サラバ! (下) (小学館文庫)

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  • 小学館
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レビュー : 206
  • Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094064445

作品紹介・あらすじ

これは、あなたを魂ごと持っていく物語

姉・貴子は、矢田のおばちゃんの遺言を受け取り、海外放浪の旅に出る。一方、公私ともに順風満帆だった歩は、三十歳を過ぎ、あることを機に屈託を抱えていく。
そんな時、ある芸人の取材で、思わぬ人物と再会する。懐かしい人物との旧交を温めた歩は、彼の来し方を聞いた。
ある日放浪を続ける姉から一通のメールが届く。ついに帰国するという。しかもビッグニュースを伴って。歩と母の前に現れた姉は美しかった。反対に、歩にはよくないことが起こり続ける。大きなダメージを受けた歩だったが、衝
動に駆られ、ある行動を起こすことになる。




【編集担当からのおすすめ情報】
解説は又吉直樹さんが執筆くださいました。

感想・レビュー・書評

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  • このレビューは単行本時の上下巻について書いたものです。ご了承下さい。<(_ _)>

    (単行本時の上巻レビュー)
    冒頭───
     僕はこの世界に、左足から登場した。
     母の体外にそっと、本当にそっと左氏を突き出して、ついでおずおずと、右足を出したそうだ。両足を出してから速やかに全身を現すことはなかった。しばらくその状態でいたのは、おそらく、新しい空気との距離を、測っていたのだろう。医師が、僕の腹をしっかり掴んでから初めて、安心したように全身を現したのだそうだ。それから、ひくひくと体を震わせ、皆が心配する頃になってやっと、僕は泣き出したのだった。
     とても僕らしい登場の仕方だと思う。
    ──────

    僕の中学生時代、12クラス一学年600人もいた生徒の中で堂々と手を繋いで帰宅していたカップルは、覚えている限りたった一組だった。
    告白したくてもできない、男同士でつるみながら「お前、誰が好きなんだ」とからかっているだけで楽しいと信じ込んでいる、勇気のない“ガキ”がほとんどだったのだ。
    もちろん、向こう側のまだ経験したことのない“男女交際”という世界への願望が全くなかったと言えば嘘になる。
    それでも、男同士の付き合いのほうが、皆の注目など浴びずに、気楽で楽しいと思っていたのは事実だったろう。

    イランで産まれ、日本、エジプト、再び日本へ。
    子供時代の歩は様々な環境の下で人生の航海を始める。
    家族には、常人とはかけ離れた行動をし続ける姉。
    いつまでも子供のようで、自己中心的な母。
    その母に抗わず、ひっそりとおとなしい父親。
    歩は姉を嫌い、何処にいても、どんな時でも、“自分を消す”という処世術の下で、上手く生きていこうとする。
    幼稚園、小学校、中学校と大きくなってもその考えは変わらない。
    その間、両親の離婚をも経て、歩は少しずつ成長していく。
    ご神木と呼ばれ、引きこもり、サトラコヲモンサマにすがりつく姉。
    エジプトでのヤコブとの出会い。
    帰国し、高校生になり、須玖との出会い。
    大学に入り、鴻上との出会い。
    歩の人生に大きな影響を与える友たちとの出会いと別れを繰り返し、物語は進んでいく。

    (単行本時の下巻レビュー)
    阪神淡路大震災との遭遇。
    サトラコヲマンサマと離れた姉は“自分で、自分の信じるものを見つける”ために、父と一緒にドバイへ。
    大学入学をきっかけに上京した主人公歩は、チャラい大学生になって女の子と片っ端からやりまくり、野生が理性を凌駕した最初の一年を過ごす。
    二年生になり、映画サークルに入部し、下半身が奔放な鴻上との出会い。
    父と姉の帰国。
    姉の奇妙な行動。
    父の出家。
    母の再婚。
    姉の唯一の心の支えであった矢田のおばちゃんの死。
    三十代になった歩に起こった肉体的異変。
    歩はそれまでいろいろなものから逃げていた自分に気づく。
    葛藤、自戒。
    そんな中での須玖との運命的な再会は大きな希望だ。

