「鎖国」という外交 (全集 日本の歴史 第9巻)

  • 小学館 (2008年8月25日発売)
3.66
  • (6)
  • (11)
  • (13)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 154
感想 : 16
サイトに貼り付ける

本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

Amazon.co.jp ・本 (354ページ) / ISBN・EAN: 9784096221099

作品紹介・あらすじ

日本の近世(江戸時代)は、「鎖国」だったとみなされてきた。日本は200年以上にわたって、一部の例外を除いて外国との付き合いを絶ち、国を閉ざしてきたという、「鎖国」史観といわれるものである。しかし本書の著者ロナルド・トビ氏は、それは対西洋に限った偏った見方に過ぎず、実際には日本は近世を通じて中国・朝鮮など東アジア世界と密接に繋がっていることを以前から指摘してきた。トビ氏によれば、近世日本の外交方針は決して「国を閉ざす」という消極的なものではなく、みずからの構想のもと主体的に選択したものだったという。そんなトビ氏が描き出す、従来の「鎖国」史観にとらわれない、新しい近世像。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 田中優子 「江戸時代は鎖国」の誤り 庶民の交流も盛ん | 日経BOOKプラス
    https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/112500163/112500004/

    全集 日本の歴史 第9巻 「鎖国」という外交 | 書籍 | 小学館
    https://www.shogakukan.co.jp/books/09622109

  • 従来の日本人が懐いていた閉鎖的イメージの「鎖国」という国策について、朝鮮通信使外交を新たな視点で分析することにより、徳川政権が選択した外交政策がその当時の東アジアが置かれていた状況下においては、合理的なものであったという仮説を綴った著作である。

    日本社会の歴史を当事者である日本人ではなく、日本および東アジアの近世・近代史を研究するアメリカ人の着眼点で、限られた歴史的資料を元に「鎖国」を分析・評価したものである。

    秀吉の侵略政策から東アジアの友好外交を選択した徳川政権の適切な外交戦略について多様な研究・分析が待たれるところである。

  • 09/12/15

  • 「鎖国」というカッコ付きの表現が使われるようになって久しい。江戸時代の日本は実際には国を鎖ざしてはいなかった。ではなぜ鎖国という概念で江戸時代が語られるようになったのか? 実態はどのようなものだったのか? 朝鮮通信使を利用する幕府、海外の情報収集に熱心な幕府、吉宗の輸入品国産化プロジェクト、異国人に対する認識、通信使の受容のされ方、異国からも見える富士山というフィクションが庶民にまで広まった事情などなど、どの章も実に面白い。江戸期の対外交渉を知る入り口となる一冊。

  • TRa

  • この巻では、著者の「ロナルド・トビ」氏の観点で日本近世の重大な事柄の一つ「鎖国」について解説されています。

  • 本書によると鎖国と言う言葉は幕末に作られたという。江戸幕府は鎖国していたわけではなく、きちんと海外と交流していたようだ。ただ、家康は秀吉の外征の影響で朝鮮との国交回復には苦慮したようだが。従来の日本近代史観を変えることのできる本と思う。

  • 【「鎖国」という外交】
    BOOK LOVERS vol.95
    http://pod.j-wave.co.jp/blog/booklovers/2009/02/book_lovers_vol95.html

    鎖国のイメージは明治時代に創られたものだった、輸入行為を通じた貴金属流出が幕府の深刻な課題だった、など従来の教科書日本史を覆す話がいろいろ。山川の日本史解説本と読み比べたい一冊。

  • 2013年17冊目

  • 「新視点近世史」ということで、江戸時代全般を“「鎖国」という外交”のテーマで概括する。前半部では、幕府にとっての朝鮮通信使の意味、「4つの口」による東アジア世界との貿易と外交などがわかりやすく書かれているが、後半部になると、絵画史料をもとに大衆にとって異国人のイメージはどのようなものだったのか、どのような土壌から「征韓論」が生まれてきたかに多くを割く。オランダや琉球、エゾとの「外交」には余り触れず、朝鮮がメイン。

