ホントの話: 誰も語らなかった現代社会学全十八講 (小学館文庫 R く- 10-1)

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094055818

感想・レビュー・書評

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  • 過激で100%共感できなくても、語る内容が信用できる評論家が稀にいる。私にとってその一人が、呉智英です。
    本書でも過激さは全開です。
    「原住民に対する人種差別が猖獗を極めている国があるとします。当然、国際的にも非難されます。そこで、非難をかわそうと、原住民を皆殺しにして、わが国には人種差別はありませんという」(P30)
    「いじめによる自殺の問題点は、いじめられた子が復讐という手段を選べないマインドコントロールされた「いい子」社会にある」(P40)
    「世界に誇れる日本という場合、世界標準にこだわる必要などなく、日本独自の風習や奇行こそが豊かな文化や歴史を保証する」(P91)
    対談も面白いので、読んで損はしません。
    では、著者のプロフィールです。

    呉 智英(くれ ともふさ、またはご・ちえい、1946年9月19日 - )は、評論家、漫画評論家。京都精華大学マンガ学部客員教授(学位は学士)。日本マンガ学会二代目会長で現在は理事。
    本名は新崎 智(しんざき さとし)。ペンネームは『水滸伝』の「呉用」に由来する。愛知県西枇杷島町(現・清須市)出身。

    経歴:
    愛知県西枇杷島町(現・清須市)生まれ。東海高校を経て1965年に早稲田大学法学部に入学、1971年に卒業。
    学生運動では無党派の活動家として全共闘運動に参加。早稲田大学2年生の時、学費値上げなどを巡るストライキを防衛しようと、スト破りをしようとする運動部の学生と乱闘して逮捕、起訴。2年半にわたる公判の後、1969年、4年生の終わりの頃に執行猶予つきの有罪判決を受けたが、大学からは何の処分も受けなかった。その理由について呉智英は
    ・事件当時、未成年だったこと(少年法の規定により、事件当時未成年であれば有罪判決確定後も前科がつかない)
    ・自分が法学部の学生であり、教授会から推定無罪の原則を尊重してもらえたこと(他の学部の学生は停学や退学などの処分を受けていた)
    と推測している。当時、共に早稲田闘争を戦った宮崎学によると、呉智英はある総会で執行部の運動方針に猛然と反対し、「学生大衆の中から『おまんこがしたい』という要求が澎湃として湧き上がったとしたら、執行部の諸君は大学当局にかけあって、我々におまんこ実現を勝ち取ってくれるというのか。ばかげた無原則的なことをいうんじゃないよ」と演説したことがあるという。
    大学時代はサークル「文学研究会」にも所属。「社会科学研究会」所属で部室が同じ部屋だった中野翠の回顧本『あのころ、早稲田で』(文藝春秋)にも奇妙な友人として登場する。
    友人の始めたコンピュータ会社などの勤務を経て(一時、夜勤の守衛もやっていた)、文筆業に入る。
    1981年に初の単著となる『封建主義、その論理と情熱』(改題で『封建主義者かく語りき』)を情報センター出版局から刊行。これは当時一般に信じられていた民主主義や人権論の矛盾を追究し、脱却する道として封建主義(主に、孔子の唱えた儒教)を提唱する内容だった。
    上記の思想から、長年に渡って主に、「進歩主義的」な左翼勢力の批判(『朝日新聞』や、新左翼がさらに思想的に袋小路に入った『珍左翼』(呉の命名)など)を主に行ってきた。だが、近年の左翼思想の退潮から、右翼側の『産経新聞』の批判的研究などをはじめ、『産経新聞』にしばしばトンデモ系のオカルト記事が掲載されることなどを、批判している。(俗流オカルト思想には一貫して批判的である)
    また、呉ら全共闘世代の新左翼の間で、カリスマ的存在であった吉本隆明についても初期から批判的で、吉本の重要な思想的基盤である「大衆の原像」の抽象性を批判。また、吉本が花田清輝ら左翼陣営内の論争で無敵だったのは、彼が「神学者のふりをした神学者」(マルクス主義を信じない左翼)であったせいだと、している。ただし、吉本の「転向論」については評価している。
    漫画にも造詣が深く、石子順造、山根貞男、梶井純、権藤晋が、1967年に創刊していた、漫画評論同人誌『漫画主義』に、つげ義春、白土三平、ジョージ秋山についての評論を発表。また、水木しげるの資料整理のアルバイトを1970年から10年ほどしていた。1973年に『ガロ』誌上で『劇画列仙傳』の連載を開始。1986年には漫画研究の集大成として情報センター出版局から『現代マンガの全体像』を刊行した。現在は、出版情報誌『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)に『マンガ狂につける薬』を連載中。
    論語や聖書を愛読し、これらから近代批判の思想を読み取っている。1988年に都内で論語を講義する公開講座「以費塾」を、呉に親炙する評論家浅羽通明の手配で開始。月2回、第2、4金曜日に講義がおこなわれ(但し、8月は大学生の夏休みを考慮し休講)、23回前後で論語を通読する内容。2005年9月9日より始まった第14期が最終講義となり、2006年12月22日、終了した。2003年に刊行した『現代人の論語』(文藝春秋)において、その講義内容の一端を読むことができる。また、2008年から2年間、現在の居住地に近い名古屋で「月イチ論語塾」(主催:なごや博学本舗)を行った。
    西池袋に長く住んだが、1999年の春、父親の介護のため、愛知県に転居した。その父親は、2006年1月に亡くなったが、同所に居住していた。2017年に名古屋市に転居。(ウィキペディア)

