教養としてのヤクザ (小学館新書 す 9-1)

  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784098253562

作品紹介・あらすじ

あの芸人にも読ませたい。

吉本闇営業問題で分かったことは、今の日本人はあまりにも「反社会的勢力」に対する理解が浅いということだ。反社とは何か、暴力団とは何か、ヤクザとは何か。彼らと社会とのさまざまな接点を通じて、「教養としてのヤクザ」を学んでいく。テーマは、「ヤクザとメディア」「ヤクザと食品」「ヤクザと五輪」「ヤクザと選挙」「ヤクザと教育」「ヤクザと法律」など。その中で、「ヤクザと芸能人の写真は、敵対するヤクザが流す」「タピオカドリンクはヤクザの新たな資金源」「歴代の山口組組長は憲法を熟読している」など、知られざる実態が次々明らかになっていく。暴力団取材に精通した二大ヤクザライターによる集中講義である。

【編集担当からのおすすめ情報】
暴力団取材の第一人者である溝口敦氏と、『サカナとヤクザ』がベストセラーになった鈴木智彦氏が、ヤクザと社会の意外な接点を明らかにしていく展開は、目からウロコの連続です。反社について学ぶことは、裏面から日本の社会を学び直すということなのかもしれません。

感想・レビュー・書評

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  • 2大ヤクザライターの対談。

    暴力団についてのあれこれテーマを短く意見交換している感じ。
    深めているというよりも、フレーズで触れるようなライトな内容。

    第6章 <ヤクザと法律> が面白かった

    暴対法制定の後、暴排条例ができたことで、どんどん追い込まれ、暴力団が徐々に衰退していって、反グレが暗躍しているんですね。

    暴対法は暴力団を『指定暴力団』と組織として認めていることが日本の法律の特徴(イタリアなどはマフィア自体を「結社の自由」の除外規定として、法律的に認めていない)。
    暴排条例は暴力団組員の雇用、事業契約、金銭貸し借りなどを禁止。暴力団の存在を否定している。
    という事で一方で組織として認めつつ、存在を否定しているということになっている。

    それ以外に気になったフレーズ
    _________
    溝口
    「暴力団」という言葉は警察が使い始めた言葉だけど、これが正式名称ということになるんじゃない?「ヤクザ」という言葉は江戸時代からある言葉だけども、要するに、ヤクザという存在を認めている人たちが使う言葉なんだろうね。
    _________
    鈴木
    新聞やテレビの暴力団担当の記者は、実際は暴力団を取り締まる警察の担当で、その警察から暴力団の情報をもらって書いている。
    記者の大半は、警察発表と検察発表を整合させて、これを「裏を取る」と言っているわけです。当該暴力団にアテるわけじゃないんです。彼らの裏取りは政府情報と政府情報を足して、それで合わせるから暴力団に接触なんかしない。そもそも「接触するな」って言われているから。

  • 「暴力団取材に精通した二大ヤクザライターによる集中講義」と、版元がつけた惹句にはある。
    実際には「講義」というほど堅苦しい内容ではなく、楽しい対談集である。

    「集中講義」という惹句同様、『教養としてのヤクザ』というタイトルも、版元の世間向けのエクスキューズとしてつけられたものなのだろう。

    「これは面白半分にヤクザを扱った本ではないんですよ。現代日本に生きるうえでの必須教養として、ヤクザについて一通りのことを知っておく必要がある――そんな問題意識から企画されたマジメな本なのです」……と、そのようなエクスキューズとしてである。

    必須「教養」かどうかはともかく、大変面白い本ではある。
    さすがに長年ヤクザの「現場」を取材してきた2人だけあって、矢継ぎ早に披露される情報がすごくディープ。そして密度が濃い。

    見開きに1つくらいのペースで笑える箇所もあり、全体に肩のこらない感じであるのもよい。
    笑いながら楽しむうち、ヤクザが置かれている現状やヤクザの行動原理などが、おのずと深く理解できる。

    以下、付箋を打った箇所をいくつか引用。

    《「暴力団」という呼び名はいいけど、「反社」とは呼ばれたくないというヤクザが多い》(149ページ/溝口)

    《ヤクザは商売ではないんです。無職なんです。だから、〝無職渡世〟などと言うわけです。ヤクザはまったく働いていないのに食っていける。そこに価値がある。(中略)密漁がシノギになっているということは、ヤクザが貧窮化して、肉体労働をせざるを得なくなっているということでしょうね》(32ページ/溝口)

