- Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
- / ISBN・EAN: 9784098373604
作品紹介・あらすじ
本書は1984年に出版された「わかり方の根源」を佐伯先生に特にお願いし、今日の視点で改めて加筆訂正し、さらに6編の論文を追加したものである。教育界はこの20年間大きく変化をしてきた。しかし、この中の論文は、この歳月の荒波を受けても今まさに揺るぎない光を放っている。学力論争等、誤解と混迷の中にある教育界に、この書が時代を超えて大切なことを語り、授業改革の明快な確かな拠り所となることを願い企画出版するものである。
感想・レビュー・書評
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何度も読み返したい一冊。
そして、たとえば、
●できるとは・・・
●信じるとは・・・
●わからないということの意味
●見えるとは・・・
●遊ぶということの意味
●話すとは・・・
●笑うとは・・・
●泣くとは・・・
などなど、
大切な人の言葉をじっくり聴きたい。
あなたを知りたい。
そして、
自分を知りたいと思うのです。
あとがきにある
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物事がわかるには、どうやらひとにはそれぞれのわかり方なるものがあるらしいこと、そのわかり方がずれていると、ある人には実によくわかる話が、別の人にはぜんぜんわからないことが起こるらしい。。。
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まったくもってごもっともで、
だれもがうなづくことではないだろうか?
そこに何があるのか?
人がそれぞれ違うこと、
その真実と、
だからこそ、
あなたといたいと思うあなたと違う自分がいることに気づくのではないかと思うのです。
私は「真剣に遊ぶ」という体験をとても大切だと思っています。
胸を張って「遊んだ!」と言い切れる時間を過ごしたか?!
私は、子どものころの遊ぶとは若干の違いをもってこの「真剣に遊ぶ」という言葉を使っています。
つまり、限りなく子どものころの遊ぶ大人であることです。
この思いを力強くサポートしてくれた言葉で、
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学ぶことと遊ぶことは、本当は渾然一体となったもの・・・・
両者を分けてしまうのは間違い・・・
私たちが学校という奇妙なところを作って、そこ(学校)では、学ぶ(勉強する)ことを主たる目的とし、そればかりだと疲れてしまうので、休み時間というものを合間に入れて、その休み時間には遊んでよいという決まりを作ってしまったことに短を発している・・・
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というのがあります。
遊びの中で、物事の面白さや、不思議さ、大切さというその本物に気づき、
そして大人であるから、そのありがたさをじっくりと味わうことが出来ると思うのです。
それが真剣な遊びだと思うのです。
まだまだ、あります・・・・
そのひとつは、泣くとは理解の営みだということ。
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本当に心から泣くということができるためには、精神的エネルギーを貯めこむことが必要である。善意の緊張感を静かに深く抱き続けることである。
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という。
泣くべきことを泣くことができるところに、清々しい深い信頼感が有るように思うのです。
同じことのない人同士がつながるというカタチの1つのように思います。
泣くことがかっこ悪く、弱いもののように思ってしまう自分の中の部分から開放され、泣くことが出来る自分を誇りたいと思うのです。
まだまだ・・・一緒に交わしたくなる言葉があります。
自分の本質に気づくことをくれる一冊です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
冒険の書の推薦本である。ひとつのことを書いたわけではなく、様々な雑誌に掲載した文を集めたものである。したがって内容については順を追っての一貫性はないが、わかりやすい。学部の学生が読んでも理解できるであろうし、教員養成系大学の学生にとっても児童生徒が理解するとはどのようなことであるかということが、認知科学を知らなくても理解できるようになっているのでお薦めである。
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「わかり方」という言葉自体も新鮮な感覚だったのだろうと読後に感じます。とてもよかったです。よかったけれど、それを頭の中で、さてどういうことかと整理しようとしてもうまくいかないのです。具体的な子どもを前にしたイメージをしてみると、なかなか思った通りにもいかないなと。
