オウム裁判傍笑記〔小学館文庫〕

著者 :
  • 小学館
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本棚登録 : 31
レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094026979

作品紹介・あらすじ

疑似国家さながらに、日本を敵視し、テロの恐怖に陥れた犯罪集団「オウム真理教」。多数の犠牲者を出した一連の事件は世界中を震撼させ、「教祖」は一九九五年五月に逮捕される。その犯罪を裁く「世紀の法廷」は、九六年四月東京地裁で開廷した。しかし、そこで繰り広げられた八年間のやりとりは、あまりにも不可解で喜劇的だった。そのとき、教祖はいかに振る舞い、弟子たちは何を語り、弁護人はどこにいて、裁判官は何を裁いたのか?裁判を傍聴し続けた著者が、裁判員制度の導入を前に、大いなる疑問とともに提示する、真実の法廷ドラマ。

感想・レビュー・書評

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  • 長期渡ったオウム裁判の傍聴記録。
    オウム事件関連では数多くの裁判が開かれたが、本書は麻原彰晃こと松本千津夫死刑囚を被告とした裁判の傍聴記が中心となっている。有名な空母エンタープライズが突然出てきた英語混じりの最初の意見陳述から始まった茶番のような裁判の様子が描かれている。麻原彰晃は、計13件(当初17件)の事件で起訴されており、証人尋問も多数に及ぶ。8年をかけた世紀の裁判をほぼ流れを追って詳細に紹介するものとしての価値はある本。

    一方、著者の論考に関しては、被告人である麻原および弁護団に対してあまりにも無批判に否定的で、一方検察側への批判はほとんどない。その意味で、著者のポジションは明確ではある。誤解を怖れずに言うと偏っている。

    この本を読む前に自分は、森達也の『A3』をすでに読んでいる。青木理の『国策捜査』も読んでいる。その知識を念頭に置いてこの本を読むと、おそらくはこの著者が意図したものとは違う感想を抱くことになるだろう。オウム事件とは少なくともそんなに単純なものではない、と思うはずだ。

    著者は、一審判決後の麻原被告への精神鑑定要求を、一般の意見を借りて「裁判遅延の時間稼ぎだったとの非難を呼ぶばかり」と評する。弁護側が6人の精神科医を接見させて「精神疾患」であるとの意見書を取りつけていたものに対して、東京高裁の判事が麻原と接見をして(これは異例なことだと著者も書く)、意志疎通は図れなくはない、と独自に判断してきた、としている。「図れなくはない」。そして、その事実をもって、弁護団が意志疎通が図れないために審理停止を要求したことが不当であるとして受け入れる。また、弁護側の6人の精神科医がそれぞれ同じく精神疾患であるとしながら、その所見が違っていたことをもって、その正当性を疑う。なぜだろう。違う所見が出るからこそ時間をかけた精神鑑定が必要である、という結論になるのが普通のロジックではないだろうか。
    世紀の大事件を起こした麻原やそれを弁護するものに対して、検事や判事をその判断も含めて正しきものとして見るという大衆におもねるようにも思えるポジションを、著者は変えることができないように、見える。そう、改めて著者のポジションは明確であまりに固定的なのだ。そして、だからこそなのかもしれないが、これだけの時間をかけて裁判を傍聴した集大成であるにしては、その論考は浅い、と感じる。言い方を変えれば、あるべき躊躇いがそこに、ないのだ。

    著者は、麻原彰晃の法廷や弁護団とやりとりでの言動を、死刑を避けるための"芸"であり、麻原彰晃を"芸人"であると何度も書いている。そう、まずなぜこれを"芸"、つまりあえて量刑を低くするために意図的にやっていると確信を持って言うことができるのだろうか。その所作が絶対に量刑の減刑にも裁判の長期化にも資することがないことから量刑を低くするために意図的にやっているとうロジックはおかしいと言わざるを得ない。森達也が『A3』で書くとおり、麻原は拘置所内や裁判所においても糞尿をもらすことがよくあったという。また、自分の娘が接見をしているときに自慰に及んだこともあったとのことだ。そして、それは比較的知られた事実であったという。当然、著者も聞き及んでいたと想像できる。その上で、精神鑑定が不要であったと言い切ることはやはりできないのではないか。結果、オウム事件についてなぜこういう事件が起きてしまったのか、ということについてはほとんど解明されないままであり、なた少なくともそこから何らかの得るべき教訓を得られたとも思えない。裁判の目的は事実を明らかにすることであり、憎むべき犯人を無事できるだけ速やかに死刑とすることではないはずなのだ。

    また著者は、裁判中に特捜によって逮捕された主任弁護士の安田弁護士の件が、最終的に彼が無罪となったことに触れていない。この本の単行本の初版が出たのが2004年であるのに対して、安田弁護士の無罪判決が出たのが2003年である。しかるに文脈上大きな意味を持つと思われるその事実に何ひとつ触れられることはない。一方、彼の裁判に1,200人もの弁護士が弁護団に名を連ねたことを、1,200人でそんなことをしている暇があるんだったら、オウム裁判に協力すればいいだろう、と半ば真面目に言っている。通常のロジックであれば、1,200人もの弁護士が安田氏についたということは、彼の人としての信頼度かつ/もしくは同逮捕の異様性を示していると取ることが妥当ではないだろうか。著者は、本書の最後に弁護士費用が4億円もかかったという記録を出して、主任弁護士でもあった安田弁護士を含めて実際の審理にあたった国選弁護団の不手際や裁判制度自体をお金の浪費であったと批判する。その主張をするがために、先の安田弁護士に関する裁判の経緯と結論を書かないのは、著者の不誠実さを責められてもやむをえないだろう。

