- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094088069
作品紹介・あらすじ
一九五九年から一九九〇年まで三一年間続いた大人気テレビ番組『兼高かおる世界の旅』で、ナレーター、レポーター、ディレクターなど、何役も務める。取材した国は約一五〇か国にものぼり、「私の人生のほとんどが仕事であり、旅だった」といま著者は振り返る。「去る者は追わず、来る者は選べ」「旅は女性を美しくする」「贅沢が文化を、余裕がアイデアを育てる」など、数々の旅から得た人生観は、オリジナリティーにあふれ、強くて、優しい。多くのメディアで話題の大反響エッセイが、待望の文庫化。
感想・レビュー・書評
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子供の頃、日曜日の朝の
「兼高かおるの世界の旅」が楽しみでした。
美しい姿と好奇心に満ちた瞳、媚びることのない笑顔、
市場のおじさんにも、偉い人にも変わらないスタンス。
憧れの大人の人でした。
その人が、年をとり年上の男性達が亡くなり女友達が亡くなり
思い出の話しができなくなったけど、若い友達と遊べば良いと
突然の骨折で救急車から入院で
緊急入院対策と遺書をと。
大量の本は寄贈さきが見つからずそのままだと。
お一人様で誰ともしゃべらない
土日は舌も口も動きづらくなる
と
年を重ねるといろいろな不自由が生まれます。その分、忘れる自由はあっていい。と
先輩のアドバイス生かせねば!
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子どもの頃、「兼高かおる世界の旅」を楽しみに見た世代です。
エキゾチックなお顔だちで、日本語が美しく、世界を飛び回っているかっこいい姿に憧れていました。
ダリやケネディ、チャールズ皇太子にまでお会いしたというのを知って驚きました。兼高かおるさんと、その番組が価値ある物だと判断された理由が本書を読むと分かります。
自分の目で見て、自分の言葉で、正確に伝えたいというプロ意識が、31年間。
それでいて、自分はまだまだ勉強しなければならないという謙虚な姿勢を持ち合わせていらっしゃった。
人としも魅力的な方だったことが伝わってきました。
2019年にお亡くなりになられているとのことですが、兼高かおるさんの、上品な声で、海外に行くことが出来にくかった世代に世界を紹介してくれたことは、沢山の人に影響を与え、そこから広がっていることと思います。 -
『わたくしが旅から学んだこと』(著:兼高かおる)
付箋部分を抜粋します
・物事が思い通り、計画通りに運ばなかったとき、そのことを惜しみ悔やむのか、人生の休み時間とありがたく
受け止めるのか。わたくしは後者のタイプです(P28)
・物事はやろうと思えば必ずできる。困難なことを考えすぎて、やる前に「できない」と思って一歩を踏み出せない人が
大勢いますが、自分でも気付かない眠ったままの才能があるものです。用心しながら失敗を回避していくのもひとつの
生き方ではありますが、やってみて崖から落ちるのも大切な経験。痛い目に遭うのも自分の運命なのですから。
自分がやりたいと信じることは、きっとできる。わたくしはあのころも、そして、今でもそう思っています(P34)
・選択肢や可能性はいろいろあり「これしかない」などということはないのですから(P39)
・人生においては、いい人との出会いが大きな運をもたらします。自分にどんな才能があっても、それを認めてくれる人
発見して伸ばしてくれる人、それを世の中に広めてくれる人がいなければ埋もれてしまうのです(P42)
・ここでわたくしは最近「42歳定年説」というのを提唱しているのです。
60歳になって「定年です、あとはご自由にどうぞ」と言われても、残り時間はあまり長くありません。でも、42歳だったら
会社に残ってもいいし、自分がやりたいことをやってもいい。まだまだ持ち時間はたっぷりあります(P163)
・年を重ねると時間とお金はあると思っている人が多いと思います。では、何がないかと言えば健康。ここまでは想像がつきました。
