江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?: 落語でひもとくニッポンのしきたり (小学館101新書 84)
- 小学館 (2010年6月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784098250844
作品紹介・あらすじ
金離れがよく、物事に執着しない「江戸っ子」の美学は、どのように育まれたのか?落語に息づく人々の暮らしをひもとけば、現代人が忘れてしまった、まっとうな「しあわせ」が見えてくる。江戸の社会・文化を渉猟し、現代への明敏な批判としてよみがえらせてきた気鋭の江戸学者が世に問う、初めての本格的「落語論」。
感想・レビュー・書評
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っぺらいなー。
江戸パンフレットみたいな内容である。いいこと、理想的なことばかり述べているが人間が密集しひしめきあう江戸の暮らしがそれほど快適だったとは思われない。宵越しの銭を持たないのは紛れもなく悲惨である。その悲惨さを骨抜きにしていいことずくにしてしまうと、落語の持つ人間臭さという美点すら骨抜きにしてしまうと思う。
長屋の構造や時刻の数え方など雑学は、まあ役には立つけれど……。
ちょうど志ん朝の「文七元結」聞いてたところであって、長兵衛がぶん投げた50両というのが現在の金にして600万近い大金だっていうのは驚いた。
雇い主の主人に返されてもさらに「やったもんを返されたって」と突き返してしまう。
わけがわかりません。
・「いきとはり」とは反抗と風刺の精神
・往来物といって今でいう教科書や専門書、あるいは雑誌の類は手紙の文体で書かれていたというのが興味ぶかい。教科書も今みたいに無味乾燥なもんじゃなく、手紙文にしたほうが頭にも入りやすそう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<閲覧スタッフより>
「落語」とは?
江戸中期に始まった庶民的な話芸。人情ものや怪談ものなど、様々なカテゴリがあり、噺の最後に「落ち」と呼ばれる結末がつくため、「落語」と言われます。また、同じ噺でも噺家によって違ったりと、色々な楽しみ方があります。
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所在記号:新書||382.1||タナ
資料番号:10200675
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今の学生たちが落語を知らないというのは驚きだった。本書は落語を手掛かりに江戸の文化や江戸人の生活を知ろうという試み。江戸初心者向けなので、ある程度江戸を知る人には、いささかもの足りないかも知れないが。でも、これを読んでいると、江戸っていうのは、今こそ回帰すべき何かなのだと思う。なんたって、現代には失われた「こころいき」ってものがあるのだから。
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江戸時代に戻れば良い?三丁目の夕日と同じ一種のノスタルジア。
「足るを知る」失われた美徳、しかし戻れまい。
でも本当に江戸時代が良いのか?中期から末期なら良いかも。→昭和30年代に通じる -
著者の「循環」をキーワードにした江戸論を、落語にひっかけて解説。もとは音源つきの落語ムックシリーズの解説として起こした文章を新書化したもの。たいへん読みやすいが、落語ファン、田中優子の江戸論ファン、どちらへ向けても中途半端という一面もあり。
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江戸がリサイクル社会だったことはよく言われているけれど、相互扶助の社会だったということも言えるんですね。
火事が多くていつ自分が焼け出されるかわからない。蓄財したって一旦大火事が起これば町ごと灰になってしまう。だから今ある金はとっておいても仕方がない、自分のためにも使うけれど、今困っている人のために惜しまず使ってしまえって?
そういう人が多ければ、自分が焼け出された時だって誰かが助けてくれるわけで、金は天下の回り物ということになります。
かぼちゃ(唐なす)売りはかぼちゃだけを、大根売りは大根だけしか持ってこないけれど、軒下まできてくれるし魚はさばいてくれるとなれば、年寄り世帯にとっては現代より暮らしやすいかも。
おつむの巡りの遅い与太郎に口上を教え込んで飴売りで身を立てさせるなんて、大家はソーシャル・ワーカーか?
江戸は現代より進んだ福祉社会だったのかもと思います。 -
(要チラ見!)/新書