    父と母の離婚の本当の理由を知ることになる歩。
    毅然とその話をする姉は、昔と同じような自分勝手のようでありながら、どこか違っていた。
    そして、生涯の伴侶を得てサンフランシスコに住む姉から届いた手紙。
    274P
    “ そして歩、あなたの名前は、歩よ。
     歩きなさい。
     そこにとどまっていてはだめ。あなたの家のことを言ってるのではない。分かるでしょう。
     あなたは歩くの。ずっと歩いて来たのだし、これからも歩いてゆくのよ。
     お父さんに会いなさい。話を聞きなさい。
     そして、また歩きなさい。自分の信じるものを見つけなさい。
     歩、歩きなさい。”

    自分は何がしたかったのか?
    何をしたいのか?
    家族に何を望んでいたのか?
    そして、これから何を信じて生きていけばいいのか?
    自分の周りで起こる事件に出会う度、歩は葛藤し、もがき、苦しみ続ける。
    そんな歩の最後に向かうべき場所は───。

    341P~342P
    “ 僕は禿げていた。僕は無職だった。僕は34歳だった。
     僕はひとりだった。
     信じるものを見つけられず、河を前に途方に暮れている34歳の僕は、きっと幼い頃の僕よりも、うんと非力だった。
     僕が手放したものは、どこへ行ったのだろう?
     輝かしい僕の年月は、どこへ行ったのだろう。
     涙は止まらなかった。”

    345P
    “ 僕は生きている。
     生きていることは、信じているということだ。
     僕が生きていることを、生き続けてゆくことを、僕が信じているということだ。
    「サラバ。」”

    この二カ所を引用しただけで、私は再び涙が止まらなくなる。
    私たちは何かを信じて、生きることを諦めてはならない。

    今、生きることや、人生に問題を抱え悩んでいるすべての人々にこの本を読んでもらいたい。
    ここには、今後そういう人たちに優しく手を差し伸べてくれる何かがきっと詰まっているはずだ。

    直木賞受賞作は数多あれど、これほどの傑作は類を見ない。
    読んでいる間、特に後半に進むにつれて胸が震えた。
    読み終えるのが残念だとさえ思った。
    こんな素晴らしい小説に出会えた私は幸せものだ。

    私の読書人生の中でも三本の指に入るほどの心に残る名作。
    これほど素晴らしい作品を書いてくれた西加奈子さんに感謝したい。
    ありがとう───。

  • 歩が貴子のことをずっと「病的なまでに人の注目を浴びたいやつ」として認識していることに違和感があった。なぜなら、私からは(というか第三者的に見ると?)歩のほうが人(他人というより自分を「愛してくれるべき」人)からの注目に対する飢餓感が強いように見えたからだ。
    貴子は、子供のころはきっと母にまっすぐに見てもらえないことに対して飢えていたのだと思うけれど、父から離婚の真相を聞かされたことなどを経て「他者は自分に幸せを『与えて』くれるために存在しているのではない」と思うようになったのだと思う。それはきっと、他者と自分の「交じり合わなさ」を決定的に知ったことで行き着いた境地なのだろう。(歩に言った「あのふたり(両親)はふたりなりの生き方を追求しただけだ」という趣旨の言葉がそれを物語っていると思う)
    歩はずっと、大人になっても、他者を「幸せを与えてくれる」存在だと思っていた。だから、自分が最悪の精神状態のとき、須玖と鴻上に臆することなく「付き合うことになった」と宣言されて狼狽えたのだろう。

    貴子の言う「信じるもの」は「幸せ」と置き換えても良いかもしれない。
    あなたの幸せを誰かに決めさせてはいけない。
    そして、翻ってそれは、私にも向けられている。
    他人の幸せをあなたが決めてはいけない。

  • 幸せで明るい未来が待っているような描き方だった主人公が年齢を重ねて変わってしまったのが衝撃だった。
    まあ、でも何が幸せかは分からないからなあ。ヤコブのように家族を持って家族を養うことが幸せの形、と誰もが信じているけど、その価値観もどうなのかなあ?
    この小説の大テーマである「信じる」ものを見つけた人が幸せなんだろうなあと思った。

  • 以下ネタバレ含む。



    一気に読み終えた。
    最初は『舞台』を思い出した。
    『人間失格』の幼き日の葉三みたいに、誰にも見破られない完璧な仮面をかぶっている、と思い込んでいる自分劇場。

    狂気の塊のような姉、そして美に執着する母と、存在感のない父。
    そんな家族を「」の中に入れながら、自分は優等生の顔をしながら優越感を感じている歩。
    本当は家族が軋んでいく不穏から目を背けているだけの、ただの子供だった時代。

