- Amazon.co.jp ・本 (425ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094070279
作品紹介・あらすじ
理想の逝き方を探し求めて
世界の医療現場で、安楽死の導入の気運が高まっている。超高齢社会を迎えた日本でも、昨今、容認論が聞こえてくるようになった。しかし、実態が伝えられることは少ない。
安らかに死ぬ――その柔らかな響きに、欧州在住の筆者は当初懐疑的だった。筆者は、スイスの安楽死団体でその「瞬間」に立ち会い、またはアメリカやオランダで医師や遺族と話を交わすなかで、死に対する考えを深めていく。
文庫解説で武田砂鉄氏はこう書く。
<本書から繰り返し聞こえてくる著者の吐息は、安心感なのか戸惑いなのか疲弊なのか、読者はもちろん、それは著者自身にも分からないのではないか。死にゆく様を見届けた揺らぎが、そのまま読者に届く。読んで、同じように揺らぐ。目の前に広がった死の光景をどう受け止めればいいのだろうか>――
読後、あなたは自らに問うはずだ。私はどう死にたいのか、と。
第40回講談社ノンフィクション賞受賞作にて、日本で安楽死議論を巻き起こすきっかけとなった衝撃ルポルタージュ。
【編集担当からのおすすめ情報】
文庫化に際して、筆者は、単行本の登場人物たちの「その後」を取材しました。遺族や医師はいま何を思うか。後悔していないか。日本でも関心が高まる安楽死、そしてそこに従事する関係者らについて、賛成か反対かの二項対立では収まらない、新たな姿を紡ぎ出します。
感想・レビュー・書評
-
とても興味深い本だった。
安楽死について。世界6ヶ国で、患者・医師・家族にルポ。
実際に安楽死の瞬間に立ち会った著者だから描ける衝撃のノンフィクション。
人間の尊厳とは。死生観を問われる。
人間は必ず死ぬのに、日本では死について語ることがタブー視されがちだと思った。
死は個人のものか、または集団や社会のものか。
自分らしく最後を迎えたい患者たち
人に迷惑をかけたくない日本人
安楽死の選択肢がある事で、精神疾患者には抑止力にもなる。なるほどな。
一口に安楽死といっても種類や定義、解釈が様々あることを知り勉強になった。
-
世界中の安楽死の状況について、取材人である筆者が実録として記したのが本書。
まずはスイスから。安楽死といえばスイスを思い浮かべるほど、スイスは尊厳死先進国というイメージがある。
ディグニタスやエグジットという実際の団体や、自殺ほう助を行う女性など、ありのままの現実がレポートされ、夢中になって読んでしまう。
それから、オランダや日本など、いくつかの国の状況も語られる。
日本に関しては、死がタブー化されすぎていると思う。死について考えることは、人生について考えることに繋がる。
「死を決める権利」といった概念が本書には登場するけど、深く賛同しながら読んだ。
一方で、死にたいほどの苦しみに対する処方箋として、周囲のサポートの重要性も上げられ、それはそのとおりだと思った。 -
今まで安楽死や尊厳死について、抽象的な定義でしかとらえていなかったが、筆者が実際にオランダやスイスなどの現地で安楽死を試行する医師や安楽死の決断をした当事者にインタビューをしている様子が書かれており、とても具体的にありありと安楽死を捉えることができた。
-
オトラジシリーズ。
死のクオリティについて考えさせられる。
自分一人のことだけを考えれば好きなタイミングで世を去らせてほしい。
だけど、残された人達の意志を考えると単純に我を通すのも違う気がする。
答えが出ない宿題を宮下さんの出されたようなそんな気持ち。
白黒つけられない問題を考える。
その時間ってとても大事な時間だと思う。 -
安楽死が出来ると思うと自殺しようとしなくなる、と言うのはちょっと分かる気がする。
著者が安楽死とはどうなんだろうと迷いながら、安楽死を選んだ人に死の直前にインタビューを内容と聞いて、びびる。どういうセンセーショナルな本なのかと。物見高いだけなのでは?と。
いやいや、そんなことはなく、自分の中で迷いがありながらも、安楽死に携わる人たちを丁寧に見ている眼差しにおちつく。そして何度も出てくる(その人は安楽死を選んだから)もう会えないという言葉を聞くたびに考えてしまう。
それでも、個人的には死にたいと思ったときに、安らかに死ねると思えば、いつでも逃げていいというお守りをもって生きられるような気もする……。あくまでも当事者としてだけれども。残された家族に対しては何とも言えなし、簡単に通りいっぺんに言ってはいけないだろうし、いつか身近な人が安楽死を選んだ時に、自分が経験するのだろう。 -
安楽死に関するルポ
安楽死の現場の立ち会いの描写や、患者、家族、医師などの関係者へのインタビュー、取材を続ける中で著者の考えの変化など
一口に安楽死といっても様々な方法がある
・積極的安楽死
・自殺幇助
・消極的安楽死
・セデーション
医師の手による処置、医師が事前に説明した上で患者の手による処置、延命治療の停止、意識レベルを下げる処置
「尊厳死」という言葉の定義は曖昧
安楽死を提供する団体
検察も把握していながら暗黙の了解という状態も
安楽死を合法的に行える条件も国によって異なる
余命宣告、回復の見込みがない、耐え難い苦痛など
ただ、医師によってもその判断が分かれる
治療を停止する事で余命が明確になってしまう場合はどうなのか?