そういう思考自体が楽しいので、とても、よかったと言えます。
教師として、「わからせ方」を研究してきたのだなと気付かされます。子どものわかり方について考え、子どもはどうわかるかということについて研究をしてきていたら、子ども観も指導観も変わっていただろうと思います。
一番は、「学校が学びと遊びを分けてしまった」というところです。遊んでいたら副作用のように知識や技能が高まっていたということを学びと捉えているのがいいですね。先に読んだ『冒険の書』からの流れで本当に理解が深まります。
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学校教育向けに書かれた本だが、企業の社員教育にあてはめても、うなずける内容が多かった。特に、1章は、OJT を実施していく上での学習者の現状を理解、指導していく上での指針になりそう。後半に読み進むにつれてエッセイ色が濃くなるが、それはそれで面白く読めた。
学術的な話題も散りばめられてはいるが、読みやすい文章で書かれており、各トピックも適度な長さなので、一気に読めた。ただし、先に著者の主張とは異なる意見(従来意見)を紹介しておいて、後からそれを否定する、という形で書かかれている部分いくつかあるので、安易に拾い読みすると(従来意見だけを読んで)誤解するかもしれない。 -
以前紹介した『学びを問いつづけて』の著者です。金大附属の発表会のときの講師として招待している(この方の理論を元に研究している)ということを中前さんから聞いたので,オジャマする前に読んでおかなければと思って手に入れて読んでなかったやつです。
本書の発行は2004年となっていますが,収録されている文章は,1984年~2004年に執筆したもので,著者の考え方が手に取るように分かる気がします。
具体例を挙げてみます。
日本人の「話し方」に存在する気くばりの大部分は,第三人称への気くばりである。「みんな」,「よその人」,「見知らぬ人」,「お客さん」,「聴衆」などへの気くばりである。必然的に,「トラブル最小の法則」が優先する。…中略…「○○さんに質問だけど…だと思います。どうですかァと」発言し,「そうでーす」と一斉に答える。きちんと手をあげ,起立して椅子を机の下に押し入れて,「いいですかァ」といい,おもむろに,「意見なのですがァ…」という。
実に明瞭である。誤解の入るスキもない。しかし,「話し」口調ではなく,「きまり文句」を「読みあげ」ているような(しかも棒読みで),へんなイントネーションで叫んでいるのが,「話し方の指導」のゆきとどいたクラスである。
要するに,「次の三つのボタンのうちどれか一つを押しなさい」というメッセージと,ボタン押しが「会話」なのである。(232p)
昨日,進学先の中学の体験入学があった。そこでは,管理が行き届いた子どもたちの姿をみることができた。号令で動くことが悪いとは思わない。が,この気持ち悪さは何だろう。ある生徒たちが少し騒いでいたのがせめてものすくい。たぶん,この子たちは,自分を出している。誘導された担任たちが体育館に入っていくと,小さく手を振ってくれる生徒もいる。わたしも小さく手を振ってあげた。ほっとする姿。
そして模擬授業。英語だったが,この授業をする目的は,規律を教えることではないか,と思えた。中学校での授業の始め方(あいさつや号令,椅子の扱い方)をしっかりとやらせていた。私の授業とは大きくちがう。これも,別にやりたければやればいいと思うのだが,心配なこともある。それは,こういう型にはまったやり方をやっているうちに,授業そのものが死んでこないか,受け身になってこないか…ということである。「凡事徹底」もいいが,その結果として,子どもたちが自由に発想したり,話し合ったりすることがやりにくくなるようでは,まさに,「学びからの逃走」が起きるだけのような気がする。これがわたしの取り越し苦労に終わることを祈るだけだ。
本書には「勉強=学び-遊び」という式も出ていた。私たちが目指すのは「勉強」ではなく「学び」なのだろうな。 -
現在の学校教育では、「わかっていない」にも関わらずテストの点だけが高いという学生が存在しています。この矛盾した事実を「わかる」と「できる」の概念で本書は解説しています。「できる」人ばかりを作り出すのは本来の教育の役割ではないと認識され、あちこちの学校で教育改革が行われています。東工大でも現在ちょうどその改革を一生懸命やっていますので、この本を参考に、まわりの変化を観察してみたらいかがでしょうか。
(電気電子系電気電子コース M1)
本書では「わかる」ということがどういうことかを認知科学的視点から平易に追求されています。本書は、「教育」を行う上で「わかる」という現象を取り上げているが、本書を読むことで、「学ぶ」上で大切なことは何であるかを知ることができると思います。 -
「わかる」とはどういうことか。
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一番のヒットは『「きめる」は「きまる」できめる。』
学ぶことを本当に真摯に問い続けていてとても面白い知的探求。
が、自分の思考ではすぐ忘れてしまうので何度も何度も読みたい。