新版 動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか (小学館新書)

著者 :
  • 小学館
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レビュー : 50
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784098253012

作品紹介・あらすじ

「生命とは何か」という永遠の命題に迫る!

●年を取ると一年が早く過ぎるのは、「体内時計の遅れ」のため。●見ている「事実」は脳によって「加工済み」。●記憶が存在するのは「細胞と細胞の間」。●人間は考える「管」である。●ガン細胞とES細胞には共通の「問題点」がある…など、さまざまなテーマから、「生命とは何か」という永遠の謎に迫っていく。発表当時、各界から絶賛され、12万部を突破した話題作をついに新書化。最新の知見に基づいて大幅な加筆を行い、さらに画期的な論考を新章として書き下ろし、「命の不思議」の新たな深みに読者を誘う。哲学する分子生物学者・福岡ハカセの生命理論、決定版!

【編集担当からのおすすめ情報】
『動的平衡』は発売当時から評判が高かった本ですが、今回、ES細胞やiPS細胞などについて最新の知見を踏まえ、加筆していただきました。さらに、『動的平衡』そのものについての、先生の研究成果を取り入れた画期的な論考を新章として追加しました。初めて読む方が面白く読めるのはもちろん、既に単行本で読んでいる方は、新章を読むことで「動的平衡」の深化がわかります!

感想・レビュー・書評

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  •  福岡伸一氏といえば、まず「わしズム」を思い出す。わしズムは不思議な本で、第一号か二号あたりは、寄稿者の顔面が大きな本いっぱいに印刷されていて、毛穴の奥まで見えそうなのだ。たぶん、顔と文の一致を目指した編集なのだろう。でも、撮り方が、味わい深く撮るというより、ほとんど単なる超接写なので、女性はわしズムに出るのは嫌だっただろう。もうちょっとぼかしてもいいのに。
     そのわしズムの写真に、福岡伸一の顔面がでかでかと載っていた。ものすごい顔だった。なんという顔面をしているのだ……。フットボールアワーみたいな顔をしているが、わしズムに載った顔はもっとへんで、「この人、人間か……?」というショットだった。いつか、よしりんに聞いてみたいものである。

     この本では、最初、記憶というものがなんなのかについて、考察を進めていく。脳には「記憶素」みたいなのがあるのか、それとも脳のある部位が「記憶場所」なのか。結論としては、記憶とは「神経回路の形と光」であるという。まるでイルミネーションのように記憶はある。どこかに記憶素や場所があるわけではない。想起されたら、その回路が光って、「思い出される」わけである。でも、分かっているのはそこまでである。
     脳は、因果関係なく、訳の分からない発想をいくらでもするし、だいたい電気信号の回路でなぜエロい妄想のリアルな映像が思い浮かべることができるのか。「想起して、電気回路で、思い出す」の、この想起の運動はいったいなんなのか。
     やはり、量子力学のような考えで、「脳は確立空間にあるので、インプットアウトプットで脳と捉える方法で魂の議論をするのは無理」とするしかないような気がする。「クオリアの哲学と知識論証:メアリーが知ったこと」という本があって、その点のことが楽しめるのだが、最後の方になると、「平行世界からクオリアを否定していく議論」になる。平行世界て! ふざけてんのか! と思うが、大真面目である。それに宇宙科学においては、実際に平行世界の可能性が出てきているわけである。というか、平行世界・宇宙を想定しないと理屈があわないというか。

     あと、ダイエットについての議論もよかった。余分にたまるとお腹周りに脂肪をためる。ようするに、ハンバーガーを山ほど短時間で食べると太るが、分散して山ほど食べると太らないということ。「量」は関係ない。食べ物とは「時間」なのだ。なぜなら身体はつねに生成と破壊を繰り返しているからだ。分散させれば、同じ量でも、太る・太らないが決まる。
     基本的にすべての栄養素はエネルギー源として燃やされるとき、ブドウ糖になる。ブドウ糖は血液中に溶け込んで、体内をぐるぐる回り、細胞に取り込まれたブドウ糖は燃やされて(酸素と結びついて)エネルギーを放出する。このエネルギーが細胞の代謝の原動力となる。体温の源となる。お腹がすくというのは血糖値が下がるということである。