    なるほど家族の崩壊の話かと思いきや、個人が救済されることによって、新たな形で結ばれてゆく再生の物語だったことには驚き。
    お姉ちゃん巻貝に閉じこもっていたのに、、、と思いながら、自分が自分であることと一番激しく闘ってきた人でもあったんだな、と納得。
    そうして優越感を感じていたはずの歩の足場が、一気に崩れ始める下巻がすごい。

    歩の人生に、少なからず影響を与える『デミアン』的存在も面白い。
    エジプトのヤコブにしても、日本の須玖にしても。
    彼らは歩にとって、知恵であり、静寂であり、信仰者であったのだと思う。
    そして、その在り方は歩の父に繋がっていくようにも思う。

    信じるとは何か。

    つまりは、自分自身を信じているか。

    他人に依って自分自身を確認している限り、不穏からは逃げられないのだろう。
    結局は自分で自分を確認するしかない。
    自分のために負う傷に誇りを持てる自分になりたいと、結構強く思ったなぁ。

  • 一気読み!

    回想的なところがあるなと思っていたのは、なるほど!名前の話もたしかにあった。もう一度「そういうつもりで」読み直したい。

    オードリー若林さんが紹介していた本で、歩が家にこもるようになってからは若林さんのつもりで読んだ。

    「私は幸せになるから」母の言葉の重みを知る。

    ある部分は正しくて、ある部分は嘘。
    「フーガはユーガ」もそんなだったな。

    自分の幹を「もつ」のは難しいけれど、誰しもきっともう「持って」いるのだろう。あるいは、出会うべくして出会うはずなのだ。

    本に線を引く作業への共感。残すことの大切さ。

    自分の弱さを認めるのは難しいけれど、それができると多分すごく楽。
    後半の貴子のかっこよさよ。

    「すくいぬし」は、秀逸。
    私のすくいぬしは…。

    「化け物」は…。うーん。表現がイマイチ…。
    須玖たちもとんとんいっちゃったな…。

  • あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。

    自分の信じるものを持っていれば、他人や環境に左右されることはないし、他者を大切にすることができる。そのものや事柄が自分にとっては意味のないものでも、自分が何かを大切に思っているのと同じ気持ちがそれらに注がれているという理由で私にとってもそれらが大切なものとなりうる。そうであれば、やはり、何かの宗教の信者が他宗教を排除する行為は理解に苦しむ。自分にとってその宗教が大事なように、相手にとっても大事な宗教をどうして尊重できないのか。宗教に限らず、違いを認め合って生きていく方法を、私は追求したい。

  • 最後の部分を理解できたかは分からないけど、時間を少しあけてもう一度読みたいと思ったし、何よりも言葉の持つ意味の大きさを感じ、文章を書きたくなった。
    書き込みもしよう。
    今まで、書き込みを他人に見られるのが恥ずかしさかったが、それも気にせず、自分の感覚に素直になろう。
    最近、文章にまとめることが多くなってきて、少しでも言葉に関する仕事をする一人として言葉の持つ力の大きさを感じる。本を書きたいと改めて思った!

  • 自立とは、心身の健やかさ、穏やかさ、ご機嫌さを様々なところに分散して依存できている状態だと思う。逆に言うとどこか一つに偏って依存している状態が狭義の「依存」だ。

    『サラバ!』で主人公の歩の人生はうまくいっていた。
    若さゆえに。容姿端麗さゆえに。傍若無人な姉の影響からか、高いバランス感覚ゆえに。
    クラスではリーダー的存在の右腕ポジションに落ち着けたし、女の子は引きも切らずに寄ってきたし、仕事にも困らなかった。
    30を過ぎ、若くもない肉体と後退する生え際と、定職についていない身分と、それに比例するように‘レベルの下がった’彼女の存在を意識した時、「いつからうまくいかなくなったのか」と愕然とする。
    姉は幼い頃から宗教にハマり、訳の分からないアートにハマり、それさえも転々としていてブレブレに見えていたのに、いつのまにか自分の足で立って愛する人とともに安定した日々を過ごしている。なぜだ。どこで立場が入れ替わったんだ。