    《世間とは逆で、暴力団では大卒は出世できないとされている。良くて二次団体の幹部が頭打ちです》(127ページ/溝口)

    《(『六法全書』を熟読するなど、法律にくわしいヤクザが多いのは)法律とか人権とかそんな高尚な話ではなくて、ヤクザからしたら、「武器としての人権」であり、「武器としての法律」なんですよね。自分たちの都合の良い人生をおくるための武器で、時と場合によっては法律を破っても捕まらないようにするための武器にして使う》(135~136ページ/鈴木)

    《(新聞の暴力団報道について)記者の大半は、警察発表と検察発表を整合させて、これを「裏を取る」と言っているわけです。当該暴力団にアテるわけじゃないんです。彼らの裏取りは政府情報と政府情報を足して、それで合わせるから暴力団に接触なんかしない。そもそも「接触するな」って言われているから》(162~163ページ/鈴木)

  • ●対談なのでサクッと読める。
    ●2人ともその道の取材のプロなのでエピソードが面白すぎる…
    ●地下に犯罪が潜っていく怖さはあるんじゃないかなあと思いますね。知らないってのが一番怖い。
    ●結局、近づかないのが一番だし、こんな書籍で好奇心を満たすぐらいが丁度いいんだ…
    ●警察とマスコミと暴力団、政治家、どれも魑魅魍魎な世界な気がするなあ。まあ、あれとこれとが裏で繋がっている!なんてわからないし、証拠だってないんだから陰謀論の域を出ないけれど、やっぱり人間は興味が湧くんだよなあ。
    ●任侠映画はわりと好きなんですが、あれは幻想ってことなんだなあ…

  • ふたりのヤクザライターの対談記録の形を取る

  • 最近のヤクザ事情は分かったが、対談の書き起こしのせいか内容が少し薄い

  • 880

    ヤクザって逮捕された時は住所不定無職って記載になるらしい。

    ヤクザはカタギと同じように商売するにも何かトラブルが起こった時にカタギみたいに警察に助けてもらえないらしい。

    みかじめ料(見ヶ〆料、みかじめりょう)
    飲食店や小売店などが出店する地域の反社会的勢力に支払う場所代、用心棒代[1]。世界各地で、様々な形で収受が行われている。

    溝口敦
    1942年、東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業。ノンフィクション作家。『食肉の帝王』で2004年に講談社ノンフィクション賞を受賞

    鈴木智彦
    1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに


    溝口  働かないで食うという、そこに彼らは価値を見出しているわけだよね。世間の労働者と違い、俺たちは額に汗して働かない、そのことに彼らは価値を見出している。ヤクザの一番の価値というのは、暇である、ということだと思うんです。 鈴木  働く必要がないのは、それまでにたくさんの修羅場をくぐってきた証明だからですよね。さんざんやることはやってきた。その結果、名前で食えるまでになったということ。 溝口  例えば、三代目山口組の若頭(ナンバーツー) だった山本健一の奥さんの山本秀子がこないだ亡くなったけども、彼女に会ったとき言っていたのが、「結婚してみると、ともかくヤマケン(山本健一の愛称) がいつもぶらぶら、ぶらぶらしている。そのことに私はびっくりした」と。要するに、いつも暇してるわけです。 鈴木  普通の人が見たらびっくりしますよね。昼間から雀荘で麻雀をして、夜は飲みに出て、何もしていない。でもそれがヤクザの価値なんです。 溝口  そう。暇しているから、突然の喧嘩だとか博奕場の揉め事だとか、そういう急な出動要請に応えられる。まぁ、はっきりいえば、生活方針や生き方みたいな小難しい話ではなく、「わしはプラプラしていたいんだ」と、そういう怠け者が職業になったということでしょう(笑)。

    鈴木  しかしその結果、暇であればあるほど、優秀なヤクザであるという価値観が定着しています。だからヤクザは、働かないで生きていくことに、強烈なプライドを持っています。

    鈴木  ヤクザが逮捕されると、だいたい「住所不定無職」と報道されるのはそういうわけです。ちなみに住所不定なのは、事務所に住民票を置いていたり、あるいはマンションを借りていても別の人の名義だったりして、住民票の住所にいないことが多いからでしょう。  暴力団の正業が禁止されたのは、二〇一〇年以降に全国で暴排条例が施行されてからですよね。