でも、実際に高齢者になってみて気が付いたのは友人だったのです(P168) -
兼高かおる(1928~2019年)氏は、神戸市生まれ(父はインド人、母は日本人)、1946年香蘭女学校を卒業後、1954年ロサンゼルス市立大学に留学し(体を壊し中退して帰国)、帰国後、ジャパン・タイムスに勤務。その後、1959~90年の31年間、TBS系「兼高かおる世界の旅」でレポーター、ナレーター、プロデューサー兼ディレクターを務めた。1986~2006年、横浜人形の家館長。文化庁芸術選奨新人賞、同文部大臣賞、菊池寛賞等を受賞。紫綬褒章受章。外務大臣表彰。
「兼高かおる世界の旅」(当初は「兼高かおる世界飛び歩き」)は、放送回数1,586回、取材国150ヶ国以上、全行程721万㎞(地球180周分)という、稀な長寿番組として有名。
本書は、著者が自らの半生を振り返り、まさに「旅から学んだこと」や、80代にしての思いを綴ったもので、2010年に出版、2013年に文庫化された。
私は1960年代生まれで、当然ながら「世界の旅」を見るチャンスはあったはずなのだが、同番組を見た記憶は残念ながら無い。(家庭に、日曜の午前中にテレビを見るという習慣がなかったからだと思われる) よって、著者のこともずっと知らずに来たのだが、暫く前に、本書の解説も書いているヤマザキマリ氏の半生記的な本『国境のない生き方』を読み、その中でヤマザキさんが影響を強く受けた人物として著者について書いていたこと、また、私自身、学生時代にバックパックを背負って海外を旅し、社会人になっても長く海外に駐在していたことがあり、どのような人なのか知りたくて本書を手に取った。
読み終えて、もう少しジャーナリスト風の硬質な文章を予想していたのだが、意外に軽めの、さらりと読める内容であった。
ただ、(資産家の家に生まれたという幸運はあったにせよ)戦後間もない時期に米国に留学したり、一人で何役もこなして海外取材を行ったり(現在とは比較にならないほど不便であったことは想像に難くない。尤も、現在より「安全」ではあったのかも知れないが。。。)、英チャールズ3世(現国王)やジョン・F・ケネディのような海外の要人と会ったり、北極点や南極点に行ったり(1971年の南極点到達は一般女性では世界初)するバイタリティ、何事も前向きに捉える姿勢、そして、自分を信じる強い信念のようなものは、常人の想像をはるかに超えるし、それがソフトでさりげない文章の随所に垣間見られるものだった。
そういう意味で、活躍のフィールドは違うのだが、黒柳徹子さん(香蘭女学校の著者の後輩!)や緒方貞子さん(黒柳さんをユニセフ親善大使に推薦したという繋がりもある)を思い出させるところもあった。
上述のヤマザキさんの本も同様だが、海外に出ることを望まなくなったと言われる若者に、お奨めしたい一冊である。
(2024年1月了) -
キャアキャア騒ぐだけで語彙の貧しい今時のレポーターに爪の垢でも煎じて飲ませたい。職業意識、人格ともに立派な方。生き方そのものがお手本になる。
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“兼高かおる世界の旅”は、1959年から1990年まで31年間も放送されていた長寿番組。
確か日曜日の午前中に放送されていて、中学生、高校生の頃には、よく観ていた。兼高さんは、とても綺麗だったし、田舎に住んでいたので、外国は遠い世界。眩しさを感じながら観ていた記憶がある。
そういう懐かしさから手にとったが、本は、あまり面白いものではなかった。 -
書店で懐かしくなり思わず手に取った文庫本。
兼高かおる『わたくしが旅から学んだこと』(小学館文庫)読了。
『兼高かおる世界の旅』は日曜日の朝の番組で、小中学生の頃に時々観ていたことを思い出します。
「世界で最も経験のある航空会社パンアメリカンの協力を得ました。」とナレーションが入り、『飛行機に乗ってみたいなあ』と思ったものです(パンナムは2008年に運航停止)。
番組では、芥川隆行が聞き役で兼高かおるが世界各地の話題を紹介していました。ちなみに芥川隆行は「芥川節」といわれる独特の口調で水戸黄門や大岡越前などのナレーションもやってましたよね。
