「兵士」になれなかった三島由紀夫 (小学館文庫) (小学館文庫 す 7-5)

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (260ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094084733

作品紹介・あらすじ

一九七〇年十一月二十五日。自衛隊の本拠・市ヶ谷駐屯地で壮絶な最期を遂げるまで、三島由紀夫は毎年のように自衛隊に体験入隊を繰り返していた。その中で三島は、苛酷な訓練にも真摯に臨み、現場の「兵士」=自衛隊員たちとも濃密な交流を重ね、時に「クーデター」への思いも口にしていたという。三島にとって自衛隊とは何だったのか。そして、四十年近く封印されてきた「三島自決」までの知られざる道程とは-。"共に起つ"ことを期待された元「兵士」たちが初めて三島の肉声と貴重なエピソードを明かした、「兵士」シリーズの掉尾。

感想・レビュー・書評

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  • なんだかうまい言葉が出てこないのだけど、あたしが好きなのは、敬愛してやまないのは、三島由紀夫であって、平岡公威ではない、と、そうゆうすごく当たり前のことに気がついた。
    けれども、自衛隊という組織に夢を抱いて、失望のはて自害したのは確かに「憂国」を、「豊饒の海」を書いた三島であって、でも実際に自衛隊に体験入隊までしたのは平岡という男であって、っていう混乱。
    人間の男だった。長距離走で苦痛に顔を歪める人間だった。でも、そうゆうのはぜんぶ、あたしの中では平岡という男の体験としてしかとらえられない。三島由紀夫という天才の為した事だとは、うまく信じられないのだ。
    でも、「自分は弱い」なんて漏らす三島をひどく愛しく思ったり。人間、得手不得手があるんだから完璧を目指すことなんてないのに、って、ばかなひとだな、なんてあまりに人間くさい劣等感を擁護してあげたくなったり。なんだろこの母性本能的な感情は。
    でもあまりにも衝撃的な死があってこその三島文学なのであり、あの死へ至る道のりへの関心は人並以上あるから、三島と平岡をうまく結び付けられなくても、この手のノンフィクションはこれからも読みたい、と思う。やっぱり、好きなひとのことは、知りたいのだ。

  • 兵士に聞け シリーズ、で15年にわたり自衛隊を取材した杉山隆男による、三島由紀夫と自衛隊の物語。鍛え上げた上半身(腕力)を誇った三島だが、鍛えられていない下半身は脆弱なまま(脚力不足)で体験入隊時の持久走では、常に劣後していた等の指摘が興味深い。劣後しながらも真剣に付いてゆこうという三島の鬼気迫る雰囲気が印象的だった、という当時の教官(隊員)たちの様々な三島の思い出が語られております。虚弱な体(小柄)だったが故に、太平洋戦争に行けず、兵士になることができなかった三島由紀夫が、敗戦後、作家になったころから体を鍛えはじめ(心を鍛えることも含め)それがどのように展開し、あの壮烈な最後を迎えたのかという内面の物語も少しうかがえる一冊であります。市ヶ谷台に乱入、割腹自殺をした1970年11月25日は、作者(杉山隆男)の18歳の誕生日(日比谷高校の3年生)、という繋がりも披露されております。★四つであります。

  • ノンフィクション

  • 三島由紀夫が自衛隊への体験入隊を繰り返していた当時の様子を追いかけたノンフィクション。
    当時、三島と関わりの深かった教官、助教などへ取材している。


    「諸官に與へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。」(『檄』)

    本書の最終章にこの言葉が引用されている。
    その前後の部分は、現在の自衛隊と日本の姿の本質を突いていると感じた。

  • 知らないことばかりだった。
    三島由紀夫のファンでもないし、作品といえば「金閣寺」と「豊饒の海」しか知らない。
    ノーベル賞候補。世界のミシマ。盾の会を作り天皇への愛を語り、市ヶ谷で割腹自殺した作家。ボディービルで鍛えた筋肉。マッチョでナルシスト。そんな浅くてステレオタイプのイメージをもっていた。本書はそんな自分のなかの三島像を覆してくれた。