    鈴木  世間は誤解していますが、本来、ヤクザは詐欺をしません。力で強奪するのがヤクザの本懐です。特にオレオレ詐欺のように高齢者という弱者を騙すような犯罪は、弱きを助け強きをくじくという彼らの理想に反する。実際、オレオレ詐欺で儲けるのは、覚醒剤よりもイメージが悪い。覚醒剤の売買は、他人を騙してはいない。「米を買う金を持ってきた客には売らない」と密売の美学を言うヤクザもいた。 溝口  昔は暴力団の代表的罪名といえば恐喝でした。今、恐喝の件数が年々減っていて、その代わり、暴力団の罪名として詐欺が上がってきている。  この二つは性質が全く違うんです。詐欺というのは、自分の名前を言わない、自分の住所地を言わない、自分の会社名を言わない、あるいは 騙るというインチキでオレオレ詐欺なんかをやるわけ。ところが、恐喝というのは、「おれはどこそこ組の誰それだ」と名乗ることによって成り立つ。つまり、恐喝はヤクザらしい犯罪なんですが、詐欺はそうではない。

    詐欺はヤクザらしい犯罪ではないから、恐喝で捕まるのは全然いいけど、詐欺で捕まるのは恥ずかしくて言えない。

    鈴木  抗争にはいろいろな形態がありますが、もっともわかりやすいのは利権の取り合いです。相手の勢力範囲を侵食して、シノギを奪い取るというのが勢力拡張のもっとも簡単な方法。ヤクザが勢力を拡大していこう、組織を強くしていこうとなったら、相手のところから奪い取るしかない。ヤクザが興味を持つ仕事は、濡れ手に粟か、違法なのでライバルがいないかです。自分の縄張りの中で新しいシノギを開拓するという発想は、あまりない。  それよりも手っ取り早く他団体のシノギを奪いに行く。そうしたら、相手も奪われたくないからやっぱり喧嘩になる。これがもっとも簡単な抗争の勃発のメカニズムです。

    東京のヤクザは、金を持っているから余裕があって、ある程度そうやって他団体が進出してきた場合でも、相手の顔を立てて、「いくばくかのお金をあげますから引いてください」といった、平和的な解決で任 俠 を気取る。大阪ならもし誰かにシノギを取られるくらいなら潰してしまえとなります。  ただ、ヤクザは喧嘩を「マチガイ」と呼ぶ。人間誰しも間違いをする。間違いなら、なにもお互い殺し合わなくたっていい。金で解決だってできるはずというヤクザの智恵です。実際、利益を巡るトラブルはたくさん起きますが、抗争にならずに終わります。マチガイの数なら、シノギのパイが大きい東京が多いかもしれません。

    溝口  昔なら若いころにそういう組のために重要な働きをする仕事をし、そして、刑務所の中で過ごす。出所すればある程度ヤクザとしての格は上がりますが、なかでも出世する人は刑務所内でよく本を読んで勉強している印象があります。 鈴木  刑務所を「大学」と呼びますもんね。 溝口  法律や経済の専門書を読んで、シノギで法の網の目をかいくぐるスキルアップにつなげたりする。ほかにも刑務所内での努力はあって、例えば六代目山口組組長の司忍は収監されている間、刑務所内で筋肉ムキムキマンになる筋トレに精を出しましたけど、曲がりなりにも七十八歳にして彼は立派な体と健康を維持していられるわけです。  ちなみに司は若いころ、出身母体の弘道会が名古屋を統一するための戦いで、大日本平和会系の組と抗争した際、十二年ぐらい懲役に行っています。山一抗争(八一年、山口組四代目を竹中正久が継いだことに反発した山広組組長・山本広が一和会を結成。終結までに二十五人の死者を出した抗争) のときには、一和会の中核団体である山広組系の組の若頭をさらって、脱会届を書かせるなど、かなりの働きをしていました。彼にもそれなりの暴力的な功績があったのでしょう。

    山口組は最初から暴力を行使しようと決めていた。その上で話し合いに持ち込もうというわけで、山口組はやっぱり喧嘩慣れしている。喧嘩で領土を奪い、全国に勢力を広げた組だから、抗争の押し引きがうまい。ノウハウも蓄積しているのだと思います。事実、山口組が全国一の大組織になったのは、全国でもっともたくさんの抗争をしてきたからです。