  • 独特のなれなれしい語り口が最初気持ち悪くてとっつきにくかったが、そこを除外すれば、内容としてはとても興味深かった。

    身の回りの出来事ですら、半ば強制的に「メディア」というフィルターを通してしかその情報を得られなくなった現在、その側面を疑い、「自分」というフィルターで考えることの大切さ。

    と同時に、「それをできる人」と「できない人」がいていいということ。
    日本の怪談/奇談にある「常識(Common Sense)」という、僧と猟師の話が印象的だった。

  • SAPIOの連載をまとめたもの。なので、SAPIOの読者にウケそうなナショナリズムに関する話に触れてたり、氏お得意の「支那」の話についてもいつもより多めに扱われている。
    呉智英入門編に良いかもしんない。


    350円。

  • 本屋で見つけてなんとなく購入したこの本で、呉智英というすんごい人を知った。全編目から鱗だらけ。話がわかりやすいしおもしろい。人権真理教、人権思想と共産主義とは同根(フランス革命)、憲法第15条4項民主主義の精神、支那呼称、あたりが特になるほどだった。

  • 理想と現実の見極めがしっかりついているので主張が分かりやすい。「男がすることは女もする」というのは、たしかにそう。女性政治家は福祉を厚く、平和を志向するというイメージを、サッチャーの攻めの政策で完全否定してみせる。

  • 再読。基本的には今までの主張の焼き直しって感じだけど、うまくまとまっていて読みやすい。
    あと対談や鼎談が収められていて、舌鋒の鋭い著者なら「バカ」と切り捨てそうな意見・相手に対しても、結構気を使って異論を唱えている態度がなんか新鮮で面白かった。

  • 封建主義を標榜する著者が、人権イデオロギー、愛のイデオロギー、在日、「支那」は差別語か、といった問題に切り込んでいく本です。

    著者は、民主主義や人権思想などのイデオロギーの欺瞞性を暴きながら、返す刀で、国民国家は近代に作られたものであることを指摘し、ナショナリズムからも一定の距離を取ろうとします。ナショナリズムは人びとの素朴な感情から自然に立ち上がるものではなく、じつは近代的な制度だということが踏まえられており、単なる制度を人びとを動かす感情へと転化する装置が、たとえば国旗であり国歌だと指摘されます。

    国民国家にも批判的であり、しかしそれを越える原理を、マルクス主義のプロレタリアートや革新派の考える「地球市民」といったものに託すことにも反対する著者は、知識人の普遍性に希望を託しています。ただしそうした普遍性は、誰もが手にすることのできるものではありません。「真実は快いものとは限らない。むしろ恐ろしく、不快なことの方が多い」と語る著者は、誰もが真実を知るべきだという考えに基づいている民主主義を「ウソの思想」だと言います。真実を直視できる国民はわずかであり、「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」という『論語』の故智に耳を傾けるべきだと主張します。

    とんでもないエリート主義にも聞こえますが、その一方で著者は、庶民の「世間知」や職業意識の役割にも注目しています。自衛隊員が国家に生命を奉げているように、また、消防署員が職業に生命を奉げているように、職業意識の中にナショナリズムを越える人間の真実を見ようとしています。

  •  ド右の方かというとそうでもなく、もちろん左というわけでもない。枠組みを変えた議論の必要性を説いているように思う。そういった視点は「え、選択肢ってこれしかないの?」といった閉塞感を打開する希望となるだろう。ただ民主主義や人権に対しては批判的。確かに「ジンケンジンケン」やかましい連中がウザいと思うこともあるだろうが、圧倒的な弱者の唯一ともいえる理論的根拠を失くしてしまうのは少々いただけない。そうなると著者の強調するパラダイムシフトすら許されない世の中になると思うのだが。とはいえ呉氏の考え方は議論の場所が奪われつつあり、あらゆる選択肢を放棄することが当たり前になっている現状においては非常に有益な思想と言える。

  • この人の「仇討」に関する考え方が面白くて、是非読んでみたいと思い購入しました。

  • 『小学館文庫の本。過激なことばっかり書いてあった。へぇーって感じでパラパラめくっただけだけど、結構鋭い指摘も多く、考えさせられた。アナトール・フランスの『神々は乾く』もこの本で知ったし、結構影響受けたのかも。一番印象に残ってるのは「真実はみんながみんな知る必要はない、知りたい人だけが知ればいい」っていう指摘。真実は、時に冷酷だ。知ってから、「ああ、こんなこと知らなければ楽だったろうに」と思うこともある。でも、真実を知ることの押し付けはいろいろな場面で見られる、という。(それが民主主義の前提になるから、とかそんな話だった)たとえば今話題の過激な性教育とかもこの一例と言えるだろう。正確な知識を得ることができずに苦しんでいる人もいる一方で、無防備なままに知ってしまい、大きなショックを受ける人もいるはずである。知識は知りたい人、必要な人だけが知ればいい。それが本来のあり方で、むしろ学校教育のほうが特殊な形態なのかかもしれない。テレビならスイッチを消せばいいし、インターネットならアクセスしなければいい。でも、学校での授業は簡単には拒否できない。本題からは外れるが、学校教育の重要性と影響力の大きさを改めて痛感した。 』

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著者プロフィール

評論家。1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から十四年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。著作に『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』ほか他数。

「2021年 『死と向き合う言葉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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