    自殺するまで、三島由紀夫は毎年自衛隊に体験入隊を繰り返していた。愚直に訓練に励み、現場の兵士たちと向き合い、ときにクーデターへの思いも語っていた様子が当時の兵士たちや担当教官の証言によって丁寧に描かれている。


    特に印象に残っているのが三島がさらけ出した「弱さ」だ。上半身の筋力と違い足腰が以外に脆いことや、水平渡りでロープから落ちて救助されたり、三島だけ走りに付いて行けなくて教官から本名で怒鳴られたり、と散々だったらしい。そこには「駄目だッ!、情けない!」とつぶやいて肩を落とし膝をついた三島由紀夫の姿があった。

    正直、あの三島由紀夫が!?と思った。マッチョな身体と勇ましい言論の三島由紀夫が?と。その姿は必死で自分の弱さと向き合い、乗り越えようとしている人間の姿だった。


    人間は誰でも弱い。それが駄目だとは思わない。ただ、その「弱さ」との向き合い方にその人の本質や個性が出る。三島は弱さを隠し越えようとして強くなろうと努力するタイプなんだと思う。体を鍛え、葉隠を読み、大儀に生き死ぬこと。それが三島由紀夫の自身の弱さを克服する方法だったのかな、と読後に感じた。

  • 下半身鍛えてなかったらダメでしょ…

  • 感受性が強くて、かなり打たれ弱い。

    時々自分に酔ってるけどちょっとヘタレ。



    そんなレンジャー平岡君のお話。

  • 三島由紀夫が市谷駐屯地で自決を遂げたのは、1970年11月25日。当時小学生だった私は、そのニュースを新聞やテレビで読んだり観たりしたと思うのだが、全くと言って良いほど記憶がない。その歳では、三島由紀夫の作品を読んだこともなかっただろうし、この事件の思想的な意味合い・背景に、興味を持ったり、あるいは、理解が出来る年齢ではなかったということである。ただ、それは自分の年齢だけが理由だったわけでもなさそうではある。この杉山隆男の本を読むにあたって、ウィキペディアで一応事件のことを調べてみたけれども、何だか全くよく分からない。ウィキペディアの簡単な説明だけで分かるはずがない、ということを置いておいても、何故、こういう事件を三島由紀夫が起こしたのか、という理由、というか、そこまで三島由紀夫が思いつめていた、その切迫感の正体が全く分からないのだ。このあたりは、その時代の空気とでもいうものが分からない限り、どうにも理解できないことなのだろうと思う。

  • 内容説明
    三島自決の真実に迫る兵士シリーズ最終巻。

    1970年11月25日。自衛隊の本拠・市ヶ谷駐屯地で壮絶な最期を遂げるまで、三島由紀夫は毎年のように自衛隊に体験入隊を繰り返していた。その中で三島は、苛酷な訓練にも真摯に臨み、現場の「兵士」=自衛隊員たちとも濃密な交流を重ね、時に「クーデター」への思いも口にしていたという。三島にとって自衛隊とは何だったのか。そして、40年近く封印されてきた「三島自決」までの知られざる道程とは――。
    “共に起つ"ことを期待された元「兵士」たちが初めて三島の肉声と貴重なエピソードを明かした、「兵士」シリーズの掉尾。

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著者プロフィール

1952年、東京生まれ。一橋大学社会学部卒業後、

読売新聞記者を経て執筆活動に入る。1986年に

新聞社の舞台裏を克明に描いた『メディアの興

亡』(文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション

賞を受賞。1996年、『兵士に聞け』(小学館文

庫)で新潮学芸賞を受賞。以後、『兵士を見よ』

『兵士を追え』(共に小学館文庫)『兵士は起つ

 自衛隊史上最大の作戦』(扶桑社新書)と続く

「兵士シリーズ」を刊行。7作目『兵士に聞け 

最終章』(新潮文庫)で一旦完結。その後、2019

年より月刊『MAMOR』で、「兵士シリーズ令和

伝 女性自衛官たち」の連載を開始。ほかに小説

『汐留川』『言問橋』(共に文藝春秋)、『デルタ

 陸自「影」の兵士たち』(新潮社)、

『OKI囚われの国』(扶桑社)など著書多数。

「2022年 『私は自衛官 九つの彼女たちの物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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