    きっと姉は色々なことに依存してきたのだ。人よりも感じやすいんだけど、マイノリティへの強烈な憧れから好き勝手なことをやり続け、ちぐはぐさを埋める拠り所を揺るぎないものに求めてきた。求めては裏切られ(いや、裏切られた訳じゃないけど、姉の期待する揺るぎなさはなかった)を繰り返し、様々なことへの依存の仕方を学び、多くの依存先がある自分自身に気付いた時、ようやく自分の軌跡を丸ごと信じることができたんだと思う。
    一方で歩は頼り方を知らず依存先を増やせずに生きてきた。若さや容姿の良さが崩れてきた今、もはや心身の健やかさを保つ拠り所がない状態だ。

    そんな時に幼少期に心を通じ合わせた異国の親友に再会する。彼の自立した状況と自分を比べてまた悲しくなったりするんだが、あの頃の気持ちをありありと思い起こさせる「サラバ!」という合言葉を口にすることで何かが分かる。「サラバ」とは、エジプシャンの親友との蜜月において、言葉も文化も分からない状態で事あるごとに口にし合っていた言葉だ。確かめ合ったことはないが、それは「さようなら」以上の「グッドラック」「また会おう」「いつも一緒だ」といった意味を孕み子供たちを勇気づけ結び付けた。大人になった今、もう一度口にすることで、その頃の気持ちや信じていたものものを感覚的に取り戻したのだ。
    人の目を気にし、頼り方も分からない自分が、確かに誰かと一つになれていた。姉にも母にも父にも愛されていて、これからも生きていくつもりがある。生きてきたから親友と再会でき、これからも生きていきまた親友に会いに行く自分を信じられる。過ぎてきた時間や想いを、信じられる。自分が信じるべきものはこういうことじゃないか。

    『サラバ!』は自立のための物語だ。自立するには何に依存しているのかを知るところからだ。もしくは何にも依存できていない(つまり独りよがりである)ことを知るところからだ。その依存によって苦しくなっているのなら、少しずつ依存先を増やしていけばいい。何かに頼り、誰かに甘えてみて、信じてみる。その境界線を心地よく引きながら、複数の依存先によって心身を健やかに保てるようになれば、自立だ。家族からの、恋人からの、アルコールやお金からの。

    そしてもう一つ。歩のように人の目を気にしすぎることで苦しい時は、「自分は人の目を気にする人間だ」と認めるところからだ。そのことを恥じる必要はない。人の目を気にすることは思いやりや察しに繋がり、人間関係を豊かにできる。状況に応じて誰の目をより気にするか、誰の意見を重めに受け止めるか、コントロールすればデメリットも感じないだろう。一方で、「人の目を気にできる」ことを奢るのもご法度だ。相手の立場を想像して先回りした言動は、時に武器になることを知っておくことだ。相手の気の回らなさを責めたように映ったり、相手の本意とは違うことをしていても、相手がそれを主張することを封じてしまったりする。自分をそのまま受け入れてみることも、本当の意味で自分を信じることに繋がるんだろう。

  • 読み始めたらあっという間
    そうくるか!そうか、そうなのか
    芯がない人間は最後救われない
    宗教的なことじゃなくて、自分っていうものをちゃんと持っていないとつまづいた時にあっという間に崩れる

    ちゃんと自分を持ちたい

  • アメトークの読書芸人でもよく紹介される
    西加奈子さんの
    直木賞受賞作

    『i』を読んだときも思ったが
    なんだか読んで苦しくなる
    悪い苦しさではないのだが
    普段みないようにしているものをみせつけられるような感覚かな

    文庫版解説の
    又吉の最初の6行はさすがっ

    だれにでもおすすめではないし
    エンターテイメントってかんじではない
    純文学とエンタメ小説の間のような作品だが
    読んでなにかしら心揺さぶられることがあると思う

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著者プロフィール

西加奈子(にし かなこ)
1977年、イランのテヘラン生まれ。エジプトのカイロ、大阪府堺市で育つ。関西大学法学部卒業。雑誌「ぴあ」のライターを経て、2004年『あおい』でデビュー。
2007年『通天閣』で織田作之助賞大賞、2011年咲くやこの花賞、2013年『ふくわらい』で第1回河合隼雄物語賞、2015年『サラバ!』で第152回直木三十五賞を受賞。
その他代表作として、宮崎あおい・向井理出演で映画化された絵本『きいろいゾウ』、同じく映画化された『円卓』、20万部を超えるベストセラー『さくら』、本屋大賞ノミネート作『i』など。2020年初夏、『さくら』が映画化決定。プロレス好きとして知られる。お気に入りの本は『アントニオ猪木詩集』。

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