    もし『A3』や『国策捜査』を読まずして、この本を読んでいたら、自分はどのような感想を持つこととなっていたのだろうか。事実はひとつであっても、複数の視点をそこに持つことが重要だということに改めて気が付く。また、森達也にしても、青木理にしても、自分たちが一般の視点からは少数派であることをわかっている。それでも強い違和感を持つからこそ書いている。そして、自分の主張の正しさや主張すること自体についての躊躇いを隠さない。この著者にそこに見られてもおかしくはない躊躇いを感じられないのだ。

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    欧州の中流家庭の若者の一部がイスラム原理主義に吸い寄せられて、過激な活動に踏み込んでいくのを最近よく聞くにつけ、オウムの事件の背景や論理について、きちんとした論考が必要であろうと感じる。もちろんそこに直截的に同型性を見るのは乱暴であるし、そもそも同じもの根ざすものであると言うわけでもない。それでも、ジハードの論理もポアの論理もどこかで通低するものがあり、そこに同様に対策するべきこともあるように思うのだ。そして、この裁判については、あまりに不毛な議論が長く続いたことを嘆くのではなく、麻原彰晃がまともな陳述をすることなく、その機会が失われたことを嘆くべきなのだ。

  • 結構まじめな本だった
    タイトルどうなんだろう

  • オウム関係の本は3冊目(1冊目アンダーグラウンド 2冊目約束された場所で)
    3冊の本で共通して書かれていたのは、オウムの中に潜む人間が誰しもが持つ闇の存在について。
    ふつう人間はそれを抑え込もうとして、ないしは社会によって抑え込まれることによって生活している。
    しかし、それが抑制できなくなり表に現れた形がオウム真理教の蛮行であるという。
    人間は自分に内在する暗い部分を見ることを嫌う、そのため我々にはオウムに対する嫌悪感が激しく残り続けているのだろうということだ。

    オウムの行為はすべて人間が行ったことである。
    考え方・精神状態などいろいろな条件が我々とは異なっていたからと言って、彼らは宇宙人でもなければ、ほかの生物でもない、まぎれもなく同じ人間が行ったことなのである。
    あれはおかしな集団だ、嫌い排除すべきだということは簡単ではあるが、なぜこのことに至ったのか、次我々は何をするべきなのかについては考える必要があるだろう。

  • タイトルから、オウム裁判をふざけて書いたものととられそうだが、そうではない。筆者は長い裁判を傍聴し、裁判のみでオウムを追っている。
    傍笑、というのはつまり、裁判が「劇場」となってしまっているから。
    麻原の証言は、妄想であり、自己弁護であり、ときに信者への説法である。だが裁判なので、裁判官と弁護士はひたすら法からみた観点で話をし、証言を引き出さなければならない。
    そのずれが、傍聴者からすると、おかしい。
    裁判官、弁護士、印象に残った証人なども観察してつぶさに述べてあります。大上段にたつこともなく、被害者側、加害者側でもなく、傍聴者というスタンスを崩さない。面白いアプローチの本だと思います。

    遺族が井上に投げた罵倒が切ない。ごもっともです、と答える井上に、「いちいちうなずくな!」という意味のことを遺族が言う。ムカつく気持ちが伝わってくる。
    裁判官は、証言を求めたのではなく、被害者に言わせてやりたかったのだろうという感想は、実際に裁判に行かないとわからないことだと思う。
    犯人の動機や理想がなんであろうと、死んだ人は戻ってこない。

    追記。
    麻原のわけのわかんない演説は、一説によるとちゃんと設定があるらしい。
    「20XX年、ハルマゲドンによって滅亡した世界。麻原は、原子力潜水艦エンタープライズに乗って、生き残った数少ない人類に説法をしている」
    これが時間と場所の設定。英語になるのは、きいているのにアメリカ人も含まれるため。
    そして、説法の内容は、
    「以前、自分と弟子たちは、愚かな人間たちによって無実の罪をきせられ、裁判にかけられたことがあるが、無罪で釈放された。その無罪になったのは、以下の理由」
    というもの。
    だから、麻原の意識では、裁判所は未来のエンタープライズの中だという。無実なのにあれこれきいてくる人たちがウザいのかもしれないですね。
    詐病なのか、認知症か誇大妄想狂の域なのかはわかりませんが。

  • 戦後最悪と言われる事件のその後。どんな事件で誰がなにがなんてよく耳にしていても場所が法廷に移ってからはとんと耳にしなくなっていた。その教団教祖の裁判の全容。
    読み進めるたびに頭を抱えていました。知らなかった現実というか真実が書かれてて、知るほどに空虚になっていく感じ。
    この事件を知らない世代が出てきたということを聞いて、せめて知り覚えている世代が記憶し忘れないようにしなければと思い手に取った一冊だったけどこれは証言記録だけでなくその向こうに見える問題提起もあり、今後裁判員制度によって突然裁く側になった場合に「裁判とは一体だれのものなのか」という至極当たり前のことを考えさせられる機会ともなりました。
    素晴らしい一冊だったと思います。

  • 裁判ルポづいているので、読んでみました。
    なんだかな~、むなしいですね。
    あれだけのコトをしでかしたのに、こんな喜劇みたいな裁判でよいんでしょうかね。

  • 麻原以上に翻弄されてる周りが面白い本です。傍笑記とありますが著者・読者には怒りの気持ちが強いよ。司法に興味がある人はぜひ読んで見てください。2008/12/23

  • 2008.01.09

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