     ほか、カニバリズムの理由が面白かった。植物の病気は動物にはうつらない。昆虫や魚や鳥の「病気」も、そう簡単に人にはうつらない。しかし、人の病気は人にうつる。病原体を自分の体内に移動させるため、死者の脳を食べることで、次々と感染していた例もある。人の身体を食べて、謎の病気になる例が古代にあって、それで、本能的タブーとなったのだろう。

     さて、本著は「生命とは動的平衡にあるシステムである」について述べている。人間機械論への反論である。iPS細胞についても意見している。臓器をつくって、機械みたいにパチッと臓器をあてはめれば、はい回復! みたいにはいかない。人間の体は、猛烈に生成と破壊を繰り返していて、入れ替わり続けている。川の流れのようになっている。それを堰き止めるようなことは、とてつもない負担だし、機械論的な手術がうまくいったとしても、それが一般化するには、難しい問題は多々あるだろうと述べている。生きているとは動的平衡によって乱雑さの増大をつねに処理し続けていることだ。皮膚は驚くべき速度で更新されている。その身体の根本的な仕組みを忘れてはならないことを述べている。スピリチュアルではない側からの反機械論とも言える。

     ところで、この定義でいけば、もう少しでロボットも生命になりえるのではないか。この本で出てきた、ウイルスは生物なのかどうか? 生物と無生物のあいだにいるのならば、ロボットでウイルスぐらいの仕組みはいまや作れそうな気がする。それがまあ生物兵器になるのだが、生物学的には、ロボットをつくることと、生物兵器をつくることは、あまり変わらないのではないか。

  • 読みかけては放置し、また忘れた頃に最初から読み返し、ということを繰り返しながらやっと読了。
    さまざまな気づきが得られた読書でした。
    そのなかでも特に心を乱したものを記しておきます。

    1章。
    「人間の記憶とは(中略)『想起した瞬間に作り出されている何ものか』なのである」との説明にとても救われた気がした。ずっと、過去の記憶を時系列で認識できず、何かしらの過去の出来事たちは私には記憶の平原に散乱して放置されているオブジェクトのようにしか認識できずにいたからだ。私の周囲のひとたちは、過去の出来事をしっかり時系列で語ることができるので、長い間、自分の記憶の認識の仕方が異常か、少なくとも正常というには欠落があるか、なのかと思っていた。たぶん、私の周囲の「時系列で記憶を語ることができる」ひとたちは、過去の出来事に現実の手がかり(年号や日付や手帳…)を絡めることが得意なのだろう。私がそういった記憶の整頓(目印をつけてそれを頼りに順序をつけていくこと)が苦手という事実は変わらないにしろ、少なくとも「認識のありよう」に関しては異常ではないのだ。と安堵した。

    5章。
    それでも再生医療に希望を託してしまう。
    私自身が再生医療でしか完治できない病を負ったとして、再生医療を受けることを望むかといえば、そんなものは望まない。科学的にどうこうというのではなく、あれは神の領域だという畏れが私にはある。そこに踏み込んでまで病や不具合をどうにかしたいとは思えない。
    けれども、自分の大切なひとが何らかの病に苦しんでいて、それが再生医療で治りますよ、と告げられたなら…その囁きを拒むことは私にはきっと無理だろう。神の領域を侵すことになろうと、生命の法則を踏みにじろうと、そこに一縷の望むを見てしまう。
    我儘勝手な望みだとわかっていても。伊邪那岐命もオルフェウスも、禁忌を犯してまで取り戻そうとしたのは自分の生命ではなかった。泉下まで冥府までくだっていったのは大切な伴侶のため。そんな「弱さ」をひとは太古より知っていて、だからそれを神話として語り継いだのだろう。神、あるいはsomething greatと言ってもいいが、「世界を秩序だてる法則」も、それを見越して「再生医療」を成功させずにいるのかもしれないと、そんな非科学的なことを思いながら読んだ。