精神疾患は対象にすべきなのか?
「安楽死」の選択肢があることで生きることができる人たち
逆に「安楽死」という選択肢を与える事自体が洗脳にあたる可能性
安楽死を選択する人たちの傾向
資産に余裕がある、高学歴、人種、不安症など
家族の存在、特に子供の有無
家族関係など
日本での過去の安楽死事件
果たして安楽死と呼べるようなものだったのか?
臨死状態での処置
本人の意思を確認できない
家族の意思による判断
「日本人」という大きなくくりには違和感
自分らしく死にたいという外国
「迷惑をかけたくない」という日本
筋弛緩剤=死 という単純なものではない
議論の必要性
条件をつけての合法化でも、すべり坂論法的に乱用される危険性
または、雰囲気としての強要が発生する可能性
何が正解かはない
自分の場合を考えてみた
もし自分が末期癌で余命6ヶ月だとして
まだ意識がちゃんとしててある程度動けるんだったら安楽死は選択しないと思う
寝たきりになって常に痛みに苦しめられる状態になったらわかんないかもね
ただ、下の世代のためにも、自分の死に際を見せるためにも選択しない気がする
もし自分の家族がそんな選択をしたとしたら
本人の意思を尊重して受け入れるんじゃないだろうか?
説得とまではいかないまでも、生きていてほしい旨は伝えるけどね
自分にしても家族にしても、その状況により意見は変わりそう
安楽死の問題は有りか無しかだけじゃなくて
本文でも書かれてあるけど、条件の細分化やすべり坂的な乱用や一方的な強要まで議論しなきゃいけないのでかなり複雑だと思う -
安楽死を手助けする海外の団体や安楽死を願う本人、家族を取材し本にしたノンフィクション。高齢化、医療の発達で辛い状態の中でも生きなくてはいけない現代日本。安楽死問題はこれからどんどんでてくると思う。海外で安楽死を遂げる前の本人へのインタビュー、臨終の様子なども書かれているが全員が安らかに最期だったのには驚く。そして安楽死幇助の医者が「人間は85歳過ぎると自分の体に心配症になる」と発言していて、周りの高齢者がまさしくそうだったので驚いた。85歳、覚えておこうと思う。
-
超高齢化社会を迎えている日本にあるにも関わらず、安楽死の議論が“ほとんど”ないことに、この本を読んで違和感を感じた。あっても良さそうなのに、ないのは、東南アジア同様の日本の文化なんだろう。カナダでは社会保障が抑えられたとの分析もあり、日本でも裏テーマとして社会保障が抑えられるという理由で議論されてもおかしくないのに….安楽死制度がないと、儲かるのは….誰だ?
-
とても衝撃的な著作。
安楽死の問題は非常に場合分けが多く、一筋縄ではいかない。
そして環境や制度によっても大きく変わるので、自分で考える場合にはその時の状況を踏まえて色々勉強する必要があるということがわかった。
https://honz.jp/articles/-/44658
https://honz.jp/articles/-/44658