    溝口さんは美能が嫌いでしたよね(笑)。実際、反対に男らしくて、さっぱりしてて、ビビらない人はすぐ撃たれて死にます。昔は本当によく殺したし、殺された。広島では四年に一度、親分クラスが殺されるから「オリンピック」と呼ばれていました。

    なぜ暴力団に入ったかという調査報告によると、「格好のよさに憧れて」が半数近くて、次いで「享楽的な生活ができるから」、「特に目的はない」、「自分のような者でも認めてくれるから」、「当面の生活の維持のため」と続き、ようやく「義理・人情の世界に憧れて」が来る。任 俠道などは幻想なんです。

       暴走族出身は成功しない 鈴木  溝口さんが言う二十五までというのは、かつては若いうちに長期刑に一回行く、という前提がありました。早めに刑務所に行って、長期刑を終えて出てきたほうが出世の街道をのぼりやすいと言われていた。それにヤクザは地域の一員だったから、昔は高校を中退して、教師が地元のヤクザに連れていって、「ヤクザの世界だったら芽が出ると思うから使ってやってくれ」と預けるケースもあった。『仁義なき戦い』にもそんなシーンがあります。

    そこはプロとアマチュアの大きな違いがあるんです。不良とヤクザでは求められる素質が違う。地域の不良社会でトップを張っていた人間でも、ヤクザ社会に入れば、一番下の子分から始めなければならない。それで、やってられないとなってしまう。

     昔は組事務所と組長の自宅はイコールでしたから、身の回りの世話、パンツを洗濯したり、ご飯をつくったり、お風呂を沸かしたり、背中を流したり、運転手をしたりと、それこそ親分がセックスしているあいだを除けばすべての身の回りの世話をしなければいけませんでした。今は抗争に家族を巻き込んだりする危険性などを考慮して、別々にしている組が多くなりましたが。

    鈴木さんも言っていましたが、ヤクザについて昔からよく言われるのが、「バカでなれず、利口でなれず、中途半端でなおなれず」という言葉です。しかし私が以前会った中堅ヤクザは、「ヤクザというものは、バカか賢いか、どっちかでなかったら絶対出世できない。本当のバカか、一風変わった頭の切れる人間やなかったら、ヤクザで飯食おう、ヤクザで名を売ろうと思っても、無理だ」と言っていた。反対のようですが言っていることは同じで、それほど人付き合いと、自分が抱える暴力、事に臨んでの判断力が微妙にものを言う世界ということです。

    トップの親分たちが居住性を優先した国産のワンボックスに乗り出し、トヨタなどは本当に迷惑していると聞きます。セルシオが出たあたりから、メルセデスを始めとする外国車信仰はずいぶん薄くなりました。高価な車はいくらもありますが、もう安っぽい誇示で名前を売る必要がない。それにヤクザっぽい車は狙われやすいんです。防弾車にする際も、ワンボックスのほうが鉄板を入れやすい。重量的な問題があり、屋根が潰れてしまうので、天井には防御用の鉄板を仕込めないのですが、セダンだと上に乗られて撃たれる可能性もあります。

    鈴木  奥さんに生活費を渡さないヤクザは本当に多いんです。ほぼ虐待です。姐さんたちはほとんどが自立しています。ヤクザの場合は正妻も愛人も分け隔てなく姐さんと呼びますが、不意なことがある業界だから、何かあったときには身体を売ってでも金を用意しようとする気っぷの良さもある。洗脳されているというより、そうした自己陶酔が好きなのだと考えなければ理解できません。  古典落語でも親の借金を返済するため自ら吉原に落ち、遊女になる娘などが描かれますが、ヤクザが女房をソープランドで働かせていたと話したら、それは自慢であり、美談なんです。女の性根を称賛し、そこまで惚れさせた自分の男っぷりを自慢している。ヤクザという伴侶にどうしてそれだけの良さがあるのか、男の自分にはわかりません。  だけど、女も馬鹿じゃない。ヤクザはモテるんです。愛人がいるのは当然と思っている。むしろ何かあったときには自分が捨てられるかもしれないという意識があります。経済的に自立しているのはそのためかもしれない。最近、地方都市では看護師さんも多い。安定してるし、高給だし、どこにいっても潰しが利く仕事です。