    9章。
    ここまでくると読みながら、わかっているのかわからないのか、それすらわからないまま文字を追い、文意を追うばかりだった。生命というのは物質やエネルギーに拠るのではなく、現象、状態、だということなのだろうか。それはそれで納得はいく。ひとの心や感情も、現象だものね。ただこの「納得」は文学的な、情緒的な共感なので、科学的に腑に落ちるにはもうちょっと勉強を深めないとだめだなとは思っている。

  • ベストセラー『生物と無生物のあいだ』(2007年)を始めとする一般向けの科学書等の著者・翻訳家であり、雑誌や新聞の文化・読書面にも頻繁に登場する、分子生物学者の福岡ハカセが、自ら主著という2009年発表の作品を新書化したもの。新書化に伴い、生命科学研究の最前線の状況などについて大幅に加筆したほか、新章が加えられている。
    本書の題名にして、ハカセが「私自身のキーワード」という「動的平衡」の表すものについては、言葉を変えて、繰り返し説明されているが、端的に言うと、「秩序あるものは必ず、秩序が乱れる方向に動く。宇宙の大原則、エントロピー増大の法則である。この世界において、もっとも秩序あるものは生命体だ。生命体にもエントロピー増大の法則が容赦なく襲いかかり、常に、酸化、変性、老廃物が発生する。これを絶え間なく排除しなければ、新しい秩序を作り出すことができない。そのために絶えず、自らを分解しつつ、同時に再構築するという危ういバランスと流れが必要なのだ。これが生きていること、つまり動的平衡である」ということである。
    また、分子生物学の見地から、以下のような多数の興味深い示唆がある。
    ◆歳をとると1年が早く過ぎるのは、分母が大きくなるからではなく、自分の生命の回転速度(代謝回転速度)が遅くなるから。
    ◆人類は進化の過程で、生き残るために有利なように、ランダムなものの中に法則やパターンを見出す能力を高めてきた。
    ◆我々が摂取したタンパク質は、元の情報が自分自身の情報と衝突しないように、アミノ酸まで解体されて吸収される。よって、コラーゲンを食物として摂取しても意味はない。
    ◆生命は単なる部品の集合体ではなく、その成立には時間が関わっており、それが柔らかさ、可変性、バランスを保つ機能のような機械とは全く異なるダイナミズムを生み出す。
    ◆生命のプロセスに関わる時間を逆戻りさせることは不可能。よって、遺伝子操作や生命操作を用いた生命科学研究には懐疑的。
    ◆生命現象を支えるsustainableな仕組みは総合的なもの。よって、エイジングと共存するには、sustainabilityを阻むような人為的因子・ストレスを避ける、つまり「普通」でいることが一番。
    そして最後に、「生命」について、「生命が「流れ」であり、私たちの身体がその「流れの淀み」であるなら、環境は生命を取り巻いているのではない。生命は環境の一部、あるいは環境そのものである」と述べているが、これはある意味、自らの死生観にも影響を与えるようなものである。
    自ら主著という通り、福岡ハカセの主張・問題意識が網羅的かつコンパクトにまとめられた良書である。
    (2017年6月了)

  • なんかいろいろと腑に落ちた。
    第一線の分子生物学者としての知見をもとに、炭水化物ダイエットが効く理由を説明してもらえた。妻に何度言われても右から左だったGI値についても納得がいった。お肌のためにコラーゲンの豊富な食い物を摂っても意味ないし、コラーゲン配合の化粧品は輪をかけて無意味ということもわかった。IPS/ES細胞の難しさについてもわかった気になった。どうもぼくは理屈が理解できないと腹落ちしないたちらしい。
    遺伝子組換えのリスクについても「正しく」理解できた気がする。ぼくは消費者が遺伝子組換え作物を嫌う理由がよくわからず、みんなは組み替えた遺伝子が身体に入ると思っているのかな、と思っていたのだ。
    生命の本質は動的平衡である、という著者の主張は腑に落ちる。生命はいろいろな部品からなる一種の機械であり、食べ物は燃料である、というアナロジーでは新陳代謝と成長、老化の仕組みを説明できない。機械とは別の仕組みで(共通点もあるけれど)、少なくとも一定の期間個体を維持し、変化を受け入れながら環境への適応を目指すシステムなのだ。

