り長年に日本を離れて生きてきた
それでも自分の中にある日本人的なものにも
素直に耳を傾けて両者の違いを論じ答えを導きだそうとする
これを書かれた時点では手掛かりはつかんだものの
確信がなく次回作でそれがはっきりするのかなと
思わせるエピローグでした -
以前読んだ『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』でも言及された、
①回復の見込みがなく
②耐えがたい苦痛を受けていて
③本人が(あるいは周囲の家族も)死を望んでいる(認めている)
場合に、自死が認められるかという問いに対し、仮に「認められる」とした場合にどのような手法がありえるのか。
その疑問に対する答えの一つとなりうるかもしれないと思い、この本を読みました。
自ら、死期を早める(自分自身で死ぬタイミングを決める)ことが認められる場合、選択できる方法としては
(1)延命処置を停止する
(2)医師による助け(薬をいれた点滴の準備など)をうけつつ、最終的には自らの手で自死する(点滴のバルブを患者自身が開けて自死する)=自殺ほう助
(3)医師による投薬などの手段で絶命する=積極的安楽死
の3点がありえるという認識に至りました。
また、各国の事情も実際の患者たちへの取材や安楽死を受ける現場に立ち会った筆者のルポを通して知ることができた点も、大きな学びになりました。
しかし、日本において(また、自分にとって近しい人において)形式はいくつかあるにせよ、この「安楽死」という死を自ら決定する制度を導入すべきかどうか、という問いについては、まだ自分自身の答えが出せていません。
個人主義の風潮が強まる昨今ですから、自分自身の人生のあり方(死に方)を個人の意思で決定することにどういった問題点があるのか、本人だけでなく周囲の同意もあるのだから問題はないのではないか、など肯定派の意見にも納得できる部分もあるのですが、「感覚的/心情的」にどうしても受け入れにくい、と拒否反応を起こしている部分があるのも事実です。
また、日本で以前問題となった「安楽死事件」のように、臨死期の緩和治療の過程で、結果として「安楽死」と言われるような事態に陥った場合の法体制(この事例では医師に法的責任が問われ、有罪判決が下されました)の整備をどこまで進めるべきか、ということについても、国民的な議論が必要だと感じます。
もちろん、すべての人が死を唯一の救いと考えることなく生を希望できる社会を作り上げることが理想なのでしょうが、現実には困難な部分もあるわけで(その実現を諦める、というのではなく)、濫用されない、また人々の支持を得られる制度を考えていかねばならないと強く感じます。
高齢化が進む社会であることに加え、個人的には90を超える祖父(幸いなことに矍鑠としており、まだ介護は必要としていませんが)がいることもあり、答えが出ない問いではありましたが、刺激的な読書体験ができました。
また、続編として『安楽死を遂げた日本人』という作品も上梓されたようです。今すぐに読む気力はちょっとありませんが、機会を見つけてチャレンジしたいと思います。 -
読み応えのある一冊。
「安楽死」「尊厳死」「自殺幇助」
何が違うんだろう。
読み進めていくうちに、型にハマって考えがまとまったかと思えば、また崩される。
結局、よくわからないままに読み終えてしまいました。
後半の日本での3つの事件。
あまり知らなかったのですが、集団を好む国民性がよく表れてるなぁと感じました。
やはり日本で安楽死を認められるのは厳しいのかな。
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各国の実情がわかった。自殺幇助的な手段は「医者に決められている」という理由で拒否するアメリカは、さすが自己責任の国だと思いました。
「自分は安楽死を選ぶ。でも、家族はダメだ」という、スペインの頑固オヤジな遺族に納得。矛盾しまくりなんですが、そういうとこが人間らしいとも思いました。 -
「安楽死」「尊厳死」あるいは「自殺ほう助」。言葉の意味も意識せず、これまで深く考えることはなかった。時折、センセーショナルに報道される「事件」に少し距離を置いて見ていたり、「死」の話題から無意識に避けようとしたからかもしれない。
本書で初めて「安楽死」の何たるかを知った。読みながらも是非に対して揺れ動き、自身の結論はでないまま。自己の確立、生に対する思いが曖昧であるからであろうか。
著者自身もこのテーマに葛藤されていることがよく分かる。
寡聞ながら著者を初めて知ったが、テーマに正面から向き合い、澄んだ文章と率直な書きぶりが印象的だ。素晴らしい作品に出会えたことに感謝。 -
著者は自身の揺れ動く心を隠さず書いている。幅広く取材を進める姿勢にも信頼が置ける。
死は個人のものなのか、集団のものなのか。
最後、日本での取材は不発だったが、作者の思いに触れ、本書は極端な論調にならずに済んだ。
半ばまでしか読まなかったら、死ねることの確保による安心だけで終わっていただろう。 -
ノンフィクションとしては、”著者の思い”が前面に出てき過ぎるきらいがあるけれど、その分後半で著者が揺れる部分に共感した。考えさせる本、としてはありだと思った。
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安楽死に関して何ヵ国かを回って関係者にインタビューしたルポ。
宗教観、各国の事情・考え方、価値観の違いにより、受け取り方や法整備は様々。
メディアの報道は、スキャンダルを追うような傾向があり、背景まで追ったものは少ないことがわかる。
良いか悪いかではなく、どういう考え方があるのかを知ることができる意味で参考になったし、興味深かった。
以下は読書メモ:
安楽死は四つに分類される
1.積極的安楽死 医師が薬物を投与
2.自殺幇助 医師から与えられた致死薬で患者自身が命を絶つ 薬物入り点滴のレバーを患者が引くなら自殺幇助
3.消極的安楽死 延命治療の手控え、中止
4.セデージョン(終末期鎮静) 緩和ケア用の薬物が結果的に生命を短縮する 間接的安楽死
尊厳死の解釈は国により異なる 日本の尊厳死は3.に近い
スイス 積極的安楽死は違法、自殺幇助は黙認(法律の解釈でダメではない)。会員制クラブが自殺幇助を実施する。
オランダ 積極的安楽死も自殺幇助も合法。積極的安楽死が主流。
ベルギー 積極的安楽死は合法(殺人罪に問わないと解釈を定めた)。自殺幇助は合法ではないが黙認。
精神疾患者も安楽死できる。
アメリカ
ヨーロッパでは安楽死=尊厳死
アメリカでは安楽死や自殺幇助は違法だが、尊厳死は合法
実際には尊厳死=自殺幇助 しかし、その言い方を嫌う。
安楽死を行う人の特徴 4W. White Wealthy Worried Well-educated
スペイン
安楽死は違法 ローマカトリック教会の影響力が強い
未成年の安楽死(セデージョン)
愛
日本
積極的安楽死は刑法199条(殺人罪)違反
自殺幇助は刑法202条(嘱託殺人罪)違反
迷惑の文化
欧米との価値観の違い