    そこは一般家庭と同じです。うすうす愛人がいるとわかっていても、嫉妬は消せません。田岡三代目の奥さんである 文 子 姐 は、「愛人と寝てもいいが、女房も抱け」とアドバイスしたらしい。見栄を張って「うちは全て公認だ」なんて言う組長もいますが、観察するとそうでもない。ヤクザも姐さんも同じ人間です。特別超越した価値観を持っているわけではない。

    鈴木  ヤクザの子供が親をヤクザと認識するのは、けっこうな年齢になってからです。一種のカルチャーショックみたいです。例えば大人の身体には、絵が描いてあるのが当然だと思っている。学校に通うようになって、ようやく家の親は特別だと気づく。でも小学生の子供に、ヤクザとは何かをきちんと説明はできません。  私の知っている親分の娘さんはずっと自分の父親を「サル山のボス」と認識していた。正しいですよね。周囲の人間関係がちゃんと見えている。でも、ヤクザが何であるか知ったのはずっと後です。

    溝口  僕がこのまえ会った俳優の 高知 東生 は、高知の中井組・中井啓一(三代目山口組舎弟) という親分の子供です。彼は、中井の子供として少年期を過ごしていますが、自分のお母さんは中井の愛人だったということも知っていた。  そうすると、過保護の体質で、学校に高級車が乗りつけることもあるし、生活も豊かで、周りの子供たちも中井親分の子供として高知東生を扱い、先生すら遠慮することもあったという。そういう利益の部分もあっただろうけども、高知東生は不利益もこうむっているんです。やはり進学先とかを決めるのが難しかったらしい。実は高知の本当の父親は中井ではなく、徳島の有名ヤクザです。高知は長じて後、それを知ってさらに混乱したそうです。

    鈴木  私立中学の受験とかもバレたら、やっぱりまずいでしょう。だから、最近は、ヤクザとして顔がばれたくない、有名になりたくないという若い衆も増えている。雑誌なんかの取材で写真を撮るときに、「顔は写りたくないです」と言う人もいます。それは主に家族や仕事のためで、昔は決してそんなことはなかった。逆に取材が来て雑誌に載るのだから、ヤクザじゃない友人たちも一緒に写真を撮って欲しいと言われた。  就職にしたって、ヤクザの子供は警察官には絶対になれない。警察に聞けばそんなことはないと言うのかもしれませんが。 溝口  警察官でなくても、新聞記者になったって、警視庁記者クラブに詰めることになった場合、警視庁は所属する記者の身元調査をしますので、そうするとお断わりですとなるでしょう。 鈴木  それは実質、差別ですが、現実としてはある。 溝口  だから、ヤクザの子供は男女共通して水商売の人が多いんです。店を経営したりね。水商売はそういう身元調査は一切関係なく、誰でもなれますから。 鈴木  ヤクザの子供というだけで職業が限られるのはおかしな話です。差別以外の何ものでもない。

    ヤクザは原則、海外旅行に行けない。もちろん海外への入国が制限されているということもありますが、先ほど言っていたようにいつ突発的な暴力事件が起きるかわからないからです。

    鈴木  その背景には、ヤクザを辞めてうまいことやろうとしやがって、という感情的なしこりもあるのだと思います。  指というのは本来、もらっても一銭にもなりません。だから断指(指を詰めること) を毛嫌いする親分もいます。ただ、自分の身体をちぎり取ったという事実を提示されれば、ある程度、譲歩をしなくてはならないという慣習は今も残っている。土地によっては、指を詰めることによって初めてヤクザになるみたいな価値観もある。これには地域性もあって、中国地方ではちょっとしたことでもすぐ「指を詰めるのがヤクザだ」みたいな組織もあるんです。極端な場合だと親分を車で送るのに五分遅刻したから指を詰めろとか、そんなことまであり得ます。 溝口  逆の場合もある。竹中兄弟(竹中正久・四代目山口組組長とヤクザになったその他の兄弟) は全員が「指は一本も欠けてない」と言っていました。刺青も誰も背負ってない。それは、彼らの持つ誇りなんです。要するに、自分は指を飛ばすほど、義理を欠いたことをしたことがない、そういう誇りを持っていた。

    鈴木  ヤクザの場合、自ら辞めるのではなく、辞めさせられるケースも多々あります。絶縁や破門と言われるものです。自らカタギになるのと、カタギにさせられるのは、天と地ほども違います。ヤクザを辞めさせられるのは、このうえない恥辱です。 溝口  一番多いのは、組の金の使い込みです。例えば、その組が覚醒剤をシノギにしているのにその覚醒剤を横流ししたとか、月会費を未納しているとか、そういった金の問題が多いです。