本書によれば、番組は1959年12月から1990年9月まで約31年間も続いたそうです。この本は、もともと2010年に出版された本で、それを文庫化したもの。
ひとことでいえば、旅の楽しみ方と引退後の生き方を綴った本で、兼高かおるの旅の極意と人生訓が爽やかに語られています。
1959年なんていうと、小生が生まれた年で、当時は海外旅行など滅多に行けない時代だったと思いますが、兼高かおるは、番組取材とはいえ、カメラマンと2、3人で世界各地に行っていて、さぞかし大変だったろうなと感じました。
この本では、サルバドール・ダリ(1959年)、ケネディ大統領(1962年)、チャールズ皇太子(1978年)と対談した写真が掲載されていたり(もちろんエピソードも)、ボルグ(1985年)とテニスをした経験が紹介されています。すごいですよねえ。
話はあの番組の口調さながら口語調で綴られていますので非常に読みやすかったです。
いろいろ人生訓が語られるのですが、その中で印象に残ったくだりを2つ紹介します。
まずは、その昔、ヨーロッパで出会った、アルバイトをしながら旅をしていて、現地の人間をばかにしていた日本人大学生と出会って。
「大学生ならば同じ学生や、知識レベルの高い人たちとも付き合ってみるべきです。
わたくしは出会った人々のおかげで、世界を見る目、日本を見る目を育てることができたので、ぜひ皆さんにもいい出会いをしてほしいのです。」[p.98]
これは旅に限らず、どんなことにも当てはまるのではないでしょうか。大学生の皆さん、ぜひ参考に。
次は、人生三分割論。
「人生。
最初の3分の1は、あとで世の中の役に立つようなことを習う。
次の3分の1は、世のため、人のために尽くす。
残りの3分の1は、自分で好きなように使う。
きっちり3分の1ずつとはいかないまでも、わたくしは人生をこのような三分割で考えています。」[pp.5-6]
このように書いてはいますが、62歳で番組が終わって『さあ、残りの3分の1を楽しもう』と思いつつ、すでに20年が経過し、「最後の3分の1にとっくに入っているはずだったのに…」[p.159]と嘆いています。
そういえばこんな話も紹介されています。
1960年に、アメリカ・アリゾナ州の砂漠のど真ん中にできた街に取材に行った話です。
その街の名を「サンシティ」といい、55歳以上の人しか住めない街でした。
兼高かおるはそこを老人村と表現していますが、これは今話題のCCRCの先駆けですよね。兼高かおる自身も書いていますが、アメリカでは50年も前に老後のくらし方への模索が始まっていたということで、これは興味深く読みました。
そうそう、「兼高かおる世界の旅」旅の必需品なんてのも写真付きで紹介されていて[pp.136-137]、『なるほどなあ』と思いました。
というわけで、昨年末から読み始めて今日読了。
『帳簿の世界史』があまりに濃い内容だっただけに、軽く楽しく読めましたし、新年最初に読み終わった本としてはGOODでした。 -
資産家の娘である兼高かおるだからこそ成り立つ、
時代の中で裕福に生きた教育環境、留学や人間関係が伺える。
ちょっとした旅レポーターとか芸能人とかではない
海外を通して勉強熱心な健気なところはとても学びになる。
人生の転機や出来事に対する捉え方が、常に前向き。人は時に、前向きに捉えるのが大切と分かっていてもどうしても切り替えに時間がかかる時がある。その時間が、彼女は短い気がする。 -
大変なことももちろんあっただろうけど、旅が好きな人にはたまらない人生だろうな、と思いました。
兼高さんが文章でさらっと語るのでススっと読めてしまうんだけど、訪問する国のことを学んで手配したり、初めてのことをやったり、体調のこともあったり、いろいろあったんだろうな。
今、こんな時代だからこそよりうきうきしながら話を読める。早くまた海外に気軽に行けるようになってほしい。(気持面です。金銭的にも気軽になる日よ、来い!)
運命に大きな転機が2度あり、それにきちんと飛び込んだ兼高さん。わたしは飛べるだろうか。気づけるだろうか。
『世界の旅』、ネットで観られるだろうか。
観てみたいな。
最後に兼高さんが訪れた国のリストがあるのですが、こうして一覧にされるとその数の凄さに圧倒されます。