  • 『全集 日本の歴史』シリーズはかなり質が高くて、歴史的な教養を深める上で非常に役に立つ。

    江戸時代は「鎖国」と言われているけれども、実際はちゃんとした外交的な理由もチャンネルもあったし、「鎖国」によって国内産業が進展していって、それが近代日本の礎になった。また、当時の日本人が考える「世界観」について語る。当時の東アジアの状況から、かなり積極的に「鎖国」を評価している点が興味深かった。

  • ・文禄・慶長の役は白村江の戦い(663)以来、900年ぶりに国家権力が国策として行った戦争。
    ・家康は秀吉の強圧外交を受け継がず、近隣諸国との安定外交を目指した。とくに朝鮮・明との国交・貿易の再開をめざした。一方、秀忠は将軍の外交上の称号を「日本国代君」とし、朝鮮に対する外交文書に日本の年号を記すことで中国の冊封体制から抜け出そうとした(日本型華夷体制)。
    ・太祖ヌルハチが満州族を束ねて勢力拡大を図っていたことから、1607年の朝鮮使節は日本からの偽造文書を受け入れた。以後30年、対馬藩は国書の偽造を続ける。
    ・1651年:由井正雪の乱(倒幕陰謀)
    2代秀忠は家康の、3代家光は秀忠という大御所がいたのに対し、4代家綱には有力な後ろ盾がいなかった。
    ・15c後半~18c後半は北半球を覆う小氷河期。1780年代の天明の飢饉も気候が問題ではないかとする説。
    ・吉宗は国家プロジェクトとして輸入品の国産化を図った。これは価格・品質両面で国際競争力を引き上げ、18世紀末・19世紀初頭には消費財の貿易依存体質からの脱却に成功。
    ・1787年:11代家斉の将軍就任(松平定信が補佐)。
    80年代:天明の飢饉
    1837年:大塩平八郎の乱
    ・家康の側近は天台宗の南光坊天海や臨済宗の金地院崇伝など仏門の学僧であった。1607年、林羅山が専業儒者(宋学系の朱子学)として抱えられるようになる。諸大名の間では朱子学以外の漢学者を抱えることも多く、岡山藩の熊沢蕃山、赤穂藩の山鹿素行、古文辞学派の荻生徂徠などがその例。松平定信が定めた寛政異学の禁は、無差別に営まれていた漢学諸学派を排除し、林家儒学(宋学系の朱子学)を正学とするものだった。
    ・1587年:バテレン追放令
    ・1612年:禁教令(幕領のみ、13年に全国拡大)
    ・1616年:中国以外の外国船の入国を長崎・平戸に制限
    ・1622年:元和大殉教
    ・1623年:イギリスの平戸商館閉鎖
    ・1624年:スペインと断行
    ・1633年:日本人の帰国禁止
    ・1635年:日本人の海外渡航と海外からの帰国を禁止。中国船の入港を長崎に限定。
    ・1637年:島原・天草一揆
    ・1639年:ポルトガル船の来貢禁止
    ・1641年:平戸のオランダ商館を出島に移す
    ・長崎が玄関口なのに対し、松前・対馬・薩摩は双方向性の強い人的移動が特徴だった。
    ・16c末:ヌルハチが女真族を統一
    ・1616年:後金建国。ヌルハチがハン位に。
    ・1636年:朝鮮が清に服属
    ・1644年:明滅亡。北京に遷都。
    ・1656年:海禁例を強化。中国商人の海外渡航と海外貿易をきびしく制約。
    ・1661年:遷界令。中国本土沿岸部を無人地帯とすることで、鄭氏勢力に農作物が渡らないようにする。
    ・1673-81年:三藩の乱
    ・1683年:台湾平定
    ・国内産業が未発達で輸入を減らすことができず、鉱物資源の流出が悪化したことから幕府は1684年に糸割符制度を再開。輸入品購入の全体額を制限。
    ・1695~1714年:荻原重秀による通貨切り下げ(貨幣不足に対処するため、銀貨の純度を下げ、名目貨幣の供給を増加させる。副作用として為替レートのゆがみ)

  • ふむ

全14件中 1 - 14件を表示

ロナルドトビの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×