    負のサービス産業として、かつてヤクザに社会的な需要があったのは債権取り立て、地上げ、倒産整理などです。  債権取り立ては、繁華街のクラブなどで客の何某がツケを溜め込んで払わない。取り立てたら、取り立てた額の半分をやるから、代わりに取り立てて、と頼まれるシノギです。  現在、債権取り立ては弁護士に限り、ヤクザが手を出したらアウトなのですが、短時間で効果が出たのはむしろヤクザのほうだったはずです。ぷよぷよ体型の弁護士がやって来ても屁とも思わない踏み倒し常習の客がいます。彼らが怖がるのはむしろヤクザの暴力でしょう。

  • 吉本の闇営業騒動に合わせて刊行された、ヤクザライター2人の対談形式による読みやすーい新書。
    内容はほとんど雑談で体系立った知識の獲得とはいかないが、なんとなくヤクザのことが分かった気になれる。

    読了後の感想としては、ヤクザという存在が既に過去の遺物となっていることを確認できた。
    今やテレビでもヤクザではなく「反社」と呼称するし、ヤクザ自体を扱うのでなく芸能人とヤクザとの関わりを取り沙汰すばかり。ヤクザの方も元より社会の転覆を目論むイカれた集団ではないわけで、社会に畏怖されながら共存しようとする点ではある種「妖怪」みたいな存在なのかなとも。

    ヤクザよりも反グレの方がいまや問題、という著者らの主張には共感した。ただ「反グレ」というヤクザありきの呼び方自体がそもそも時代遅れの感はある。これと直接の関係はないが、第1章の冒頭をせっかく「ヤクザとタピオカドリンク」というキャッチーなものにしているにもかかわらず溝口氏が開口一番で「何ですか、それは」と返していたのも残念。

    また平成以降のヤクザ弱体化の原因が全国の暴排条例にある、というのは勉強になった。暴排条例によってヤクザは飲食店やゴルフ場を利用することもできず、身分を偽って利用すればそれだけで店への詐欺罪になる。これでは何もできないというので、ヤクザ映画では未だに暴排条例のない世界を描いているとか。
    それともう一つ、世間がヤクザに抱く畏怖は結局のところ抗争に由来しているという話も。確かに、今ではヤクザの本場といえば、山口組のお膝元・神戸を差し置いてもっぱら北九州というイメージだ。2000年代の道仁会・九州誠道会の抗争により、無意識のうちに一般人のイメージさえ影響を受けているというのは面白い。

    『教養としてのヤクザ』という書名は今どきの流行りに乗った程度のもので深い意味はないだろうが、ヤクザの専門家2人の対談を通じて歴史としてのヤクザ・フィクションとしてのヤクザにはそれなりに興味を持つことができた。そういう意味では、「教養としてのヤクザ」という視点はありかもしれないと思った次第。

  • 衰退していくヤクザ。ヤクザと半グレ。
    食品からオリンピック〜政治やメディアまで近年のヤクザ事情がなんとなく分かった。

  • 令和のヤクザについて専門家による対談本。面白かった。ヤクザがタピオカ屋をやってるとかLINEスタンプ作って販売してるとか新鮮すぎる。ヤクザって映画でみるような極道!任侠!みたいなイメージを一般人の我々はいつまでも持っているけど、現代のヤクザはなかなか大変なんだなと思った。

  • 基本的に暴力団が衰退した現在を前提とした対談なので犯罪集団とか任侠といったイメージの話は少ない。法規制によって暴力団はもう何もできないという認識を基調とした話がメイン。

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著者プロフィール

ノンフィクション作家。ジャーナリスト。1942年、東京都に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。出版社勤務を経て、フリーに。著書には『暴力団』(新潮新書)、『血と抗争 山口組三代目』『山口組四代目 荒らぶる獅子』『武闘派 三代目山口組若頭』『ドキュメント 五代目山口組』『山口組動乱!! 日本最大の暴力団ドキュメント2008~2015』などの山口組ドキュメントシリーズ、『食肉の帝王』(以上、講談社+α文庫)、『詐欺の帝王』(文春新書)、『パチンコ「30兆円の闇」』(小学館文庫)などがある。『食肉の帝王』で第25回講談社ノンフィクション賞を受賞した。

「2023年 『喰うか喰われるか 私の山口組体験』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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