    文章に不思議な風格があるけれど、ことさらに名文というわけではない。易しい言葉だけで難しいことを説明するわけでもない。この人の説明はどうして腑に落ちるのだか不思議だ。
    名著。

  • 生命とは何か。
    これまでずっと不思議だと思い続けてきた。

    受験生の頃、記憶は苦手だと思いつつ、生物は得意だった。
    好きこそものの上手なれ、というやつかもしれない。

    最近、命は、水の渦巻きのようなものというイメージが繰り返し頭の中に浮かんできていた。
    この本にも、渦巻きが生命のイメージという記載があり、驚いた。

    常に移ろい、実態はと尋ねると、どこにもその本質は見当たらない。
    その割に、あたかも続いてあり続けているように、傷痕は傷痕のまま残り続け、シミシワが出来てくる。
    物質として入れ替わるものなら、常に新品に生まれ変わればよいものを、何故か継続しているかのような外観に入れ替わる。

    尽きせぬ不思議を感じる対象を、著者も同じように捉えていると感じた。

  • 何年越しかの積読をやっと…!

  • p80 〜合成と分解との動的な平衡状態が「生きている」ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ「効果」である〜。
    合成と分解の平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するよう自分自身の状態を調整することができる。〜サスティナブル(〜)とは、常に動的な状態のことである。
    p260 〜私たちの生命を構成している分子は、プラモデルのような静的なパーツではなく、例外なく絶え間ない分解と再構成のダイナミズムの中にある〜私たちが食べ続けなければならない理由は、この流れを止めないため〜この分子の流れが、流れながらも全体として秩序を維持するため、相互に関係性を保っている〜。
    p261 分子は環境からやってきて、いっとき、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。〜その流れ自体が「生きている」ということなのである。
    p262 「生命とは動的平衡にあるシステムである」〜。〜生命というシステムは、〜つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。〜サスティナブルなものは常に動いている。
    #社会や企業、事業にも当てはまる、非常に示唆に富む視点。
    p269 太母は、この鯨に会いにきていたのだ。海で最も大きな生き物と、陸で最も大きな生き物が、ほんの100ヤードの距離で向かい合っている。そして間違いなく、意思を通じあわせている。
    p282 渦巻きは、おそらく生命と自然の循環性をシンボライズする意匠そのものなのだ。〜私たちが線形性から非線形性に回帰し、「流れ」の中に回帰していく存在であることを自覚せずにはいられない。
    p288 〜生命とは〜「容れ物」ではではなく、容れ物自体が流れゆく動的な存在だからである。多摩川を多摩川と呼ぶのは、〜絶えず流れゆく水の流れそのものだからである。

  • 生物と無生物のあいだに引き続き。

    福岡伸一さん、文章書くの本当にうまい。
    面白くて面白くて読みふけった。
    一文一文に感動。

    生きるとはつまり動的平衡。
    生命って神秘だなぁと改めて。

    プリオン説はほんとうかも絶対読もう。

  • 生物と無生物の間に比べると、こちらはおもしろさはいまいちでした。

  • 生物と無生物のあいだに、で福岡伸一氏の視点に共感してから、暫くたった。その間、私は分子レベルではお変わりありまくりで、細胞が全て入れ替わった私が読んだ本書でも、同じく福岡伸一氏に共感したことが、まさに動的平衡の体現である。
    象と鯨の低周波音での対話のストーリーが素晴らしい。伊藤若冲の象鯨図屏風も、実際に観て感激した事にこの話が加わって新しい思い出になった。
    また、動的平衡の数学的説明も、とても楽しい。端折って解説されているので論理が飛躍しているようにも思うが、モーメントで平衡を考えることは悪くない。どこかの大学入試問題でパクられそうだ。

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著者プロフィール

青山学院大学 理工学部 教授

「2019年 『マッキー生化学 問題の解き方 第6版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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